第二十六話 周到な計画
米田との話が終わった後、笹井が警護の担当を連れて来た。
「こっちが細野、こっちが川又です。二人とも、素手も銃も腕は確かなので、安心してください」
「とんでもないです。須藤さんに比べたら我々なんて」
最近、私は武術の達人のように扱われることが多くなった。しかし、私は自分が大して強くないことを知っている。そもそも、私の本業は研究者であり起業家。武術とは全く違う世界の人間だ。
私が勝って来たのは、都合のよい条件が重なったからにすぎない。条件次第で負けていたことは十分にあり得る。
今回の男はかなり強かった。今後、相手がさらに強くなっていくならば、私が勝ち続けることは難しい。
――本業の科学分野の方で戦わせてくれよ。
私はそんなことを考えていたが、彼らに愚痴を言ってもしょうがない。今後はなるべく戦わず、警察に任せよう。
「頼りにさせてもらいます。よろしくお願いします」
警察署を出ると、少し離れて尾行がついているのに気づいた。たぶん、紹介されたばかりの二人だ。
混雑した電車に乗るわけにはいかないので、これからは自転車で移動したいところだが、警護の人に自転車を用意させるのはどうなのだろう?彼らのことを考えると、電車やバスの空いている時間帯を利用するか、あるいは徒歩を選ぶことになりそうだ。
そんなことを考えながら歩いていると、走って近づいて来る足音が聞こえた。
振り返ると、それは細野と川又だった。
「すいません。トラブルです」
「どうしました?」
「何人かの政治家のところに殺害予告があって、そっちに人を振り分けることになりました。須藤さんの警護は、私と川又だけになります。奥さんの方も、二名を残して政治家の警護に回されます」
「なるほど。では、彼らにとってはいまがチャンス。その殺害予告が彼らの戦略という可能性もありそうですね」
「はい。ここからは距離を取るのは止めます」
「わかりました。ところで、ここからどうします?電車に乗りますか?それとも、家まで少し距離がありますが、歩いて行きますか?」
「電車にしましょう。この先の入り組んだところで襲われたら、応援を呼ぶのが難しい」
パトカーで送ってくれれば良さそうな気もしたが、口にするのはやめた。きっと、それは私的利用になるのだろう。
電車に乗る場合、この近辺はいくつもの路線が入り組んでいて、いろいろな選択肢がある。話し合った結果、何度も乗り換えるよりも、少し先まで歩いて一本で行くことになった。もうしばらくすれば帰宅ラッシュが始まるが、いまはまだ混雑する時間帯には入っていない。なるべく空いている車両を選べばリスクは少ない。
車内では、細野と川又が固い顔つきで周りを警戒していた。
電車は何事もなく走り出したかに見えたが――
数分走ったところで急ブレーキがかかった。
車内放送で、非常停止ボタンが押されたとアナウンスが入った。
――来たか?
案の定、例の浅黒い肌の男たちが、車両の前方からこちらに歩いて来た。
何人かは黒いスーツにに身を包んでいる。
「警察は動くな。動くと乗客を撃つ」
銃を持った黒服の男たちは、細野と川又が警察官だと知っているようだ。
一人の男が、乗客の方に銃を向けた。
見覚えがある。
前回の襲撃者の一人だ。
それを見て、中年女性が逃げようとしたが、その男は躊躇なくその女性に発砲した。
車内のあちこちで悲鳴が上がったが、銃を向けられると静かになった。
「おまえら動くな。動いたら死ぬぞ」
撃った男以外にも、銃を持った者が二人いる。
他にはカメラを持った男と私の対戦者と思われる男がいた。
皆、日焼けして浅黒く、南方系に見える。
たぶん、イエンカ人だ。
それにしても、彼らは何故ここを選んだのだ。いまは政治家の警護に人員を割かれているとはいえ、このレベルの事態になれば、警察も人員を寄越すはず。この車両だけ制圧しても、隣の車両から見ている乗客が警察に通報するだろうから、すぐに電車は包囲される。彼らは逃げることができなくなる。それでも決行したということは――
「銃を出せ」
二人は仕方なく銃を床に置いた。
黒服の男の一人がそれらを回収し、自分たちの近くの網棚に置く。
「おまえらは後ろに下がれ」
「すいません、須藤さん」
細野は悔しそうに言った。
「仕方がありません」
銃を持った黒服の男たちは、乗客を移動させて私たちが戦うスペースを作った。
私たちが立っているドアから隣のドアまでの一区画分だ。
黒服の男たちは、一人がこちらに背を向け、前方にいる乗客たちに銃を向けている。一人はドアを背にして、前後両方に気を配っている。残りの一人――さきほど女性を撃った男は、こちらを向いて私の方に銃を向けている。
彼らの立ち位置は、見たところ、撤退時にカメラマンを後方に置き、魚鱗もしくは鋒矢の陣形が採れるようになっている。
ということは、私が必ず負けると考えているのか?
確かにこの狭さ、私には不利かもしれない。
後ろには黒服がいないので、後退できないことはないが、乗客を巻き込むことになるので下がるに下がれない。実質、スペースはロングシートに挟まれた通路に限定される。
この電車の幅は三メートルほど。通路は二メートルに満たない。横にステップする余裕がないから、実質、正面からのぶつかり合いになる。
賭け率を見る限り、この相手はこの前の男より強い。
そんな相手と正面から戦うしかないとは。
秘伝の殺人技を使えば勝てるだろうが、素手の相手に使って良いものか?
それ抜きでは勝てる気がしない。
カメラさえなければ――
しかし、黒服たちを見て、不利なのは自分だけではないことに気づいた。
この狭さは、黒服の男たちにとっても好ましくない。
黒服たちは全員車両前方にいる。
私とは距離をとっている。
それは当然だ。
私に近づけば、私は黒服を利用する。
戦いの邪魔になるだけではなく、弾避けに使われる可能性もある。
しかし――
カメラ担当の男は、そうしたことを考えていないらしい。
「はじめ!」
カメラ担当の男が開始の合図を出した。
彼は左手のシートに座って撮影している。
対戦相手を数に入れれば、薄い偃月の陣のようにも見えなくもない。
だが、偃月の陣は、将が戦える前提の陣。
おまけに薄いから兵の入れ替えができず、各自に負担がかかる。
このカメラマンはそれを補えるほど強いのか?
身体つきからは、そんな風には見えないが。
合図を聞いて、対戦相手は身体を低くした。
レスリングのような構えだ。
柔術か何かを使うのなら、この狭い車内では動きが制限されるので、彼にとっては有利な場所になる。であれば、捕まえられないようにしなければならない。こちらはスピード勝負で行くしかない。しかし、スピード重視でダメージが小さくなると、そのまま突進して抱きつかれる可能性もある。加減が難しい。
実のところ、私には捕まえられても戦う術はある。それに、ポケットには暗器も入っている。殺す気になれば、すぐにカタはつく。だが、相手は素手。殺すための技を使うことに躊躇いがある。私は努力を重ねて強くなった者を無暗に殺したくない。それに、その手の技を使うところを撮られるのはまずい。
私の迷いを察したのか、相手は低い態勢のまま突進し、私の足を取った。
油断だった。
私は倒される前に、男のこめかみに右鉤突きを入れた。
足を取られていたとはいえ、その突きには十分な威力があり、男の動きは止まった。
だが、止まったのは一瞬で、足を握る力がより強くなった。
私は、続けて左猿臂を入れる。
猿臂は男の額に入ったが、男はそれに耐えた。
体勢が悪く、私の攻撃には十分な威力が乗っていないのだ。
男は、私の足をたぐってさらに近寄り、今度は額を打った左腕を取りに来た。
取られた!
だが、それはもうどうでもいい。
私は、手ごろな位置にある男の喉に、特殊な突きを入れた。
カメラに映らないようにして。
さすがにこれは効いたらしい。
男は私を放し、後ろに下がって私の追撃を逃れた。
もちろん、いまの突きは殺さないように加減をしたものだ。
だが、相応の効果はある。
その突きの効果は呼吸不全。
加減した突きでも激しく動けば酸欠になる。
事実、目の前の男は苦しそうにしている。
その突きを受けて、男は手を出しにくくなった。
私が半歩間合いを詰めると、男は半歩下がる。
私がさらに間合いを詰めようとすると、男は突進する気配を見せ、今度は私が半歩下がる。
こんな具合に、私たちはお互いに前後左右に動いて相手の出方を探っていた。
相手の男は、私が加減していることに気がついている。
加減をしなければ、すでに自分は死んでいたと理解している。
その理解が攻撃を躊躇わせているようだ。
しばらく相手の動きを見て、結末が見えた。
私は右に寄り、相手が左に動くよう誘導しつつ、素早く前に出た。
男もそのまま前に出て、両者の位置が入れ替わる。
いま、私は黒服の男たちに背を向けるように立っている。
私はこの位置取りを利用する。
男に向かって真っすぐ進み、攻撃するように見せかける。
男は一歩下がる。
この状態で、またさきほどの一進一退を繰り返す。
そして、男の動きに合わせて下がると見せかけ――
私は後ろに跳んだ。
そこには、銃を持った黒服の男が、こちらに銃を向けて立っている。
私は振り向きざまに――
時間の流れが変わった。
すべてがスローモーションになる中、私は目の前の男を観察する。
男は試合に水を差すのを躊躇ったのか、私への反応が遅れている。
私は、左手で銃を持つ手をはじきつつ、右拳を振るようにして男のこめかみを叩いた。
指の間からは、通常とは90度ずれた方向――手のひらに垂直な方向にT字フックの先が覗いている。
これは振り突き用の使い方だ。
効果は――
その確認をする間もなく、対戦相手の気配が後ろに迫って来た。
同時に、残り二人の黒服が私に銃を向ける。
そのとき、細野と川又が攻撃に出る気配を見せ、二人の黒服と対戦相手の男の注意が逸れた。
私は仕留めた黒服の身体を受け止め、それを盾にする。
同時に、男の持っていた銃を取り上げた。
さきほど中年女性を撃ったので、この銃の安全装置は解除されているはずだ。
乗客たちは床に伏せている。
流れ弾が当たる心配はない。
私は瞬時にそれだけの判断をし、近くにいる方の黒服の胸部に向けて二度撃った。
至近距離だけにはずれることはない。
残りの男が撃ち返して来た。
こちらに飛んで来る銃弾は、私が盾にしている男の身体が防いでくれる。
こちらからも撃ち返すが、初弾ははずれた。
しかし、すぐに修正し、次はきちんと相手の身体に当たった。
いま撃った相手は、致命傷ではなかったのか、膝をつきながらも銃をこちらに向けて機を窺っている。
私は盾にしていた身体をその男に投げつけ、同時に男を撃った。
時間の流れがもとに戻る。




