表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あした  作者: 秦江湖


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/29

夜の街と、燃え尽きたい衝動

ジムを出ると、外はすっかり夜だった。


 シャッターを半分まで下ろして、鍵をかける。金属がかちりと噛み合う音が、細い路地に響く。


「鍵、ポスト入れとけよー」


 階段の上から、会長の声が飛んできた。


「わかってるって」


 ポストに鍵を落として、雑居ビルの外に出る。

 夜風が、練習後の火照った肌に気持ちいい。髪をほどいて、ゴムを手首に移すと、巻きが取れかけた毛先が肩のあたりでぱさっと広がった。


 ブレザーの前は開けたまま。ネクタイはポケットに突っ込んだまま、シャツの第一ボタンも外してある。


 汗で少し湿った襟元に、夜気がひやりと触れた。


(家、帰る……わけないか)


 スマホで時刻を確認する。二十一時過ぎ。母親がシフトに出てる日は、だいたい午前様コースだ。


 電気代のメモと「ごめん」の文字と、カップ麺とテレビの青白い光だけが待ってる部屋に、今すぐ戻る気にはなれない。


 足は、自然と駅と反対側に向かっていた。

 ネオンと排気ガスの匂いが濃くなる方角。コンビニとパチンコ屋と、小さなスナックが並んでいる通り。


 ジムの空気から、一気に「夜の街」の匂いに切り替わる。


 バス停の前で、同じ学校のスカートを短くした女子たちがたむろっているのが見えた。スマホ片手に笑ってる。ウチと目が合いそうになって、なんとなく視線をそらす。


「神崎じゃね?」

「ほんとだ。ジム帰り?」


 背中の方で、そんな声が聞こえたけど、聞こえないふりをして通り過ぎた。


 信号を渡ると、コンビニの明かりが見える。昔、金髪ピアスの兄ちゃんがいた店。


 今は、見慣れた店長と、アルバイトの大学生くらいの女の人がレジに立っているだけだ。あの声も、あの笑い方も、もうここにはない。


 自動ドアの前で一瞬だけ立ち止まって、水だけ買って出る。


 ペットボトルのキャップをひねると、冷たい匂いが喉を誘う。ごくごくと飲みながら、少し先の路地を曲がる。


 そこには、ウチがときどき顔を出す一団がいる。


「おー、明日!」


 駐車場代わりに使われてる空き地。改造車っぽい軽自動車と、原チャリが数台。コンビニ袋や空き缶が転がっている。


 その真ん中で、ジャージ姿の男たちがタバコをふかしてた。二十代前半くらいの、地元の「ちょっと悪い人」たち。


 一人が、タバコを咥えたまま手を振る。


 髪をジェルで固めて、ジャラジャラしたネックレスをつけてる男――りょう。このあたりの溜まり場で、なんとなく仕切ってる人。


「よ、ギャルボクサー」

「そのあだ名マジやめろって言ってんでしょ」

「えー、カッコよくね? インスタのハッシュタグにできるって」


 後ろから別の男が笑う。スウェットのフードをかぶった俊。高校は中退組。


「今日も殴ってきた?」

「まあね」


 ペットボトルの水を指でくるくる回しながら、車のドアに腰を預ける。


 この人たちは、ジムとはまったく違う「夜」の匂いがする。

 タバコと香水と、コンビニのホットスナック。エンジンオイルと、ちょっと焦げたゴムの匂い。

 でも、ウチには、この空気も嫌いじゃない。


「お疲れ。ほら、座れよ」

 亮が、車のボンネットをぽんぽん叩く。

「そこ熱いからヤだ」

「細けーな。じゃあここ」


 路地のブロック塀に背中を預けて、地べたに座り込む。スカートの下に穿いてるジャージが、冷たいコンクリの温度を受け止める。


 髪を、指先で適当にまとめて結び直した。


「てかさ、こないだ聞いたけど、お前ホントに退学になりかけてんの?」


 俊が、缶コーヒーを片手で振りながらニヤニヤする。


「なりかけってなに」


「生活指導がさ、あいつこのままだとヤバいって職員室で言ってんの、うちの妹が聞いたって」

「妹スパイかよ」


 思わず笑ってしまう。


「マジでさ、あんな学校やめちまえば? お前なら、ここで一生遊んでても生きてけるって」


 亮が、軽い調子で言う。


「一生は無理でしょ」


「いや、マジで。うちの先輩とか、中学出てとりあえず現場入って、今普通に金持ってるし」


 車のボディをコンコン叩きながら、自慢げに続ける。


「学校で、はい先生〜。とかやってるやつより、よっぽど人生楽しんでるって」

「……ふーん」


 語尾だけで返す。


 高校に行く価値なんてない、っていう話は、何回も何回もいろんな人から聞いてきた。


 たしかに、教室にいるときの自分は、「楽しんでる」って感じからは程遠い。小テストの点数と、出欠表と、生活指導の目線に追われてるだけ。


 でも、退学上等って言えるほど、ウチのメンタルは強くない。


「でもさ」


 亮が、タバコを指の間ではじきながら言う。


「お前、殴るの上手いじゃん?」

「いきなりなんの話」

「殴るの上手いとか言われたの初めてなんだけど」


 俊が笑いながらツッコむ。


「いや、マジで。前さ、あの公園で絡んできたヤツいたじゃん。チャリパクっただのなんだの」

「あー、あのクソダサい髪型の」

「そうそう。あいつが手出そうとしたとき、お前、サクッと避けてたろ」


 亮が、手をひょいっと振って見せる。

 去年の夏、近所の公園で、別グループの男たちと軽く揉めたときのことだ。カッとなって向かってきた相手の腕を、無意識にスウェーでかわした自分を、今でも覚えてる。


 その瞬間、相手の空振りした拳がすかっと空を切って、バランスを崩してた。


 あのあと、亮たちが「まぁまぁ」って間に入って、なんとなく空気を流してくれたから、殴り合いにはならなかったけど。


「お、やっぱこいつケンカ慣れしてんじゃん。って、内心ビビったからな」

「ケンカ慣れって……」


 実際は、ケンカってほどのことはしてない。ただ、ジムで教わった動きが、条件反射で出ただけ。


 でも、亮たちには、それが「地の才能」みたいに見えてるらしい。


「退学なってさ、そのケンカスキル活かして、うち来る? ボディガードとかやらせてやるよ」

「いらないから」


 即答する。

 笑いながら断ったけど、その言葉の軽さに、自分でも少し驚いた。


 前だったら、「退学」ってワードに、もうちょっとくらっと来てたかもしれない。


 学校がイヤで、先生もイヤで、生活指導の顔なんて二度と見たくなくて。


 「やめちゃえば楽なのに」って、何度も思った。


 でも。

(卒業証書くらい、持っとけ)

(退学しましたって紙よりはマシだから)


 昨日、河川敷で先輩に言われた声と、今日の朝ジムで会長に言われた声が、頭の中で重なる。


 その二人が、まったく同じことを言うってのが、かなりレアな現象だってことくらい、ウチにもわかる。


「なに、急に真面目顔」

 俊が、覗き込んでくる。

「してないけど」

「してるって。目つきが、人生考えてますって顔になってる」

「うるさい」


 ペットボトルの水を、また一口飲む。

 冷たさが、喉から胃に落ちていく感覚が、さっきのミットの硬さと一緒に蘇る。


「ま、なんかあったら言えよ」


 亮が、タバコを地面にねじ消しながら言った。


「学校ムカつくとか、家しんどいとか。とりあえずドライブくらい連れてってやるからさ」


「違法じゃないやつなら」

「お、信用ねーな」

「ないわけじゃないけど、あるわけでもない」


 そんなふうに、適当なやりとりをして笑い合う。

 この人たちといるときのウチは、ちゃんと「不良っぽい空気」に馴染んでる。


 車の中のラップ。コンビニのホットスナック。くだらない自慢話と、誰かの悪口と、適度な馬鹿騒ぎ。


 全部、「今この瞬間」が燃えてればそれでいい、みたいなエネルギーでできてる。


 そして、それはウチの中にもある。


「じゃ、行くか。ちょっと流そうぜ」


 亮が、車のキーを指で回す。エンジンが低い音で唸った。


 後部座席のドアが、ギッと音を立てて開く。


「明日も乗る?」


 俊が、肩越しに聞いてくる。

 その問いには、ちょっとだけ間が空いた。


 夜の街を流すドライブ。音楽ガンガンにかけて、意味もなく遠くまで行って、高速のサービスエリアでジュース飲んで帰るだけの時間。


 それはそれで、嫌いじゃない。むしろ、嫌いになれない。


 どこにも属せない自分が、「仲間」みたいな言葉を、ギリギリで味わえる場所でもある。


 でも、同時に。


 このまま毎晩ここに乗り続けたら、たぶん、どっかで取り返しつかないラインを踏むんだろうな、って予感も、ちゃんとある。


 万引きとか、喧嘩とか、車の事故とか。ニュースで見るような「ちょっとしたはずの悪ふざけの末路」ってやつ。


「……今日はやめとく」


 出てきたのは、その言葉だった。


「は?」

 俊が、意外そうに目を丸くする。


「明日、朝から生活指導の面談あるから。寝坊したらウザい」


「生活指導のことウザいって言ってる時点で、あんま変わんなくね?」

「寝不足で怒られるのは、普通にダルいの」


 言い訳みたいな理屈を並べながらも、本音はもっと単純だ。


 今日は、ジムのミットの感覚と、先輩のシャドーの音を、ちゃんと持って帰りたい。

 車のエンジン音と、ネオンのチカチカで上書きしたくない。


「そっか。じゃあしゃーねーな」

 亮が、肩をすくめる。


「いい子ちゃんかよ」

「いい子ちゃんではない」


 そう言って立ち上がる。スカートについた砂を手で払う。


「じゃ、また」

「おう。なんかあったら呼べよ」

「うん」


 うなずいて、彼らの輪から一歩外に出る。

 背中の方で、車のドアが閉まる音がした。エンジンが少しふかされて、ラップの低音が漏れ出す。


 その音から離れるように、少しだけ早足になる。


 街のネオンが、徐々に少なくなっていく。住宅街の静けさが、じわじわと戻ってくる。


 ジムで流した汗と、夜の街の空気と、不良たちの笑い声。


 その全部が、まだ体の中でぐるぐるしている。


(今ここで燃えてないと、息できない)


 そんな感覚は、相変わらずある。

 殴ってるとき。車の中で音楽ガンガンのとき。河川敷で夜風に当たってるとき。


 そういう瞬間だけは、「生きてる」って実感がある。


 でも、前よりちょっとだけ、その「燃え方」を選べるようになってきてるのかもしれない。


 自分を全部燃やし尽くして、灰になって終わるんじゃなくて。

 明日の分くらい、少しは残しておく燃やし方。

全部出し切って……その充足感が新しい火を灯すみたいな。

 そんなのが、この世にほんとにあるのかどうかは、まだよくわかんないけど。


 アパートの近くまで戻ってきたところで、ふと足を止める。


 川の方へ続く道が、横に伸びている。

 その先には、暗い水面と、土手と、あの声。


(……寄ってくか)


 家に直行する気分でもない。

 スマホを取り出して、画面を見る。通知はない。時間は、二十二時半。


 グループラインに「もう寝る〜」とか「課題だる〜」とか流れてるのを、ざっとスクロールして閉じる。


 川沿いの道に入ると、空気が一段冷たくなった。

 街灯の光が少なくなって、虫の声と、水の音が大きくなる。


 土手を下りて、いつもの場所に腰を下ろす。

 膝を抱えて座ると、ジムで酷使した太ももがみしっと文句を言った。


「……明日、マジで行きたくないな」


 明日の「生活指導との面談」のことを思い出して、顔をしかめる。


 遅刻と欠席と、素行と内申と。いろんな数字と単語で、ウチを評価しようとしてくる大人の顔。

 想像しただけで、拳を握りたくなる。


 でも、そこで「行かない」って選択をしたら、本当に何かが決定的に変わる気もする。

 退学とか、謹慎とか、そういう正式なワードで。


『卒業証書くらい、持っとけ』

 会長の声。

『退学しましたって紙よりはマシだから』

 先輩の声。


「……うっざ」


 川面に向かって、そう吐き捨てる。

 でも、ほんの少しだけ口元がゆるんでるのを、自分で自覚して、さらにムカついた。


 夜風が、髪を撫でていく。

 川の流れは、今日もいつも通りのリズムで続いている。


 ウチの中では、まだ、「今ここで全部燃やしたい」衝動と、「明日の分くらい残しとこうかな」って迷いが、せめぎ合ってた。


 その綱引きの真ん中に、自分の拳と、学校の教室と、町道場のリングと、河川敷のこの場所が、一塊になってぶら下がっている感じ。


「……知らん」


 最終的に出てきた言葉は、それだけだった。

 知らないけど、とりあえず明日は起きる。起きて、生活指導の話を聞いて、ムカついて、ジムに行って、たぶんまたここに来る。


 それくらいなら、想像できる。


 その先の「あした」は、まだ真っ白なままだけど。


 真っ白だからって、全部真っ黒に塗りつぶす必要も、もしかしたらないのかもしれない。


 そんなことを、川の音を聞きながら、なんとなく考えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ