第十二話 老いらくの日々
私は洋子のマンションに引っ越した。
彼女は高給取りで、独身でありながら都内に3LDKの分譲マンションを所有している。
しかし、私の世話をするために、その仕事を辞めてしまった。
私のせいで、これまで積み重ねてきたものを放棄させてしまったのだ。
私はそれを追い目に思う。
彼女は私に微笑んでくれるが、私はその笑顔に値するのだろうか、と思ってしまう。
少し前まで、ストーカーのように感じていたことを申し訳なく思う。
私はどうやって彼女に報いればいいのか。
その日の夜まで、私はそんな風に悩んでいた。
だが、そんな考えはその夜のうちに吹き飛んだ。
最初は控えめに始まった。
しかし、気がつくと、彼女はひどく貪欲だった。
私は彼女に奉仕した。彼女への感謝の思いゆえに。
私は中医学や気功を応用した技を彼女のために使った。
そこまでは私がリードしていた。
しかし、いつしか攻守は交代して――
夜が明け始める頃には、私は十分彼女に報いたような気がし始めていた。
朝になると、彼女はすっかり変わっていた。肌は潤って艶があり、二十代といっても通るような輝きを放っていた。それが私から吸い取った精気によるものだと思うと複雑な気分になる。
「あのう、洋子さん、お願いがあるのですが……」
「なあに?」
彼女は笑みを浮かべた。
「何分歳なもので、今後はもうすこし加減していただきたいのですが」
私は丁重にお願いした。
「だーめ」
彼女はそう言って、んふふ、と笑った。
こんな風に、私と洋子の生活が始まった。
それから数か月が経った。
もう私のことを報道するテレビ局はない。きっと人々の興味は他に移ったのだ。いま、テレビの画面では、バラエティタレントがほかのタレントをいじり、何が面白いのかわからないネタを披露している。私は嫌な気分になってテレビを消した。代わりにデスクトップの電源を入れ、ネット上で自分の扱いを調べることにした。
果たして、ネット上では私のことが未だに話題になっていた。その様子は、テレビの姿勢とはまったくちがう。その違いは、テレビ局の報道に、何らかの意図的な操作があるのではないかと疑いたくなるほどだった。いまネット上で沸き起こっている、反セイグウの様相はそれほど酷かった。一方で、その動きに対して強く反発している者たちも存在する。両方ともひどく感情的だ。その争いの根拠はすべてが人伝。客観的に見る限り、誰かが先導しているようにしか見えない。
私は客観的な視点を海外に求めた。
だが、そこでは――
武術で盛り上がっている者たちを除くと、そこにはやはり同じような扇動の形跡があって、日本の状況をさらに過激にしたような様相を呈していた。
続けて、いろいろなサイトをチェックして回ったところ、私は妙なリンクを見つけた。そのリンクの先には、私への挑戦を呼び掛ける告知がある。さらに調べると、あちこちのスレッドに同じリンクが貼り付けてあり、その告知サイトに誘導されるようになっていた。
誰かが総合格闘技の試合を組もうとしているようだ。
賞金も提示されている。
日本円にして一億。
しかし、会場はどこにも書かれていない。
「洋子、洋子さーん」
「なあに?」
「これ、知ってる?」
「あらあら、あなた試合するの?」
「しません」
「でもこれ賞金がいいわね」
「間違いなく詐欺でしょ?」
「あなたのところに話が来ていないならそういうことよね」
私はこの件を警察に通報することにした。
しかし、現実は思い通りにはいかない。
警察には、海外のサイトには手が出せないと断られた。
一応、記録は残しておくと言われて終わりだ。
安藤刑事たちへの取次も拒否された。
警察の対応はどこかおかしい。
テロリストの残党は、まだどこかに潜伏している。
警察は、それをどう考えているのだ。
いまの私には妻がいる。
護らなければならない者がいる。
警察があてにならないのなら――
「ネクタイこれでいいかな」
私は青無地のネクタイを見せた。
「青無地って、政治家がよく使うからかぶるわよ。それにしても、見事に無地ばっかりね」
彼女は、ワードローブに吊るされている私のネクタイを見てそう言った。
「レジメンタルタイの意味までビジネスマナーに組み込む人がいるからね。旧世界の文化なんて、いまさら気にしなくていいのに」
「ひょっとして、そっちの箱に入ったのがマナー違反のやつ?」
「そう」
その箱の中には、柄物、ストライプだけでなく、明るい色のネクタイも丸めて放り込んであった。景気の悪い時期には、明るい色はマナー違反だと考える人がいるからだ。
「うーん」
洋子は一通りチェックして、一本を選んだ。
「これ」
それはエンジで織柄が入っている、ブランド物のネクタイだった。
赤系はアグレッシブなイメージを与えるという。
だが、攻撃的と受け取る人もいる。
今回はあまり目立ちたくない。だから私は知性や冷静さを演出する青と考えていた。しかし、ここは洋子の言う通りにする。家庭円満のために。
「じゃあ、それにする」
いま、私は会議に出る準備をしている。
退院後、内閣府から声がかかり、顧問の名目で会議に出席することになった。
今回の議題はコクシへの対応とテロ対策。
普段は週に一度の出勤で、結構な給料をくれるらしい。ただし、深夜であっても電話や緊急招集には応じなければならない、ということになっているが。
政治家は例外なく悪。
私はそう思っている。
そして、政党とは、その悪を維持するための組織、というのが私の考えだ。
そんな私にとって、内閣府は悪の中枢とさえ言える場所。
それでも、私はそのオファーを受けた。
理由は、中に入り込んで、情報を手に入れたいから。
今回のテロで、私はその背後にいる連中を敵に回した。
内閣府に入り込めば、国の運営に彼らの影響がどの程度あるのか、また、影響が役人まで浸透しているのか、といった内情を知ることができる。テロの背後にいる者に関する情報も手に入るかもしれない。
そして、もうひとつ。
無職の私にとって重要なのは、このオファーを受ければそれなりのカネが手に入ること。
これでヒモのような生活をしなくて済むようになるのだ。
その会議は、お役所仕事特有の前フリと関係者の紹介から始まった。
私の席は主催者側にあり、参加者と対面する位置関係。
参加者の反応がよくわかる。
私が紹介される番になると、会場に妙な空気が流れた。
私へ向けられる視線は、敵意が含まれたものも少なくなかった。
そのあと何人かの紹介があり、注意がそちらに向いたのか、敵意のある視線は消えた。
一旦は。
出席者の紹介が終わると、次は品川テロの動画鑑賞になった。
どうやら手に入れられるだけ動画を集めたらしい。
中には防犯カメラの映像まであった。
上映された動画は、テロ対策会議だけに、もちろん無修正のもの。
死体が映されると、席を立つ者も出た。
そして、敵意のある視線が復活した。
そこに、嫌悪なのだろうか、別種の視線まで加わった。
そんな雰囲気になってしまい、休憩時間になった時点で私は帰りたくなった。
だが、金をもらっている以上、帰るわけにもいかない。
休憩が終わると、次は病院での戦いであった。
これはテレビ局が撮った動画で、ブレもなく鮮明に撮れている。
それが問題を引き起こした。
その動画、テレビで放送された時にはモザイクが入っていた。
しかし、ここで上映されたのは無修正のもの。
人の首を刎ねる辺りで、誰かが倒れて派手な音をたてた。
さらに何人かが席を立って行った。
私に向けられる視線はさらに不快なものになった。
私は反射的に睨み返してしまったが、そうすると、相手は怯んだように目を逸らした。
「では、この辺で、須藤さんに当日の様子やお気づきになったことをお話しいただければ、と思うのですが」
――聞いていない。
急に話を振られても困る。何も準備をしていないのだ。私は抗議をしたくなった。だが、堪えることにした。金をもらっている以上、その分の働きをしなければならない。
ステージに上がると、正面に気になる男が座っていた。その男を見て、面白いことを思いついた。コクシ人が苛立つようなことを話したら、この男はどんな反応をするだろう?
私は軽く頭を下げた後、自分の考えを話し始めた。
「私は当事者として彼らの行動を観察する機会がありました。あの時、私は、彼らの行動が、彼らの文化に基づいたものだ、と感じました。ご存知かもしれませんが、私は、かつて、コクシ企業で働いていた経験があります。当時は、嫌がらせを日常的に受けていました。それに、彼らには犯罪を忌避する感覚がないことも知りました。今回のテロでは、その当時に学んだコクシ人特有の行動原理が見受けられます。その行動原理を知れば、今後の彼らの行動も予測できるのではないか、と思います」
私は会議の進行役に時間をどのくらいもらえるのか聞いた。彼は、いくらでもどうぞ、と言った。
――だったら、余すところなくぶちまけてやる。




