コンビニ前、線を踏み越える夜
コンビニの黄色い看板は、いつもみたいに何も知らない顔して光ってた。
駐車場の白線がところどころ剥げたアスファルトに、黒い軽と白いワゴンが滑り込む。
ドンッ、と低い重低音が一瞬鳴って、すぐに亮がボリュームを絞った。
「お、いたいた」
運転席の亮が、顎でガラスの向こうをしゃくる。
入口横の灰皿のあたり。
制服のスカートを短くした女子三人と、パーカー姿の男子二人がたむろってた。
女子の一人は、同じ学校のブレザー。
濃紺の上着に、グレーのチェックのスカート。
髪はウチと同じミルクティー系だけど、もっと巻きが強くて、メイクも盛り盛り。
「あれ、○組の……」
名前、出てこない。
廊下ですれ違ったことは何度かあるけど、ちゃんと話したことはない。
男子の一人は、見覚えない顔。
小さいピアス。ジャージ。
もう一人は、ウチらの学校じゃなくて、別の高校のジャージっぽかった。
手には、それぞれコンビニの袋や、飲みかけのペットボトル。
何回も見たことある光景。
それだけ見れば、ただの「夜のダベリ」。
でも、今夜はひとつだけ違う。
駐車場の隅に、さっきまでパトカーがいた痕跡みたいなものが残ってる。
白線の内側に、透明なビニールテープの切れ端が一枚。
中から出てきた店員の女の人が、ちょっと怯えた顔でレジに戻っていくのが見えた。
「行くか」
亮がエンジンを切って、ドアを開ける。
俊と、もう一人の先輩が後ろからついてくる。
ウチも、少し遅れて助手席から降りた。
夜風が、ジム帰りの汗の残りを冷やす。
制服のブレザーの裾がふわっと揺れた。
「おつかれさーん」
亮が、いつもの調子で手を上げる。
灰皿の横のギャルたちが、一瞬こっちを見る。
「あ、亮さーん」
ミルクティー色の長い巻き髪の子が、ちょっと甘えた声を出した。
あ、こいつ名前思い出した。ナナミだ。
クラス違うけど、テスト返しのときとかに、たまに教師にイジられてたやつ。
「なにしてんの、こんなとこで」
亮が、にやっと笑いながら言う。
ナナミが、ジュースのペットボトルを片手にくるくる回しながら、肩をすくめた。
「べつにー。ダベってただけー」 「だけ。ねえ」
俊が、わざとらしく灰皿の向こうに視線を投げる。
コンビニの自動ドアが、カララッと開く。
中から、見覚えある店長が一瞬こっちを見て、すぐに視線を逸らした。
胸の奥が、ちょっとだけざわつく。
(……あの人、ウチの中学時代、全部知ってるんだよな)
からあげ棒と、夜勤の兄ちゃんと、あの冬と。
亮が、ポケットからタバコを出して火をつける。
煙がふわっと広がって、コンビニの光を曇らせた。
「さっき中の姉ちゃんビビってたぞ。また来ました〜って」
男子の一人が、ちょっと面倒くさそうに眉をしかめる。
「は? オレらなんもしてないし」
ガタイいい方の男子が、ペットボトルを足元に置いて、亮のほうにじりっと一歩出た。
ナナミが、「やめなよ〜」って腕を引っ張る。
「別に。ただの常連でしょ?なんでいちいちビビんの。マジで意味わかんないんだけど」
その言い方が、昼間の自分と少し似てて、ちょっと嫌になる。
「なんもしてない?」
亮が、わざと首をかしげる。
「レジ通さずにポケット入れるの、なんもしてないに入る?」
一瞬、空気が固まった。
ナナミが、「は?」って笑う。
「え、なにそれ。誰が言ってんの?」
「中の姉ちゃん」
亮が、コンビニのガラス越しにレジを指さす。
「あとここの店長。さっき話した」
男子の顔が、ちょっとだけ強張った。
「マジかよ……チクってんのかよ、あのオッサン」
小さいピアスのほうが、低い声で吐き捨てる。
「チクるとかじゃねーだろ」
いつのまにか、ウチの口が勝手に動いてた。
全員の視線が、こっちに集まる。
ナナミが、「あ、神崎じゃん」と言った。
「え、マジで。なんでいんの」
「こっちのセリフ」
ちょっと肩をすくめる。
「アンタこそ、なんでこんな時間にこんなとこでコンビニ荒らししてんの」
「荒らしとか言い方〜」
ナナミが笑いながら、ペットボトルをストローでちゅーっと吸う。
「ちょっとお菓子もらっただけじゃん。別にさ」
「もらったじゃなくて、盗ったね、それ」
「いちいち正すな〜。うざ〜」
周りの男子が、じろっとウチをにらむ。
「関係なくね? あんた先生でも警察でもないっしょ」
ガタイいいほうの男子が、一歩前に出る。
身長、一八〇はいってる。
ウチより一五センチはでかい。
「ウチと同じ制服着てる時点で、ちょっとは関係あるわ」
足を引かなかった。
自分でも、なんでこんなにムキになってるのかわからない。
でも、「あのコンビニ」をこれ以上ぐちゃぐちゃにされるの、マジで嫌だった。
夜中にからあげ棒買ってたあの冬も。
黄色い看板の下で、初めて名前を褒められたときも。
あの場所は、一応ウチにとっての「三つ目の居場所」だったんだ。
勝手に「万引きの名所」にされるの、耐えがたい。
「なに、いい子ちゃんムーブ?」
ナナミが、わざとらしく肩をすくめる。
「生活指導に目ぇつけられてるくせに〜。ウケるんだけど」
「生活指導とこれ、一緒にすんなよ」
思わず声が荒くなる。
「遅刻とか授業サボるのとさ。金払わずにモノ持ってくの、一緒にされたら困るし」
「一緒じゃん、どっちも悪いこと〜」
「いや全然違うから」
いつもなら、「悪いこと? 知らねーし」で流す側なのに。
今日は、うまく誤魔化せなかった。
「ウチがサボるのと、他人の店のモノパクるの、同じにしないで」
ナナミの表情が、ちょっとだけ変わる。
笑ってるけど、目の奥にイラッとした光が入った。
「なにそれ。説教? 神崎にだけは言われたくなーい。あんたも不良側じゃん? 同類でしょ?」
「同類ってさ」
胸のあたりが、ぐしゃっと掴まれたみたいにきしむ。
「一緒にしないでほしいんだけど」
言った瞬間、場の温度が一度下がった。
「……は?」
ナナミの声のトーンが変わる。
さっきまでの、ちょっとした悪ノリの延長じゃない。
本気でムカついた人間の声。
「なにそれ」
「なにそれじゃなくて」
ウチも、もう後戻りきかないところまで踏み込んでるのがわかる。
「ウチ、不良って言われんのは別にいーけどさ。人のもん勝手に盗るやつと一緒の枠には入りたくない」
「……」
男子二人が、完全に敵の顔になってきたのが視界の端に入った。
「お前さあ」
ガタイいいほうが、一歩近づいてくる。
鼻先に、缶コーヒーの甘ったるい匂いがかかった。
「さっきから、いちいちうっせーんだよ。同じ学校だから〜とかマジだりぃ」
亮が、「まあまあ」と手を挙げる。
「喧嘩しに来たわけじゃねーから。たださ」
タバコの火を指でもみ消して、言葉を選ぶみたいに間を置いた。
「ガチのお縄案件になる前に、やめとけってだけ」
「お縄って」
「笑いごとじゃねーぞ。万引きなめんなよ。
防犯カメラ、全部残ってるからな」
コンビニの入口の上にあるカメラが、こっちをじっと見てる。
昼間聞いた「パトカーが来てた」って話が、頭の中でぐるぐるする。
「一発で補導とかじゃなくてもさ。学校に話行って、万引き常連ってレッテル貼られて、進路指導のときに一生付きまとってくるんだぞ」
「進路指導」の三文字に、ウチの胃がまたキュッとする。
ナナミたちも、さすがにちょっとだけ顔を引きつらせた。
「べつに……」
ナナミが、わざとらしく笑ってみせる。
「一回二回でそんな大事になんないし〜」
「回数の問題じゃないって」
気づいたら、またウチが前に出てた。
「一回で、人生詰む子もいるし」
父親。
桐沢先輩。
会長がボソッと漏らした「もう戻ってこなかったあいつ」
全部が頭の隅をかすめる。
「あんたに何がわかんの」
ナナミの目が、完全に刺す目になった。
「真面目ぶってさ。自分だって授業サボって、生活指導に呼び出されて。不良の先輩とつるんで、夜な夜なドライブしてんの、みんな知ってんだからね?」
胸のど真ん中にパンチ入れられたみたいな感覚。
こっちの情報、どこから回ってんだよ。
「人のもん盗ってないからセーフでーすみたいな顔して、ウチはあんたらとは違いまーすって、マジでムカつく」
ナナミの言葉が、刃物みたいに飛んでくる。
図星な部分がゼロじゃないのが、また腹立つ。
「ウチは、別にセーフとか言ってない」
声が、少し震えた。
「ただ、違うは違うって言ってるだけ」
「一緒だって」
男子の一人が、鼻で笑う。
「外から見たら、ガラ悪い高校生の集まりでひとくくり。万引きだろーが、ドライブだろーが、ジムだろーが、ぜんぶ一緒」
それは、生活指導が職員室で言ってた理屈と、ほとんど変わらない。
「だからさ」
ガタイいいほうが、ウチの肩を片手で押そうとした。
思わず身を引き左拳が出た。
顔面スレスレで止まる。
「さわんな」
拳の速さに固まったみたいや表情しながら、ひきつり気味にニヤけて言ってきた。
「そんなにウチは違うんで〜って言うならよ。証明してみせろよ」
「なにを」
「お前がどっち側か」
声が、ちょっと低くなる。
「万引きしてるこっち側か。それとも、そっち側か」
そっち側って、どっち。
生活指導? 先生? 警察?
胸の中で、ざらざらしたものがせり上がってくる。
亮が、「おいおい、そういうのやめとけって」と間に入ろうとする。
「悪ふざけが一番洒落になんねーからよ」
ナナミが、面白がって見てるのが視界の端に入る。
「ねえ神崎。アンタさ。そんなに人のもん盗るのは違うって言うならさ」
ナナミが、コンビニのビニール袋をひょいっと持ち上げた。中身は、お菓子と飲み物。レジ通したレシートは、入ってない。
「入って、ちゃんとお金払ってきました〜って、店員さんの前で言ってきなよ」
「は?」
「それで、あのときの分もちゃんと払います〜って。神崎、正義の味方なんでしょ?」
男子たちが、にやにや笑う。
完全に遊ばれてる。
「それとも、できない?」
ナナミが、少し首をかしげる。
胸の奥で、何かがチリッと燃えた。
コンビニの自動ドアの向こうに、店長と、若い店員の女の人。
レジの横に置かれた防犯カメラのモニター。
ウチの中学時代の残り香みたいなものが、まだあの店には残ってる気がしてた。
(……ウチがやるべきなのかな、これ)
“やる/やらない”の二択が、喉のところまでせり上がってきて、呼吸が一瞬止まる。
亮が、横から小声でささやいた。
「無視して帰るなら、今な」
俊も、肩越しに目で合図してくる。
「ここで距離取れ」ってサイン。
でも、足が動かなかった。
ここで引いたら、多分一生、「あのとき逃げた」って記憶にまとわりつかれる気がした。
桐沢先輩が、「一回逃げたリングに戻るの怖い」って言ってたのと、似た種類のやつ。
(ウチ、どっち側なんだろ)
誰かが勝手に決めた線が、足元に引かれてるみたいに見えた。
その線を、どっちにまたぐか。
「……いいよ」
気づいたら、口が勝手に答えてた。
ナナミが、目を丸くする。
「マジで?やべ、ガチじゃん」
「やめとけって」
亮の声が、一段低くなる。
「これは遊びじゃ済まねーぞ」
「別にウチ、悪いことしに行くわけじゃないし」
ビニール袋を、ナナミの手からひったくる。
「情けねー奴ら。悪ぶって他人にケツ拭かせるとかマジダセーわ」
自分で言いながら、歩き出した。
コンビニの自動ドアが、ウィン……と開く。
中の空気は、外よりちょっとだけ冷たかった。
レジ越しに、店長の顔と目が合う。
中二の頃から、何度も見てる、あの無表情な真面目顔。
「あの……」
喉が、うまく動かない。
「なんだ」
店長が、少しだけ怪訝そうに眉をひそめる。
レジの女の人も、こっちを見てる。
その目の奥に、昼間のパトカーの残像がちらついてるのがわかった。
「……これ、精算してほしいんですけど」
ビニール袋を、レジ台の上に置いた。
中身をひとつひとつ出しながら、続ける。
「あと、その……」
ここからが、本題だ。
店内のBGMが、やけにうるさく聞こえる。
防犯カメラのレンズが、天井からこっちをじっと見てる。
ウチは、拳を握る代わりに、レジ台の端っこをぎゅっと掴んだ。
「……前に、同じやつ何回か……お金出さないで持ってったの、多分あって」
言葉が、ところどころ千切れながら出ていく。
「それも、まとめて払いたいんですけど」
一瞬、店内の空気が止まった。
店長の目が、わずかに見開かれる。
女の店員さんが、「え……」って、小さく声を漏らした。
「お前が、持ってったのか」
店長の視線が、ビニール袋からウチに移る。
「……ちがいます」
そこだけは、はっきり言えた。
「ウチじゃない。でも、ウチと同じ学校の制服着てる子たち」
入口のガラスの向こうで、ナナミたちの影がうごめいてるのが見えた。
「……はあ」
店長が、ゆっくり息を吐いた。
「本人連れてこいよ、本当は。なんでお前が」
「同じ学校だから……じゃ、ダメですか」
自分でも、なんかズレた答え出してるのわかる。
「ウチも、よくここ使ってるし。それに――」
喉の奥に、昔の声が蘇る。
『ちゃんと帰れよ、明日』
コンビニの夜勤の兄ちゃん。
金髪ピアスで、レジ打ってた桐沢先輩。
もういない人の声を借りるみたいで、ちょっとずるい気もしたけど。
「ここ、潰れたら困るし」
言った瞬間、自分で自分にびっくりした。
そんな「町のため」とか「店のため」みたいなこと、今まで一度も本気で考えたことなかったのに。
店長が、しばらく無言でウチを見てた。
その視線の重さに、膝が少し震える。
「……まあいい」
やがて、店長がレジの引き出しを開けた。
「とりあえず、今日のぶんは普通に会計する。前のぶんは、こっちで計算しとく。学校に話す話は……そっちの様子見てからだな」
「学校……」
胃のあたりがギュッとする。
「お前の顔はもう覚えたからな」
店長が、ため息まじりに言う。
「神崎明日だったか」
「……はい」
「お前の学校からも、何回か通達来てる。問題児が利用してますってな」
最悪の情報が、普通に暴露された。
「マジで余計なことすんなよ、先生」
心の中で机ひっくり返したい気分。
でも、ここでキレたら、全部台無しになる。
「……ウチ、ちゃんと買いに来るんで」
レジ台の上に、財布から出した千円札を置く。
「はあ。わかったよ」
店長が、ビニール袋の中身をピッ、ピッと読み取っていく。
バーコードの音が、やけにでかく響いた。
「レシートいるか」
「いちおう」
レシートを受け取って、ビニール袋を持ち直す。
出口に向かって歩くあいだ、心臓が変なリズムで鳴ってた。
(やったこと自体は、別に悪くないはず)
そう言い聞かせても、喉の渇きは収まらない。
自動ドアが開く。外の空気が、一気に入ってくる。
ナナミたちの視線が、一斉にこっちに集まった。
ウチは、ビニール袋をそのまま足元に置いた。
「払った」
「マジで? やば。ウケるんだけど」
ナナミが、腹を抱えて笑う。
「笑ってるけど、お前らがいまここで笑ってられるの、ギリギリのラインだからな。学校に話行くかも」
ナオミの顔が青くなった。
「青くなるくらないなら悪ぶんのやめな」
ナナミが舌打ちみたいに笑う。
「あーもう、つまんない夜〜。行こ」
男子二人と一緒に、ナナミたちはコンビニから離れていく。
ヒールの音と、笑い声と、「マジ神崎ウケるんだけどー」って声が、だんだん小さくなっていった。
残された駐車場に、ウチと亮たちだけが取り残される。
ビニール袋の取っ手を、亮がひょいと持ち上げた。
「お疲れ。よくやったな」
「別に」
いつもの言葉が、半分くらいしか効かない。
「マジで、殴る寸前だったろ、お前」
俊が、苦笑いしながら言う。
「見ててヒヤヒヤしたわ」
「……殴ってもよかったけど」
正直なところ、拳はずっとウズウズしてた。
「でも、ここじゃないし」
ここは、あのコンビニ。
殴り合う場所じゃなくて、ウチにからあげ棒くれた場所だ。
亮が、ふっと笑う。
「えらいえらい。リングの外では、なるべく殴んないってやつな」
「会長も同じこと言ってた」
「にしてもさ」
少しだけ真面目なトーンになる。
「不良ってさ。こういうとき、普通は見て見ぬふりすんのが一番楽なんだよ」
俊が、ポケットに手を突っ込みながら続ける。
「自分も同じ穴のムジナだし〜って顔しときゃさ。誰も本気で責めねーし」
「なのに、お前はわざわざ白黒つけに突っ込んでったからな」
亮が、ウチの頭をぽん、と軽くはたいた。
「そういうの、マジ嫌いじゃない」
「褒めてんの、それ」
「褒めてるって」
車のエンジンが、また低く唸る。
「送ってく。今日はもう、変なとこ顔出さなくていいだろ」
「うん」
素直にうなずけた。
助手席に乗り込むとき、ちらっとコンビニの中を振り返る。
店長と目が合った。
さっきより、ほんの少しだけ柔らかい顔になってた気がする。
桐沢先輩がいたレジの前。
からあげ棒のケース。
ホットスナックの湯気。
全部が、少しだけ違って見えた。
(……ウチは、どっち側なんだろうね)
フロントガラスの向こうで、夜のネオンが流れ始める。
「不良側」とか、「真面目側」とか。
そんな雑な二分けじゃ切り取れないところに、自分が立ってるのを、嫌でも意識させられた夜だった。
車が角を曲がるとき、コンビニの黄色い看板が、小さくなっていく。
心のどっかで、小さく呟いた。
(あの店、もう、どうでもいいって言えないな)
口には出さない。
出したら、負けた気がするから。




