君への愛を世界に叫ぶ
3
混沌と混乱の最中にあって、国防総省の警備も瓦解していた。歯の抜けた櫛のように――いや、櫛の体裁さえ成していない有様だ。
都市の他の建物と同じように、至るところから炎を流血の如く止め処なく吐き出している。
その真っ只中に、ヴァンたちは突入した。
方法は乱暴極まりない。――パガニーニは建物へ近づいているというのに、乗用車の速度を落とさなかったのだ。
「シートベルトをして、しっかり掴まるんだ!」彼は進行方向を見据えたまま叫ぶ。
先に言ってくれ! ――内心悲鳴を上げながら、慌ててヴァンはシートベルトを装着した。天井左手にある取っ手を思い切り握り込む。もう一方の手でシートを掴んだ。
数秒後――それは数時間にさえ感じられた。
衝撃が車体、搭乗者の順に突き抜ける。窓に盛大に罅が入り、一部が割れた。当然、自動車のフロント部分が歪んで陥没する。
車輛が正面の扉を突き破って磨き上げられた床を横滑りした。
次々と視界が入れ替わる。自分たちがビンゴの球になったようだ、と遠心力で内臓を揺さぶられる気持ち悪さと戦いながらヴァンは思った。
パガニーニが忙しなくそれでいて機械的正確さでハンドルを操作。
……車が停止した。広いロビーの壁に衝突寸前だ。ミリ単位の隙間しか存在しない。
まばらに立ち尽くす職員の唖然とした視線が、罅で不透明になった窓ガラスを突き破り搭乗者たちに突き刺さる。
避難途上でこんな事態に出くわせば誰だってそうなるはずだ。
「さあ、行こう」パガニーニは平然と告げる。その顔色は少しも曇っていない。
「……」一方、顔を蒼褪めさせたヴァンは最早、抗弁する気力さえなかった。
パガニーニはキビキビと、ヴァンは這い出るようにして外へ出る。
「大丈夫か!?」心配そうな顔をしながら、背広姿の若い職員がこちらに駆け寄ってくる。だが、彼の表情はパガニーニの装着しているミニガンを目の当たりにして凍りついた。
ヘリ搭載用のヴァルカン砲で、毎分五千発の弾丸の豪雨を降らせる代物だ。背中に背負う四十キロの電源パックによって銃身が駆動させられ、車など一瞬でスポンジのように変えてしまう凶悪な兵器。
「我々の邪魔をするなら容赦はしない。死にたくなければ早々に立ち去れ」
パガニーニが淡々としたで恫喝した。
相手は顔を青くしたままその場に硬直している。このままでは、ここを立ち去りそうにない。
「それとも、ここをあなたの為の大きい棺桶にする?」
悪意が滲む――そんな風に見えるよう作り笑いを浮かべながら、横合いからヴァンが口を挟んだ。彼はカービン銃の銃身を相手に向けた。
「い、いや遠慮しておく」職員はそう言い置いて逃げ出す。
それを横目に、ヴァンとパガニーニはロビーの隅にある非常階段に向かった。
「妙だ」と前を行き非常階段を昇るパガニーニが呟いた。
十数階を歩いて上を目指すだけでも常人には苦行のはずだが、オートマータの彼はそんなものなど物ともしない。
「何が?」アンジェラに鍛えられ、軍人並の体力を持っているヴァンが呼吸を乱すことなく尋ねる。
「警備が手薄過ぎる」パガニーニは背を向けたまま応えた。つまり、それだけ警戒しているということだ。
「火事だからといって警備を放棄する人材を軍事の中枢に雇うとは思えない。だからといって、避難を誘導してる様子もない――警備の者はどこに行った?」
パガニーニが異常を確信した声で独語めいた台詞を吐く。
――その答えは、すぐに視界に入った。
非常階段を赤い液体が伝っている。その源には、投げ捨てられた人形のような姿勢で転がる「元」警備の者たちの姿があった。
砲撃を浴びたように手足が千切れ、胸が大きく爆ぜている。そんな死体に混じって黒焦げや凍死したらしい者の姿があった。
ヴァンはその惨たらしい死に様に息を呑んだ。血の濃い臭いに呼吸を止めながら、即席の死体置き場を通り過ぎる。
「ヴァン、警戒を怠るな」パガニーニが目線を階段の上方へ向けながら注意を促した。
非常階段を昇り切り、扉にたどり着く。開け放つ側にパガニーニが、その反対にヴァンが陣取った。
タイミングを計り、ヴァンが扉を勢いよく開けた。同時に彼はスタン・グレネードを投げ込んでいる。
閃光と爆音の渦へパガニーニが飛び込んだ。
視覚感知器と聴覚センサーの感度を絞って、それらを物ともしない。
一拍の間があり「クリア」という声が上がった。
その声を合図に、ヴァンも飛び込む。
防毒マスクのお陰で火事の中でも呼吸を確保できた。が、視界は極めて悪い。煙がその大半を遮っている。
臆することなく、その中をヴァンとパガニーニは進んだ。
所々、非常階段で見かけたのと同じ状態の死体が転がっている。壁や床に弾痕が残っている場所もあり、戦闘が繰り広げられたことを物語っていた。
……突如、黒煙の中を突っ切り、人影が飛び出してくる。
パガニーニが即座に銃口を向ける――が、銃身が細切れになり用を為さなくなった。
人影、長身で頬のコケた男の長い髪が銃に触れた、そう思った瞬間には切断されている。町で戦ったオートマータ、スチール・レインだ。
ヴァンがパガニーニの脇から銃撃を加える。
そこへ、新たな人影が割って入った。肥満体形のオートマータ、ファットマンだ。その腹に銃弾は当たり……運動エネルギーを失って床に落ちた。
ファットマンは、顔色一つ変えずにパガニーニを殴りつける。大の男に殴られても小揺るぎもしないはずの彼が、横の壁へ叩きつけられた。
「作戦終了、撤退だ」とスチール・レインがボソボソと喋る。
「了解」それにファットマンが肯いた。
長髪が重量を無視した動きで床を這う。刹那、床が抜け二人は姿を消した。
「待て!」とヴァンは殺気立った声で叫ぶ。
「今はメディアの安否の確認が先だ」パガニーニがそれを制した。
彼に厳しい顔で言い聞かされ、ヴァンは渋々首肯する。
「パガニーニ、大丈夫?」ヴァンは、姿勢を立て直した彼に尋ねた。
「ああ、問題ない」とパガニーには表情一つ変えずに応える。
――そして、目的の部屋へ到達する。ヴァンの脈拍の速さが最高潮に達した。
祈るような気持ちで中を窺った。二重の扉は開け放たれ、室内はがらんどうだった。絶望の色が、彼の心に水に垂らした墨の如く広がる。
床に、炭の塊に似た物体が転がっている。警戒しながらも、ヴァンたちは部屋に足を踏み入れた。
ヴァンは項垂れなた姿勢で、デスクの上に何か紙切れが置かれていることに気づく。のろのろと、それに手を伸ばす。
「不用意に触れるな、危険だ!」パガニーニが大喝し、彼を思い止まらせた。
ヴァンは思考が麻痺しており、反射的な行動だったのだ。
パガニーニが脇から慎重な手つきでそれを取り上げる。――彼は顔を強張らせた。
ヴァンはそれが気になって、身体を寄せ紙切れを覗き込む。
『「眠れる森の魔女」はもらったぜ。
イグネイシャス』
簡素な文面で、衝撃的な事実が記されていた。
足もとが崩れ落ちるような感覚に襲われ、血の気が引く。
「――ヴァン、ここに転がっているのはルーテルだ」
更に衝撃の事実が、パガニーニの口から発される。
ヴァンは全身の毛穴が開くのを感じた。アダージョ――ゆっくりと、木の幹の燃え滓のようになった遺体の側に、彼は屈み込む。
……確かに顔立ちに見覚えがあった。
メディアは攫われてしまっている。大勢の死傷者を出し、作戦は失敗した。
「ありがとう」それでも、ヴァンは気力を振り絞って礼を述べ、永遠の眠りに就いたルーテルの手に触れた。――爆音が轟き床が振動する。
「建物が崩れかねない――ヴァン、行こう」
パガニーニが周囲を見回し、その後こちらの顔色を窺い告げた。
「うん……」とヴァンは昏い表情で何とか声を絞り出す。
メディア……――彼は彼女の姿を瞼の裏に思い描いた。……爪を立てられたように、胸の内側が痛んだ。




