第十一話 さまざまな事情
目が覚めると、あの人がいた。
「毎度どうも」
ふざけてそう言おうとしたが、くぐもった声しか出なかった。
彼女は、私が目覚めたのに気づくと、静かに泣き始めた。
彼女は何も言わなかった。
私の手を取ると、かがんで手の甲を額に押しあてた。
落ち着くと、彼女は医者を呼んでくれた。
医者が体調を尋ねようとしたが、私はそれを遮って質問した。
くぐもった声にしかならなかったが、医者は耳を傾けてくれた。
「すいません。前の治療費も払っていないのに。今度も治療費は分割でお願いしてよろしいでしょうか」
「そんなことは後でいいですから」
だが、そんなわけにはいかない。私は、医者が話すのを遮って、さらに聞こうとした。
「そういうわけには……」
筋は通さなければならない。それに、彼女に負担させるわけにもいかない。絶対に。
そんな私を、今度は医者が遮った。
「あなたのために有志で基金ができているみたいです。クラウドファンディングとかいうやつです。大丈夫です。お金のことは気にせず、治療に専念してください」
涙が出た。
私は礼を言おうとしたが、そのまま気を失ってしまった。
この時、私は死にかけていたそうだ。
次に目が覚めると、やはり彼女がいた。
「ごめんね。折角用意してくれた服、ダメにした」
声が掠れてはいたが、ちゃんと話すことができた。
「そんなこと、いいのに……」
「いや、甘えるわけにはいかない」
私は、彼女に負担をかけ過ぎていると思う。名前さえ知らない人なのに。
「ところで、ずっといてくれたみたいだけど、仕事は大丈夫なの?」
目が覚めるといつも彼女がいた。
自分が職を失ったばかりなので、私には、彼女の仕事のことが気になるのだ。
「辞めちゃいました。」
彼女は涙を流しながら、しかし、笑みを浮かべて言った。
――私を看病するために仕事を辞めたのか。
恩。
借り。
負い目。
私のなかに、言い表せない思いがうまれた。
どう報いれば良いのか。
考えていたら、脈絡もなく言葉が口を出た。
「私の妻になってくれますか?」
「はい」
返事は即座に返って来た。
こうして、私の人生に、ようやく居場所ができた。
だが、コクシとの戦いは、まだつづくかもしれない。
戦いがつづくなら、彼女を巻き込むことになる。
その事実に気づくと同時に身体の限界が来た。
私はそこでまた眠ってしまった。
次に目が覚めると、やはり彼女がいた。
「ごめんね。寝ちゃったみたいだ」
「おはようございます。じゃあ、また寝ちゃわないうちに、これ書いてくださいね」
それは婚姻届だった。彼女の名前はもう記入されている。
半沢洋子。
私はようやく彼女の名前を知った。
私が用紙に記入すると、彼女は印鑑を取り出した。
「はいどうぞ」
その印鑑には「須藤」と彫られている。
用意万端。
それを受け取った時、なんだか罠に嵌められたような気がした。
しかし、一度口に出したことは引っ込められない。
「洋子と呼んでいいかな」
「はい。恭介さん。末永くお願いします」
こうして、半沢洋子は須藤洋子になった。
そういえば、目が覚めるまで、私は長い夢を見ていた。
途中で目が覚めたときも、その夢は終わらず、ずっとつづいていた。
あれは鬼のいる世界。夢の中で、私は鬼を退治していた。
その夢の中には洋子もいて、そこでは違う名で呼ばれていたと思う。
あの夢の余韻が残っていたから、私は洋子に妻になってくれと言ったのかもしれない。
それにしても、変な夢だった。
私は一ヶ月半ほど眠っていたようだ。実際には、事件の一週間後奇跡的に目覚め、金の心配がないと知った途端、眠ったままになったのだが。我ながら、現金すぎて恥ずかしくなる。
目覚めてから、また例の二人組の刑事が来た。
彼らは良い知らせを持って来てくれた。
今回のことで、セイ連が国際テロ組織に認定されたという。
最初のテロで捕まった連中は、様々な犯行を自供した。もともと、セイ連が主にやっていたことは情報操作。しかし、今回は、サイバー攻撃やスパイ行為まで裏付けが取れた。加えて、セイ連の設立・運営には国家が関わっている以上、セイグウ連邦の関与も疑われる。情勢は大きく変わった。
本来なら、日本政府は、セイグウとの関係を見直すべき状態にある。
しかし、日本の政界には、すでにセイグウの資金が流入している。
だから、反セイグウの動きは表面だけ。
結論を先延ばしにするいつもの手法が採られ、本筋の部分は何も変わらなかった。
しかし、状況は二転三転する。
事態は、政治家たちとセイグウが癒着している証拠の漏洩からはじまった。それは言い逃れのできない具体的な証拠だった。
当初、政治家たちは、いつものようにメディアに圧力をかけ、もみ消そうとした。実際、その圧力には効果があり、いくつかのウェブメディアを除き、報道はされていない。そのウェブメディアも、しばらくすると、親会社である出版社からの圧力で、サイトを閉じることとなった。
一時は口封じが成功したかに見えたが、ウェブ上に流れた情報が消えることはなく、その情報に興味を持った一般人が、政治家を追い回してライブ中継する事例がではじめた。彼らに圧力をかけたとしても、マスコミのような反応をすることはなく、かえって逆効果になることもある。その結果、事態は火消しが難しい方向へと進んでいる。
問題がテロであるだけに、セイグウとの繋がりを疑われれば、確実に政治活動に影響する。そういうわけだから、多くの政治家たちは、下手に動いて藪蛇になるのを恐れ、だんまりを決め込んでいる。
こうした説明をしながら、安藤は、ここだけの話と言って、少しだけ裏情報を教えてくれた。
疑われているのは、与党の派閥の長である二人で、いつも絶好のタイミングで失言をして国益を損なっている者たち、阿佐ヶ谷三郎と玉川俊蔵だ。彼らはコクシの利益のために行動していた可能性がある。
彼らは純粋な日本人ということになっているが、それは真実ではない可能性が高いという。そこには、テレビや新聞が公にすることを禁じられている事情がある。その事情とは、背乗りだ。背乗りとは、戸籍ロンダリングとも言われており、実在の人物の身分を盗用すること。大抵の場合、親族のいない独り暮らしの人物を殺して成り代わることを言う。
彼らは、時に幼稚な反セイグウ的行動も採っていたが、彼らがコクシ人であるという前提で考えると、コクシが日本を攻める大義名分となるよう日本の恥部を演じていた、と考えることができる。
日本列島が新世界に転移して数十年。つまり、二人が政界入りした時期を併せて考えると、彼らが本当に背乗りであるのなら、彼らは日本列島の転移直後の混乱に乗じて工作をはじめていたことになる。




