第二章 『気弱な農夫、うっかりトップ配信者を罠で捕獲する〜太客を奪われた貧乏人魚と、変身が長すぎて出番のないミリタリー天使〜』
太客を失った人魚と、ウサ耳村長の狩りのお誘い
チュンチュン、と。
ポポロ村の朝は、実にのどかな小鳥のさえずりから始まる。
木造三階建ての独身アパート『ポポロコーポ』の自室(A301号室)で目を覚ました僕は、大きく伸びをしてから窓を開けた。
澄み切った空気が肺を満たす。
窓の下に広がるのは、僕が【豊穣の神】のスキルで開拓した、見渡す限りの豊かな黒土の畑だ。丸々と太った月見大根たちが、朝日に照らされて気持ちよさそうに光を反射している。
「ふぅ……。今日もいい天気だな」
数日前の夜。
死蟲機の大群をエビ天にして大宴会を開いていた最中、空からいきなり『神様見習い任命通知』という謎のシステムウインドウが降ってきた。
村人全員から土下座で拝まれ、僕の平穏なスローライフは完全に終わったかのように思えた。
――しかし。
人間(いや、もう神様なのかもしれないけど)、現実逃避というものは案外簡単にできるものだ。
「うん。見なかったことにしよう」
宙に浮いている『初心者マーク(神様見習いの証)』は、帽子を深く被れば隠せる。
システムウインドウから度々送られてくる『天界からの業務連絡』や『ゴッドチューブの収益報告書』は、前世で言うところの迷惑メール(スパム)フォルダにぶち込んで、一切開かないことにした。
僕は神様なんかじゃない。ただの農業を愛する、気弱な一介の村人なのだ。
そう固く心に誓い、朝食の準備をしようとエプロンを身につけた、その時だった。
「おっはよー、ユリウス君!」
バンッ!と勢いよく扉が開かれ、ウサギの耳をピンと立てた可愛らしい女性が部屋に飛び込んできた。
ポポロ村の村長、キャルルさんだ。
ラフなパーカー姿に、足元は彼女のトレードマークでもあるタローマン製の特注安全靴を履いている。
「あ、おはようございますキャルルさん。朝から元気ですね。朝ご飯、まだなら一緒にどうですか?」
「ふふっ、ユリウス君の手料理も魅力的だけど、今日は用事があって来たの」
キャルルさんは僕の前に立つと、少し頬を染めながら上目遣いで尋ねてきた。
「ねえ、ユリウス君。今日、狩りに行きませんか? ポポロ山に」
「狩り、ですか?」
僕は首を傾げた。
ポポロ村の裏手にそびえるポポロ山には、様々な野生の魔獣や動物が生息している。とはいえ、僕は争い事が苦手だ。できれば血を見るような真似はしたくないのだが。
「実はね、この間、ユリウス君が作ってくれた『餌』がすっごく良くて! 野生のトライバードがバンバン罠にかかりやすくなってるのよ!」
「ああ、なるほど。トライバードですか」
トライバードとは、肉、卵、羽毛、そして極上の肥料となるフンまで提供してくれる、まさに『三徳』を体現したような鳥型の魔獣だ。
数日前、規格外に育ちすぎた太陽芋や月見大根の余ったヘタや皮を、キャルルさんに「動物の餌にでもしてください」と渡したのを思い出した。
どうやら、僕の【豊穣の神】の隠し効果である『神気還元』がたっぷり詰まった野菜クズに、山の魔獣たちが完全に味を占めてしまったらしい。
「罠の確認と回収をするだけだから、危ないことはないわ。……それに、その、山なら静かだし、二人きりでゆっくりお話しもできるかなーって……♡」
キャルルさんが、もじもじと指を絡ませながらウサ耳をペタンと垂らす。
なるほど、村長として僕に村の周辺環境を案内してくれようとしているのか。本当に村思いの、いい村長さんだ。
「分かりました。せっかくですし、お供しますよ」
「本当!? やったぁ! それじゃあ準備して――」
キャルルさんがパァッと顔を輝かせた、その時。
「……おかしい……。おかしいですわ……」
部屋の隅っこから、この世の終わりのような、地の底から這い出るような低い怨嗟の声が聞こえてきた。
「え?」
僕とキャルルさんが振り返ると、そこにはルナミスデパートのワゴンセールで買った色あせた『芋ジャージ』に身を包み、膝を抱えて体育座りをしている少女の姿があった。
海中国家シーランの王女であり、現在はド底辺の地下アイドルとして活動している人魚姫――リーザさんだ。
彼女は、充電の切れかけた古い魔導通信盤の真っ暗な画面を、虚ろな、一切のハイライトが消え失せた死んだ魚のような目で見つめていた。
「昨日までは……昨日までは確かに来ていたんですの……。私の配信に、五百円(銅貨五枚)のスパチャを投げてくれる、唯一無二の太客……通称『石油王』さんからの、恵みのスパチャが……っ」
ブツブツ、ブツブツと、リーザさんは呪詛のように呟き続ける。
「なのに、今日は……待てど暮らせど、通知が来ない。石油王さんからのスパチャがないと……私は、ルナミスマートで半額もやしすら買えないんですのよ……?」
「リ、リーザさん……?」
「いやぁぁぁっ! このままじゃ、また公園で摘んできたタンポポと雑草のサラダ生活に逆戻りですわぁぁぁぁっ!! 石油王さぁぁぁぁん!! どこに行っちゃったんですのぉぉぉっ!?」
リーザさんは通信盤を胸に抱きしめ、床に突っ伏してボロボロと血の涙を流し始めた。
アイドルたるもの、ファンに夢と希望を与える存在。そのはずが、今の彼女から放たれているのは、圧倒的な『貧困のリアル』と『生活苦への恐怖』だけだった。
「リーザさん、僕たち、これからポポロ山へ狩りに行ってこようと思うんですけど……。リーザさんも行きますか? 気分転換になるかもしれませんよ?」
僕が心配して声をかけたものの、リーザさんは床に突っ伏したまま「もやし……私の半額もやし……」とうわ言のように繰り返すばかりで、全くこちらの声が届いていない様子だった。
「……何か分からないけど、すごく忙しそうですね」
「ええ、放っておきましょう。あの子、お金が絡むと周りが見えなくなるから」
キャルルさんが、リーザさんを一瞥して冷たく言い放つ。
そしてすぐに、僕の方へ向き直り、満面の、それはもう花が咲いたような極上の笑顔を浮かべた。
「それじゃあ、ユリウス君! 行きましょうか、ポポロ山へ! 二人きりの狩り(デート)に!」
「はい。美味しいトライバードのお肉が獲れるといいですね」
僕はエプロンを外し、腰のホルダーに『三徳包丁』を差した。
部屋の隅で「石油王さぁぁん……」とすすり泣く人魚姫を置き去りにして、僕とキャルルさんは、のどかな朝日が降り注ぐポポロ山へと向かうのだった。
この時の僕は、まさかポポロ山の『罠』に、鳥ではなく、とんでもないものが引っかかっていることなど、知る由もなかったのだ。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




