第七話 あの人が
気がつけば、私は病院のベッドにいた。
私は死に損なったのだ。
あそこは最高の死に場所だった。
生き残ってしまえば、プライドを捨ててアルバイトをする、あのみじめな生活に戻るしかない。
深い失望が私を襲った。
しかたなく現実を見つめる。
すると、恥ずかしいことに気づいた。
私はいま紙おむつをしているのだ。
一定時間以上意識がなければ、漏らしてしまうのは当たり前。だから、意識のない負傷者は紙おむつをすることになる。それを理解することはできるが、実際その状態を経験すると、心穏やかではいられない。
――パンツをくれ。
羞恥心が溢れかえり、私はナースコールのボタンを探した。
少しして、二人の看護士が来た。後ろには、スーツを着た男が二人いる。
私がパンツを要求しようとするのを遮って、二人の看護士のうちの一人が、いくつか体調に関する質問をした。
私は強がって、特に問題がないと答えた。問題があったとしても、治療に回す金がないので、そう答えるしかない。いまいる部屋は個室。入院費用も結構かかりそうだ。いまの蓄えでは足りないかもしれない。
看護士の説明によると、当たった銃弾は一発。
右胸に当たりはしたが重要な血管に損傷はなく、銃弾は背中側の肋骨で止まっていたそうだ。
その銃弾は、私が意識を失っている間に除去されている。
あとは元からある持病のようなものだったのだが、脊椎が腰のあたりで変形しており、それを指摘された。左膝の関節にも異常があるとも言われた。これらは秘伝の蹴り技の反動が蓄積された結果だ。加えて、深刻なものではないが、右足の数か所に亀裂が入っているそうだ。骨の名前や症状名を聞いたが、その場で忘れてしまった。
彼らは、私の全身を検査していた。それは善意によるものだろうが、費用を支払うことを考えると有り難くない。私のような貧乏人にとっては。
続いて、今後の治療についても説明された。まずは胸の手術を優先したので、他の箇所は応急措置にとどめていて、本格的な治療はこれから行う、ということだった。
治療に時間がかかるのは、アルバイトで生計を立てる私にとって致命的だ。
ここの治療費の支払いさえどうなるかわからないうえに、治療している期間の収入がなくなるのだから。
そもそも、そんなに休んだら、アルバイトはクビ間違いなしだ。
治療を断って退院する方向で話を進めるしかない。
看護士によると、私は三日ほど意識を失っていたそうだ。
私が意識を失っていた間、「彼女さんが毎日お見舞いにいらっしゃってましたよ」と言われた。
だが、そんな相手に心当たりはない。
私には、いま置かれている状態がまるで理解できなかった。
看護士が去ると、後ろにいた男たちが口を開いた。
彼らは警察だった。
若い方の刑事は宮下、歳をとった方が安藤と名乗った。
彼らによると、私は微妙な立場にあるらしい。
今回の私の行動は、正当防衛に当たらない可能性があるという。
あの日見かけた迷惑外国人が、私がコクシ人テロリストらを殺す場面を動画撮影しており、その動画が世界中に拡散されてしまった。
そこには、漏らして後退る整形男を殺す場面も写っており、それが一番問題になるらしい。
問題は、戦意を失った相手を殺したこと。
さらに、あの男がセイグウの元アイドルであったため、ファンらが中心になって私を糾弾する騒ぎになっているらしい。
警察は、相手がテロリストだけに、私に対する敵意はないようだが、好意的に接することもできないようだ。
「ところで、私が撃たれた理由を教えてもらえますか。銃が暴発したとか?」
「それは今調査中です」
「撃ったのは警察官ですよね?」
私は、高圧的な口調にならないように気をつけて言った。まだ彼らには聞きたいことがある。臍を曲げられては困るのだ。もっとも、おむつを履いている状態では、恥ずかしさが先に立って、相手を威圧するような事態にはなりそうもなかったが。
「そうなんですが、ちょっと問題がありまして」
その時、これまで黙っていた方の刑事、安藤が口を開いた。
「実は、あいつ、テロリストたちとの繋がりが疑われているんですわ。」
「ちょっと、安藤さん、守秘真務」
「いや、この人には知る権利があるだろう?」
二人の刑事は言い争いを始めた。その様子を見て、少なくとも、警察の中に、私に好意を持っている人がいることを確認でき、少しは安心することができた。
最終的に、あくまでも概要ではあるが、情報を開示してもらうことができた。
品川駅を襲ったのは、コクシの半官半民の組織であるセイ連のメンバーだった。
セイ連は、コクシ文化へ興味を持つための情報操作に従事する組織として知られている。
確認されたテロリストは、防犯カメラでチェックした範囲で五十人。
テロリスト側の死者は一四人。
逮捕されたのは二六人だった。
まだ十人程度が捕まらず、逃げている状態だ。
日本人の死者は、現時点では八五人。重軽傷者は二百人以上になるそうだ。
私は、不謹慎ではあるが、軍事訓練を受けた者にしては手際が悪い、と思った。
五十人も投入したのだ。
あれだけ混雑した品川駅なら、その倍以上の被害が出そうな気がする。
そうならなかったのは、テロリストたちが日本人をいたぶることを優先したからだろうか。
徴兵による訓練は自発的なものではないゆえに、技術が身についていないことも考えられる。
要するに、彼らは、言われているほど強くはないのだ。
私は、私を撃った警官のことを考えた。
彼はコクシからの移民だそうだ。
彼は、事情があって日本へ逃げて来た一族であるが、血のしがらみからテロリストに協力させられていたらしい。
コクシ企業に勤めていた折、私は、コクシ人幹部から、「知りたい情報があったら私に言え」と言われたことがある。日本企業に勤めているコクシ人や日本に帰化したコクシ系日本人から、いくらでも日本企業の機密情報を入手できるそうだ。彼によると、親類縁者から圧力をかければ、相手が拒否しても絶対に言う通りにさせられるという。
彼の言っていたことが虚言でなければ、彼らは、あらゆるコクシ系の人々に犯罪行為を強制できる、ということになる。今回のテロの背景にそういった力が働いていたならば、私を撃った警官がテロへの協力を強制されていた可能性もある。ほかにも、あのテロに参加した人たちの中にも、強制された人たちがいたかもしれない。
ということは――
私はそんな人たちを手にかけてしまったのかもしれない。
その可能性を考えると、自分の信じていた大義が怪しく思えて来た。
――いや、ちがう。
どんな事情があろうとも、テロの言い訳にはならない。
だが――
私は余計な事を考えてしまう。
――ああ、くそっ。
一度気付いてしまうと、ネガティブな思いというものは、なかなか頭を去ることがない。
こんな時は、身体を動かして気分転換を図りたいものだが、いまは動ける状態ではない。
私がそんな風に考え込んでいる時、救いの手が差し伸べられた。
「彼女」が来たのだ。
そこにいたのは、あの日助けた美しい女性だった。
その人は、私を見て涙を流していた。
「すいません。安心しちゃって」
「いえ……」
それ以上、言葉が思い浮かばなかった。
私は、身体を起こそうとしたが、胸と背中にひどい痛みを感じ、思わず声を出してしまった。
「まだ安静にしていないと」
彼女はそう言って、私の身体に手をまわした。
気づくと、彼女の唇が私の唇に重なっていた。
そして、彼女の舌は私の唇を割り――
まだ後遺症が残っていたのか、あるいは、ジジイには刺激が強すぎたのか、私は、あの前後に何があったのかはっきりとは憶えていない。
確かに言えることは、彼女が看護士らに言っていた「彼女」という地位が、私のなかで嘘でなくなりつつあった、ということだ。
後で看護士に聞いたところでは、あの人は私の彼女だと主張し、下の世話までしようとしたらしい。病院は、規則を盾に、親族でなければそういうことを任せられないと断った。そして、病院は彼女を追い返そうとしたようだが、彼女は頑として引き下がらなかった。
そのまま介護を邪魔されれば、私の体調が悪化する懸念があった。だから、病院は一定の譲歩をすることになった。さすがに下の世話はさせなかったそうだが。
私はそれを聞き、この病院は大丈夫なのか、と思った。彼女が危険なストーカーである可能性は考えなかったのか?そもそも、一定の譲歩って何だ。




