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あした  作者: 秦江湖


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18/29

連れの噂と、勝手に作ってたストーリー

会長の「しゃーねえな」は、だいたい長話の前ぶれだ。


 古びた丸椅子にどかっと座ったまま、会長は冷蔵庫から自分用の麦茶を取り出して一口飲んだ。


 ジムの中には、縄跳びの音と、サンドバッグを叩く音が遠くでしてる。


「桐沢の連れな」


 会長が、ロープ越しに壁の端の方を顎でしゃくる。


 歴代会員の集合写真の中。


 中央でガッツポーズしてる桐沢先輩の、隣に腕組んで立ってる少年がいる。


 短髪で、目つきが悪い。口角だけちょい上がってて、どこか意地の悪そうな笑い方。


「こいつ。鷹野って名前だ」

「タカノ……」


 聞いたことある。

 夜の溜まり場で、亮とかがときどき出してくる名前。


『昔、この辺仕切ってたヤバいのがいてさ』『タカの兄貴が〜』とかなんとか。

 直接見たことはないけど、「伝説枠」みたいに語られてる人。


「鷹野雄大。年は桐沢より一個上。高校は行ったけど、途中でやめた」


 会長の声が、少しだけ硬くなる。


「ガキのころから一緒に悪さしててよ。まあ、不良コンビみてえなもんだ」

「想像つく」


 写真の中でも、ふたりは肩を組んで笑ってる。その笑い方が、どこか似てる。


「違ったのは、殴る場所に対する考え方だな」

「殴る場所?」

「桐沢は、リングの上で殴る方にちょっとずつシフトしていった。鷹野は、路上で殴るほうに残った」


 会長が、指でテーブルをトントン叩く。


「最初はな。ふたりで一緒にここ来てた時期もあったんだよ」


「え、そうなんだ」


「中学の終わりくらい。ケンカ強くなりてーすってのは、あいつら二人組でよく言ってた」


 想像すると、ちょっと笑える。


 今の桐沢先輩が、「ケンカ強くなりてー」とか言ってる図。


「でも、練習続けられたのは桐沢だけだった。鷹野は、一か月もたなかったな」


「飽きた?」


「飽きたってのもあるし、ルールの中で殴るのが性に合わなかったんだろ。リングで勝っても意味ねーとか、外で勝てなきゃダサいとか、そんなこと言ってた」


「外で勝てなきゃダサいねえ……」


 確かに、夜の不良たちの会話で出てきそうなワードだ。


「でも、桐沢にとっちゃ、大事な連れだったんだよ。ケンカのときはいつも隣にいたし、バカやるときも一緒。タカとユウって、セットで呼ばれてた」


 タカとユウ。

 漫才コンビみたいな響きなのに、中身は「ちょっとヤバい二人」。


「で、高校入って」


 会長が、空になった麦茶のペットボトルをテーブルに置く。


「桐沢は高校でボクシング部。鷹野は別の工業高校に入った。けど、同じ溜まり場には相変わらず一緒にいた」


 一瞬、亮たちの顔と重なる。

 学校はバラバラでも、夜だけ同じ場所にいる感じ。


「鷹野は、どんどん路上側に行った。タバコ覚えて、シンナー覚えて、ちょっとした窃盗。それから、暴走族みたいなのにも顔出してた」


「うわ、テンプレ」

「テンプレだな。でも、腕っぷしは本物だったから、あいつに逆らうとヤバいって噂が一帯に広まってた」


 会長が、少しだけ顔をしかめる。


「で、問題はそこからだ」

「そこから多すぎない?」

「世の中、大体そこからだ」


 会長が、指で写真の端っこをトン、と叩く。


「鷹野の兄貴がな。とある組の使い走りみたいなのやっててよ。その関係で、借金の肩代わりだの、車の名義だの、ちょっとした仕事だの、色々持ち込まれるようになった」


 ヤバいワードしか出てこない。


「桐沢は最初、そういうのはやめとけって言ってた。ボクシング続けたいしって理由つけて、距離取ろうとしてた」


「うん」


「でも、連れだからな。完全には切れねえ」


 わかる。

 亮たちとの距離感も、ちょっとそれに近い。


「ある日、鷹野がしくじった。詳しい中身までは知らねえ。けど、借金の取り立てで相手をちょっと殴りすぎたとか、店のモノ勝手に持ってったとか、そういう類だ」


「万引きと暴力、フルコンボ」


「で、その尻拭いを、あいつがしようとした」


 「あいつ」って言われて、すぐわかる。


「桐沢先輩?」


「ああ。タカにはボクシングの才能ねーけど、俺にはあるから〜とか、わけわかんねー理屈こねてな」


 会長が、苦々しそうに鼻を鳴らす。


「でも、家の借金の話も、そのとき一緒に噴き出してたからな。親父さんの店も潰れかけてて、取り立て屋が家まで来てて。どこまでが本当で、どこまでが脅しなのかも、ガキには区別つかねえ」


 会長の声が、ちょっと低くなる。


「家と連れ、両方守りたいってなったとき、一番ダサくて一番手っ取り早い選択肢が、じゃあ俺が全部かぶります〜なんだよ」


「それ、桐沢先輩も自分で言ってた」


「だろ」


 会長が、ため息をひとつ。


 家族と連れを守るために、俺が悪役になるっていう、ガキが好きそうなヒーロームーブ。

 言葉はきついけど、そこに少しだけ哀しさも混ざってる。


「鷹野は?」


「止めたふりして、内心ラッキーって顔してたな」


 会長の口調が、一段冷たくなる。


「悪いなユウ。お前マジいいやつだよって」


「……最悪」


「最悪だよ。でも、世の中にはそういうやつもいる」


 壁の写真の中の「連れ」は、桐沢先輩の肩に腕を回して笑ってる。

 その笑い方が、急に薄っぺらく見えてくる。


「タカはそのあと、しばらくは大人しくしてたって話だ。でも、ユウが消えたあとも、完全にマトモになったわけじゃねえ」


 会長は、ノック式のボールペンをカチカチしながら続ける。


「こないだな。あいつ、久々にジムに顔出したんだよ」


「えっ」


 思わず変な声出た。


「いつ?」


「お前が来てない時間。昼間な。ユウ、戻ってきてるって聞いたんすけど〜って」


 耳に残る、想像上の声が耳障りだ。


「で、あいつどこまで話してんすかとか、俺のこと悪く言ってないっすかとか、自分の話ばっかして帰っていった」


「……悪く言ってないっすかじゃねーよ」


「だよな」


 会長の目に、うっすら怒りが浮かぶ。


「だから俺も、悪く言われたくなかったら、最初からちゃんとしとけやって言っといた」


「正論」


「そしたら、ユウのやつ、マジでバカっすよね〜。全部自分でかぶるとか、ヒーロー気取りっしょって笑ってた」


 胃のあたりが、ムカムカしてきた。


「笑いごとじゃねーし」


 思わず声が低くなる。


「気取りじゃなくて、マジでやったんでしょ。そのせいでボクシングもリングも一回降りたんでしょ」


「だから言ってやったんだよ」


 会長が、ふっと笑う。


「お前はヒーローにもなれねえやつだなって」


「会長、たまに名言出すよね」


「たまにかよ」


 少しだけ笑いが混ざる。

 でも、その笑いは長く続かない。


「とにかくな」


 会長が、真顔に戻る。


「外から見りゃ、逃げたエースと、その連れって雑な構図に見えるかもしれねえけど。中身は全然単純じゃねえ」


「……うん」


「ユウは、バカな自己犠牲でリング降りた。鷹野は、そのうしろに隠れて好き勝手やった。

 だけど、それでもユウは、あいつとは連れだったって記憶、簡単に捨てらんねえんだろうよ」


 ウチの中で、「裏切られた」が「利用された」に、ゆっくり言い換えられていく。


「お前さ」


 会長が、じっとこっちを見る。


「コンビニの兄ちゃんに捨てられたって、ずっと思ってたんだろ」


 図星すぎて、返事が遅れた。


「……まあ」

「でも実際は、自分でバカな選択肢選んでどっか飛ばされてたアホなわけだ」


「言い方〜」

「事実だろ。それ知って、どう思った?」

「どう、って……」


 川で桐沢先輩から直接聞いたときの感じが、蘇る。

 胸の奥で、温度の違う感情がぐちゃぐちゃに混ざって、しばらく整理つかなかった。

 ムカついたし、呆れたし、でもちょっとホッとした。


「ウチだけ捨てられたんじゃなかったってのは、正直ある」


 ようやく言葉にできた。


「全部わかってて、ウチだけ切ったって思ってたから。でも、あいつ自身も、だいぶ溺れてたんだなって」


「だろ」


 会長が、口角だけで笑う。


「人を捨てる余裕なんてねえよ。自分の足元守るのに必死だったガキが一人いなくなっただけだ」


「それはそれでムカつくけどね」


「ムカついてろ。ムカついたまま、ちゃんと見とけ」


 会長の声が、少しだけ強くなる。


「裏切られたって思ってるうちは、お前の中で桐沢は加害者で、自分は被害者でいられる。でも、あいつもただのバカだったって認めた瞬間から、じゃあ、自分はどうする?って話が始まる」


「……はあ」


 会長の言い方は乱暴だけど、どこかで聞いた理屈に似てる。

 桐沢先輩の、「逃げたまま黙ってるより、逃げたって言いながらうるさく言うほうがマシ」ってやつ。


 会長が立ち上がる。


「リング上がるかどうかも、退学するか卒業するかも。誰かに捨てられたからじゃなくて、“自分で決めたって顔して選べ。それができりゃ、お前、多分そこらの“ちゃんとした子”よりよっぽど強えよ」


「プレッシャーかけないで」

「期待してんだよ」


 会長が、わざとらしく肩をすくめる。


「逃げたエースの連れとしてもな」

「ウチ、いつから“連れ”枠に入ったの」

「中坊のころからだろ。あいつの中ではとっくに」


 コンビニの前で、「明日」って名前を呼ばれた夜のことが、じわっと浮かび上がる。

 あのときから、ウチの中にも“連れ”って感覚、ちょっとだけあったのかもしれない。


「……うざ」


 小さく吐き捨てて、サンドバッグの前に立つ。

 バンテージを巻き直して、拳を握る。


(捨てられた側でい続けるか、一緒にバカやった側に移るか)


 そのどっちを選ぶにしても、殴るしかない。

 サンドバッグに、一発目を叩き込む。


 ドスッ。


 革の感触と、拳の痛みが、頭の中のぐちゃぐちゃを少しずつ整理していく。

 鷹野ってやつの話も、ちゃんと聞かなきゃいけない。


 桐沢先輩から、直接。

 逃げたやつと、裏切ったやつと、残されたやつ。


 その全部を見ないと、「ウチの裏切られた」は、多分終われない。


「……マジで、めんど」


 小さく呟いて、もう一発。

 サンドバッグが、大きく揺れた。


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