ファミレスの皿洗い
ファミレスって場所が、ちょっと苦手だ。家みたいに静かでもなくて、学校みたいにルールだらけでもなくて、その中途半端な「なんでもある感」が、逆にそわそわする。
土曜の夕方。駅前のショッピングモールのファミレスで、高橋がブンブン手を振ってる。
ブレザーのボタンは外して、スカートはいつもより少し短め。ネクタイは喉元でゆるく結んである。
髪は、今日はちょっとだけちゃんと巻いた。
女子のグループLINEで「テスト前ラスト遊び〜」とか言われて、行くか迷ったけど、家にいてもどうせテレビとカップ麺だし、たまには違うもん食っとくか、くらいのノリで来た。
「おっそーい。てか、その髪色マジ羨ましいんだけど」
席につくなり、高橋がじろじろ見る。
「神崎ってさ、顔だけならマジでモデルいけるのにね〜」
「“だけ”ってつけんな。“だけ”って」
「だって事実じゃん。顔はいいのに、やることがさあ……」
テーブルの他の女子がくすっと笑う。ウチを入れて四人。高橋とその取り巻き二人と、最近ちょいちょい話す地味めの子。
店中には子どもの声、皿の音、ドリンクバーの機械音が混ざってる。
「ねえ神崎、何頼む? ハンバーグ? オムライス?」
「別に。なんでもいい」
「出た、“別に”」
高橋がメニューを押しやってくる。
「じゃあこのチーズのやつにしなよ。太るよ〜」
「殺すよ〜」
「こわ。ほら、顔はいいのに」
また笑い。バカにされてんだかイジられてんだか微妙だけど、ちゃんとこっち見て笑ってるから、まあギリ許す。
適当にパスタを指さして「じゃこれで」と言ったところで、
「失礼しまーす。ご注文お決まりでしたら、お伺いしてもいいですか?」
横に店員が立った。
黒いシャツにエプロン、手には端末。
顔を上げた瞬間、心臓が一回、変な打ち方をした。
「……」 「……」
一瞬、時間が止まる。
黒髪。前髪は目にかからないくらい。ピアスは小さいシルバーが一個だけ。じゃらじゃらはない。
顔立ちは、変わってなかった。少し眠そうな目。笑うとき片方だけ上がる口角。鼻筋。顎のライン。
(……ウソでしょ)
頭の中で、コンビニのレジとからあげ棒と黄色い看板と、「なあ、明日」の声が一気に押し寄せる。
店員――兄ちゃんは、一瞬固まってから、仕事用の笑顔を貼り直した。
「えっと……ご注文、お決まりですか?」
声も、忘れてるわけがない。
何か言おうとして、喉が詰まる。
「え、なに? どしたの神崎」
高橋に肩をつつかれて、我に返る。
「……別に」
とりあえず、いつもの言葉で蓋をする。
「この子がカルボで、あたしハンバーグプレート。そっちがグラタンで……」
高橋が勝手に注文をまとめていく。兄ちゃんは淡々と端末を打つ。そのあいだ、目が合いそうで、合わない。
最後に「以上でよろしいですか?」と言ったとき、ほんの一瞬だけ、ちゃんとこっちを見た。その目が、あの頃と同じ「ちゃんと見る」目で、余計に息が詰まる。
「……以上でーす」
「はい、ありがとうございます。少々お待ちくださーい」
マニュアル通りの言葉を残して、兄ちゃんは厨房へ。
高橋がウチとキッチンを見比べる。
「ねえ今の人さあ、けっこうイケてなかった?」
「わかる。なんか、顔ちっさくない?」
「てかさ、神崎の好みっぽくね?」
「は? 別に」
「ほら出た、“別に”」
また笑い。笑いの輪の外側に、ウチだけ取り残されてる感じがする。
好みとかじゃない。あれは「初めてちゃんと名前呼んでくれた人」で――勝手に消えた人。
ドリンクバーのほうからガシャンと氷の音。見ると、兄ちゃんがグラスをトレイに並べている。黒髪を後ろで少しだけ結んで、首筋が見える。コンビニの制服じゃない、ファミレスのエプロン。ピアスは一個だけ。髪は黒。
(……マジで、あの人?)
人違いであってほしい気持ちもどこかにあった。でも、じっと見れば見るほど、やっぱりあいつだと分かる。向こうだって、一発で分かってたはずだ。ジャージ中二女子はギャルになったけど、目の形も、口の悪さも、名前も変わってない。
「ね、ね、神崎。さっきからそっち見すぎじゃない?」
「見てねーし」
「ウケる。顔赤いよ?」
「赤くねーし」
適当にあしらいながらフォークをいじる。
料理が運ばれてきても、匂いが妙に遠い。「いただきまーす!」の声と、スマホのシャッター音。「#テスト前ラスト遊び」とか言いながらストーリー撮ってる。
ウチだけ、フォークを握ったまま少し固まっていた。厨房の奥から皿と水の音。「裏お願いしまーす」「はいよー」。たぶん、その声の主は――
(……なんで、今さら)
胸の奥が、ごちゃごちゃにざわつく。
会いたいと思ったことが、なかったわけじゃない。コンビニの前を通るたび、「もしまだいたら」とか、「どっかでまた会ったら」とか考えたことくらいある。でもそれはいつも「どうせないし」で終わる妄想だった。
現実に、こうやって目の前に現れるとか、聞いてない。しかも、何食わぬ顔で「少々お待ちくださーい」とか言って、皿を運んで、何も言わない。
「神崎ー、カルボ冷めるよ?」
「あー……」
適当に口に運ぶ。味はするけど、よく分からない。
女子たちの話題は、テストとかクラスの男子へ。
隣のテーブルの男子グループが「さっきの店員さんイケメンじゃね?」と騒いでるのが耳に入る。
「わかるー。なんか、元ヤン感ない?」 「でも真面目に働いてまーす、みたいなな」
高橋が食いつく。
「ねえ、神崎。あーいうのどうよ」
「どうってなに」
「怖そうだけど優しい系。お前、そういうの好きそ〜」
「“好きそ〜”ってなんだよ。知らねーし」
「やっぱり〜。怪しいと思ったんだよね〜」
からかわれながら、テーブルの下で足を組み替える。一六五センチの体を小さくしても、この場からは消えられない。
それでも、どこかでさっきの店員の背中ばかり追ってしまう。皿洗いしてる背中。グラスを拭く手。ホールに出てきて「失礼しまーす」と言いながら、客席を回る横顔。
(……見んなよ)
そう思ってるくせに、目が勝手に行く。視線がぶつかった瞬間、兄ちゃんの目が「コンビニのときの目」になった気がした。
でも、こっちは何も言えない。高橋たちの前で「ねえ、あんたコンビニでバイトしてた?」なんて言えるわけない。
言った瞬間、いろんなものがバレる。夜のコンビニに入り浸ってたこと。家に帰りたくなかったこと。「明日」って名前を初めて褒められたこと。
ここには似合わない話ばかりだ。
だから、ウチは何も言わない。向こうも何も言ってこない。ただ皿を洗って、「ごゆっくりどうぞー」と流していく。
(……勝手にいなくなって、勝手に目の前で皿洗ってんじゃねーよ)
胸の中で小さく毒を吐く。からあげ棒をオマケしてくれたこと。名前を「いいじゃん」って言ってくれたこと。「お前んちの母ちゃん、心配すんぞ」と言われたこと。どれもウチの中には残ってるのに。
あっちは「そんなもんだよ」の一言で過去をたたんで、今はファミレスで皿を洗ってる。
グラスの水が、手のひらに冷たい。その冷たさで、どうにか頭を冷やす。
「ねえ、次どうする? プリ撮る?」 「いいじゃん。ゲーセン行こー」
財布の中身をざっと見る。残り二千円ちょい。プリ撮ってゲームちょっとやって飲み物買ったら終わり。ジム行く時間、ギリあるかどうか。
(……今日は、もういいか)
妙に体が重い。
「ごちそうさまでしたー」
高橋たちが立ち上がる。ウチもつられて席を立つ。レジには別の店員。会計しているあいだ、さっきの兄ちゃんは奥でまた皿を洗っていた。水の音と食器の音。ウチの声は、どこにも混ざらない。
ファミレスを出ると、モールの空気がさっきより少し冷たく感じた。
「じゃ、プリ行こー!」
「神崎もちゃんと盛れよ〜。“顔だけ”じゃなくてトータルでがんばれ」
「うっざ」
いつものテンポで返しながらも、頭の奥では、さっきの黒髪の後ろ姿をまだ引きずっている。
――あいつ、なんで何も言わないで、そこにいんの。
そのモヤモヤは、プリクラの光でもゲームセンターの音でも誤魔化せなかった。
たぶん、このままじゃ眠れない。夜になればまた、あの川のほうに足が向く。家と学校とファミレスとコンビニ、どれでもない場所――そこに今度は誰が現れるのかなんて、このときのウチはまだ知らない。




