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あした  作者: 秦江湖


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21/29

処分の日と、小さなただいま

生徒指導室のドアってさ、なんでどこも同じ安っぽい木目なんだろ。


 取っ手に手をかけるだけで、胃がキュッてなる仕様。マジでリフォームしたほうがよくない?


「神崎さん、入って」


 ドアの向こうから、事務的な女の先生の声。


 ウチは一回だけ深呼吸してから、「はい」と返事した。


 ドアを開けると、中には三人。

 生活指導。担任。


 それから、スーツじゃなくて、黒いジャケットにパンツ姿の――母親。


 夜の仕事帰りとは違う顔。

 でも、目の下のクマと、ちょっと疲れた口元は同じだった。


「……お邪魔しまーす」


 場違いなあいさつしながら、指定されたパイプ椅子に座る。

 

 机の上には、ウチの指導記録のファイルと、「処分について」というタイトルのプリントが一枚。


(はい出た、“処分について”)


 漢字三文字で人の人生いじろうとすんなよ、って思う。


「神崎」

 生活指導が、いつもの眼鏡を押し上げてこっちを見る。


「まず、今回の件を整理する」

「……はい」

「無断遅刻・欠席多数。

 夜間の外出と、不良グループとの交遊。コンビニにおける万引きトラブルへの居合わせ」


 居合わせって便利な言い方。


「これらについては、指導の対象となる。

 ただし――」


 そこで一度、ファイルを閉じる。


「ここ一か月の指導計画の経過は、一定の改善が見られた」


「改善……」


 担任が、横から口を挟んだ。


「遅刻、だいぶ減ったよ。このグラフ見て」


 ファイルから抜き出された紙には、ウチの遅刻回数の棒グラフ。


 前期後半の棒がバカみたいに伸びてて、最近一か月の棒がちょっとだけ低い。


「ゼロとは言わないけど、極力しないって約束は、守ろうとしてたのはわかる」


「ジムについても、トレーナーからきちんと練習している。夜更かししすぎないように配慮しているとの報告がある」


 横で、母親が落ち着かなさそうに膝の上でバッグを握りしめていた。


「それでだ」


 生活指導が、プリントを一枚、こちら側に向ける。


「学校としての最終的な判断は――」


 空気が、ちょっとだけ重くなる。

 心臓が、いつものスパーリング前みたいな打ち方をし始めた。


「停学相当の指導とし、退学処分とはしない。進級についても、現時点では可とする」


「……え」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


「ただし」


 すぐあとに続く「ただし」が怖い。


「これまでの経過と、今回の指導計画を踏まえ、一定期間の校内特別指導を行う。放課後指導、生活記録の提出、保護者・担任・生徒指導との定期面談。それらを条件に、卒業を視野に入れた継続在籍とする」


(卒業を視野、ね)


 さっきまで「退学も視野」って言ってたのと、真逆の言葉。


 母親が、ほっとしたように小さく息を吐いた。


「ありがとうございます」


 うつむき加減で、何度も頭を下げている。


「いえ。お忙しいところ何度も来ていただいて、こちらこそ」


 担任が、慣れた感じで応じる。


「神崎」


 生活指導が、今度はウチを見る。


「お前がこの一か月、どうにか踏ん張ったのは事実だ。それを、こちらも評価している」


「……はい」


「だが、ここから先が本番だ」


 またそれ。


「一か月頑張ったから、もういいだろと気を抜けば、すぐにまた退学も視野のラインに逆戻りする」


「どんだけそのフレーズ好きなんすか」


「事実だからな」


 生活指導が、ふっと目尻を下げた。


「ただ、退学も視野と卒業を視野にのあいだに、お前自身が一歩移動したのは確かだ」


 その言い方が、ちょっとズルい。


「……一応、そういうつもりですけど」


 ウチの声が、自然とその言葉に合わせていく。

 母親が、ぎこちなくウチの方を見た。


「あかり」

「……なに」


 久しぶりに、本名で呼ばれた気がする。


「先生たちの話、ちゃんと聞きなよ」

「聞いてるけど」


「前みたいに、どうでもいいって顔してないのは、ちょっと安心した」

「顔、そんなわかりやすかった?」


「わかりやすいわよ、あんた」


 母親の苦笑いが、なんか新鮮だった。

 生活指導が、プリントを指でトントン叩く。


「神崎。今ここで学校に残ると決めたのは、お前自身だ。これから、それに見合うだけのめんどくささは、ちゃんとついてくる」


「めんどくささって言い切った」


「言い切る。真面目に生きるのは、基本めんどくさい」


「同意はするけど」


「だが、全部どうでもいいのめんどくささよりは、ずっとマシだと思うぞ」


 川で桐沢先輩に言われた言葉と、ほぼ同じ方向のセリフ。


(マジで何、シンクロしてんのあの人ら)


 半分笑いそうになりながら、半分はちゃんと飲み込む。


「……一応、やります」


 気づいたら、そう言ってた。


「遅刻、なるべくしないようにして。夜も、ジムと家と……河川敷くらいにしといて」



 ウチのあたまの中にも、「一か月チャレンジクリア」のあとに、「二か月目」「三か月目」が勝手に追加されていく感覚があった。


 面談が一通り終わって、廊下に出る。


 母親と二人、並んで歩くなんて、いつぶりだろ。


「……おなかすいた?」


 エレベーター待ちのところで、母親がぽつりと言った。


「別に」

 いつもの反射。


「昨日からほとんど食べてないんじゃない?」

「食べてるし。カップ麺とか」

「それ食べてるって言わないでしょ」


 小さくため息をついてから、母親が続けた。


「今夜、少し早めに上がれるからさ。久しぶりに、何か作る?」

「え」


 想定外の提案に、思わず変な声出た。


「……仕事、大丈夫なの」

「大丈夫じゃないけど」


 苦笑い。


「たまには、あんたの退学しないかも記念日ってことで」

「何それダサい」

「ダサいのはわかってる」


 エレベーターのドアがカン、と開く。

 母親が乗り込みながら、ふとこっちを見る。


「……ごめんね」

「は?」

「色々」


 言い慣れてない単語が、やけに軽く出てきた。


「ちゃんと見てなかったのも。明るい子になってほしいとか、勝手に名前につけたのも。

気づいたらあんた、問題児なんでしょってレッテル貼ってたのも」


「……」


 エレベーターの数字が、ゆっくり下りていく。


 ウチは、ほんの一瞬だけ迷って。


「別に」


 いつものそれを、とりあえず口に出した。


「今さら、ごめんね一個でチャラにはなんないし」


「だろうね」


「でも、全然謝らないで“あんたが悪いんでしょって言われ続けるよりは、マシかも」


 自分でもびっくりするくらい、正直に言えた。

 母親が、少しだけ目を丸くしてから、ふっと笑う。


「そう言ってもらえるだけでも、ちょっと救われるわ」


 エレベーターのドアが開く。

 一階の玄関は、夕方の光が斜めに差し込んでた。


「じゃ、今日は一回家帰ってなさい。ジムも行くんでしょ?」

「うん」

「ご飯、ちゃんと食べてから行きなよ」

「……一応」

「“一応”便利ね、ほんと」

「遺伝でしょ」

「かもね」


 そんな会話をして、校門の前で別れる。

 母親の後ろ姿が、駅の方へ小さくなっていく。


 ウチは反対方向に歩き出しながら、ポケットの中のスマホを取り出した。


《とりあえず退学じゃなくなったっぽい》

《めんどい指導セットはついてきたけど》


 送り先は、「皿洗い」。

 数秒で既読。


《お、退学コース回避おめ》

《指導セットはチュートリアルだと思え》

《チュートリアル長すぎ》と返す。


 すぐ、また返事。


《卒業したら肉まんじゃなくて、もうちょいマシなもん奢る権利、継続な》


「……覚えてたんだ」


 小さく笑って、スマホをポケットに戻す。

 家に帰るの、ちょっとだけ気が重い。


 でも今日は、「早めに上がれるから何か作る」って言った母親がいる。


 狭い2DKの玄関を開けたら、台所でエプロンつけてる母親と、「おかえり」って声が、もしかしたらあるかもしれない。


 そんなふうに思えてる自分に、ちょっとびっくりしつつ。


 ウチは、ブレザーの前をちょっとだけ引き寄せて、アパートへの道を歩いた。


 卒業か退学か。

 その境界線の上に、まだ足は半分乗っかってる。


 でも、自分で残るって決めたって事実だけは、ちゃんと胸の中に残ってる。


 そこに、母親の「ごめんね」と、生活指導の「素直さ」、会長の「期待してんだよ」、桐沢先輩の「奢る権利」が、ぐちゃぐちゃに貼りついている。


「……マジで、めんど」

 そう言いながらも、足取りはいつもよりほんの少しだけ、軽かった。


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