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あした  作者: 秦江湖


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9/29

河川敷の再会

プリクラ機の白い光は、やたらと人の顔を盛る。


「はいチーズ! ってかこれ動画だし〜」


 高橋たちが、画面の中でピースしたり変な顔したりしてはしゃいでいる。その横で、明日はとりあえず笑っといた。


「神崎、目デカすぎ。事故ってるんだけど」

「うるさい。お前らもほぼ宇宙人だから」


 画面に映る自分は、ミルクティー色のセミロングをゆるく巻いて、アイラインばっちりで、制服のブレザーの前をはだけて立っている。


 「怖いけど可愛い」「顔だけならマジモデル」って陰で言われるタイプの顔。

 でも、さっきからずっと、その顔の奥で、別の何かがざわついてる。


 ファミレスの皿洗いの兄ちゃん。

 皿の音と、水の音と、「少々お待ちくださーい」の声。


 プリクラ機の中のBGMが、うるさいくらいポップな曲を流してるのに、その向こうで、まだ水音が聞こえる気がする。


「はい、落書きタ〜イム!」


 ペン選びに夢中な三人を横目で見て、明日はポケットの中のスマホを確認した。時刻は、二十一時過ぎ。


(……ジム、ギリ行けるっちゃ行けるけど)


 土曜の夜。会長んとこは、二十三時まで開いてる。掃除と軽くサンドバッグ叩くだけなら、まだ間に合う。


 ただ、今日の体は、ボクシングの前に、別のことでくたびれてた。


「神崎、こっちハート描いといて〜」

「……自分でやれば」

「え〜。お前絵うまいじゃん。ノートの落書きヤバいし」


 適当にハートと猫耳を描いて、ごまかす。

 プリクラを撮り終わって、シールを分けて、駅の改札前で解散になった。


「じゃ、また月曜〜」

「テスト勉強しろよ〜、神崎〜」

「うっざ。お前もな」


 高橋たちが、それぞれ違う方向のホームに消えていく。女子三人分の笑い声が遠ざかっていって、駅前の喧噪に飲み込まれる。


 ひとり残された瞬間、街の音が一段階低くなった気がした。


 スクリーンに映ってる「終電案内」とか、「またのご利用をお待ちしてます」の文字とか。そんなもんは、今のウチにとっては、どーでもいい情報ばっかりだ。


 自動改札の横を抜けて、駅ビルを出る。

 ショッピングモールのネオンが、背中の方でチカチカ光ってる。人波の流れに逆らうみたいに、商店街から少し外れた道へと足を向けた。


 家に帰る気は、ほとんどない。

 ジムに行く足も、自然とそっちじゃなくて――

 川のほうを選んでた。



 住宅街を抜けると、街灯がぽつぽつと遠くなっていく。アスファルトの道が、やがて土手に変わる。踏み固められた土の上をスニーカーで踏むたび、靴底がぐしゃ、と鈍い音を立てた。


 河川敷に降りる階段を、一段ずつ下りる。

 川の水は真っ黒で、ところどころ街灯の光を反射している。対岸のマンション群の窓が、パラパラと灯ってるのが見える。


 虫の声と、遠くの車の音と、川の流れる音だけが、一定のリズムで耳に入ってくる。

 制服のブレザーのポケットに手を突っ込んで、息を吐く。髪が、夜風に揺れた。

 土手の斜面の、座り慣れたところに腰を下ろす。膝を立てて、その上に顎を乗せる。



「……マジ、何なん」


 誰に向かってでもなく、ぽつりとこぼした。

 コンビニ。からあげ棒。あの冬の「やめたよ」の一言。


 そして今日。ファミレスで、何事もなかったみたいに皿洗いしてた、黒髪の兄ちゃん。

 ウチの「初めてちゃんと名前を褒めてくれた人」が、何も言わないで消えて、何も言わないで戻ってきて、また何も言わないで目の前を通り過ぎた。


(……勝手すぎんだろ)


 プリクラの光でも消えなかったモヤモヤが、川の冷たい空気を吸って、むしろ濃くなる。

 スマホを取り出して、何となくスクリーンを眺める。通知は特に来てない。高橋がさっき送ってきたプリクラの画像が、一番上にあるだけだ。


 その下に、古いトーク履歴がスクロールされていく。コンビニの位置情報を送り合った中学の頃のグループライン。もう誰も動いてない。


「……どうでもいいし」


 言っても、今日はあんまり効かない。

 どうでもよくないことが、あまりにも多すぎる。

 川面の方を見て、ため息をついた、そのときだった。


「──お。やっぱり、ここいた」


 背中のほうから、聞き覚えのある声がした。

 心臓が、ドクン、と変な跳ね方をする。

 振り向かなくても、誰の声かはわかる。

 何度も何度も、頭の中でリピートしてきた声。コンビニの蛍光灯の下で、「お前さ」とか「明日」とか呼んできた、あのトーン。


「……ストーカー?」


 反射で、口が勝手に動いた。

 振り向くと、土手の上のほうに、人影が逆光気味に立っていた。街灯に照らされて、後ろから光が回り込んでる。


 黒いパーカー。ファミレスのエプロンはもう外してる。髪は黒で、前よりちょっとだけ伸びてる。耳には、小さいピアスが一個。

 あの兄ちゃん――先輩が、ポケットに手を突っ込んだまま、こっちを見下ろしていた。


「ストーカーじゃねーし。偶然」

「偶然、ねえ」


 鼻で笑ってやる。


「ファミレスのあとに、こんなとこまで偶然?」

「お前がそういう顔してたからだろ」

「は?」

「なんかさ、“このあと絶対どっかで一人になってうだうだする顔”してた」

「……キモ。なにそれ」

「褒めてねーし」


 会話のリズムが、中学の頃とほとんど変わってないのが、逆に腹立つ。

 先輩は、土手をずりずりと降りてきて、明日の少し斜め後ろに腰を下ろした。距離は、肩がギリギリぶつからないくらい。


 沈黙が落ちる。

 川の音が、さっきより近い。


「……成長したな」

 ぽつりと、先輩が言った。


「身長?」

「それもだけど。雰囲気」

「そりゃ中学から何年経ってんのって話でしょ」

「まあな。ジャージ中二女子だったのが、なんかギャルになってるし」

「“なんかギャル”ってなに。ちゃんとギャルだし」

「はいはい。ちゃんとギャル」


 軽くいなされて、むっとする。

 横目で、先輩の横顔を盗み見る。


 金髪じゃなくなった分、前より落ち着いて見える。頬のラインが少しだけシャープになってて、目の下のクマがうっすらある。疲れてるのか、痩せたのか。

 でも、笑ったときの目尻のしわとか、口角の上がり方とか、あの頃と同じだ。


「……なんで」


 気づいたら、声が出てた。


「ん?」


「なんで、なんも言わないでいなくなったくせに、なんも言わないで目の前で皿洗ってんの」


 先輩が、一瞬だけ言葉を失う。

 夜風が、二人の間を抜けていく。川の音が、やけにでかく聞こえた。


「いや、“なんも言わないで皿洗うな”は初めて言われたな」

「ふざけないで」


 食い気味に遮る。

 自分でもびっくりするくらい、声が尖ってた。


「……びっくりしたんだよ」


 膝の上で、握った拳に力が入る。ネイルを塗った自分の爪が、手のひらに食い込む。


「だって、あのとき、“やめるよ”とか“一回いなくなるよ”とか、なんにも言わなかったじゃん」

「……」

「“そんなもんだよ”とか言われてもさ。ウチ、あのコンビニ、けっこう……」


 「好きだった」とか、「助かってた」とか。そういう単語が、喉のあたりでうまく形にならない。

 代わりに、最悪なワードが飛び出す。


「……けっこう、居心地良かったのに」


 言った瞬間、自分で自分にムカついた。

 なに素直なこと言ってんの。バカじゃないの。

 視界の端で、先輩が目を見開くのがわかる。


「……そっか」

 短く、それだけ。

「“そっか”じゃないし」

「ごめん」

 また、短く。


 謝られると思ってなかったから、今度はこっちが黙る番になる。

 先輩は、土手の草を指でむしりながら、ゆっくりと言葉を探してるみたいだった。


「マジでさ。色々あったんだよ、あのとき」

「“色々”って便利な言葉だよね」

「便利だな。大人みんな使ってる」

「自分で言うな」

「でも、ほんとに色々あって……説明すんの、めんどくさくてさ」


 ちょっと自嘲するみたいに笑う。


「家、やばかった」


 その一言だけで、だいたいの想像がつく。


「借金とかさ。変な先輩とかさ。親とか。……いろいろごちゃごちゃ被って」


 川の音にかき消されそうな小さい声で、先輩が続ける。


「コンビニのバイトどころじゃなくなった。店長には一応、“やめます”って言ったけど……お前には、言ってねえな」


「言ってないね」

「ごめん」


 三回目の「ごめん」。


 謝られるたびに、胸の奥のなにかが、ちょっとずつ形を失っていく感じがする。怒りとか、恨みとか、そういうやつ。

 でも、完全には消えない。


「……ウチ、けっこう、勝手に捨てられた気になってたんだけど」


 視線を、足元の砂利に落としながら言う。


「父親もさ、なんも言わないでいなくなったし。コンビニの兄ちゃんもそうだし。……大人ってみんなそうなんだなって、思ってた」


「俺、大人だった?」

「当時は“大人枠”だった」

「マジか。責任重大じゃん」

「今さら」


 半分、本気。半分、冗談。

 先輩が、小さく笑う気配がした。


「責任、取るわけじゃねーけどさ」

「取れないでしょ、今さら」

「そうだな。だからまあ、“ごめん”くらいしか言えねーわ」


 さっきから、それしか言ってなくない? ってツッコミかけて、やめる。

 「ごめん」って言葉を、ちゃんと選んで出してるのは、わかるから。

 コンビニの店長の「そんなもんだよ」よりも、ずっと、こっちに届く。


「……つかさ」


 先輩が、ふいに話題を変えた。


「お前、あのファミレスでさ。なんで声かけてこなかったの」

「は?」

「いや、普通に気になるだろ。あんだけジロジロ見といて」

「見てないし」

「見てた」

「見てないし」


 即答で否定しても、先輩の口元がニヤッとする。


「テーブルの女子にイジられてるの、丸聞こえだったからな。“神崎、顔だけならモデル”とか、“顔はいいのに中身が〜”とか」


「うっざ……」


 あの会話、ぜんぶ聞かれてたと思うと、死ぬほど恥ずかしい。


「で、“顔はいいのに、中身が”ってのは、まあ合ってるよな」

「は? 殴るよ?」

「ほら怖い。……でもさ、中身もそんな悪くねーよ」


 さらっと、そういうことを言う。


「なにそのフォロー。雑すぎ」

「雑でもいいだろ。お前、中坊のときから、筋は通してたし」

「どこが」

「“からあげ棒、万引きじゃない?”ってちゃんとツッコんでくれる中坊、そういねーよ」

「レベル低……」


 くだらない会話に、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。

 そうやって、わざと軽い話題に戻してくれるのが、この人のずるいところだ。


 沈黙が落ちる。さっきより、ずっと静かな沈黙。

 川の音と、虫の声と、遠くの車の音だけが、淡々と続く。


 先輩が、ポケットからタバコの箱を取り出しかけて、ウチの視線に気づいて、やめた。


「……やめたの?」

「ん?」

「タバコ」

「ああ。やめた。金かかるし、体力落ちるし」

「へえ。意外」

「意外ってなんだよ。俺、今真面目な皿洗いだからな」

「“真面目な皿洗い”って肩書きやば」

「バカにしてんだろ」

「してないし」


 ちょっとだけ、本当にしてない。

 皿洗いでもなんでも、ちゃんと仕事してるってだけで、ウチからしたら充分「大人」だ。


「……でさ」


 先輩が、ふいに真面目な声に戻る。


「お前、今、どこまで行ってんの」

「は?」

「学校とか。家とか。……ボクシングとか」


 最後の単語で、心臓がまた一回、変な打ち方をした。


「なんで、ボクシング」

「いや、お前、あのときからケンカっ早そうだったし」

「してないし」

「してそうな顔はしてる」

「失礼」


 ごまかそうとしたけど、先輩の目は、笑ってなかった。


「お前さ。中坊のとき、よく手にバンソーコー貼ってたじゃん」

「……覚えてんの、それ」

「覚えてるよ。レジで小銭渡すとき、いつも拳見えたし」


 中学の頃、家の壁殴ったり、机殴ったりして、よく拳を痛めてた。その名残。


「今も、なんか殴ってんの?」


 ストレートな問い。

 少し迷ってから、うなずいた。


「……殴ってる」

「どこで」

「近くのジム」


 言った瞬間、先輩の目が、ほんの少しだけ細くなる。


「やっぱりな」

「“やっぱりな”ってなに。エスパー?」

「雰囲気でわかるっつーの。……あそこの町道場?」


 さらっと、具体名を出された。

 明日の心臓が、今日一番でかい音を立てる。


「……なんで知ってんの」

「俺、前、あそこにいたから」


 空気が、一瞬止まった。


「は?」

「ちょっと前まで、あそこでグローブはめてた側」


 先輩が、土手の向こうをぼんやり見ながら言う。


「お前の会長、まだ腹出てる?」

「出てる」

「だよな」


 何でもないことみたいに笑ってるけど、その目の奥に、一瞬だけ影が落ちたように見えた。


「まあ、その話は、また今度でいいや」


 先輩は、自分で話を切る。


「今は……そうだな」


 こっちに顔を向けて、ほんのちょっとだけ真剣な声で言った。


「とりあえずさ。あんま簡単に、“どうでもいい”って言うな」

「……は?」

「さっきから聞いてるとさ。お前、“どうでもいい”って言葉で、けっこう大事なとこ包んでんじゃん」


 図星を突かれて、言葉に詰まる。


「学校だって。“別に卒業とかどうでもいいし”って顔してるけど、本当は違うんだろ」

「ちがわないし」

「ちがうだろ」


 静かに、でも強く。

 コンビニで初めて会ったときと、同じ「ちゃんと見る」目で、こっちを見てくる。


「卒業証書くらい、持っとけ」


 どこかで聞いたフレーズ。

 ジムの会長と、同じことを言う。


「……なんで、みんなそれ言うの」

「みんな?」

「ジムのオヤジも言ってた。“卒業証書くらい持っとけ”って」

「あいつ、相変わらずだな」


 先輩が、苦笑いする。


「別に。卒業証書あったって、電気代は安くならないし。父親帰ってくるわけでもないし」

「そうだな。電気代は自分で払うしかない」


 あっさり肯定されて、むしろムカつく。


「じゃあなんで」

「“退学しました”って紙よりはマシだからだよ」


 即答だった。

 夜風が、一瞬止まった気がした。


「世の中の大人、そういうとこしか見ねーからさ。“高卒”か“中卒”か。“退学歴あり”か“なし”か。そこだけで勝手にフィルターかけてくる」


 先輩は、土手の草をまた一本むしる。


「俺もさ、そのフィルターでけっこう損した側」

「……」

「だから、せめてお前には、意味わかんねー理由でフィルターかけられてほしくねーんだよ」


 そこまで言ってから、少しだけ照れたみたいに頭をかく。


「ま、大きなお世話だろうけど」


 大きなお世話、って言っとけば、なんでも許されると思ってんのか。


「……別に」


 それでも、いつもの言葉しか出てこない。


「別に。大きなお世話とかじゃ、ないけど」


 その先を言おうとして、やめる。


「どっち」

「どっちでもいいし」

「便利ワード出た」

「うるさい」


 いつのまにか、さっきまで胸の中でぐるぐるしてた「勝手にいなくなったくせに」って怒りは、少しだけ形を変えてた。

 完全に消えたわけじゃないけど。


 「いなくなった理由」を、ちょっとだけ想像できるようになった分、濃度が薄まった感じ。

 川の向こう岸のマンションの窓が、いくつか消え、また別のいくつかが灯る。

 時間は勝手に進んでいく。

 スマホの画面を見ると、日付が変わるまで、あと少し。



「……そろそろ帰れよ」


 先輩が、立ち上がりながら言った。


「だれ目線」


「元・コンビニ夜勤目線」

「ダサ」

「ダサくねーし。……送ってこうか?」

「いらない」


 即答。

 でも、その即答には、あの頃みたいな「壁を全部上げる感じ」までは乗ってなかった。


「そうかよ。じゃ、途中まで勝手に歩くわ」

「ストーカーじゃん」

「違うわ」


 先輩が土手を上がる。明日も、そのあとをのろのろとついていく。


 河川敷から住宅街へと続く道を、二人で並んで歩く。身長差は、十センチくらい。見上げるほどじゃないけど、横に並ぶと、ちゃんと「年上」って感じの高さ。

 街灯の下を通るたびに、先輩の黒髪とウチのミルクティー色の髪が、交互に光る。


「……なあ」

「なに」

「お前さ。まだ、“どうでもいい”って思ってんの? あしたのこと」


 不意打ちみたいな問い。

 返事に、ちょっと時間がかかった。


「……さあ」


 正直に言えば、「どうでもいい」と「どうでもよくない」のあいだを、今ぐるぐるしてる。


「今日は、ちょっとだけ“どうでもよくない”寄りかも」


 ギリギリのところで、そう言えた。

 先輩が、ふっと笑う。


「進歩だな」

「うるさい」

「また、ここ来んだろ。河川敷」

「来るかも」

「じゃ、俺もたまには来るわ。皿洗いのシフト終わりに」

「……勝手にすれば」

「勝手にする」



 そんな雑な約束をひとつだけ置いて、その夜は別れた。

 家に帰る途中、ふと後ろを振り返る。

 先輩の背中は、もう角を曲がって見えなかった。


 でも、さっきの会話と、「ごめん」と、「卒業証書くらい持っとけ」と、「またここ来んだろ」の声だけは、ちゃんと耳の奥に残っている。


 ――人は、何も言わないでいなくなる。

 あの冬に完成したはずの、その認識に。

 ほんの少しだけ、「例外」が混ざった夜だった。



 ウチは、ポケットの中のスマホを見て、日付が変わったことを確認してから、鼻で笑った。


「……あしたとか、マジうざ」


 口では、まだそう言っておく。

 でも、心のどっかでは、さっきの河川敷の会話を、何回も何回も巻き戻してた。


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