君への愛を世界に叫ぶ
2
次の日、ヴァンたちは会議室らしき部屋に集められた。
円卓の、部屋の入り口から見て奥にアンジェラが陣取っている。彼女は仰臥に近いだらしない姿勢で椅子に腰かけていた。脇にはグラントが腰かけていた。
その反対側にはヴァンとパガニーニが着席している。
「――話っていうのは?」ヴァンは真剣な表情でアンジェラに視線を向ける。「昨日の話の続きをするから来なさい」と彼女に呼び出されたのだ。
「あたしは、元『人間』よ」という発言の真意が語られる……そう考えると、鼓動が不安と緊張で高まる。
「えーと、話っていうのね――」彼女は億劫そうに後頭部を掻く。
「内容は重くなるから覚悟しなさい」アンジェラは一度眼を閉じて、意を決したように口を開いた。
語られたのは、今まで謎に包まれていた人類滅亡の真相だ――
†
人類滅亡前夜、アンジェラは魔術の研究者として複数の国家が出資、運営している組織オリュンポスに所属していた。
神の住まう場所の名を冠していた事実からも判るように傲慢な組織だ。上層部は、戦争どころか世界の行く末さえ操れると思っていた。
そんな組織に嫌悪感を抱きながらも、戦時中という状況の中では、潤沢な資金と最新の設備の両方が用意されているのは軍事関係の研究施設しかなく、彼女は一研究者として研究に邁進していた。
そして、上に命じられて己を含め十三人の優秀な魔術師が顔を合わせずにネット上のやり取りだけで共同研究を行うプロジェクトに参加する。
悪疫という名の、魂に感染するウイルスを開発する計画だ。
まだ予防法も治療法も存在しない新たな種類の兵器だ――これによって戦争は終結すると期待されていた。
何もその使用法は戦争だけに限らない、彼女は熱っぽい口調で恋人であり同じ魔術研究者である男性にそのことを語って聞かせていた。
だが、敵連合側が強力な兵器を開発したという情報が流れ、事態は一変する。
オリュンポスの属する軍は、不完全な状態の悪疫の使用を決定してしまったのだ。
アンジェラは慌てふためき、猛烈な勢いで抗議した。だが、それは聞き入れられず――それどころか警備の兵士に銃を向けられる。
そこで彼女は秘密裏に進めていた悪疫への対処法を自らに施す。
己を人体実験の対象としたのだ。それは魂を「人間外の構造へ変化させることで悪疫の感染を防ぐ」というものだった。
どんな副作用が存在するか、それさえ検証されていない状況での実験だ……アンジェラは、脳髄に直接ガソリンをかけられ燃やされているような苦痛に襲われ気を失う。
……意識を取り戻したときには、施設の照明が落ちていた。――最初に彼女の脳裡に浮かんだのは、恋人の安否のことだ。
身体をよろめかせながらも、暗闇の中を手探りで進む。優秀な彼女の頭脳は、通路の隅々までを意識せずとも記憶していた。
そして、恋人がいるはずの居住区画の部屋にたどり着く。……部屋の扉は半開きになっていた。
悪寒が背筋を襲った。飛びつくように、扉に手をかけ部屋の中を覗きこんだ。
「××××――!」と恋人の名前を必死に叫ぶ。
そこに転がっていたのは、一本……と称すべきか、美しい薔薇だった。
ただし、頭部から下は植物と人間の肢体が融合したようなグロテスクな形状をしている。
まさか……――嫌な連想が頭の中で瞬いた。
「嘘……」アンジェラは嫌々をするように首を横に振り、身体をふらつかせる。
――突如、硬質で冷たい肌触りが布地越しに背中に感じられた。弾かれたように振り向く。そのときの彼女の顔は、希望に満ちていた。
生存者がいたのだ――そして、それは一人だけではなく、きっと安全な場所に集まっている。そこには、恋人も避難しているのだ。背後の人物は、他に生存者がいないか探しに来た……、瞬く間に彼女の中で身勝手な作り話が組み立てられる。
――そこに立っていたのは、恋人が助手として使っているオートマータだ。おじいちゃん子の彼は、亡くなった祖父にその姿を似せている。
「××××は死んだ……そこにあるのは彼の遺体だ」
深い皺と共に、その顔には絶望が刻み込まれていた。目は怒りに炯炯と光っている。その手には、渇いた血が付着した自動拳銃が握られている。
「お前たちの開発した悪疫のせいだ……」
オートマータは憎々しげに言葉を吐く。
アンジェラはその顔に、眦から流れる血の涙を幻視した。
茫然となった彼女の意識を、銃声が現実に引き戻す。――一発ではない。二発、三発と続き、弾倉の銃弾全部が吐き出され……彼女の胸を貫いた。
……激痛が胸に、血の味が口内に広がる。
「なぜ……?」とアンジェラは目を見開きながら茫然と呟いた。
特定の事象に対する問いではなかった。あえてその対象を表すなら、「どうして、こうなってしまったのだろうか」という悲しみと戸惑いだ。
「さあな。高性能さを実現するために、人間に近い魂構造を持っている――だから、私も悪疫に感染したのかもしれないな。もっとも、無機物の私は変異しないようだが……」
火薬の匂いが立ち昇る拳銃を手にしながら、オートマータは皮肉げな笑みを浮かべる。彼はこちらの質問を誤解し「なぜ、お前は平気で動いているのか?」いう意味に取ったようだ。
その表情はすぐに哀しげなものへ変わった。
……アンジェラは撃たれたという精神的衝撃で卒倒する。
再び戻ることはないだろうと思われたアンジェラの意識が覚醒した。あれは、悪い夢だったのだろうか? ――と、願望混じりに思う。
だが、視界に入ったのは暗闇に沈む施設の天井だった。
胸に手をやると、渇きかけた血が指先に付着する。しかし、傷口の痕跡は瘡蓋のみだ。
信じられないが、至近距離から銃弾を複数撃ち込まれても死んでいない――それどころか、回復していた。
もしかして……――脳裡に魂の改造処置のことが浮かんだ。
受け入れ難いが、それ以外に理由は考えられない。
――人体実験を経て、彼女は不死者と化した。
呪われたユダヤ人が永遠に彷徨うことを宿命づけられたように、アンジェラは死ぬことが出来なくなった。
†
「それで、師匠はどうしたんですか?」とヴァンは顔を強張らせ尋ねる。
「……どうもしなかった――っていうのが答えね」
アンジェラは物憂げな表情でテーブルに視線を落としていた。
「『どうもしなかった』って――?」ヴァンは戸惑いながら彼女の言葉を繰り返す。
「文字通りの意味よ」動揺しているヴァンの顔を、アンジェラは真顔で見つめた。
「だって、生き残ってる人間だって……」
生き残っている者の義務として救出活動を行うべきだった――そうするべきではなかったか、暗にそう言う。
「それが何になるの? 愛する者は死んだ。家を出るまで、頭脳明晰さに異物を見る目をあたしに向けていた両親には微塵の情も感じていなかった――生き残っている人間を見つけてどうするの?」
アンジェラは滔々(とうとう)と語った。まるで長い時間同じ言い回しを練習し続けていたようだった。
「でも、悪疫の使用の原因の一端は、師匠にあるでしょう」
ヴァンは更に言い募る。苛立ちがその口調に滲んだ。
無表情に言葉を並べるアンジェラ――彼女が、見たこともない別の生き物になってしまったみたいで恐ろしかった。
彼の言葉に、アンジェラの眦の下辺りが僅かに痙攣した。何か心が動いた証拠だ。
「一人や二人助けたところで何になるの?」
と彼女は嘆息混じりの声音で告げる。その吐息には、長い時間の中で醸造された疲労が溶け込んでいた。
彼女の論理は、先と後では違うものだ。
愛する者以外に興味がないという主張と、些細な善行など大きな罪の前では焼け石に水という考え――どちらが彼女の本音か、ヴァンは思考を巡らせる。
後者だ……――と彼は静かに判断した。
ホムンクルスとオートマータの戦争を止める手立てを求め、考古学に邁進していた彼の前にアンジェラは現れた。
両親の知り合いだと名乗った彼女は「どうして、そんなに一生懸命勉強に打ち込んでいるの?」と訊いた。
ヴァンは人に初めて、自分の野望を告白したのだ。
そのとき、彼女は一瞬目を丸くした後、「それはスゴイわね」と幼児の如き笑みを浮かべた。
ヴァンが初めて得た賛同者、それがアンジェラだったのだ。
あのときの彼女の笑みを、ヴァンは信じたい。
「恐かったんですね?」彼は真摯な表情になって尋ねた。親しい者だからこそ、ときに厳しい言葉も必要だと思う。
「……」アンジェラの顔が蒼褪めた。
「『お前のせいだ』と生き残った人から罵られるのが恐ろしかった。そして、自分の罪が償いきれないのではないかと――」
ヴァンは玉葱の皮を剥くように、アンジェラの心を丸裸にしていく。
「五月蝿い!」とアンジェラが怒声を上げ、テーブルを拳で叩いた。瞳が揺れている。一度も見たことのない彼女の表情だった。
グラントは息を詰めて、パガニーニは静かに二人のやり取りを見守っている。
「師匠、逃げちゃ駄目です。実行に移さなければ何も結果は出ません。人工冬眠で生き残っていた人間が居たことが判ったんですから――」
誠心誠意、心を込めながら、ヴァンはさらに言い募る。
「五月蝿いって言ってるでしょ!」アンジェラが力の限り叫んだ。
自分の伝えたいことはきちんと口にした――そうヴァンは確信し黙って彼女の顔を注視する。こちらの言葉が届くことを祈った。
「……」長い沈黙が流れた。針でつつけば破裂してしまいそうな緊張が漂う。
「――なんてね」彼女が表情を豹変させ、舌を出したイタズラっぽい表情を浮かべた。
「――!?」ヴァンは呆気に取られる。
「あなたもまだ青いわねぇ。女を舐めるんじゃないわよ」
こちらが言葉を失っているのをいいことに、アンジェラは彼のことを若輩者呼ばわりした。
「ど、どこまでが?」と動転した声で、ヴァンは尋ねる。
「基本的に全部事実よ。ただ、どんなことがあっても諦めないあなた見て――そして、その様子の報告を受けてるうちに心を動かされたの」
アンジェラが慈愛に満ちた視線をこちらに向けた。
……っ、ヴァンは一人で熱くなっていたことに気づき、頬が熱くなるのを感じる。
そんな彼を、グラントとパガニーニは笑って見つめていた。




