第十五話 死
「ちょっとこれから危ないことが始まりますので、ここから離れてもらえますか?」
私は、門の前にいた人たちにそう告げ、通用口の前に立った。
「ちょっと、勝手に入っちゃだめだよ」
老人の一人が、そう言って私とドアの間に入った。
その時、老人の手が通用口のドアノブに触れた。
轟音をあげてドアが吹き飛ぶ。
その爆発によって、周囲に大量の釘が撒き散らされた。
私は咄嗟に後方に飛び、一回転して受け身をとった。
走って来たタクシーが急ブレーキをかけて止まる。
私は腰を押さえながら立ち上がった。久しぶりの受け身で、腰をアスファルトに打ち付けたのだ。打撲はベルト越しではあったものの、腰はかなり痛む。
腰をさすりながら立ち上がり、私は周りを見回した。
爆薬は木戸の向こう側に仕掛けられていたようだ。爆発で飛び散った釘の多くは、目の前に散らばる木戸の破片に刺さっている。爆発の衝撃の何割かは木戸に吸収されているようだ。効果が減殺されることを考えない、かなり拙い仕掛けだ。私にとっては幸いであったが。しかし、あの老人はそうではない。こちら側に抜けた残りの釘は、私と木戸の間にいた老人が受け止めることになり、老人は彼岸へと旅立っていった。
「警察と救急車を呼んでください」
私は、生きている老人たちにそう告げた。
爆発の犠牲となった老人の遺体に手を合わせた後、私は壊れた通用口をくぐった。
左手の建物から笑い声が聞こえる。
テロリストたちは私が死んだと思っているのだろう。
笑いが収まると、建物のドアが開いた。
誰かを確認に寄越したようだ。
私は植え込みに隠れ、足元に落ちていた小石を拾った。
植木の隙間から、刀を持った男が通用口に向かうのが見える。
一人だ。
その男は警戒しながらゆっくりと歩いている。
歩き方を見る限り、武術の心得があるようには感じられない。
それなら――
男が脇を通り過ぎるのを待ち、私はその背後に躍り出た。
男が振り向いた瞬間、顔に小石を投げつける。
男は小さく声を上げ、顔に手をやった。
持っている刀を構える気配はない。
まるで素人だ。
私はすかさず秘伝の蹴りを放った。
男の身体が宙を飛ぶ。
男は鉄の門扉に背中からぶつかった。
かなり大きな音がした。
その音は問題の建物まで聞こえたはずだ。
男の身体は門扉からずり落ち、地面に崩れ落ちていく。
さきほどの中年女性たちがいた方から、しゃっくりのような声が聞こえた。
私はギャラリーを無視して男の手から刀を奪う。
その刀はあまりにもピカピカしていて軽かった。それはジュラルミン製の居合刀。病院襲撃時に使われていたものと同じだ。一応研いであるから斬ることはできる。しかし、強度はない。きちんと刃筋を通さなければ、この前のように曲がって使い物にならなくなる。
さて――
問題の建物の方を振り返ると、建物から何人かの男たちが出て来た。
最後に、洋子を連れた男が、偉そうな態度で現れた。
洋子は縛られてはいないが、ガムテープで口をふさがれている。そして、爆薬らしきものが身体に巻き付けられていた。幸いなことに、服に乱れはない。私はその一事に安堵した。
「これを押すと爆発する」
男は、手に持ったスイッチを見せ、コクシ人独特の訛りで私を脅した。
その言葉のあと、さまざまな刃物で武装した男たちが、私の方に歩き出した。
彼らはゆっくりと散開しながら歩を進めている。数人は、スイッチを持った男と洋子の前に立ち、彼らの姿を隠すようにしている。
人質がいては如何ともしがたい。
私が死ぬのは良い。
なんとか、洋子だけでも助けられないか。
コクシ人たちと対峙しながら、私は戦術を考えていた。
その時、人質になっていた洋子が動いた。
彼女は、男の持っていたスイッチボックスに手をかけると、男の手の上からスイッチを押した。
それはかなりの爆風だった。
その風は、べたべたした何かを運んできた。
次に来たのは湿った風。
最後に、その風が、洋子が身につけていたスカーフを運んできた。
洋子が私のもとに帰って来たように感じた。
私はそれを手に取ってポケットに入れながら、自分の目元の筋肉が激しく収縮するのを感じた。
視界が涙で歪む。
周りには茫然としているコクシ人たちがいた。
彼らが我に返る前に、私は彼ら斬った。
爆発で負傷して地面で呻いている者たちは、刀で止めを刺した。
それはあまりにも簡単だった。復讐と呼ぶにはあまりにも簡単すぎた。彼らは品川や病院で戦った者たちよりも弱く、全く訓練されていないようにさえ感じられた。
全員の命を奪っても、私の怒りは一向に収まらない。
コクシ人への殺意が増幅していく。
私は自分の中に、暗い深淵をみつけた。
深淵へ落ちようとする間際、私は自分が日本人であることを思い出した。
「真」
それは、新世界に来て支えにしてきた私たちの宝。
私は、これまでに会った、コクシの人たちを思い浮かべた。
そして、彼らを一括りに考えることは間違いだと自分に言い聞かせた。
刀を振って血を払い、ポケットから自分のハンカチを取り出して刀を拭う。
私は洋子の遺体の傍らに正座した。
そして、洋子を見る。
そのまま刃に洋子のスカーフを巻きつけると、スカーフの上から刃を握り、それを自分の胸に突き立てた。
切腹は腹を切るものだ。
だが、それは名誉を守るためのパフォーマンス。
私にはどうでも良い。
濯がねばならぬ恥などない。
いまはただ時が惜しい。
洋子を追うのだ。
一人にはしない。
そのために、私はもっとも時間がかからない方法を採った。
気がつくと、そこは、よく夢に見る庭だった。
花が植えられており、美しい蝶がいる。
目覚めている間は忘れていた記憶が自分の中に流れ込んで来た。
ここは自分の家。
目覚めた時には忘れてしまう、こちら側の世界での我が家なのだ。
「あら、早かったのね」
洋子が微笑んでいた。
その洋子は見慣れた洋子ではなかった。
人にあらざる美しさ。
こちらの世界でのほんとうの洋子だ。
「ゆっくりしていると、君に浮気を疑われかねないからね」
「馬鹿ね」
「でもそうだろ?」
私は彼女の手をとった。
彼女は微笑んでいた。
私は洋子のとなりで目覚めた。
洋子は死に、私はその後を追った。
だが、それは夢になった、
夢から覚める直前、私は人の頭を持つ巨大な鳥を見た。
その鳥は、私に何かを語り掛けた。
はっきりとは憶えていないが、その鳥は、私をフソウの子と呼んでいた。
あれは夢であって夢でない。
私はそれを知っている。
洋子が殺されたことも夢でない。
だから、私の中に渦巻くコクシへの怒り、そしてその背後にいるセイグウへの怒りが消えることはない。
だが、私は日本人――あの不思議な鳥が言うフソウの子であることを選んだのだ。
だから――
「んー、早いのね」
洋子はまだ寝ぼけている。
「ごめん。起こしちゃったね」
「んーん」
洋子はそう言って、寝ぼけながら私を確かめた。
「今日も元気ないのね」
彼女はもごもごという感じでそう言った。
「歳だから。ごめん」
私がそう言うと、彼女はまた眠ってしまった。
私は歳ゆえに、諸々の能力は衰えて来ている。
そういうことにしている。
実を言うと、私は東医学や気功を学んでいるので、自分の身体をある程度なら制御できる。
いまも、その気になれば、洋子の期待に応えることはできる。
だが、それを洋子に言えば、底なしに求められるだろう。
それがわかっているから、私はわざと衰えを見せている。
私は静かに床を離れ、ダイニングに行った。
そして、コーヒー豆を挽き、コーヒーメーカーをセットする。
コーヒーを待つ間に、私はあの夢を紙に書き残す。
憶えている限りのことを物語のように書いた。
夢、あるいはかつての現実は、しばらくすると忘れてしまう。
まるで憶えていることが許されないように。
だが、今回は、忘れてはならないことが含まれている。
そう思える。
だから思い出せる限りのことを書き残しておかなければならない。
こうして、私は一枚のメモを書いた。
それは不思議なメモだった。
少し目を離すと、書いてあることを忘れてしまうのだ。
私には、このメモがこの世の秘密に繋がっているように思えた。
そして、その不思議さ故に、このメモには、奇跡を起こす何かが宿っているように感じられる。
私はメモを見ながら考えた。
いまの私は、洋子にスカーフをプレゼントしていない。
その直前の時間にいる。
――では、そこからだ。
これからの行動計画を考え、重要な項目には線を引いて対策案を書き入れた。
コーヒーを飲みながら、私の口元には自然と笑みが浮かんだ。




