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あした  作者: 秦江湖


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16/29

呼び出しと、『退学も視野』

次の日の朝、職員室前の廊下は、いつもより冷たく感じた。


「神崎。入れ」


 生活指導のセンセが、ドアの隙間から顔を出す。

 いつもの安っぽいネクタイ。皺の寄ったワイシャツ。

 でも今日は、目つきがいつも以上にギラついてた。


「……はい」


 スニーカーから上履きに履き替えた足で、職員室に踏み込む。

 コピー機の音と、どこかの先生の笑い声と、コーヒーの匂い。

 その全部が、妙に遠い。


「そこ座れ」


 生活指導の机の前のパイプ椅子に座る。

 

 机の上には、ウチの生徒指導カードみたいな紙と、電話のメモ。それから、「近隣店舗からの連絡」とかなんとか書かれた紙が一枚。


(……うわ)


 嫌な予感しかしない。


「神崎」

「はい」

「昨夜、○○コンビニの前で何をしていた」


 やっぱそれか。

 ストレートに来たな。


「……友達の先輩に呼ばれて、ちょっと」


 「ちょっと」のあとが、うまく続かない。

 生活指導が、眼鏡のブリッジを押し上げる。


「ちょっとでパトカーは来ない」


「パトカー来たの、昨日じゃなくないですか」

「一昨日の件も含めて、だ」


 机の上の紙を、ペン先でトントン叩く。


「近隣のコンビニから、貴校の生徒と思しき者が、万引き行為を繰り返しているという相談があった。制服の特徴、髪の色、時間帯。

それを聞いて、こちらで該当しそうな生徒として数人リストアップした」


 リストの一番上に、「神崎 明日」の文字。


「……ウチじゃないです」


 そこだけは、はっきり言った。


「お前が直接手を出したとは、まだ決めつけていない」


 まだってつけるのやめろ。


「だが、昨日の夜。コンビニ側からまた電話があった」


 生活指導が、電話のメモを持ち上げる。


「神崎という生徒が来て、万引きの精算を申し出たと」


 心臓が、ドクンと跳ねた。

 店長、そこまで報告したのかよ。


「どういうことか、説明しろ」


 机越しに、まっすぐ見られる。


(説明……)


 ナナミたちの顔が、頭の中に浮かぶ。

 「マジ神崎ウケるんだけどー」って笑ってた、あの顔。


(売るわけ、いかないし)


 あそこで名前出したら、今度は本気でウチが「チクった裏切り者」になる。

 校内でも、外でも。

 でも、全部背負うほど、ウチはデカくない。


「同じ学校の子たちが」


 喉がひっかかりながらも、なんとか言葉を出す。


「前から何回か、レジ通さないで持ってってたみたいで。昨日も、なんかそういう感じで」


「そういう感じとは」

 言い換え要求、マジだるい。

「……普通に言うと、万引きです」


 そう言うと、職員室の空気が、少しだけピリッとするのがわかった。

 近くの机の先生たちが、ちらっとこっちを見る。

 生活指導が、椅子の背にもたれかかって腕を組んだ。


「で、お前は?」

「ウチは、直接はやってない。ただ、一緒の場にいて。止めようとして、ちょっと揉めて」


「止めようとして」

 その言い方が、軽く鼻で笑ってるみたいに聞こえる。


「店側の話では、神崎さんが、その子たちの分もまとめて支払ってくれたとあったが」


「……払いました」


 言った瞬間、自分の財布の中身がスカスカだった感覚が蘇る。


「お前が万引きに加担した、とも取れる行動だな」

「なんでそうなんの」


 思わず、声が一段高くなった。


「だってさ。払わなかったら払わなかったで、見て見ぬふりをしたって言うくせに。払ったら払ったで、加担したって言われんの?」


「口の利き方に気をつけろ、神崎」


 生活指導の声が、少し低くなる。


「私は、事実を確認しているだけだ」


「事実は、ウチがやったんじゃないってことです」


 机の縁を、指先でぎゅっと掴む。


「ウチは、ちゃんとお金払ってくださいって言いに行った。それだけです」


「その子たちの名前を言え」


 やっぱ来た。


「……言えません」


 一拍置いてから、はっきり答えた。

 生活指導の眉間に、深い皺が刻まれる。


「なぜだ」


「ウチがチクったってなったら、その子たち、もっと変な方向行くと思うんで」


 ナナミの、「同類でしょ?」って目と、あの男子の肩の重さが、全部頭に残ってる。


「学校もコンビニも、余計ややこしくなると思いますけど」


「お前がそこまで考えているとは、正直思っていなかったが」


「失礼ですね」


 つい口が滑る。


「だが――」


 生活指導が、机の上の紙をトントンと揃える。


「こちらとしても、神崎は関与していません、以上終わりですというわけにはいかない」


「……」


「校外での不良交遊。夜間の出歩き。今回の万引きに居合わせた件。これらを総合して、指導対象として扱わざるをえない」


 指導対象って言葉の、なんと便利なこと。


「正直に言う」


 生活指導が、きっぱりと言った。


「今、お前の在籍は、退学も視野のラインにかかっている」


 一瞬、耳がおかしくなったかと思った。


「……退学」


 声が、自分のものじゃないみたいに軽くなる。


「選択肢として、だ」


 生活指導は、淡々と続ける。


「これ以上、校則違反や素行不良が重なれば、自主退学という形を取ってもらうことも視野に入ってくる」


「自主って何」

 笑えてくる。

「自主じゃなくて、半強制じゃん」

「言葉の問題ではない」

「大事でしょ」


 反射で言い返す。


「自分で選んだことにしろって言ってるだけじゃん、それ」


 桐沢先輩の、「一回逃げたのを自分で決めたって顔してた」って言葉が、頭の中で重なる。


 生活指導が、少しだけ目を細めた。


「……そうやって、なんでも大人のせいにしていれば楽かもしれないがな」


「別に全部大人のせいにしてるわけじゃないです」


 吐き出すみたいに言う。


「ウチが遅刻したのも、授業サボったのも、宿題出してないのも、ジム行ってるのも、不良の先輩とドライブしたのも、どれもウチが選んだことでしょ」


「なら責任を取れ」


「責任って、退学ですか」


「そうは言っていない」


 生活指導が、書類の束から一枚の紙を抜き出す。


「指導計画書だ」


 そこには、「一か月間、遅刻・早退ゼロ」「夜間外出の制限」「教員との面談」「保護者同席の面談」だの、ぎっしり項目が並んでいた。


「これを守れるなら、様子を見る余地はある」


 紙を、こちら側に滑らせてくる。


「守れない場合は――」


 少しだけ間を置いて、言葉を選ぶ。


「本格的に、在籍のあり方を考えなければならない」


(在籍のあり方=退学コース)


 脳内で、勝手に訳す。

 紙の上の文字が、急にくっきり見えた。


 一か月間。

 遅刻ゼロ。

 夜の外出は、原則禁止。

 ジムも、「保護者の同意のもとで、二十一時までに帰宅」って書いてある。


「……無理です」


 即答だった。

 生活指導が、「やはりな」という顔をする。


「夜、家にいたくないの、知ってますか」


 自分でも驚くくらい、あっさりと出た。

 生活指導の目が、一瞬だけ揺れる。


「ウチ、家にいると、マジで息できないんで。だから、ジム行ってんの。不良の先輩とドライブしてんのも、実はその延長みたいなもんですけど」


「家の事情については、ある程度聞いている」


 生活指導が、少しだけ声を落とす。


「だが、それでも学校としては、夜間の徘徊を容認するわけにはいかない」

「徘徊とか言い方」

「事実だろう」

「ウチにとっては、生き延びてる時間なんですけど」


 喉の奥が熱くなる。


「家にも、学校にも、ちゃんとした居場所ないから。だから、ジムとか河川敷とか、コンビニとかにいる」


 コンビニの黄色い看板が、頭の中でチカチカ光る。


「そこでまで、ダメですって言われたら、マジでどこいりゃいいわけ」

「……」


 生活指導が、口を閉じた。

 職員室のざわめきだけが、変に大きく聞こえる。

 数秒の沈黙のあと、生活指導がゆっくりと口を開いた。


「ジムの件については、トレーナーとも話をする」

「会長と?」

「そうだ。責任者がきちんとしている場所で、二十一時までの利用という条件なら、保護者とも相談のうえで認める可能性はある」


 想像してなかった方向の言葉だった。


「……マジで?」

「ジムのトレーナーは、以前からお前のことを筋がいい。真面目にやっていると評価していた。少なくとも、夜の街をなんとなくうろついているよりは、はるかにマシだとな」


 会長、いつのまにそんな根回ししてんの。


「ただし」

 生活指導が、指で机をトントン叩く。


「万引きの件を含めて、本当に退学にはならないラインを、お前自身が越えないことが前提だ」


「お前自身が越えないって」


「夜の外出を、ジムと家の往復と、せいぜいコンビニまでにするとか。不良グループとのドライブは、控えるとか」


「不良グループって」


「○○市在住の二十歳前後の男性数名。

 先日の補導歴も含めて、警察からも情報が来ている」


 亮たちの顔が、頭の中に浮かぶ。


「あいつらとつるんでる高校生ってだけで、お前の名前は、もう何人かの大人の頭の中にメモされていると思え」


 その言い方が、妙にリアルで、胃がまたキュッとなる。


「……じゃあ、どうすればいいんですか」


 ようやく、その言葉が出た。

 「どうすればいいか」なんて、今までほとんど聞いたことなかったのに。

 生活指導が、少しだけ目を細める。


「さっきの紙だ」


 指導計画書を、指先で押さえる。

「全部とは言わない。いくつか、お前にとって現実的なラインに書き換えてもいい」


「書き換え」


「例えば、夜の外出は二十三時まで。ジムと河川敷に限定とか。週に一回は、担任か私と短い面談をするとか。お前にとってギリギリ守れそうなラインを、一緒に決める」


 「一緒に決める」なんて言葉、生活指導の口から出てくると思わなかった。


「それを一か月、まずは続けてみろ」

 ペンをこちらに差し出してくる。

「守れなかったら?」

「そのときは、そのときだ」


 生活指導の目が、真正面からぶつかってくる。


「退学も視野というラインは、変わらない。

 だが、お前が何もせずにそこに落ちるのか、一度踏ん張ってから落ちるのかで、意味はまったく違う」


 桐沢先輩の、「一回くらい負けてもいいから、ちょっとだけマシな方選べ」って声が、頭の中で重なる。


(……一回くらい)


 一か月。

 遅刻減らして、夜の動き方をちょっと変えて。

 それで何か変わるのかどうかは、正直わかんない。

 でも、何もせずに退学コースに流されるのだけは、マジで嫌だ。


 卒業証書の話。

 桐沢先輩との「卒業したら奢れ」の約束。

 

「……じゃあ」


 ペンを受け取る。


「ジムは行っていいって条件だけは、絶対入れてください」


 そこだけは、譲れない。


「それがないなら、ウチ、多分一週間で爆発してどっかいなくなりますけど」

「脅しのつもりか」

「警告です」


 生活指導が、小さくため息をついて、口元だけで笑った。


「……わかった」


 紙の「夜間外出」の欄に、赤ペンで書き足す。


『ジムへの通いは可。ただしトレーナーの管理のもと、二十二時までに帰宅。河川敷での寄り道は二十三時まで』

「河川敷、バレてるし」

「当然だ」


 生活指導が、真顔に戻る。


「お前の居場所のひとつなんだろう?」


 その言い方が、少しだけ柔らかかった。

 ウチは、ペン先を紙の上に落とす。


『一か月間、遅刻・早退を極力しないようにする(ゼロとは言わない)。夜は、ジムと河川敷と家をメインにする。週一で、生活指導と短い面談をする。』


 自分で書いた字が、なんか他人事みたいに見えた。


「……こんな感じで」


 紙を差し出す。

 生活指導が、目を通してから、コクンとうなずいた。


「いいだろう」


 サイン欄に、自分の名前を書いて、印鑑を押す。


 赤い丸が、紙にぽんと残る。


「これで、お前と学校のあいだ目標だ」

「あいだ目標って何」

「俺とお前の、だ」


 生活指導が、ほんの少しだけ笑う。


「一か月後、退学も視野のラインから、お前がどれだけ離れられるか。一緒に見てやる」


 その言葉が、意外と軽くなかった。

 椅子から立ち上がるとき、膝が少し震えてるのがわかる。


 職員室を出る直前、生活指導が背中に声をかけてきた。


「神崎」

「……はい」

「さっき、お前、どうすればいいんですかって言ったな」

「言いましたけど」

「あれ、なかなか言えない言葉だぞ」


 振り向くと、生活指導が腕を組んだまま、少しだけ目尻を下げてた。


「そういうのを、素直さと言うんだ」

「……はあ」

「その勢いが一週間もたないやつも見てきたがな」

「ディスってます?」

「事実だ」


 ほんの少しだけ、会長の「お前、珍しく素直だな」と同じ匂いがした。


 職員室のドアを閉めて、廊下に出る。

 窓から差し込む昼の光が、やけにまぶしい。


(退学も視野、ね)


 さっきまで、ただの脅し文句みたいに聞こえてたやつが、急に現実味を帯びてくる。


 でも同時に、「一か月」というタイムリミットと、「ジムは行っていい」という条件が、ぎりぎりの救命ロープみたいに感じられた。


(とりあえず、一か月)


 その間に何がどうなるかなんて、わかんない。

 でも、「何もしないで流される」よりはマシな気がした。


 ポケットの中のスマホを取り出す。

 画面には、さっき届いた通知が一つ。


《今日、ジム来れんの?》

 送り主:桐沢先輩(皿洗い)。

 笑えてくるタイミングで来るな、ほんと。

《行く》

《一応、学校とは交渉した》


 そう打ち込んで送信する。

 すぐに、既読と返信。


《お、えら》

《話は、河川敷で聞くわ》


「うっざ」


 口ではそう言いつつ、スマホをポケットに戻す。


 退学か、卒業か。


 どっち側に転ぶかは、たぶんこの一か月のウチの殴り方と、朝起き方と、ちょっとした選択の積み重ね次第。


(……マジで、ゲームの難易度ハードなんだけど)


 でも、一応スタートボタンは押した。

 あとはプレイするしかない。

 そう思いながら、ウチは教室に向かって歩き出した。


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