第二十九話 開戦
身の危険を感じたのか、玉川は入院した。
玉川逮捕までもう少し。
阿佐ヶ谷の運転手であった早川が、玉川の秘書を辞めたのはそんな時期だった。
気づくと、早川は大岩元明の秘書になっていた。
変わり身が早いのか、もともと大岩の手の者だったのか、私には見当がつかない。
だが、テロとの関わりが噂される政治家の元を渡り歩いているのだから、彼がただの脇役だとは思えない。
定例のテロ対策会議に出席した後、私は官房長官の根岸に呼ばれた。
私は指示された部屋の前に立ち、ビジネスマナーどおりにドアを四度叩く。
「失礼します」
ドアを開けると、中には官房長官と総理が待っていた。
彼らは席を立って私を迎える。
「突然お呼び立てして申し訳ありませんね。ささ、どうぞ」
総理はそう言って私に座るよう促した。
私はこれまでの仕事で、多くの一流企業の役員や幹部職員と会ったことがある。
彼らの中には、腰が低く丁寧な態度で接する者もいれば、傲慢で無礼な者もいた。
後者が上層部に溜まっている会社は、概して没落している。
この総理の態度を見る限り、国の行く末に安心できる要素はある。
だが、態度だけで相手を評価するのは早計だ。
この二人も、政治家なら仕方がないのかもしれないが、やはり怪しい情報が報道されている。
敵側である可能性は捨てきれない。
だから、私は精神的な距離を保ちながら二人の話を聞いた。
内閣府では、玉川の行動について、私より遥かに多くの情報を有していた。
外交上の駆け引きから得た情報が含まれているのだから、情報量の差は圧倒的だ。
二人の話を聞く限り、玉川俊蔵は真っ黒。
しかし、いまの玉川派は、阿佐ヶ谷の派閥を飲み込んだ結果、党の最大派閥になっている。
この二人と言えど、手が出せない存在なのだ。
それで私を駒として使う気なのだろうが、彼らは私に重大な秘密を打ち明けた。
その内容は、国家の秘密であり、身の危険を感じさせるものだった。
望まぬ秘密とともに、私は面倒な役目を押し付けられようとしている。
そう、役目だ。
暗喩に満ちた表現を平たく言えば――
私が阿佐ヶ谷を殺したことを知っている。
玉川も同じように始末しろ。
今後現れる玉川の後継も潰せ。
そのあとも、どうでも良いことをグダグダと付け加えられた。
彼らの話は暗喩。
わかりにくい腹芸。
だから、私はそれを逆手に取る。
話がわからない振りをしてやった。
彼らは到底信じられる相手ではない。
深読みすれば、本当は玉川などどうでも良くて、これは私を陥れる罠なのかもしれない。
罠ならば、私が行動に移した途端、拘束されることも考えられる。
だから、私は彼らの指示に従うことを拒んだ。
知り合いの広域暴力団にでも頼めば良いのに。
そう思ったが、そうすることができない理由に気がついた。
現在、広域暴力団は、すでに外国勢力の支配下にある。
この二人には手足として動かせる駒がないのだ。
自宅で私が思い悩んでいるとき、米田から連絡が入った。
いますぐに来て欲しいそうだ。
だが、私が警察に行こうとしたら、洋子が不満そうな顔をした。
「ごめんね。でも、キミが聞けばお腹の子に悪影響が出そうな話だと思うから、家で待っていてくれないかな」
「わかった。でも、危ないことしないでよ。早く帰って来るのよ。いい?」
「わかった」
私はこうして家を出た。
心配してくれる人がいるというのは幸せなことだ。
だが、彼女との約束を破ることになりそうな予感があり、後ろめたくも感じていた。
警察署では、いつものように、米田と笹井が待っていた。
「須藤さん、すごいことがわかりましたよ」
「何かうれしそうですね」
「そりゃあね。あともう少しでカタがつきそうですから。マフィアに話を持ち掛けたのは、玉川だという証拠があがりました。まだ詳しいことは聞き出せていませんが、逮捕したマフィアの連中は、玉川に騙されたと思っているようです。複数のメンバーが同じことを言っているので、上も納得するでしょう。もう少しで玉川に手が届きます」
「玉川が私を襲わせた、で確定なんですね?」
「そういうことになりますね」
――でも、どうして試合形式なんだろう。
連中は、私を確実に殺すことよりも興行を優先した。
それは、マフィアが玉川を軽視していることを意味するのではないか。
「うーん、でも、何か納得がいきませんよ」
「いやあ、皆が皆、須藤さんみたいに頭が良いわけじゃないですから。深く考えずにマフィアに丸投げしたんじゃないですか?」
「そんなもんですかね」
「余裕がなかったのもあるかもしれませんね。玉川はいろいろなコクシ企業と定期的に食事会をしていて、以前にもその支払いで違法性を指摘されてましたよね。今回は料亭が週刊誌に情報を売ったみたいで、週明けに面白い記事が見られそうですよ」
以前から、玉川はコクシ企業の接待を受け、何度か週刊誌にスクープされていた。テロの後も関係が続いていて、それを週刊誌に嗅ぎつけられたとすれば――
そのとき、会議室のドアが勢いよく開けられた。
「大変です。病院が占拠されました」
その警官が言うには、玉川のいた病院に外国人が現れ、玉川を殴り殺したそうだ。
そして、その犯人が私を呼んでいるという。
私が行かなければ病院を爆破すると言って。
「最後の試合をしたいんですかね?」
笹井は何も考えずに自分の思いついたことを話したようだ。
だが、それは、私にとっては考えたくないこと。
洋子の顔を思い出すと、戦いに応じる気にはなれない。
それに、先日の戦いの疲れがまだ残っている。
歳で身体がついていかないのだ。
米田としても、警察の立場から、殺し合いになりそうな試合を認めるわけにはいかない。
そもそも、私に試合をさせるのは、警察のメンツに関わる。
「とりあえず行ってみます。戦いたくはありませんが」
米田たちが考えあぐねているのを見て、私はしょうがないとあきらめた。
私の言葉を聞きながら、米田は何か思いつめたような顔をしていた。
我々は、パトカーで現場に向かった。
到着すると、そこには大量の警察官とマスコミが集まっていた。
警察に阻まれてはいたが、マスコミの多くは私に様々な質問を投げかける。
私はそれを無視し、米田らとともに黄色いテープを潜った。
私を見つけたのか、病院のエントランスから浅黒い肌をした男が現れた。
その男は手にスイッチを持っている。
それを高く掲げ、私たちに見せた。
そのスイッチを見た瞬間、私のなかに強烈な怒りが沸き起こった。
――あれは洋子を殺したスイッチだ。
私の中に、巻戻る前の世界で味わった絶望と憎しみが舞い戻って来た。
いま、洋子は生きている。
だが、あの時の思いは消えない。
あのスイッチ――
あの男はそれをどこから手に入れたのか?
あれは裏の世界では簡単に手に入る汎用品なのか?
もしも汎用品でなかったとしたら?
さまざまな疑問が頭に浮かぶ。
「病院の中には爆弾が仕掛けられている。私を撃つと爆発するぞ。スナイパーを用意しても無駄だ」
男は流暢な日本語でそう言った。
米田は慌てて狙撃中止の連絡をした。
どうやら、私を囮にして、隙を見て射殺する計画だったようだ。
「とりあえず行ってきます」
私はそう言って、米田の返事を待たずに前に進んだ。
米田には、私に行けと言うことはできない。
かといって、私が行かねば問題は解決しない。
結局、私が自分から動くしかないのだ。
「どうして私に拘るんだ?」
「最初に殺した男を覚えているか?」
「銃を持った三人のことか?」
「ちがう。対戦相手のことだ。あいつは私の部下だった」
「あれは私が殺したのではない。私に負けた後、お前の仲間が射殺したんだ」
「嘘をつけ」
「私は殺人鬼ではない。ちゃんと修行を積んだ武術家には敬意を払う」
「……」
「私はただのジジイだ。もう満足に戦えなくなっている。面倒なことはやめてくれないか」
「何がジジイだ。お前、何歳だ?」
「五十六だ」
「嘘を言うな」
「本当だ」
男は躊躇しているように見えた。
「ところで、そのスイッチは汎用品なのか?前にも見たことがある」
「これはコクシ軍のものらしい」
「誰にもらった?」
「俺に勝ったら教えてやる」
「わかった。始めよう」
男はポケットから別のスイッチを出し、それを押した。
「時限装置のスイッチを入れた。10分だ。」
「後10分で時限爆弾爆発!」
私は米田に向けて叫んだ。
私の声に応じて、背後で人びとが動き始めた。




