第三十話 最終戦
私が一礼すると、男も礼を返した。
お互い、真剣勝負だ。
相手からの最初の攻撃は、左回し蹴りだった。
そして、ワン、ツーと突きがつづく。
相手の力量を測るため、こちらから反撃はしない。
右前に構え、相手の攻撃をただ払い、受けるに留めた。
男の攻撃はまだつづく。
ワンツーの後、三打目の突きが来た。
そう思ったが、それは突きではなかった。
突きに見せかけて、男は私の右手を掴んだのだ。
この男は剛も柔も行けるようだ。
私の逆を取ろうとしている。
私は左足を前に出し、左前に構えを変えるとともに、右手を掴まれたまま相手の握力を殺す動きをとった。
今度は私が相手の逆を取りに行く。
男は右回し蹴りを放って、それを牽制した。
私は左足を上げて脇腹を庇う。
男は動作を止めず、空いている方の手で私の目を突いてきた。
私は頭を振って男の指を避ける。
同時に、私は、掴まれている方の手で、一旦、男の目を突くようなフェイントを入れた後、相手の親指を切るように引いて自分の右手を取り戻す。
今度は私の攻撃だ。
私は右手を取り戻した瞬間、左で突きを入れた。
続けて、自由になった右手でそのまま正拳を放つ。
左右左の順で突いたが、全て男にブロックされた。
ボクシングのような空手のような変な動きだ。
動画で見たイエンカ軍の武術ともちがう。
これはイエンカの伝統武術なのか。
だが――
この流れは、私にとって都合が良い。
ブロックのために出した腕は、腕の急所が剝きだしになっている。
私は初戦でしたように、男の腕の気穴を突いた。
当たった。
後はカモフラージュのために胸でも適当に突いておけば良い。
それからは、同じような攻防が繰り返された。
傍から見れば、それは不思議な戦いだったかもしれない。
そこには、ボクシングのような素早いフットワークはない。
かといって、柔道や柔術のようでもない。
両者が剛柔両方の技を混ぜて使うため、突き蹴りの応酬が、突然レスリングのような動きになるのだ。
だが、その戦いは長くつづかなかった。
激しい動きをすれば、身体は多くの酸素を消費する。
しかし、私が気穴を突いたことにより、男の身体には、酸素を運ぶ血液が行き渡らない。
結果として、男はそのまま酸欠で倒れることになった。
これで終わりだ。
「誰か、時限装置の解除お願いします」
私は塀の影から覗いている警官に向かって叫んだ。
まだ五分以上ある。解除はできるだろう。
「負けた。時限装置は解除した」
男は横たわったまま苦しそうにそう言った。
手にはスイッチが握られている。
「もうこれで終わりという事で良いか?良ければ点穴の効果を解除する」
「ああ、頼む」
米田が傍らに到着した。
「時限装置は解除してくれたそうです。点穴の効果を解除しますので、この人に手錠をかけてもらえますか?」
「わかりました」
米田は男に手錠をかけた。
男は抵抗しない。
私は男を俯せにして、荒井にしたのと同じマッサージを始めた。
「何だったんだ、あれは?」
男は目が見えるようになると、私にそう聞いた。
「日本には、世に知られていない秘密の技が沢山あるんだよ」
「あのまま放っておかれたらどうなっていたんだ?」
「気がついたら地獄にいた、ということになる」
実際には、あの先どうなるかはわからないが、私はこの男を脅かしておくことにした。
「そうか」
「ところで、どうしてこんな無謀なことをしたんだ?逃げられなくなるのはわかっていただろうに」
「俺が捕まっても、勝てば家族に金が支払われる。家族は地獄から抜け出せるんだ」
「そうか。悪かったな」
「いや、良い。凄い試合だった。満足している」
男はそう言って私の背後を見た。
それと同時に、私の頭が大きな音を立てた。
誰かが平手打ちをしたのだ。
振り向くと洋子がいた。
「また危ないことして。銃とか爆弾とかは絶対だめなの」
私が立ち上がると、彼女は私の腹を何度も突いた。
私が教えた正拳突きで。
私は黙って殴られていた。
手錠をかけられた男は、地面に横たわったまま面白そうにそれを見ていたが、米田に連れて行かれた。スイッチのことを聞くつもりであったが、怒った洋子を放置しておくわけにもいかない。その件は、後で米田に聞いてもらおう。
「一先ず終わったよ」
洋子は何も言わず、私の腹を殴り続けた。
洋子を抱き寄せようとしたら、彼女は私の手を払い除け、腹を殴り続けた。今回はかなり怒っているようだ。しかし、しばらくすると、殴り疲れたのか、彼女は私の肩に頭を預け、手を私の身体に回した。私も彼女の身体に手を回す。
「ごめんね」
「泣かすな。馬鹿」
彼女の声は震えていた。
「ごめん」
これから私はどうなるのだろうか。
私は日本人として「真」の心をもって生きたいと思う。
そして、産まれて来る子供が誇れるような父親なりたいとも思う。
だが、相手は放っておいてくれない。
たぶん、次は大岩元明が出て来るのだろう。
私は――
そもそも、問題の根本は政府内にある。
彼らが金権政治をつづけることで、諸外国に付け込まれているのだから。
私は安藤や高木の言葉を忘れない。
彼らのことを考えれば、自分の出自を誇って、特定の国の人を排除するようなことはできない。
しかし、日本は諸外国から蔑視され、見るに堪えない状況に陥っている。
その蔑視が、私が巻き込まれている問題の核心にある。
私には、殴られても我慢する、などということはできない。
相手が矛を収めない限り、間違いなく戦う事になる。
戦いを終わらせるためには――
考えてみると、私が「真」の大切さに気づけたのは、一連の事件のおかげかもしれない。
事件があったからこそ、私は「真」の文化の有難味が理解できた。
それを守りたいと思えた。
しかし――
憤りの中で、私のなかにも毒が溜まっていく。
気がつけば、私も貪瞋痴の毒に染まってしまうかもしれない。
安藤は、最後の瞬間に、日本人として逝けると言っていた。
私もそうなれるのだろうか。
もともと、私は日本社会で搾取され、排除されてきた。
心の中に闇を抱えている。
そんなとき、この戦いがはじまり、私はさらに穢れてしまった。
私は彼らと何が違うのか。
そう考えてしまう。
「真」を求めるのは、私の中に日本人の心が残っている証拠だろう。
それだけが救いだ。
しかし、清き赤き心は、もう私には手の届かないものになってしまった気がする。
セイ連は、阿佐ヶ谷の次は玉川につなぎを取り、今度は大岩に接触したらしい。
きっと、今度は大岩と戦うことになるのだ。
大岩には、阿佐ヶ谷たちよりも、さらに多くの黒い噂がある。
人身売買をはじめ、犯罪の背後に大岩の名前が囁かれることは少なくない。
広域暴力団が外国勢力に乗っ取られていることを考え併せれば、大岩が彼らの後ろ盾になっていることは、想像に難くない。
だが、それだけ大岩の関与が疑われても、警察は動かない。
大岩は、阿佐ヶ谷や玉川のようにコクシ人ではない。
彼は、日本国籍を得るために、何ら違法なことはしていない。
最初から阿佐ヶ谷や玉川とは立ち位置が違う。
セイ連とのつながり方も違うのかもしれない。
私は大岩について、さまざまなことを考えた。
だが、それらは悪い意味で間違っていた。




