自動販売機の町
その町が廃墟ということは一目で分かった。
建物の窓ガラスはほとんど割れ、外壁が崩れ始めているものもある。道路は所々にヒビが入り、割れ目からは背の高い雑草が伸びている。人が居なくなってから随分久しいようだ。人に比べれば植物のなんと逞しいことかと一笑しつつ、周囲を散策する。
時刻は夜に近く、暗闇の廃墟を歩くのは初めてではないとはいえ、何とも不安な気持ちにさせられる。そんな私の目に、煌々と輝く何かが映った。近づいてみると、それは自動販売機だった。ちゃんとした人工物を見れたことと、まだ町に電気が通っていることが分かり、私は少し安心した。
自動販売機は飲料を扱ったもので、メーカーは分からないが、おおよそ味の予想の付くものが売られている。喉の渇きと空腹を満たすため、何か甘いドリンクを買いたいところだが、生憎使用されている硬貨が、手持ちにあるいずれのものとも一致しなかった。尤も買えたところで、それが飲める状態で出てくる保証はない。消費期限は確実に過ぎているだろうが、そこから先の許容範囲は私の裁量だ。
自動販売機を壊して中の物を取り出す方法も考えられたが、それよりももう少しこの町を歩き、落ちている硬貨を失敬する方が現実的だし、同じ犯罪行為でもそっちの方がスマートだと思い、自動販売機に背を向けた。
ガコンッ。
「……?」
何かが落ちる音が聞こえた。馴染みある音だ。私は再び自動販売機の方を見た。だが、取り出し口には何もなく、先ほどと変わらずに煌々と光を放っていた。
私はしばらく自動販売機と睨めっこをしていたが、やがて頭を掻き、町の奥の方へ歩いて行った。
お金が落ちていそうな場所ということで、私は駅を探索していた。手慣れていると思われると困るので、人が居るところでは決してこのようなことはしないと断っておく。
見込み通り、いくつかの硬貨を拾うことに成功した。紙幣らしきものも落ちてはいたが、いずれも破れたり腐敗したりで、使い物にはならなそうだった。植物はあれほど頑丈なのに、人の手が入るだけでこれほどまでに脆くなるか。
ひとまずジュースの十本は買えるくらい懐が温まっているが、少し気になることがあった。
駅に向かう道中、また駅の中に、自動販売機は置かれていた。いずれも電気が通っていて、お金さえ入れればすぐに使える状態を保っている。中身がいずれも飲料という点を除けば僥倖と言って差し違えないだろうが、問題は自動販売機以外にある。
自動販売機は煌々と輝いているのに、他の設備には一切、電気が通っていないのだ。街灯にも、建物の電灯にも、駅の券売機にも、改札にも。
何故か、この町では自動販売機だけが使用できる状態で残っている。まるでこれだけ人が居た時代に取り残されているように。だから私は、自動販売機の使用権をその手にしつつ、それを行使することを躊躇っている。
正直、無理に飲み物を買う必要もなかった。鞄の中にはキャンディの包みがいくつかあるし、水が汲めそうな場所も散策中に見つけているため、空腹さえ我慢すれば、一晩は難なく過ごせるだろう。
それがいいだろう。不確定要素には手を出さないのが吉だ。朝が来ればまた次の町を目指せばいい。私は硬貨をポケットに仕舞い、身体を休めそうな場所を探すことにした。
ガコンッ。
その時、またあの音が聞こえた。二度目だ。聞き間違いではない。
私はすぐさま、近くにある自動販売機に目を向けた。今度は、それに変化が起きていた。取り出し口に、炭酸飲料水らしきラベルが付いた缶ジュースが横向きに置いてあった。ついさっき落ちてきたようで、ゴトゴトと小刻みに揺れている。
私は、その自動販売機にお金を入れていない。当然購入ボタンも押していない。自動販売機が、勝手に缶ジュースを吐き出したのだ。
私が困惑していると、さらに不思議なことが起きた。取り出し口から、缶ジュースが持ち上げられるように、空中へ浮かび上がった。
飲み口のプルタブがプシュッと開けられ、缶が傾けられ、中身が流れ出す。
何年も時が過ぎているにも関わらず、中身のジュースは新鮮に見えた。
そんな呑気な考えは、私の頭からすぐに吹っ飛んだ。
缶から流れ落ちたジュースは、空中に浮かぶ「何か」に注がれた。
ジュースは細い筒のようなものを通過し、袋状のものに一度留まった。そこから徐々に、グニャグニャに捻じれた筒状のものにゆっくりと流れ落ちていった。
ジュースが全体に染み渡った時、その正体が分かった。
それは消化器だ。人の形に似ているが、何かが異なっている、透明な消化器。
そしてつまりは、その消化器を内包する、透明な「何か」が今、自動販売機の前に立っているということだ。
ゆっくり観察することが出来たのはそこまでだった。
ジュースで満たされた消化器が、私の方へ向いたかと思うと、それが高速で接近してきたからだ。
私は悲鳴を上げて駅から飛び出した。後ろを向くと、消化器は私を追い続けているのが分かり、もう二度と振り向かないことを誓った。
必死に廃墟の中を駆ける私の目に、さらに絶望的な光景が映った。道中にある自動販売機から、次々にガコンッ、ゴトンッ、と飲料が出てきて、それが空中に浮かび、消化器に注がれていった。
色々な飲み物で満たされた消化器たちは、私が横切ると、なぜか皆追いかけてきた。先ほどの誓いを破って後ろを向くと、私を追う消化器は十体くらいまで増えていた。約束を破ると碌なことにならないのだ。
消化器たちの速度は人の走るものとそう変わらないが、駅からここまで数百メートルを全力疾走していた私は、もう体力が尽きそうだった。このまま私が彼らに捕まったらどうなるのか。見えざる透明な口に喉を噛みちぎられ、私の血液が彼らの消化器を赤く染めるのだろうか。
ガクガクと震える足のつま先が道路のひび割れに引っかかり、私は前のめりに倒れ込んでしまった。ズボンのポッケから先ほど拾った硬貨がチャリンチャリンと道に散乱した。
消化器たちはもう目の前まで来ていた。万事休す。私は思わず目を瞑った。
だが、しばらくしても私の首に噛みつく者はなく、私は恐る恐る目を開けた。
消化器たちが前のめりになって、地面から硬貨を拾い上げていた。
私が落とした全ての硬貨を拾い終わると、消化器たちはそれぞれ頷くような動作をし、私に背を向けて元来た道へ戻っていった。
後に残された一文無しの私は、道路の上に座り込んで、ぽかんと口を開けていた。




