君への愛を世界に叫ぶ
6
メディアから通信があった日の翌日。
昼下がりに、玄関の扉が開く軋んだ音がした。
今日は、グラント一人だけではない。彼が一人の男と連れ立って入ってくるのを、居間の椅子に座った姿勢でヴァンは目撃する。
身体を緊張させ、彼は椅子から立ち上がった。グラントの表情が平素のものであるから、敵でないことは確かだが、見覚えのない人物の出現には本能的な警戒を抱かざるを得ない。
向かいに座るパガニーニは片眉を微かに上げただけで、同じ姿勢を保持していた。
「大丈夫だ。彼は敵じゃない」初見の男と連れ立って居間に踏み入ったグラントが、穏やかな笑みを浮かべて告げる。
「じゃあ、誰ですか?」とヴァンは僅かに強張った声で訊く。彼の視線は、グラントの斜め後方に佇立する男を注視した。
フレームなしの眼鏡をかけ、黒髪をオールバックにした中肉中背の人物だ。
個性に乏しい顔立ちをしていて、次に街中で見かけても同一人物だと認識できないだろう、そんな印象の風貌だ。
「初めまして、ヴァン=ホーエンハイム。私は知恵のエージェントのモーゼズ」
彼は生真面目さの滲む口調で自己紹介した。
「な……」モーゼズの口をついて出た言葉に、ヴァンは絶句する。
パガニーニも、体勢を微かに変え重心を移すことで、すぐにでも跳びかかれるように準備した。
「っと、慌てない!」グラントが苦笑を浮かべ、制止の言葉を投げた。
「だけど――」とヴァンは眉間に深い皺を刻んで、視線を彼と知恵のエージェントの間で往復させる。
「彼は私の仲間だ。いわば、二重スパイって奴だよ」
グラントが手でモーゼズを示して説明した。
二重スパイ……――ヴァンは衝撃の抜けきらない頭でその言葉を反芻する。
「……あなた、何者なんですか?」ヴァンは眼を半眼にして正体を問い質した。
さすがは、師アンジェラの知り合いだ――と呆れる。
アンジェラのことを謎の多い人物だとは思っていたが、年端のいかない頃に傍で四六時中一緒に過ごしていたせいで、彼女について深く考えなくなっていた。
アンジェラがどれだけ常人離れしているか……今になって思い知らされる。
「世界征服を狙う秘密結社だよ」グラントが、輝くような笑顔で冗談を口にした。
その後ろでは、モーゼズが密かに「またこの人は……」という呆れ顔をしている。ヴァンは彼と視線が合った。
――お互いに苦労しているな、と二人は視線で労をねぎらう。
話が先に進まないとみて、モーゼズが咳払いをした。
「私がここに来たのは――ヴァン=ホーエンハイム、君をとある方のもとへ案内するためだ」
彼は表情をあらためて告げる。
「具体的に『とある方』っていうのは?」
幼いときと、飛び級で大学に所属していた時期にかけて首都に住んでいたが、この局面で顔を合わせたいと希望する人物に心当たりがなかった。
「『自己紹介は自分でしたい』とそのお方は希望している。理不尽な頼みだとは承知している。黙ってついて来てくれないだろうか?」
真摯な声でモーゼズは事情を説明し、依頼した。
「相手は会って損にならない――どころか、事態を打開する鍵になる人物だ」
横からグラントがつけ加える。
判断を下すための材料は少ない――となれば、グラントを信じるか、モーゼズの態度に誠意で応えるかという問題だ。
「解りました」とヴァンは迷いのない表情で肯く。
メディアを目覚めさせたのは自分だ。そのせいで、魔導兵器による被害を招いてしまっている。
責任を取り、命をかける覚悟はとうに出来ていた。
†
官公庁などの重要な施設は街の中央に集まっている。一般的な民家とは異なる近代的高層ビル群が、蟻塚のように集まっているからそれと分かる。
そんな一角にある国立病院をモーゼズの案内でヴァンたちは訪れていた。
ここだけは周囲と比べて背が低い。その代わりに敷地が広く、白亜の建物は監獄を思わせる堅牢さを備えていた。
モーゼズ以外のメンバーは全員それぞれ変装している。
ヴァンは髪の毛を黒く染め、普段はしないカジュアルな格好をしている。都市部で流行しているジーンズにTシャツという組み合わせだ。
パガニーニは逆に脱色し、燕尾服を着込んでいた。軍人然としていた外見はやり手の弁護士のように見えた。
グラントは細身の銀縁眼鏡をかけ、シャツにチノパンというシンプルな衣裳だ。
――統一性がなく関係性が不明瞭な彼らは、病院最上階の人気がない場所を訪れている。医師や看護士の姿さえ見かけないのは、ここが訳ありの人物が入院する一隅だからだ。
モーゼズに従って歩くうちに、目的の部屋に着く。彼がノックをし、来訪を部屋の主に伝えた。
「入れ」と錆びを含んだ声が入室を促す。
モーゼズが畏まった仕草で扉を開けた。どうやら、件の人物に敬意を払っているようだ。
彼を先頭に、ヴァンたちも部屋へ入る。
真っ白な、神経質なぐらいに清潔な部屋にベッドが一つあり、そこに一人の中年の男が半身を起こしていた。片手片脚をギブスで固定され、全身の至るところに包帯を巻いている。
ヴァンは彼のことをどこかで見たことがある気がする。そのことに内心首を捻った。
「来たか。私のことは憶えているかな、ヴァン?」
実直そうな顔の中年男は、緊張感漂う表情で訊いた。
ヴァンはその言葉を受け、彼のことを凝視する。記憶を掘り起こす指先に、薄っすらとではあるが感触があった。……どこかで確かに彼と会っている。
「名前はルーテルだ」
脳裡でインスピレーションの火花が散る。彼の言葉が、追憶の焦点を絞った。――両親が死んだ現場に居合わせた人物が脳内で像を結ぶ。
「ああ!」とヴァンは驚愕の声を漏らした。
「思い出してくれたようだな」一瞬、彼は慈愛に満ちた笑みを浮かべる――が、すぐにその表情を打ち消し、厳しい顔になる。
「私は知恵で現場の人間を統括する立場にある」彼は淡々とした口調で告げた。
それ自体は、ヴァンにとって予想の範疇だ。知恵の人間が紹介したいというのだから、関係者であろうことは想像に難くない。
だが、それがルーテルであったことは驚きだった。しかし、それを上回る驚愕の事実を次の瞬間、彼は感情の読み取れない表情で口にした。
「そして、『眠れる森の魔女』の拘束、移送を指揮したのは私だ」
真っ先にその言葉に反応したのはパガニーニだ。即座に、自動拳銃をホルスターから抜き、銃口をルーテルに向ける。
ヴァンは相手の発言の衝撃に思考が飽和状態になり、自分も彼に倣うべきかのか、制止すべきなのかが判断できない。
「裁きは甘んじて受け入れよう。だが、それは話を聞いてからにしてくれないか」
ルーテルは顔色一つ変えずに言い放つ。
パガニーニは判断を仰ぐように、ヴァンに視線を向ける。贖罪のためには、こちらの意向を無視した行動は取れないということだ。
ヴァンは目を閉じて深呼吸する。
事情も知らずに撃っても何も解決しない――彼はそう判断する。
「パガニーニ、銃を下ろして」パガニーニに自分の意向に沿った指示を伝えた。
すっ、と彼は銃身を下ろし無駄の一切ない滑らかな動きでホルスターに戻す。
「話してください」とヴァンは告げ、ルーテルに目線を向けた。表情には真剣な色が浮かんでいる。
「――私は知恵のエージェントの仕事の一環で君の両親と知り合った」
それから彼は、夫妻との出会いからメディアの捕縛作戦の経緯や心情に至るまでを感情を交えずに語った。
†
頬を撫でる微風にまで、剣呑さが溶け出しているようだ……ルーテルは知恵の特殊部隊の小隊五十人を遊撃隊として率いていた。
広さ約五キロ平方メートルの首都パルドンは、高い市壁に囲まれた都市だ。
その全容が見渡せるほど離れた場所に、彼が乗車している装輪装甲車の車列がある。
都市の周辺で、無数の巨大な影が暴れていた。『眠れる森の魔女』に惹かれて集まってきた魔導兵器たちだ。
ホムンクルスの背丈から、市壁と肩を並べるサイズまで大小無数の怪物たちが各々(おのおの)、壁に向かって攻撃を加えている。
槌で我武者羅に打ち据えるかの如き轟音が辺りに響き、地面が小刻みに揺れていた。
魔導兵器は、魚類、両生類、爬虫類、鳥類に哺乳類とそれぞれバラバラな種であるはずの生物的特徴を掛け合わした外見を持っていた。
――市壁には間隔を置いて、防御の魔術を施す人員が配置されている。そのため、都市には傷一つついていない。
だが、それにも限界がある、ルーテルの胸のうちでごちた。口もとは真一文字に引き結ばれている。
市民には「市壁が破壊されることはない!」などと政府関係者は大言壮語を吐いているが、絶対無敵の矛や盾など存在しない。
「距離を置きつつ随時応戦! 弾幕を張って近づかせるなァ!」
ルーテルは、装輪装甲車から身体を出して声を張り上げた。ここは戦場だ。目前の戦い以外のことに心を囚われれば死ぬ。
だが、今は亡き友人夫妻の息子――ヴァンの姿が網膜にちらついて離れない。息が詰まりそうなほどに、彼への申し訳なさが胸を満たしている。
彼の両親の死を防げなかった過去、ヴァンを幼なじみに監視させていた事実、彼から『眠れる森の魔女』を奪ったこと……
死に近い場所にいるからこそ、一番気懸かりな事柄に心が傾いている。そして、彼の命の重心は死へと確実に倒れていた。
――竜鳥の禍々しい姿が、コマ送りの速度で大きくなる。
ルーテルの視界が、徐々に怪鳥の姿で占められていった。他の魔導兵器に気を取られ、空からの接近を許してしまったのだ。
鳥に似た頭部に鹿の角、四本の脚が赤・黒・緑のカラフルな鱗に覆われた空飛ぶ体長十メートルの怪物が刻一刻と迫っている。――ルーテルは目を逸らさずその姿を見つめた。
魔術の使用が間に合わない上、単独での一撃で敵の動きを止められるとは思えない。
彼はアサルトライフルを構えた。
銃口の延長上に竜鳥を捉えようとするが、もどかしいくらいにその動きは緩慢だ。
……間に合わなかった。彼自身が襲われた訳ではないが、車輛が引っくり返される。強烈な衝撃が身体を襲い、脳天を突きつけた。
そこで、スイッチをオフにしたように彼の意識は途切れた。
次に気づいたときには、色とりどりの、季節を無視した花が咲き乱れる川辺に立っている。
何ともありきたりな……――彼はあの世への旅路の途中に立ちながらも、自分の置かれた状況をそう評した。
だが、二人の人物が姿を現したことで、彼の冷静さは吹き飛ぶ。
――ネイサンとミリアムの夫妻だ。彼らは穏やかな微笑を浮かべ、突如としてルーテルの前に姿を現した。
数瞬、彼は茫然としていた――が、エージェントとして過ごした日々が迅速に冷静さを取り戻させる。
「すまなかった。君たちを守りきれなかったこと、っ……」
自分で思っていたほど意識は澄んではいなかった。語尾が僅かに震える。
「いいんだ」「いいのよ」夫妻はゆっくりと首を横に振った。
その言葉と表情に、ルーテルは救われる。罪悪感は錆びた鉄のように彼の心に突き刺さり、傷口を化膿させていたのだ。
「でも――」「――お願いががあるの」
ネイサンとミリアムは双子のように息の合ったタイミングで言葉を口にする。
「どんなことでも」込み上げてくる思いに胸を詰まらせたルーテルは、そう応えるのが精一杯だった。
「ヴァンとメディアを――」「――再会させてくれないかしら」
二人の言葉は耳に心地よく響く。……ルーテルの逡巡は短かった。もしかしたら生き返ることなどないのかもしれず、これはただの幻かもしれない。
だが、それでも――意識を取り戻したのなら死力を尽くそう、そう思った。
「臨死体験を真に受けるなんて馬鹿らしいだろう」
ルーテルは自嘲気味の笑みを浮かべる。
嗤われても仕方がない――そう、彼は思っていた。
「いえ」とヴァンは真摯な表情で首を左右に振る。
真っ直ぐに育ったな……――胸を熱くしながら、彼はそんな思いを抱いた。仕事柄、妻子を持たずに通してきたが、子供がいればこんな気持ちを味わう日が来ていたのだろうか。
「君を『眠れる森の魔女』――メディアに引き合わせる。約束しよう」
ルーテルは骨折していない方の手を差し出した。
ヴァンはそっとこちらの手を取り握る。彼の瞳には歓喜の色が浮かんでいた。あらためて、自分が彼から奪ったものの大きさを思い知らされる。
絶対に実現させる――その手の温もりと夫妻の想いに、ルーテルは固く誓った。




