第十七話 洋子の力
「安藤さん、あの事故を起こしたバン、たぶんテロリストのです」
安藤は疑わしそうな顔をしたが、何も聞かなかった。
さらにバンに近づくと、バンの向こうで戦っている姿が――
洋子だ。
「安藤さん、止めて。洋子がいた」
安藤が車を止めるや否や、私は走り出した。安藤は、バンの前を塞ぐようにパトカーを駐め、車から降りて私を追った。
その時、男が洋子に向かって回し蹴りを放った。
洋子は両手を突き出すようにして相手の蹴りを受けた。
体格差から、洋子には著しく不利に見えた。
実際、耐えきれず、数歩後退している。
しかし、敗れたのは男の方だった。
洋子が暗器で蹴りを受けたのだ。
「すごいですねぇ、さすが須藤さんの奥さんだ」
安藤が追いついていた。
「でも、あれはまずいですよ」
安藤は暗器を見逃さなかった。
「まあ、この状況にはうちの裏切り者も関わっているんだから、責められませんがね」
安藤は暗器の使用を見なかったことにしてくれるようだ。
「ところで、あれ、どうします」
私は地面で足を抱えて悶えている男を指差した。
「殺しちゃだめですよ」
安藤はそう言いながら、その男に手錠をかけた。
車の中にも二人いた。
私は車に乗り込み、その二人を確認した。二人ともこめかみを暗器で叩かれているが、気絶しているだけのようだ。
あのT字フックは洋子の手に収まらない。握るとTの横棒の部分が拳からはみ出る。
安藤が見分けたように、それなりに目立つから厳密な意味では暗器とは言えないかもしれないが、携帯武器としては優秀だ。そのはみ出る部分を積極的に使えば、より戦闘力は高くなる。
狭い車の中では、攻撃が突きに限定されるT字フックは使いづらい。特に、運転手を後ろから狙うような場合は。だが、手の小さい洋子には、横方向に振るという別の使い方ができた。今回、洋子は突くのと叩くのを使い分けて、一人ずつ倒したのだろう。
でも、さすがに活発な洋子も疲れたらしい。
いまは下を向いてしゃがみ込んでいた。
安藤は、襲撃者を見張りつつ、携帯で署に応援を求めている。
そういえば、安藤の携帯は宮下に取られたはずだ。
公用と私用両方持っていたのだろうか。
少し気になったが、その疑問は後回しだ。
私は電話している安藤に声をかけた。
「安藤さん、宮下さんたちが目的地に行っているか確認できますか?場所は西大井の三条清麻呂公墓所です。門を入って左側の建物です。通用口には爆弾が仕掛けてある可能性があるから触らないように言ってください」
安藤の言によれば宮下は敵。敵であれば爆弾のことは知っているだろうが、彼に同行している警察官たちもいるはず。彼らの安全のために、注意はしておくべきなのだ。
安藤は私の言葉を聞いて怪訝な顔をしたが、何も聞かず、電話相手にそれを伝えた。
洋子が後ろから近づき、私の身体に手を回した。
背中に彼女の息遣いを感じる。
「お疲れさま」
私は洋子の腕に手を重ね、そう言った。
「うん」
「車の中で一人ずつ倒したの?」
「そう。家に入って来たとき、三人を相手にするのは無理だと思ったの。それでね、あなたのメモに、手は縛られないって書いてあったから、チャンスを待とうと思ったの」
「あれ、見たんだ」
「うん。今日は次々にあのメモの通りのことが起きるから、びっくりしちゃった」
「そうか」
「あれ、本当に起こったことなの?」
「たぶん、そう」
今回は洋子を失わずに済んだ。もっとも、あちら側に行けば会えるのだから、本当の意味で洋子を失うことはないようだが。
「仇をとってから私の後を追ってくれたんだ」
洋子の手に力が入った。彼女は私の背で泣いているようだ。
「私は最高の人と結婚したのね」
「さあね。でも、あの時は君が助けてくれたんだよ」
「憶えてないわ」
「すいません。お邪魔して申し訳ないんですが」
安藤がすまなさそうに割り込んで来た。
「須藤さん、さっきの話、もう少し聞かせてもらえますか?」
安藤はやはり私の言うことを不審に思っているようだ。
「場所を変えてもいいですか?家に見せたい物があります」
「あのメモ見せるの?」
洋子は察しがいい。
「うん」
「わかりました。ちょうど応援も来たようだし、お宅にお邪魔させてください」
安藤は例のメモを読んでいた。
洋子がコーヒーを淹れてくれたが、誰も手をつけていない。
誰も音を立てない。
その雰囲気に耐えられなかったのか、洋子が携帯を取り出した。
メモを読み終わり、溜息のあと安藤が口を開いた。
「確かに、このメモ通りのことが起きたのはわかりました」
安藤がそう言ったとき、彼の携帯が鳴った。
それは三条清麻呂公の墓所からの連絡だった。
「はあ」
安藤はため息をついた。
「ご忠告いただいたのに、間に合いませんでした。ドアに触ったようです」
――私のせいだ。
「須藤さん、責任を感じることはありませんよ。あいつらは、あっち側の人間なんだから」
安藤はそう言うが、本当にそうなのだろうか?
ドアのトラップについて知らなかったのだから、テロリストと密接な関係にあるようには思えない。強いて安藤の言う前提で考えれば、コクシ特有の助け合わない文化の影響で、教えられていなかったか、あるいは、宮下が別グループに属していたか……
しかし、安藤が嘘を言っていて、宮下たちは無実だという可能性もある。
その場合は、私がトラップのことを言い忘れたせいで、罪のない人たちを死なせたことになる。
私のせいで――
思い悩んでいたら、もう一つおかしなことがあることに気づいた。
前回、老人が私と扉の間にいたため、あの爆発で私は怪我をしなかった。
老人の身体で防げる程度の爆発だったわけだ。
しかし、今回は三人が命を落とした。
威力が増している。
どこでどう因果に影響が出て爆弾の威力が変わったのだろうか。
これまで私が改変したことの中に、その変化のトリガーとなる因子があったはずだ。
その因子をたどれば――
「ところで、他の連中はどうなりました?かなりの人数が潜んでいたはずですが」
「墓所で撃ちあいになりました。
ちょうど近所の踏切で、所轄の警官が一旦停止の取り締まりをしていたので、その連中を現場に行かせました。そいつらが墓所で鉢合わせしたんですが、奴らは警察官の姿を見るや否や発砲してきたそうです。そのとき、一人が撃たれましたが、もう一人が応援が来るまでねばって、相手は応援の人数を見て投降したそうです。でも、木村は行方不明ですね。阿佐ヶ谷のところにも帰っていません」
安藤はそう言ってコーヒーに手をつけた。
「うまいですなあ」
「お粗末様です」
洋子はようやく笑みを浮かべた。
だが、私には新たに気になることができ、笑みを浮かべるようなことはできなくなっていた。
前回、テロリストたちは銃を持っていなかった。
爆薬と銃。
因果はどんな風に繋がっているのだ。誰がテロリストに繋がっているのだ。
――阿佐ヶ谷だけだったところに、ほかのヤツが加わったのか?
考え込む私の気配が切っ掛けになったのか、安藤は話題を変えた。
「ところで、奥さん、アレ、見せてもらえます?」
安藤は拳で突く仕草をした。
「これですか?」
洋子は暗器を取り出した。
「はい。ところで、これは何ですか?」
安藤は私の方を見て聞いた。
「T字フックです。クレーンで重いものを吊る時に、ワイヤーを引っ掛けるやつですね。Tの縦棒のねじ山が切ってある部分を、機械とか金型にねじ込んで、そのフックにワイヤーを引っ掛けて吊り上げるんです」
「どうしてこんな物をお持ちで?」
「それは、昔勤めていた会社で、必要になって自分で作ったやつです。なんとなく記念にもらって来たんですよ」
安藤は溜息をついた。
「わかりました。コレについては、誘拐される時に家の中に転がっていた物を無意識に掴んだ、ということにしておきます。ちょっと苦しいですが、こちらにも、宮下のこととかつつかれたくない事情があるので、何とかなるでしょう。とりあえず、これは預かっておきます」
その後、少し雑談をして、安藤は帰って行った。
「ねえ、お願い聞いてくれる?」
安藤が帰った後、洋子が甘えた声を出した。
「なに?」
「あれ、もう一つあったでしょ?」
「あれって?」
「フック」
「そんなに気に入ったの?」
「いいでしょ?」
座っている私に、後ろから洋子が纏わりついてきた。
洋子は少し慢心しているのかもしれない。
だとしたら、そんな時が一番危ない。
だが、身を守る手段が何もないのも心配だ。
結局、私は洋子の望むとおりにすることを選んだ。
「じゃあ、はい。でも、無暗に使わないでよ」
私はポケットから自分のT字フックを出した。
「わかってるわよ」
洋子は口を尖らせたが、機嫌はかなり良い。
時々、「しゅっ」と言いながらシャドウボクシングのようなことをやっている。
「あれ?こっちの方が使いやすい」
「ああ、そっちの方が重いし太いからね」
吊り上げる装置や金型に合わせて作ったから、それぞれ太さがちがうのだ。
洋子のシャドウボクシングはしばらく続いた。




