呼び出しと、『退学も視野』
次の日の朝、職員室前の廊下は、いつもより冷たく感じた。
「神崎。入れ」
生活指導のセンセが、ドアの隙間から顔を出す。
いつもの安っぽいネクタイ。皺の寄ったワイシャツ。
でも今日は、目つきがいつも以上にギラついてた。
「……はい」
スニーカーから上履きに履き替えた足で、職員室に踏み込む。
コピー機の音と、どこかの先生の笑い声と、コーヒーの匂い。
その全部が、妙に遠い。
「そこ座れ」
生活指導の机の前のパイプ椅子に座る。
机の上には、ウチの生徒指導カードみたいな紙と、電話のメモ。それから、「近隣店舗からの連絡」とかなんとか書かれた紙が一枚。
(……うわ)
嫌な予感しかしない。
「神崎」
「はい」
「昨夜、○○コンビニの前で何をしていた」
やっぱそれか。
ストレートに来たな。
「……友達の先輩に呼ばれて、ちょっと」
「ちょっと」のあとが、うまく続かない。
生活指導が、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「ちょっとでパトカーは来ない」
「パトカー来たの、昨日じゃなくないですか」
「一昨日の件も含めて、だ」
机の上の紙を、ペン先でトントン叩く。
「近隣のコンビニから、貴校の生徒と思しき者が、万引き行為を繰り返しているという相談があった。制服の特徴、髪の色、時間帯。
それを聞いて、こちらで該当しそうな生徒として数人リストアップした」
リストの一番上に、「神崎 明日」の文字。
「……ウチじゃないです」
そこだけは、はっきり言った。
「お前が直接手を出したとは、まだ決めつけていない」
まだってつけるのやめろ。
「だが、昨日の夜。コンビニ側からまた電話があった」
生活指導が、電話のメモを持ち上げる。
「神崎という生徒が来て、万引きの精算を申し出たと」
心臓が、ドクンと跳ねた。
店長、そこまで報告したのかよ。
「どういうことか、説明しろ」
机越しに、まっすぐ見られる。
(説明……)
ナナミたちの顔が、頭の中に浮かぶ。
「マジ神崎ウケるんだけどー」って笑ってた、あの顔。
(売るわけ、いかないし)
あそこで名前出したら、今度は本気でウチが「チクった裏切り者」になる。
校内でも、外でも。
でも、全部背負うほど、ウチはデカくない。
「同じ学校の子たちが」
喉がひっかかりながらも、なんとか言葉を出す。
「前から何回か、レジ通さないで持ってってたみたいで。昨日も、なんかそういう感じで」
「そういう感じとは」
言い換え要求、マジだるい。
「……普通に言うと、万引きです」
そう言うと、職員室の空気が、少しだけピリッとするのがわかった。
近くの机の先生たちが、ちらっとこっちを見る。
生活指導が、椅子の背にもたれかかって腕を組んだ。
「で、お前は?」
「ウチは、直接はやってない。ただ、一緒の場にいて。止めようとして、ちょっと揉めて」
「止めようとして」
その言い方が、軽く鼻で笑ってるみたいに聞こえる。
「店側の話では、神崎さんが、その子たちの分もまとめて支払ってくれたとあったが」
「……払いました」
言った瞬間、自分の財布の中身がスカスカだった感覚が蘇る。
「お前が万引きに加担した、とも取れる行動だな」
「なんでそうなんの」
思わず、声が一段高くなった。
「だってさ。払わなかったら払わなかったで、見て見ぬふりをしたって言うくせに。払ったら払ったで、加担したって言われんの?」
「口の利き方に気をつけろ、神崎」
生活指導の声が、少し低くなる。
「私は、事実を確認しているだけだ」
「事実は、ウチがやったんじゃないってことです」
机の縁を、指先でぎゅっと掴む。
「ウチは、ちゃんとお金払ってくださいって言いに行った。それだけです」
「その子たちの名前を言え」
やっぱ来た。
「……言えません」
一拍置いてから、はっきり答えた。
生活指導の眉間に、深い皺が刻まれる。
「なぜだ」
「ウチがチクったってなったら、その子たち、もっと変な方向行くと思うんで」
ナナミの、「同類でしょ?」って目と、あの男子の肩の重さが、全部頭に残ってる。
「学校もコンビニも、余計ややこしくなると思いますけど」
「お前がそこまで考えているとは、正直思っていなかったが」
「失礼ですね」
つい口が滑る。
「だが――」
生活指導が、机の上の紙をトントンと揃える。
「こちらとしても、神崎は関与していません、以上終わりですというわけにはいかない」
「……」
「校外での不良交遊。夜間の出歩き。今回の万引きに居合わせた件。これらを総合して、指導対象として扱わざるをえない」
指導対象って言葉の、なんと便利なこと。
「正直に言う」
生活指導が、きっぱりと言った。
「今、お前の在籍は、退学も視野のラインにかかっている」
一瞬、耳がおかしくなったかと思った。
「……退学」
声が、自分のものじゃないみたいに軽くなる。
「選択肢として、だ」
生活指導は、淡々と続ける。
「これ以上、校則違反や素行不良が重なれば、自主退学という形を取ってもらうことも視野に入ってくる」
「自主って何」
笑えてくる。
「自主じゃなくて、半強制じゃん」
「言葉の問題ではない」
「大事でしょ」
反射で言い返す。
「自分で選んだことにしろって言ってるだけじゃん、それ」
桐沢先輩の、「一回逃げたのを自分で決めたって顔してた」って言葉が、頭の中で重なる。
生活指導が、少しだけ目を細めた。
「……そうやって、なんでも大人のせいにしていれば楽かもしれないがな」
「別に全部大人のせいにしてるわけじゃないです」
吐き出すみたいに言う。
「ウチが遅刻したのも、授業サボったのも、宿題出してないのも、ジム行ってるのも、不良の先輩とドライブしたのも、どれもウチが選んだことでしょ」
「なら責任を取れ」
「責任って、退学ですか」
「そうは言っていない」
生活指導が、書類の束から一枚の紙を抜き出す。
「指導計画書だ」
そこには、「一か月間、遅刻・早退ゼロ」「夜間外出の制限」「教員との面談」「保護者同席の面談」だの、ぎっしり項目が並んでいた。
「これを守れるなら、様子を見る余地はある」
紙を、こちら側に滑らせてくる。
「守れない場合は――」
少しだけ間を置いて、言葉を選ぶ。
「本格的に、在籍のあり方を考えなければならない」
(在籍のあり方=退学コース)
脳内で、勝手に訳す。
紙の上の文字が、急にくっきり見えた。
一か月間。
遅刻ゼロ。
夜の外出は、原則禁止。
ジムも、「保護者の同意のもとで、二十一時までに帰宅」って書いてある。
「……無理です」
即答だった。
生活指導が、「やはりな」という顔をする。
「夜、家にいたくないの、知ってますか」
自分でも驚くくらい、あっさりと出た。
生活指導の目が、一瞬だけ揺れる。
「ウチ、家にいると、マジで息できないんで。だから、ジム行ってんの。不良の先輩とドライブしてんのも、実はその延長みたいなもんですけど」
「家の事情については、ある程度聞いている」
生活指導が、少しだけ声を落とす。
「だが、それでも学校としては、夜間の徘徊を容認するわけにはいかない」
「徘徊とか言い方」
「事実だろう」
「ウチにとっては、生き延びてる時間なんですけど」
喉の奥が熱くなる。
「家にも、学校にも、ちゃんとした居場所ないから。だから、ジムとか河川敷とか、コンビニとかにいる」
コンビニの黄色い看板が、頭の中でチカチカ光る。
「そこでまで、ダメですって言われたら、マジでどこいりゃいいわけ」
「……」
生活指導が、口を閉じた。
職員室のざわめきだけが、変に大きく聞こえる。
数秒の沈黙のあと、生活指導がゆっくりと口を開いた。
「ジムの件については、トレーナーとも話をする」
「会長と?」
「そうだ。責任者がきちんとしている場所で、二十一時までの利用という条件なら、保護者とも相談のうえで認める可能性はある」
想像してなかった方向の言葉だった。
「……マジで?」
「ジムのトレーナーは、以前からお前のことを筋がいい。真面目にやっていると評価していた。少なくとも、夜の街をなんとなくうろついているよりは、はるかにマシだとな」
会長、いつのまにそんな根回ししてんの。
「ただし」
生活指導が、指で机をトントン叩く。
「万引きの件を含めて、本当に退学にはならないラインを、お前自身が越えないことが前提だ」
「お前自身が越えないって」
「夜の外出を、ジムと家の往復と、せいぜいコンビニまでにするとか。不良グループとのドライブは、控えるとか」
「不良グループって」
「○○市在住の二十歳前後の男性数名。
先日の補導歴も含めて、警察からも情報が来ている」
亮たちの顔が、頭の中に浮かぶ。
「あいつらとつるんでる高校生ってだけで、お前の名前は、もう何人かの大人の頭の中にメモされていると思え」
その言い方が、妙にリアルで、胃がまたキュッとなる。
「……じゃあ、どうすればいいんですか」
ようやく、その言葉が出た。
「どうすればいいか」なんて、今までほとんど聞いたことなかったのに。
生活指導が、少しだけ目を細める。
「さっきの紙だ」
指導計画書を、指先で押さえる。
「全部とは言わない。いくつか、お前にとって現実的なラインに書き換えてもいい」
「書き換え」
「例えば、夜の外出は二十三時まで。ジムと河川敷に限定とか。週に一回は、担任か私と短い面談をするとか。お前にとってギリギリ守れそうなラインを、一緒に決める」
「一緒に決める」なんて言葉、生活指導の口から出てくると思わなかった。
「それを一か月、まずは続けてみろ」
ペンをこちらに差し出してくる。
「守れなかったら?」
「そのときは、そのときだ」
生活指導の目が、真正面からぶつかってくる。
「退学も視野というラインは、変わらない。
だが、お前が何もせずにそこに落ちるのか、一度踏ん張ってから落ちるのかで、意味はまったく違う」
桐沢先輩の、「一回くらい負けてもいいから、ちょっとだけマシな方選べ」って声が、頭の中で重なる。
(……一回くらい)
一か月。
遅刻減らして、夜の動き方をちょっと変えて。
それで何か変わるのかどうかは、正直わかんない。
でも、何もせずに退学コースに流されるのだけは、マジで嫌だ。
卒業証書の話。
桐沢先輩との「卒業したら奢れ」の約束。
「……じゃあ」
ペンを受け取る。
「ジムは行っていいって条件だけは、絶対入れてください」
そこだけは、譲れない。
「それがないなら、ウチ、多分一週間で爆発してどっかいなくなりますけど」
「脅しのつもりか」
「警告です」
生活指導が、小さくため息をついて、口元だけで笑った。
「……わかった」
紙の「夜間外出」の欄に、赤ペンで書き足す。
『ジムへの通いは可。ただしトレーナーの管理のもと、二十二時までに帰宅。河川敷での寄り道は二十三時まで』
「河川敷、バレてるし」
「当然だ」
生活指導が、真顔に戻る。
「お前の居場所のひとつなんだろう?」
その言い方が、少しだけ柔らかかった。
ウチは、ペン先を紙の上に落とす。
『一か月間、遅刻・早退を極力しないようにする(ゼロとは言わない)。夜は、ジムと河川敷と家をメインにする。週一で、生活指導と短い面談をする。』
自分で書いた字が、なんか他人事みたいに見えた。
「……こんな感じで」
紙を差し出す。
生活指導が、目を通してから、コクンとうなずいた。
「いいだろう」
サイン欄に、自分の名前を書いて、印鑑を押す。
赤い丸が、紙にぽんと残る。
「これで、お前と学校のあいだ目標だ」
「あいだ目標って何」
「俺とお前の、だ」
生活指導が、ほんの少しだけ笑う。
「一か月後、退学も視野のラインから、お前がどれだけ離れられるか。一緒に見てやる」
その言葉が、意外と軽くなかった。
椅子から立ち上がるとき、膝が少し震えてるのがわかる。
職員室を出る直前、生活指導が背中に声をかけてきた。
「神崎」
「……はい」
「さっき、お前、どうすればいいんですかって言ったな」
「言いましたけど」
「あれ、なかなか言えない言葉だぞ」
振り向くと、生活指導が腕を組んだまま、少しだけ目尻を下げてた。
「そういうのを、素直さと言うんだ」
「……はあ」
「その勢いが一週間もたないやつも見てきたがな」
「ディスってます?」
「事実だ」
ほんの少しだけ、会長の「お前、珍しく素直だな」と同じ匂いがした。
職員室のドアを閉めて、廊下に出る。
窓から差し込む昼の光が、やけにまぶしい。
(退学も視野、ね)
さっきまで、ただの脅し文句みたいに聞こえてたやつが、急に現実味を帯びてくる。
でも同時に、「一か月」というタイムリミットと、「ジムは行っていい」という条件が、ぎりぎりの救命ロープみたいに感じられた。
(とりあえず、一か月)
その間に何がどうなるかなんて、わかんない。
でも、「何もしないで流される」よりはマシな気がした。
ポケットの中のスマホを取り出す。
画面には、さっき届いた通知が一つ。
《今日、ジム来れんの?》
送り主:桐沢先輩(皿洗い)。
笑えてくるタイミングで来るな、ほんと。
《行く》
《一応、学校とは交渉した》
そう打ち込んで送信する。
すぐに、既読と返信。
《お、えら》
《話は、河川敷で聞くわ》
「うっざ」
口ではそう言いつつ、スマホをポケットに戻す。
退学か、卒業か。
どっち側に転ぶかは、たぶんこの一か月のウチの殴り方と、朝起き方と、ちょっとした選択の積み重ね次第。
(……マジで、ゲームの難易度ハードなんだけど)
でも、一応スタートボタンは押した。
あとはプレイするしかない。
そう思いながら、ウチは教室に向かって歩き出した。




