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あした  作者: 秦江湖


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19/29

河川敷で、タカとユウの話

その日の夜の川は、いつもより水音が大きく聞こえた。


 ジムで会長から聞いたことが、頭の中でぐるぐる回ってる。


 鷹野雄大。

 “タカとユウ”。

 路上側とリング側。


 家の借金と、“全部かぶります〜”っていう、バカなヒーロームーブ。


(……直接聞かねーと、多分一生モヤモヤするやつだな)



 そう思いながら、ウチは河川敷の階段を下りた。


 夜風が、汗の残りを冷やしていく。


 いつもの場所に腰を下ろして膝を抱えたところで、ポケットのスマホが震えた。



《今終わった》

《そっち向かう》


 送り主は、もちろん「皿洗い」。


《肉まんはもういらない》とだけ返しておく。



 数分後、上の土手から足音がした。


「おーい、“肉まんいらない”とか言いつつ、なんか買ってきたからな」


 桐沢先輩が、コンビニ袋をぶら下げて降りてきた。

 今日も黒いパーカーにジーンズ。前髪ちょい長め、耳のピアス一個。

 ウチの隣に腰を下ろして、袋の中身をガサゴソ探る。


「ほら」


 差し出されたのは、からあげ棒と、缶コーヒー。


「懐かしセット」

「からあげ棒は認めるけど、缶コーヒーは渋すぎ」

「たまにはガキ舌卒業しろ」

「うるさい」


 からあげ棒の紙を受け取って、一口かじる。

 衣の油と、ちょっと冷めかけた肉の味。

 中学の冬、コンビニの前で食べてたやつと、舌の記憶が繋がる。


「で?」


 桐沢先輩が、缶コーヒーのプルタブを開けながら、横目でこっちを見る。


「今日は“話聞かせろモード”の顔だな」

「どんな顔よ」

「“会長から変な話聞きました〜説明しろ〜”って顔」

「正解」


 からあげ棒をもう一口かじって、素直に白状する。


「会長からさ。“連れ”の話、ちょっと聞いた」

「……タカの?」

「うん。鷹野」


 その名前を出した瞬間、桐沢先輩の指が、缶を持ったままピタッと止まった。


「どこまで聞いた?」

「最初ここ来たとき、二人で“ケンカ強くなりてーす”って言ってたとか。タカは一か月もたなかったとか。そのあと路上側に行ったとか。桐沢先輩はリング側に行ったとか」


「まあ、そのへんはオープン情報だな」

「あと、兄貴が変な仕事持ち込んできて、タカがしくじって。借金の話とまとめて、“全部かぶります〜”って手あげたのが桐沢先輩、ってとこまで」


「会長、だいぶしゃべったな」

「“バカなヒーロームーブ”って言ってた」

「言うと思った」


 桐沢先輩が、苦笑いしながら缶コーヒーを一口飲む。


「で、“タカが久々にジムに来た”って話も聞いた」

「……そこもか」

「“ユウのやつバカっすよね〜”って笑って帰ったって」


 その台詞を口に出した瞬間、胸のどっかがカッと熱くなった。


「マジでムカつくんだけど、それ」

「うん、ムカつく」


 桐沢先輩も、あっさり認める。


「で?」


 今度は、こっちから問う番だ。


「桐沢先輩から見て、タカって結局、何だったの?」

「重い質問だな、おい」

「“連れだった”のはわかるし、“利用された”のもわかる。でも、どこまで“連れ”で、どこから“裏切ったやつ”なのか、ウチの中でまだ整理ついてない」


 からあげ棒の串を指で転がしながら、続ける。


「ウチさ。今までずっと、“桐沢先輩に捨てられた”って思ってたじゃん」

「うん」


「でも実際は、“自分でバカな選択して飛ばされてた”ってわかって。“あ、ウチだけ特別に捨てられたわけじゃなかったんだ”ってのは、ちょっとホッとしたのもあるけど」

「うん」


「じゃあ、その元凶になってる“連れ”についても、ちゃんと聞いとかないと、なんか不公平じゃね?」

「公平性の問題?」


「そう。ウチの感情の公平性の問題」

「よくわかんねーけど、ニュアンスは伝わった」


 桐沢先輩が、苦笑いしながら膝を抱える。

 川の水面に、街灯の光がゆらゆら揺れてる。


「……タカね」


 少し間を置いてから、口を開いた。


「ガキのころはさ、普通に楽しかったよ」

「楽しかった?」

「うん。ゲームセンター行って、ガチャガチャ漁って、コンビニの前でバカ話して。

 ケンカになりそうなときは、背中預けてもよかったし」


 声に、ちょっとだけ懐かしさが混ざってる。


「“ユウ、行くぞー”って言われたら、“おう”って出て行く感じ。バカだったけど、それなりに楽しかった」

「“だった”って過去形なんだ」

「今はちょっと違うからな」


 缶コーヒーを地面に置いて、指先で草をむしる。


「タカってさ。基本、自分が一番かわいいやつなんだわ」

「……うん」

「でも、それをあんま見せない。“お前のためにやってやるよ”って顔で動くタイプ」


「一番たち悪いやつじゃん」

「一番たち悪い。でも、当時の俺は、それにけっこう救われてたんだよね」


 指で草を丸めながら、少し笑う。


「親父が家にあんま帰ってこなくてさ。家の中ピリピリしてて。ボクシングでちょっと有名になりだしたころ、“なんか俺、利用されてんな〜”って薄々感じてた」


「利用?」


「“桐沢くん、うちの店の名前、試合のときに出してくれる?”とかさ。 “スポンサー”ってほどじゃねーけど、そういう匂いが、ちょいちょいしてた」


 胃がキュッとなる種類の話だ。


「そういうときに、“ユウはユウのために殴ってりゃいいよ”って笑ってくれんのが、タカだったわけよ」


「へえ」


「“親とか先生とかどうでもよくね?”って。 “お前が勝つとこ見てぇから殴れ”って。 そう言われるとさ、“こいつだけは本気で俺のこと見てくれてんのかな”って、勘違いするじゃん」


「勘違い、ね」


「まあ、半分は勘違いで、半分は本気だったんだろうけど」


 桐沢先輩の声に、少しだけ寂しさが混ざる。


「だから、“連れ”って言葉は、本当なんだよ。あいつがいなかったら、俺、ボクシング始めてなかったかもしれないし」


「……それ聞くと、ちょっとややこしいな」


「ややこしいよ。だから簡単に“裏切られた〜”って済ませらんねーんだよ」


 川の音が、しばらくふたりの間を埋める。


「でもさ」


 からあげ棒の串を口でくわえたまま、桐沢先輩が続ける。


「借金とか、“ちょっとした仕事”の話が出だしてからは、完全にバランス崩れた」

「“お前のために”じゃなくなった?」


「そうそう。“お前ならできるっしょ”“お前強いし”“お前なら殴っても大丈夫だし”ってさ。

 “俺のため”って言いながら、実際は“自分が楽するため”の言葉が増えてった」


「最悪」

「でも、その最悪に気づくのって、意外と遅いんだよね」

 自嘲っぽく笑う。


「バカだからさ。“タカが困ってるなら”って、かなり長いあいだ本気で思ってた」

「……それで、“全部かぶります〜”になったわけ?」

「だな」


 草をむしる指が、少し強くなる。


「親父の借金と、タカのしくじりと、全部ごちゃ混ぜになってて。“どこまでが誰の責任か”なんて、十七のガキにわかるわけない」

「まあね」


「で、“俺が悪役になれば丸く収まるんじゃね”って、一番安易なとこに飛びついた」

「バカだね」

「バカだよ」

 あっさり認める。


「更生施設で雑用してるときさ。タカから手紙一回来たんだよ」

「手紙?」

「“マジ悪かったな〜”“お前最高のダチだわ〜”“出てきたらまた一緒にバカやろうぜ〜”って」

「……それ、嬉しかった?」

「最初はね」


 缶コーヒーをまた一口飲む。


「“あ、あいつもちゃんとわかってくれてんだ”って。でも、二回目からだんだんトーン変わってきた」

「トーン?」


「“外の様子”ばっか書いてくんの。“あそこのチームと繋がった”“あいつボコった”“新しい車手に入れた”とか」


「あー……」

「で、最後のほうにちょろっと、“お前の借金、あとどのくらいで終わんの?”みたいなことが書いてあった」


 胸の奥が、ぎゅっと縮む。


「そのとき、“あ、こいつマジで“駒”としてしか見てねーな”って、やっと気づいた」

「遅っ」

「遅いよな」


 桐沢先輩が、自分で自分にツッコむ。


「でも、“駒にされた”って気づいたときには、もうほとんど色々手遅れだった。ボクシングの大会も全部飛ばしてるし、学校も戻れないし。“リングに戻るイメージ”が、自分の中から消えてた」


「……タカに対しては? そのとき」


「ムカついたよ。めちゃくちゃムカついた」


 声に、少しだけ熱がこもる。


「“お前のために”って何回言ってきたんだよって。 “ユウ、お前は特別だよ”って何回言われたか。その全部が、“自分が楽するための魔法の言葉”だったんだなって思ったらさ」


「殴りたくなるよね」

「殴りたくなった。でも、そのとき俺、檻の中なんだよね」

 乾いた笑い。


「だから、“二度と会わねー”って決めた。手紙も返さなくなったし、出てきてからも連絡しなかった」


「……ジムに一回来たんでしょ?」


「ああ。この前、いきなり会長に“ユウ戻ってきてるんすか〜?”って連絡入れてさ」

 会長から聞いた話と繋がる。


「会ってどうだった?」

「会ってない」

「え」


「会長が、“お前がここにいるときに、あいつは入れねー”ってルール勝手に作ってくれてな」


 少しだけ、安心する。


「タカが昼間来たときは、俺いなかったし。夜、俺がシャドーしに来るときは、会長があいつにメッセージ送って、“今日は来んな”って」


「会長……」


「まあ、俺が頼んだってのもあるけど」

 川面を見ながら、静かに言う。


「“あいつとは、もう距離置きます”って」

「それ、“裏切った側”から切ったってこと?」

「そうだな」


 桐沢先輩が、草を指でもみ消す。


「俺にとって、タカは“連れだったやつ”で、“利用してきたやつ”で、“最後に切られたやつ”でもある。それ全部まとめて、“もういいや”ってとこまで、やっと来た」


「やっと、ね」


「十年かかってんだよ」


 さらっと言うけど、その十年の重さ、ちょっと想像できない。


「だからさ」


 桐沢先輩が、こっちを見る。


「お前が“裏切られた”って俺のこと思ってたのも、しょうがねーなって思う」

「……」


「でも、“タカに利用されてたバカ”としての俺のほうも、ちゃんと見とけよな」

「見てるし」


 すぐに返事が出た。


「会長から聞いた話と、今聞いた話で、“あーこいつマジでバカだな”ってのもわかったし」

「素直〜」

「褒めてないし」

 少し笑い合う。


「でさ」

 からあげ棒の串を、ごみ袋代わりのコンビニ袋に突っ込みながら続ける。


「ウチ、ちょっとだけ“被害者ポジ”でいたのが楽だったんだなって、自覚した」

「楽?」


「“裏切られた側”でいればさ。何しても、“だってウチ裏切られたし〜”って言い訳できるじゃん」

「わかる」


「でも、“あいつもただのバカだった”って認めた瞬間からさ。“じゃあウチはどうする?”って、ウチ側の話始まっちゃうじゃん」

「うん」


「それがマジでめんどい」

「めんどいよな」

 桐沢先輩が、笑う。


「でも、そっち側行かねーと、“退学も視野〜”から抜け出せねーんだろ?」

「……そうなんだよね」


 生活指導の顔。

 会長の声。

 卒業証書。


 「卒業したらなんか奢れ」って約束。

 全部が、頭の中で一列に並ぶ。


「タカはさ」


 ふと、聞いておきたくなった。


「桐沢先輩にとって、今はもう“どうでもいいやつ”?」

「“どうでもいい”って言い方、難しいな」


 桐沢先輩が、少し考える。


「今さら、あいつが更生しようが、もっと悪くなろうが、俺の人生にはあんま関係ない。

 そういう意味では、“どうでもいい”寄り」

「うん」


「でも、“あいつがいなきゃ今の俺いねーな”って意味では、“どうでもよくない”寄り」

「二択拒否ね」


「人生、だいたいグレーだからな」

「かっこつけた」

「かっこつけてないし」


 でも、そのグレーな答え方が、今のウチにはちょっと救いだった。

 一人を「全部悪」か「全部良い」に振り分けなくてもいいんだ、って思えるから。


「……ウチもさ」


 自分でも意外なくらい、素直に言葉が出た。


「桐沢先輩のこと、“全部悪い大人”って思ってた時期、けっこう長かった」

「知ってる」


「“勝手に消えて”“勝手に戻ってきて”“勝手に説教してくるやつ”って」

「知ってる」


「でも今は、“バカなガキだった大人”くらいにはなった」

「昇格したのか、降格したのか微妙だな、それ」


「昇格ってことでいいじゃん」

「まあ、ありがと」


 桐沢先輩が、少し照れたみたいに頭をかく。


「で、“バカなガキだった大人”から、“バカなガキ継続中の女子高生”にアドバイスするとだな」


「肩書き長いんだけど」


「タカみたいなやつが、お前の周りにこれからも現れるとして」


 指で川面を指す。


「“連れだよな〜”“一緒にいると楽だよな〜”ってやつと、“お前を駒にしようとしてるやつ”の境目、早めに見抜けるようになっとけ」


「説教モードきた」

「これはマジで説教」


 桐沢先輩の目が、少し真剣になる。


「亮たちとかさ。あいつら、完全に“タカ側”ってわけじゃねーけど、“そっち寄りの匂い”はあるだろ」

「ある」


 即答して、自分でもちょっと笑う。


「“お前強いし〜”“お前なら行けるっしょ〜”って言葉には、ちょっと注意しとけ。“お前疲れてんだろ、今日やめとけよ”って言ってくれるやつだけ、ちゃんと残しとけ」


「……それ、誰目線のアドバイス?」


「元・駒目線」


 自虐のくせに、ちょっと重い。


「ウチもさ」


「誰残すかくらい、自分で決めるわ」

「それでいい」


 桐沢先輩が、満足そうにうなずく。

 川の流れは、今日も変わらない。


 でも、ウチの中で、「捨てられた側」「裏切られた側」ってラベルが、少しずつ剥がれかけてる。


 代わりに、「一緒にバカやった側」「自分で選ぶ側」ってラベルが、まだ半透明だけど上から貼られつつある。


「……マジ、めんど」

「またそれ」

「褒めてないし」


 二人でちょっと笑ってから、立ち上がる。


「明日、学校行けよー」

「行くよ、一応」

「一応って言いながら行ってるお前、けっこう好きだわ」

「キモ」

「今のは取り消し」

「遅いし」



 土手を上がって住宅街のほうへ向かうあいだ、ウチはポケットの中のスマホを握り直した。

 タカとユウ。


 裏切ったやつと、逃げたやつと、残ったやつ。

 その全部を飲み込んだうえで、「ウチはどうするか」を決めるフェーズに、たぶんもう入ってる。



(……だったら、とりあえず卒業までは残っとくか)

 退学届にカッコつけてサインする妄想は、とりあえずゴミ箱行き。

 卒業式の日に、何奢らせるか考える妄想のほうを、少しだけ採用してやる。

「……ラーメンくらいは出させよ」

 誰に聞かせるでもなく呟いて、ウチは家への曲がり角を曲がった。



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