君への愛を世界に叫ぶ
14
アトラスが暴れたせいで、研究塔が建っていた周辺は更地と化していた。そんな場所の一隅、棒立ちになり静止したアトラスの足もとに、アンジェラは倒れている。
……そう、地面に横たわっているのだ。
顔色は死者のそれと寸分違わない。胸部が陥没し、手足も折れていたり潰れていたりと棺桶に入っていないのが不思議な状態だ。
「ベルフェゴ、ール、魂に、干渉す、る方法を、見つけて、いた、らしいの。不死の、回、復力はなくな、った、わ……」
アンジェラは苦笑を浮かべた。それは、やっと永久の眠りに就けることに安息を覚えているようにも見える。
ヴァンはメディアを背負ったまま、茫然と師の惨状を見下ろす。
側らでは、パガニーニが痛ましげな視線をヴァンとアンジェラに送っていた。
「――か、ハッ、師を見下ろす、な、んて、あなたも、偉くなった、わ、ね?」
死の淵に命を半ば沈めながらも、アンジェラは軽口を叩く。しんみりとした空気を厭っているのだ。
それが、ヴァンには解る。だから余計に胸が痛んだ。
「師匠……」ヴァンは、どんな言葉をかけていいか解らず声を上擦らせる。
唐突に、轟音と振動がそこに水を差した。
一瞬、アトラスが再稼動したのかと見遣るが、巨人は彫像の如き有様を保っている。
都市の外れから何かが近づいてくるのが、巻き上がる粉塵と振動の感覚、動く影から判った。
遠目にも、それが自然界に存在する生物でないことが判別できる。その姿の異様さは、今まで目撃した魔導兵器の中でも群を抜いていた。
高い建物を睥睨する高さに複数の頭部を備えた蛇の軀……ただし、十三個備わる頭部はすべて人間の女のものだ。頭の大きさは、ホムンクルスの身長を遥かに上回っていた。
妖艶な美しさをたたえる切れ長の眼と厚い唇。両の眼の瞳孔は縦に裂け、口もとからは二股に分かれた舌がはみ出しチロチロと残り火の如く揺れている。髪の毛は一筋も生えておらず禿頭だ。
そのおぞましさにヴァンは背筋を震わせる。
爆音らしきものが魔導兵器の間近から上がった。どうやら、オートマータが攻撃を仕掛けたらしい。
その行為に、女の顔は不機嫌そうに歪んだ。苦痛など微塵も感じさせない、蝿を鬱陶しがるような反応を見せる。
次の瞬間、世界は閃光に包まれた――そう錯覚させられるほどの雷光が生まれたのだ。その一撃で、広い都市の数分の一が焦土と化す。
ヴァンの視界は白く染まり、直後暗闇に包まれた。
――背中で身じろぎする感触がある。
忙しなくまばたきをしながら、顔を曲げる。うっすらとだが、メディアが意識を取り戻したのが視野に入った。
彼女は怪物を目の当たりにし、愕然とした表情で言葉を失っている。
「復讐の女神……最、後の最後に、大物が出たわね」
アンジェラが独語めいた言葉を吐く。彼女は、手首が折れた右腕で地面を掻き立ち上がろうとした。
「復讐の女神、は、天才魔術、師、ヴィヴィ、アンの、脳を搭、載している……」
最早、彼女は正気を失いつつある。そんな解説をこの場で誰が欲しているというのか?
「師匠、もういいです。止めて下さい……」
ヴァンは悲痛な口調で、師を制止した。
彼女は充分に苦しんだ。そして、自分たちのために尽くしてくれた。これ以上、苦痛を長引かせる真似をしたくない。
「馬鹿弟子……諦めるの?」
彼女の視線が復讐の女神からヴァンへ移動する。茫洋としていた瞳に強い意思の力が宿った。
残った生命力すべてを燃やしている、そう感じられる。師のそんな様子に、ヴァンの心が奮い立った。
「いいえ」ヴァンは首を横に振る。そして、パガニーニを一瞥した。
「パガニーニ、メディアを連れて逃げてくれ。僕は、あいつを惹きつける」
悲愴な言葉を口にする。
「それは出来ない」とパガニーニが固い声音で断った。断固とした調子だ。
「だけど、僕よりも君の方が足が速――」
ヴァンは困惑顔になりながら、彼を説得しようとした。
「逃げたところで、奴は追ってくる!」
力を振り絞り、アンジェラがヴァンの科白を遮る。
「じゃあ、どうすれば――!」ヴァンは八つ当たり気味に怒鳴った。
「ここから、そう遠く、ないところ、に、軍の基地、があ、る。そこからなら、魔法式『妨害』を、奴に行使する、こ、とも、出来る」
アンジェラが真剣な顔で言った。刻一刻と命が失われていくのが、その顔色、声音、全身すべてが物語っている。
だから、ヴァンは師の言葉を黙って聞いた。――ただ、悲しげ(ドレンテ)に。
「だが、説明す、る、暇は、な、い。あ、なたは、不死者に、なる、覚悟、はある?」
アンジェラは衝撃的な言葉を口にする。
理由は判らないが、「不死者になる覚悟」の有無を問うた。その理由を確認する時間もない。
ヴァンは背中に背負うメディアの様子を肩越しに窺う。彼女の姿を視界に収めるだけで、愛しさ、そして勇気が、自然と湧いてきた。
「どう、したの?」
不死者の存在を知らない彼女は、事情が理解できずに不安げな表情を浮かべた。
それを故意に無視しヴァンは「はい」と師の目を真っ直ぐ見つめ、はっきりとした声で応えた。
「解っ、た……」とアンジェラは小さく肯く。その表情は弟子の決断を喜んでいるようにも、悲しんでいるように見えた。
刹那、ヴァンの身体をスキャンするように魔法陣が足もとから頭頂部まで何度も往復する。
それは円盤のものに似ていたが、一度も見たことのないものだ。同じものがアンジェラの身体にも纏わりついている。
――何か異質な物が自らの裡に流れ込んでくるのを、ヴァンは感じた。それは熱いような冷たいような、不思議な感触だ。
そして、自分が体験していないはずの事柄が、生の記憶として彼の裡に刻まれる。鮮明な幻を視ているようだ。
(エリオット、愛している……)
(ベルフェゴール、あなたには悪いことをした……)
(ヴァン、あなたのことが心配……)
水脈を掘り当てたかの如く、次々と思いが胸に溢れる。
……現実の師の瞼が閉ざされた。
『ヴァン、聞こえる?』代わりに、アンジェラの声が頭の中で響く。
はい――ヴァンは神妙な気持ちで、胸のうちで言葉を返した。
『じゃあ、解るわね? 破壊された俺の魂を注ぎ込むことで、ホムンクルスの不完全な魂は不死者のものとなった。そして、あなたにあたしの記憶は受け継がれた』
アンジェラは、今起こった事象を説明する。
『あなたに他の選択肢を与えられなくてごめんなさい……』
(いえ、メディアを助ける術を授けて頂きありがとう御座います)
申し訳なさそうな声で謝罪する師の思念に、ヴァンは心からの言葉を送る。
『あたしはもうすぐ消える。所詮、残留思念だから……』
名残惜しそうに師の思念は告げた。
『あなたと出逢えてよかった。ありがとう』
まるで直接手で触れられたように、ヴァンの胸のうちが熱くなる。
『――……』そして、アンジェラの魂の欠片はヴァンに完全に吸収された。
感慨を抱いている暇はない。復讐の女神が緩慢とした動作で、悠然と近づいてきつつある。
「メディア、協力して欲しい」ヴァンは真剣な表情で、肩越しに彼女に声をかけた。
「え、あの――何?」と彼女は怪訝な顔をする。
「魔導兵器復讐の女神を無効化するのに、君の作った魔法式『妨害』が必要なんだ」
「――解った」ヴァンの真摯な顔を見て、彼女は首を縦に振った。
「よし。パガニーニ、行こう。航空機はこの都市にある?」
ヴァンは続いて、気懸かりな点を尋ねる。移動には足が必要だ。
「ああ、案内する」どこに行くのか? とは訊かず、彼は任せろという表情で肯いた。こちらのことを信頼してくれていた。
ヴァンは、最後にアンジェラの亡骸を一瞥しその場を後にする。
(先生、どうか安らかに――)
……師の死に顔は穏やかで、今にも冗談を言い出しそうなものだった。




