入部
翌日の昼休み。ユイが、購買部の袋をぶら下げてウチの席に来た。
「ねえ、入部届、もらってきた」
「は?」
「ボクシング部の。顧問の先生に話したら、本人が来たら受け付けるって言ってたから、あとは明日が来るだけ」
「来ないし」
「え、なんで?」
「向いてないって言ったじゃん。何回も」
ユイは、購買のパンの袋を机の上に置いて、腕を組んだ。
「向いてる向いてないじゃなくて、公式な試合してみたいんでしょ? 部活通さないと、高校生は公式戦出られないじゃん」
「……知ってる」
「じゃあ、入るしかないじゃん。単純に」
単純に、って言うな。こっちは複雑なんだよ。
「ウチ、今さら部活とか、マジで馴染めないし」
「別に馴染まなくていいじゃん。試合出るための手続きだと思えば」
「手続き……」
「そう。書類仕事みたいな感じで。入部届出して、練習出て、エントリー登録して、試合行く。それだけ」
「それだけって」
「それだけ。ウチ、顧問の先生にも話してあるし。ジムで本格的にやってる子だから、部活の練習は基礎確認くらいでいいって」
「勝手に根回しすんな」
「してないと話進まないから」
ユイは、パンの袋をぱりっと開けながら、こっちをちらっと見た。
「あとさ、部員が増えると部費も増えるから、顧問の先生もわりと喜んでたよ。明日が来ても、誰も迷惑しないから」
「……そういう問題じゃないし」
「じゃあ、どういう問題?」
返せなかった。
ウチが黙ってると、ユイはパンをひとかじりして、のんびりと続けた。
「ジムの会長さんにも聞いたんだけど、部活の練習は週三くらいにしとけ、ジムのほうが本番だからって言ってたよ」
「あのジジイ、ほんとに余計なことしか言わない」
「いい人じゃん」
「口悪いし、タバコくさいし、説教長いし」
「でも、明日のこと、ちゃんと見てるじゃん」
ユイの声は、責めてるわけでも、煽ててるわけでもない。ただ、事実みたいに言う。
「……まあ」
机の端を指でとんとん叩く。入部届の紙が、ユイの手の中でくしゃっとなってる。
「その入部届、置いてけ」
「え?」
「置いてけって言ってんの。持って帰るとか、ゴミ箱に捨てるとか、そういうことはしないから」
ユイは一瞬ぽかんとして、それから、口の端をぐっと上げた。
「……わかった。置いとく」
机の隅に、入部届が一枚。
ウチはそれを見ないようにしながら、窓の外を見た。
◇
入部届を出したのは、その三日後だった。
放課後、誰もいない職員室の前に立って、三秒くらい迷ってから、ドアを開けた。顧問の先生は、ちょうど帰り支度をしてた眼鏡の女の先生で、「あ、神崎さん?」って言いながら、別に驚いた顔もしなかった。
「ユイから聞いてます。はい、これ」
渡された練習スケジュールを見ると、週三回、放課後一時間半。場所は体育館の隅のボクシングコーナー。
「ジムでの練習を優先してもらって構いません。うちの部は、とにかく試合に出ることが目標ですから」
「……わかりました」
「あと、部員が少ないので、あなたが来てくれると助かります。正直に言うと」
「正直すぎ」
先生は、眼鏡の奥でちょっとだけ笑った。
「神崎さんって、ユイが言ってたとおりの子ですね」
「ユイが何を言ってたか知らないけど、たぶん半分は盛ってる」
「素直じゃないけど、ちゃんとしてるって言ってましたよ」
「……それ、褒めてんの?」
「褒めてます」
なんか、ユイの口癖が移ってる気がした。
◇
部活の練習は、ウチが思ってたよりずっと静かだった。
部員は、ウチを入れて四人。一年が二人と、二年が一人。みんな、それぞれ自分のメニューをこなしてて、誰もウチに「なんで今さら入ったの?」とか聞いてこない。ユイが事前に根回しでもしてたのか、それとも単純に興味がないのか。どっちでもよかった。
ロープスキップ十分、シャドー三ラウンド、サンドバッグ三ラウンド。
ジムと比べると、設備も古いし、サンドバッグも少し軽い。でも、体を動かす感覚は同じだ。汗をかいて、呼吸を整えて、拳を振り抜く。その間だけは、余計なことを考えなくていい。
「神崎先輩、フォームきれいですね」
一年の子が、シャドーの途中でぽつりと言った。
「ジムで習ってるから」
「そうなんですか。いいな」
「別に。しんどいだけだし」
「でも、強そう」
「試合出たことないし、まだ何もわかんない」
「でも、なんか、違いますよ。動きが」
それ以上は続かなかったけど、悪い気はしなかった。
◇
ジムの練習は、部活の翌日に入れた。週三の部活と、週四のジム。体はしんどいけど、慣れてくると、部活で体を温めてからジムで本番、みたいなリズムができてきた。
「おい、最近なんか動き変わったな」
ミットを受けながら、会長が言った。
「そう?」
「ちょっとだけ、無駄が減った。部活で基礎やってるから、体が整ってきてんだろ」
「部活の練習、ほぼシャドーとサンドバッグだけだけど」
「それで十分だよ。基礎は繰り返すほど染み込む。ジムで応用できるようになる」
ワンツー、左ボディ、右アッパー。コンビネーションを打ち込むたびに、ミットが乾いた音を立てる。
「インターハイの地区予選、エントリーしたぞ」
「……は?」
「学校の顧問に話通した。お前の名前、入れといた」
「勝手に」
「お前が入部したんだから当たり前だろ。何のために入ったんだ」
「……手続きのため」
「同じことだ」
会長は、ミットをぱんぱんと叩いて、ウチの顔をじっと見た。
「逃げんなよ。ちゃんと出ろ」
「逃げないし」
「言葉じゃなくて、体で示せ。ほら、もう一ラウンド」
「はいはい」
ゴングが鳴る。
汗が額を伝う。拳が空気を切る。
――逃げない。自分で終わらせる。
それだけを、頭の中に置いておく。
◇
地区予選の一回戦、二回戦、三回戦、全部、詳しく覚えてるわけじゃない。緊張して、ゴングが鳴って、気づいたら終わってた、みたいな感じのラウンドもあった。
一回戦は判定で勝って、二回戦は三ラウンドで止まりかけて、それでも前に出て、最後は相手が先にダウンした。
「お前、なんで前に出られんの? 普通、怖くて足止まるのに」
試合後、ユイが不思議そうに言った。
「別に。後ろに下がっても、いいことないし」
「それ、ボクシングの話だよね?」
「そうだけど」
「なんか、それ以外にも聞こえる」
「気のせい」
ユイは、ニヤリとして、それ以上は何も言わなかった。
地区予選を抜けて、県大会へ。県大会で二勝して、インターハイ本選への切符が手に入った。




