君への愛を世界に叫ぶ
3
首都から一キロほど離れた地点を流れる大河の側へ、パガニーニは車を走らせた。
河川の周囲は低い草木が生い茂っている。水面は都市の工場から流れる廃水のせいで油の膜が張っていたりしていた。
その一隅、背の高い草が生い茂っている場所の近くで車を停める。
ここで、首都への潜入を手引きする人物と合流するようアンジェラに言われているのだ。
……どこにも、それらしき人影が見当たらない。
困惑と焦慮を感じ始めた頃、不意に河原の草木の一部が動いた。
――それは、ホムンクルスだった。カンバス地を偽装のために細長く切った物を何百本もつけるギリースーツを身に纏い、草むらに伏せてじっとしていたため周囲と見分けがつかなかったのだ。
背丈の低い樹木のような外見の件の人物が、土手を上がって近づいてくる。
ヴァンは我に返って――意表を突いた出現に、驚愕で思考が停止していたのだ――パガニーニと共に車を降りて相手を出迎えた。
「君がヴァンだね」ギリースツーツを脱いでシャツとカーゴパンツ姿になった相手が尋ねてくる。顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
中年の域に達するその男性は新雪のように髪が白く、新鮮な果実のごとく眼が紅い。どうやら、色素欠乏症のようだ。
カモフラージュ・クリームのせいで窺えないが、地肌は血管が透けて見えるほどに白いはず――。
「はい」とヴァンは丁寧な口調で応える。
「私の名前はグラント。君の師匠であるアンジェラには命を救ってもらったことがあるんだ」
グラントはこちらに親しげな視線を向けながら、さらりと衝撃的な事実を告白した。
「……!」ヴァンはどう反応を返していいのか分からず眼を瞬く。
「君に対する協力は惜しまない、そう言いたかったんだ。戸惑わせたようだ、すまないね」
アンジェラの知り合いだというのが嘘みたいに大人な態度で、彼は謝罪する。
ヴァンは、「いえ……」と返すのが精一杯だ。そんな自分の反応を恥ずかしく思い、彼は少し早口に質問を発する。
「どうやって、ここから首都に入るんですか?」
「説明するより、実際に見てもらった方が早い。武器の準備を整えてくれるかい?」
彼はトランクを示しながら指示した。
グラントの言葉に従い、パガニーニがトランクを開け放つ。テキパキとした動作で中を物色した。
ふと、グラントの視線がヴァンの腰の辺りで止まる。
「ヴァン、腰の騎兵刀はここに置いていきなさい」
彼は穏やかに、だが確固とした口調で言った。
「――!」ヴァンは身体を硬直させる。銃を手にすることが嫌だったのだ。
剣なら敵を斃そうと斬れば、その手応えがある。だが、銃はそうではない。銃撃の反動はあるが、命を奪った直接的な感触は得られないのだ。
そのことが彼には不安だった。手応えがないことで、殺人に対する忌避感が薄れるような気がする。
「君がどういう理由で銃を嫌っているかは聞いている。優しいんだね――だが、それは同時に甘さにも繋がる。理想だけを語り、何かを為すことはできないんだよ」
グラントは理解を示しながらそう諭した。
「恐らくこれからの戦いに、剣の出番はない。為すべきことの大きさを考えれば、一番大事な物以外すべてを捨てる覚悟が必要だ」
ヴァンは胸に圧迫感を感じた。葛藤が、肺や心臓を押し潰そうとする。
逡巡は決して短くはなかった――が、最終的に彼は、騎兵刀を腰から外した。
そして、パガニーニから自動拳銃を受け取る。
決意の重さが、手のひらにずっしりと圧し掛かった。
それから、粛々と彼らは準備を進める。
まず、服を弾倉用ポケットの設けられたベストに着替え、靴も軍用ブーツへ交換した。
ヴァンはハンマーが肉抜きされ安全装置を改良、安定性の向上のためにグリップに刻みを入れたハンドガン、パガニーニが銃身を切り詰めた散弾銃と前者と同様のハンドガンを装備している。
グラントも自前の武器を持ってきており、その顔ぶれはカービン銃とハンドガンというものだ。
安全装置を解除、銃身を後退させ初弾を薬室へ送り込む。そして、それぞれ予備の弾倉や手榴弾等をベストに収納する。
「よし、行くよ」とグラントが気負いのない表情で告げ、川辺のちょっとした崖のようになっている場所に、ヴァンとパガニーニを誘う。崖は人の背丈ほどの高さがあった。
後に続いた二人もその存在に気づく。
「洞窟?」ヴァンは訝しげな言葉を口にした。彼らの視線の先――木立の陰に隠れるようにぽっかりと暗い穴が崖に口を開けていた。
「いや、地下下水道だよ。パルドンの上下水道なんかの設備は人間が残したものをそのまま利用しているからね。地震で崩落して、入り口が出来たんだ」
グラントが親切に説明する。
「こんな抜け穴を知ってるなんて……一体、師匠と何をやってるんですか?」
ヴァンは思わず疑いの眼差しで彼に向けた。
「何、ちょっと人に言えないことをね」
謎めいた微笑を浮かべ、彼は飄々とそんな台詞を吐く。
あえてそんなことを言ってのける彼の態度に、かえってヴァンは毒気を抜かれた。
本当に犯罪の類に手を染めているのなら、わざわざそんなことは言わないだろう――そんな思いを抱く。同時に、「間違いなく、この人は師匠の知り合いだ」という感想を持った。
――数十分後。
湿った空気が不快に肌に纏わりつき、異臭が鼻をついた。天井が手を伸ばせば届くところにある。
下水道のそんな環境に耐えること数十分――直径二メートルほどの円形に切り取られた陽光が、正面から差した。
闇に馴れた目にはその光は鮮烈だ。ヴァンは、眼球に刺すような痛みを感じる。
グラントが、その光の円の中へ歩いていった。
「よっ、と」土管の縁に手をかけ、身体を懸垂の要領で持ち上げる。そして、勢いをつけ身体を反転させた。
彼が外へ姿を消して数秒――「よし、出てきていいよ」と暗闇に彼の言葉が降ってきた。
ヴァンも、グラントと同じ手順を踏んで下水道から脱出する。そこは、濁ったドブ川が流れる場所に並行する舗道だった。狭い裏通りだ。
ドブ川を中高層の都市住宅ビルが囲んでいる。蜂蜜色の外壁は黒く薄汚れて、低所得者層が住む場所らしい猥雑な印象があった。
川の流れに面する裏庭には、ゴミ収集庫がありその近くには洗濯台が設置されていた。普段なら洗濯物が干されているのだろうが、今は空虚さだけが漂っている。
子供の声などもなく物音もせず、街は静まり返っていた。都市そのものが、危機を前に怯えているようだ。今、都市はメディアを追跡して集まった魔導兵器に囲まれている。そのため、戒厳令が出されているのだ。
だが、その状況はヴァンたちにとっては救いだった。
グラントだけはどうやったのか平然と免れているが、ヴァンとパガニーニは汚水が服に染み込み黒く汚れていた。異臭も放っており、不審なことこの上ない。
「早く行こう」グラントが周囲を警戒しながら、ヴァンとパガニーニに出発を促した。三人は物陰を利用しながらなるべく目立たないよう移動する。
「停まって」というグラントの静かな声に従い、二人は足を止めた。細い路地に身を潜め、表通りを窺う。
石畳の舗道を、白と黒のートンカラー、武骨なデザインの警察車輛がスッと通過した。
車輛が通り過ぎる瞬間、ヴァンの鼓動は早くなり体感する時間は遅くなる――だが、無事にそのまま警察は姿を消した。
それから幾度か警察車輛をやり過ごし、都市住宅ビルの一つへ入った。狭く薄暗い共同階段を昇り、四階の扉の一つにグラントが鍵を差し込んだ。
彼が開けた扉に、ヴァンとパガニーニは素早く鼠のように滑り込む。
入ってすぐの場所はホールになっている。部屋はしばらく使っていないのか、黴と埃の臭いが少しした。
「ここは何なんですか?」ヴァンはグラントに質問を発する。
第三者の視線の届かない場所にたどり着いたことで安堵した。それで疑問を口にする余裕が出来たのだ。
「隠れ家ってやつだよ」
グラントは肩を竦め、気軽な足取りで右手の部屋へと姿を消す。そして、水が封入された瓶を二本持って戻ってきた。
「喉渇いてるだろう?」と彼は微笑を浮かべて訊く。
「ありがとう」ヴァンは一本受け取って喉を潤す。
「こっちに来い」グラントはホール左手の部屋に向かい、手招きした。
そこは居間になっている。四人掛けのテーブルがあり、グラントは、椅子を引き脚を投げ出した姿勢で腰かけた。
室内はシックな装いだ。窓がある場所以外の壁は、本棚に占領されていた。本棚は本や書類がぎっしり詰め込まれている。ヴァンは故郷の家を思い出し、軽い郷愁を覚えた。
グラントの向かい側に、ヴァンとパガニーニは座る。
「とりあえずは潜入成功おめでとう」
微笑みを浮かべ、グラントは瓶を掲げてみせた。
「そんな悠長なことを言ってる場合じゃ――!」ヴァンはその態度にかえって焦りを助長させられる。
早くしないと……――必死の思いで首都パルドンまでやって来たのだ。今すぐにメディアを救出に向かいたい。
「どこに監禁されているか判るかい?」とグラントが目を細めながら尋ねる。
「それは……あなたが知ってるんじゃ」ヴァンは戸惑いながら応えた。
故郷のトリスケルの町でメディアが行方不明になったとき、アンジェラは「魔力の気配で判る。『眠れる森の魔女』は首都に向かっている」と言っていたのだ。
そして、知り合いが居場所を突き止めてくれると断言している。
それがここにきて、「どこに監禁されているか判るか?」などと訊かれれば不安にならないはずがない。
「まだ、居場所が掴めていないんだ。ただ、首都入りしたのは確かだし、外に連れて行かれた形跡はないから――」
少し申し訳なさそうな表情でグラントはそう返答した。
ヴァンは落胆しつつも、相手の立場を慮る。首都の人口は数十万人……その中から、一人の人物を探し出すのは容易でないはずだ。
それに、とヴァンは反省する。あくまで、自分は相手を頼っている立場だ。
「信じてくれ。必ず、『眠れる森の魔女』メディアは我々の手で探し出す」
グラントは、こちらの非礼を責めるでもなく真剣な口調で約束する。
我々――? とヴァンは脳裏の片隅で疑問を覚えた。ということは、彼以外にも協力者がいるということか?
ヴァンとグラントの視線が交錯した。瞳から彼の誠意が伝わってくる。
信じるしかない――ヴァンは大きく肯いた。
「君もそれでいいかい?」とグラントが、パガニーニの方を向いた。
「ああ」彼も大人しく首を縦に振る。
「よし、じゃあ。順番にシャワー浴びてくるといい。凄く臭いよ」
グラントがイタズラっぽい表情で鼻をつまんだ。
彼の言葉で、ヴァンは自分の現状の悲惨さを思い出した。服が濡れて肌に貼り付き気持ち悪い。異臭が常に纏わりついている。
ちょっとげんなりした気分になった。
――シャワーを浴びて寝室に二つあるシングルベッドの片方に倒れ込むと、ヴァンは気を失うようにして眠りに落ちた。




