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あした  作者: 秦江湖


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14/29

トラブルの前ぶれ

その日、授業中からなんとなく、空気がザラついてた。


 廊下の向こうの方で、生活指導のセンセと誰かが言い合ってる声が聞こえたり、窓の外にパトカーが止まってるのがチラッと見えたり。


「なあなあ、あれ見た?」


 数学の小テストが返ってきたあと、前の席の男子が後ろを振り向いてきた。答案用紙をひらひらさせながら、ニヤニヤしている。


「コンビニの前、朝からパト来てたじゃん。なんか万引きの騒ぎらしいよ」


「また? あそこ最近多くない?」


 高橋がため息混じりに言う。机の上のペンをカチカチいじりながら、わざとらしく眉をひそめてる。


「こないだもさ、夜中に警察来てたって妹が言ってた。チャリ盗んだとかなんとか」


「へー」


 ウチは、答案の点数をチラ見しながら、適当に相づち打つ。


 二十七点。

 「×」ばっかり並んだ紙。


(まあ、こんなもんでしょ)


 と思う一方で、昨日の生活指導の顔が頭をよぎる。


『このままだと進級が危ういぞ』


(……うざ)


 心の中だけで小さく吐き捨てて、答案をぐしゃっと二つ折りにした。


「神崎〜、何点?」


 高橋が身を乗り出してくる。


「見せねーよ」

「えー、絶対赤点でしょ。てか、先生に呼ばれてたって聞いたけど、大丈夫だったわけ?」

「大丈夫の定義によるけど」


 肩をすくめると、高橋が笑った。


「退学とか言われなかった?」

「このままだと〜ってテンプレは聞いた」 「あー、出た。このままだと〜」


 周りで聞いてた女子が、ふふっと笑う。


「でもさ、神崎退学とかになったら、ちょっと寂しくない?」

「なんで」

「顔面担当いなくなるじゃん」

「役割それだけ?」

「いや、怖いとき助けてくれそうだし」


 冗談っぽく言って、ペンを回す。


「この前さ、校門のとこで他校の男子と揉めてたとき、生活指導より先に“お前らなにやってんの”って言いに行ったの神崎でしょ」


「あーあれ。なんかムカついたから」


「ほら。そういうとこだけ男前なんだって」

「褒めてないよね、それ」

「褒めてるって」


 クスクス笑いながら、チャイムが鳴る。

 先生が答案を束ねながら、「放課後に残って勉強したいやつは職員室来いよ」なんて言う声が、教室のざわめきに溶けた。


 ウチはもちろん行かない。

 放課後は、別口の「勉強」がある。


 夜のジムで、サンドバッグ殴る練習。



 放課後。


 靴箱のところでスニーカーに履き替えてるとき、ポケットのスマホが震えた。


 画面を見ると、「亮」からLINE。


《今日ヒマ?》 《ちょい面白いとこ行こーぜ》


(ジム行くしな……)


 一瞬、ジムのことが頭に浮かぶ。

 今日はミットの日じゃないし、掃除当番も朝に回した。

 だから、行こうと思えば、夜全部「遊び」に使える。


 でも、スマホの画面の下に、「未提出課題一覧」とか「三者面談のお知らせ」とかのスクショがぼんやり透けて見える気がした。


(ちゃんと殴らないと、昨日の面談ぶんムカつき溜まってるし)


 指を動かす。


《ジムある》 《そのあとなら》


 数秒で既読がついて、返事。


《じゃ、23時くらいにいつものとこ集合な》 《車出す》


(……また夜ドライブか)


 嬉しいかって言われると、半分くらいは「あり」。


 ネオンの下で音楽ガンガン鳴らして、どうでもいい話して、「今ここだけ」で生きてる感じは、やっぱり嫌いになれない。


 でも、前みたいに、全部そこに預ける気分には、もうなれない。

 昨日の河川敷での会話が、頭のどっかに残ってる。


(……とりあえず、今日もジム優先でいーや)


 スニーカーのかかとを踏んだまま外に出る。


 昇降口のガラスに映った自分が、ネクタイをちょいゆるめて、セミロングを耳にかけてた。根元のプリンが、またちょっと伸びてる。


「そろそろ染め直す金、どっかから生えてこねーかな」


 小さくぼやいて、校門を出た。



 ジムで一通り殴って、汗だくになって、会長に水ぶっかけられて。


「お前、顔に人殴りたいって書いてあったな、今日」

「そりゃ生活指導とテスト返却フルコースですし」

「殴るのはサンドバッグだけにしとけよ」 「わかってるって」


 そんな会話をして、ジムを出たのが二十二時過ぎ。


 汗で張りついたシャツが気持ち悪くて、ブレザーのボタンは全部開けたまま。ネクタイはポケット。

 髪は一つ結びのゴムを外して、適当に指で梳かす。


 夜風が、練習後の火照りをちょっとだけ持っていってくれた。


 スマホの画面を確認する。亮からのメッセージが一件。


《着いた》 《お前来んの待ってんぞ》


 ウチのアパートから、いつもの溜まり場までは歩いて五分もかからない。


 コンビニとパチンコ屋の間の細い路地。空き地代わりの駐車スペース。


 近づく前から、低い重低音と笑い声が聞こえてきた。


「おー、明日!」


 ライトで照らされた空き地に、黒い軽と、白いワゴンが一台ずつ。


 その周りに、亮たちがたむろってる。

 タバコの煙。コンビニ袋。缶コーヒーとエナドリ。

 いつもの「夜の匂い」だ。


「遅ぇよ、ギャルボクサー」

「ジムあったんだって」

 スウェット姿の俊が、空き缶を蹴りながら笑う。

「今日も殴ってきた?」

「まあね」


 ペットボトルの水を片手に、車のドアに腰を預ける。


「で、どこ行くの。面白いとこって何」


 亮が、フード付きのジャケットのポケットから鍵を出して、にやっと笑う。


「なーんかさ、さっきコンビニで聞いたんだけどよ」


 顎で道の向こう側のコンビニをしゃくる。


「あそこにさ、高校生っぽいガキが、ちょいちょい変なことしてんだと」

「変なこと?」

「ほら、あの万引きの噂になってたとこ」


 昼間、教室で聞いた話が、頭の中でピタッと重なった。


「レジの姉ちゃんが、また来てたとか言っててさ。あの子たち怖くて注意できないんですよ〜とか、震えた声で言うわけ」


 亮が、オーバーに真似して見せる。


「で、どんな奴?って聞いたらよ。髪明るい女の子と、ちょいガタイいい男の子と、その友達数人で〜って」


 嫌な予感が、背筋をなでた。


(髪明るい女の子、ってだけでこっち見んなよ……)


「でさ、その髪明るい女の子の制服が、なんか見覚えあるんだよな~」


 俊が、ニヤッと笑って、ウチのブレザーを指でつつく。


「こういう濃紺のブレザーに、グレーのチェックのスカートで〜、ちょいミニで〜、ミルクティーみたいな髪で〜」

「それウチじゃん」

「お前じゃねーよ」


 亮が、笑いながら首を振る。


「名前までは聞いてねーけどよ。最近よくたまってるって言ってたし、多分お前の学校の奴だわ」


「……ふーん」


 ウチの学校のギャルっぽい子の顔が、何人か頭に浮かぶ。


 授業サボりがちで、いつもメイクばっちりで、SNSの「イイネ」命みたいな子たち。


 そいつらが、こういう「ちょっと悪い先輩」とつるみはじめるのに、そう時間はかからないだろうな、ってのも想像つく。


「でさ。ウチら、そういうのほっとけない性質じゃん?」


 亮が、わざとらしく肩をすくめる。


「は?」

「ちょっと様子見に行こうぜ。先輩ヅラしに」


 その言葉に、一瞬、胸の奥がざわっとした。

 こういうの、マジで厄介な匂いしかしない。


 でも、同時に「怖いOB」みたいなポジションで、間に入って止めるって選択肢も、まったくのゼロじゃない。


 実際、亮たちがいると、変なナンパとか絡みとかは、だいぶ避けられてきたのも事実だし。


「……見に行くだけなら」


 思わず口から出てた。


 俊が、「出た、見に行くだけ」ってニヤニヤする。


「そう言って、この前も結局朝まで走ってたくせにな」

「あれは別件でしょ」


 亮が、運転席のドアを開けた。


「ほら、助手席乗れよ、明日」

「なんでウチ前」

「一番ツラが利きそうだから」


 冗談めかして言いながら、ちょっとだけ本気っぽい目をしてる。

 ウチが断ったら、この話は別の方向に転がるかもしれない。

 ウチが乗っても、どう転ぶかはわかんない。


 でも、「自分に関係ないとこで、同じ制服のやつがやらかしてる」って話を聞いて、そのまま何も見ないでいるのも、それはそれで気持ち悪い。


(……行くだけ行って、ヤバそうなら帰ればいいし)


 自分にそう言い聞かせて、助手席に乗り込んだ。

 シートベルトのバックルが、カチッと鳴る。


 車内には、いつものラップとタバコと芳香剤の匂い。


 亮がエンジンをかける。


「じゃ、ちょっと教育的指導しに行きますか」


 その軽いノリが、のちにどれだけ面倒なことになるかなんて、もちろんこのときのウチは知らない。


 知ってたら、多分乗ってない。


 でも今はただ、「今ここがちょっと面白そう」って衝動に、ハンドルを預けたくなってた。


 車が、ネオンの方へと滑り出す。

 コンビニの黄色い看板が、フロントガラスの向こうに近づいてきた。


 胸のどっかが、じわっとざわつく。


(……マジで、面倒ごとになりませんように)


 そんな都合のいい祈りを、心の中でだけこっそり投げて、ウチは窓の外を睨んだ。



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