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まことの道を歩みたく  作者: 藤原時照


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第十六話 暗器

 洋子が目覚めると、私は彼女に話しかけた。

 作戦開始だ。

「土曜日、出かけない?」

「どこに連れて行ってくれるの?」

「銀座はどう?あの日だめにしたスカーフを買い直さないか?私に選ばせてほしい」

 洋子の答えはキスだった。それも、かなり熱烈な。ちょっと寝起きの口臭が気になったが。


 土曜日、私と洋子はあの店にいた。

 果たして、あのときのスカーフは両方とも置いてあった。

「これが良いと思う。絶対キミに似合う」 

 私は鮮やかな青いスカーフを手に取った。

 あのとき選ばなかった方のスカーフだ。

「ちょっと私には派手じゃない?」

「美人には派手なくらいがちょうどいいよ」

「何か企んでる?」

「かもね」

 私は洋子の耳元で囁いた。

「奥さんがきれいで嬉しいんだよ」

「何言ってるんだか」

 彼女は少し考えているようだった。

「じゃあ、これにする」

 この程度で因果が変わるはずがない。

 だが、やれることは皆やるつもりだ。

 小さな変化でも、それが積もれば何かが変わる。

 私は最初のドミノを倒した。


 家に帰ると、私は昔の荷物が入った段ボールを開けた。

 なかなか求める物は見つからず、結局段ボールを四つ開けることになった。

「何を探してるの?」

 洋子が声をかけたちょうどそのとき、私はようやく求めるものが見つけた。

「これだよ」

 それはT字フック。

 クレーンで重いものを吊り上げる際に、ワイヤーを引っ掛ける道具だ。

 このT字フックは、最初に勤めていた会社で、私が二本のボルトを溶接して作ったもの。

 当時、装置をクレーンで吊るためにT字フックが必要になった。それで急遽自作したわけだが、ついでに自分用を二個作っておいたのだ。公私混同ではあるが。

 普通の人にはT字フックなど必要ない。だが、私は違う。私がこれを持っている理由は、暗器として使えるからだ。Tの横棒の部分を握り、縦棒の部分を指の間から出せば、暗器として十分に使える。ナックルダスターの変種として。

「何それ?」

「良いもの。こうやって使うんだよ」

 私は洋子に使い方を見せた。

 洋子はそれに興味を示した。

「貸して、貸して」

 彼女はそれを使って見せた。以前護身術教室に通っていたそうだが、彼女の突きはかなり様になっている。その暗器は、武骨で見た目の悪いものではあったが、彼女は思いのほか気に入ってくれたようだ。

 対策はこれで終わりではない。

 次は、防犯カメラの発注だ。

 室内にカメラを設置し、知らないうちに侵入され、工作されるリスクをつぶしておくのだ。

 

 こんな具合に、私は時が巻戻る前のことを思い出しながら、来るべき日に備えた。

 防犯カメラが間に合わなかったのは残念だが。

 そして、当日――

 私は洋子にジーンズを履くように言った。

 洋子は怪訝な顔をしていたが、何も言わず、私の言う通りにしてくれた。

 この日、洋子はスカーフをしなかった。

 私は、前回からの変化を実感しながら、洋子にT字フックを渡した。

 それをポケットに入れておけと。

 

 次は電話だ。

 私は木村の電話を待った。

 それは、正しく前回と同じ時間に来た。

 そして、やはり前回と同じ時間に木村がやって来た。

 私は木村に促されて車に乗る。

 洋子のことは保険をかけてある。

 昨日、安藤に洋子が誘拐される可能性があると伝え、警護を厳重にするよう頼んでおいた。

 理由を聞かれたが、いまは言えないと言うしかなかった。

 安藤は何かを勘繰っている様子ではあったが、警護は引き受けてくれた。

「運転手さん、ちょっと忘れ物をしたので、引き返してもらえますか?」

 車が走り出して数分後、私は鞄を覗く振りをし、運転手にそう告げた。

 タイミングを考えると、そろそろテロリストたちは自宅に向かっているはずだ。

「わかりました」

 車はUターンをするために右折車線に入った。

「ちょっと待ってください。阿佐ヶ谷が待っておりますので……」

 前回、木村は西大井への行先変更に異議を唱えなかった。

 今回、この男は自宅への行先変更に異議を唱えた。

 まちがいない。

 テロリストの行動を知っているのだ。

 この男はテロリストに繋がっている。

「いやいや、準備した資料がないと話になりませんから。五分か十分のことですよ。それくらいなら、ちょっと道路が混んでいるぐらいの感じで、大差ないでしょう?」

 木村はどうしても引き返したくないようだった。

 だが、断る理由も思い浮かばないらしく、最後には、私の言うことを受け入れた。

「わかりました」

 車はマンションへと戻る。

 このやり取りから考えると、たぶん運転手はグルではない。

 それなら、とりあえず木村にだけ気をつけておけばいい。

 私はそう考え、木村を観察した。

 といっても、木村に目を向けるわけではない。

 この時、私は八方目という技術を使っていた。

 それは、どこにも目の焦点を合わせないことで、視野全域を見る技術だ。

 この技術を使えば、前を見ている状態でも横にいる者の動きを観察できる。

 木村は明らかに焦っていた。時々爪を噛んでいるのだ。

 冷静な姿しか見たことがなかった木村の態度が崩れている。

 その焦りは私にも伝染した。

 想定以上のことが起きているかもしれない。

 そう思うと、家までの道のりが、往きの何倍にも感じられた。

 だが、車は往路と同じように五分で自宅に着いた。

 頂点に達しようとしていた焦りから、私は車が完全に駐まる前に、ドアを開けて飛び出した。


 部屋には鍵が掛かっていなかった。

 靴を脱ぎ捨てて室内に入ると、そこに洋子はいない。

――警護は?

 私は安藤に電話をかけた。しかし、電話に出たのは宮下だった。

「須藤です。安藤さんはどうしたんですか?」

「すいません。ちょっと急病で倒れてしまって。ところで、何かお急ぎのようですけど、どうしたんですか?」

――宮下に話していないのか?

「妻が誘拐されました。たぶん、阿佐ヶ谷が絡んでいます。いまから追いかけますので、応援お願いできますか?」

「わかりました。それで、どこに行けば良いですか?」

「西大井の三条清麻呂公の墓所までお願いします」

 応答するまでに少しの間があった。

「わかりました。三条清麻呂の墓ですね。踏切すぐの。いま、ナビで場所が確認できました」

「じゃあ、お願いします」

 マンションを出ると、木村の乗った車はいなくなっていた。

 私は駅に向かった。

 電車で行っても到着時間はそれほど変わらないはずだ。

 だが、駅に着くと、電車は止まっていた。まさか、私が因果に干渉したせいで、大規模なテロでも始まったのだろうか?そんな考えが頭をよぎった。

 自分たちの運命を書き換えたために、罪のない誰かが命を落とすようなことになれば、私は自分を許せなくなる。そう思いながらも、私は何が起きたのか確かめようとはしなかった。

 いまは余裕がない。

 私は電車を諦め、タクシーを探した。

 だが、そちらもだめだった。

 電車が止まっているせいで、タクシー待ちの列はかなり長くなっている。

 自転車を使った方が――

 私はそう考え、家に戻ることにした。

 その時、携帯が鳴った。

 安藤からだ。

「はい」

「安藤です。すいません。宮下にやられました。あいつはあっち側です」

「安藤さんは、大丈夫ですか?」

 私は早歩きをしながら会話を続けた。

「こっちは大丈夫です。奥さんは?」

「やられました。迎えに来た秘書の木村も消えて、電車で行こうと思ったんですが、電車も止まっていて。それで、いま、自転車を取りに自宅に戻るところです」

「じゃあ、私の車で行きましょう。近くに来ていますので、いまからお宅に向かいます」

「わかりました。お願いします」

 家に戻る間、私は宮下の対応を思い返していた。洋子が誘拐されたと伝えたとき、彼は細かな事情を聴こうとしなかった。それに……。

――誘拐現場の保存は考えなくて良いのか?

 安藤の言うように、宮下があっち側の人間なら、これから私たちを殺すのだから、現場なんてどうだって良い。私からの電話だってなかったことにできる。宮下があちら側だとすれば、その行動に矛盾はない。だが、宮下の口調からは、私を信頼している様子が窺えた。私には、彼が私の焦燥感を慮って対応してくれたように思えてならない。

 自宅に戻るまで、私は宮下のことを考えていた。

 答えは出ない。

 自宅マンションの前には、赤色灯を出した覆面パトカーが待っていた。運転席で安藤が手を振っている。

 私はすぐに助手席に乗り込んだ。

「お願いします。場所は西大井です」

「任せてください」

 安藤はサイレンを鳴らした。

 だが、大通りに出ると、道は渋滞していた。

 サイレンを聞いて渋滞の列に隙間ができたが、あまりにも狭いために、ゆっくりとしか先に進めない。私は焦り出していた。

 助手席から身を乗り出して先を見ると、渋滞の先頭には事故を起こした車があった。

 その車は――

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