第十話 無刀取り
兵法家伝書の無刀の巻では、冒頭で、刀を奪い取ることが目的ではなく、斬られないことこそが本旨だと説明されている。それはただの心構えのようであるが、その一方で、具体的な技に関する伝承もある。その伝承によると、無刀取りの構えは、身体を低くし、両手をだらりと下げる形をとっていたという。
その技の胆は機を見ること。
後の先――つまりカウンターをとることが根幹にある。
その機を読み取る技量が技の前提となっている。
しかし、私には、そのセンスが欠けている。
だから、本来であれば、無刀取りは、私ごときには使えない技だ。
だが――
ここには、代わりの条件が整っている。
気をつけるべきは刀を持っている二人。
他は皆ナイフなので、対処は難しくない。
先日の品川でテロを起こした連中と同じ程度の技量ならば。
ナイフを持っている者のうち三人は、両手にナイフを持つ二刀流。
その点が前回とはちがうが、それでもナイフの間合いを越えることはない。
何とかなる。
場を見定め、私は刀を持っている者が一番近くなるように誘導した。
――いまだ。
私は機を見て植え込みに飛び込んだ。
着地と同時に態勢を崩し、右足をかばう。
もちろん、顔には苦痛の表情を浮かべる。
すべて演技だ。
ついでに、中腰の状態でふらふらして見せた。
そうしながら、私は両手の指先で地面に触れる。
その姿勢のまま横に動いた。
右足を軽く引きずりながら。
いま、私の前には刀を持った相手が一人立っている。
私を見てニヤニヤしている。
私が弱っていて、楽に殺せると思ってくれただろうか。
だが、それでも相手は、私の期待通りには動いてくれない。
一定の警戒をしているのか、余裕を見せているのか。
少しにらみ合い、相手はようやく一歩間合いを詰めた。
もう一歩踏み出せば、刀の間合いに入る。
――さあ、はじめよう。
私は手が地面に触れたまま身体をゆらし、さりげなく手の中に砂を溜めていく。
そして、身体をもどす。
そのもどす動きに合わせ、砂を相手の顔に投げつける。
同時に、下から相手の懐に飛び込み、刀の柄に手をかけた。
刀にかけた手は、押すと見せて引く。
押される力に相手は反応し、こちらはその反応に力を乗せるのだ。
このとき、手首の逆を取る要領で相手の握力を殺しつつ、刀をくるりと回転させる。
刀は相手の手を離れ、私のものになった。
いま、その刀の刃は、相手の股間に向いている。
私は刀を上方に引き上げた。
身体の前面を浅く切り裂いただけなのに、相手は派手に悲鳴を上げた。
私は刀を振り、耳障りな声をあげる首を――
これが私の無刀取りだ。
本来、無刀取りは相手の気を盗んで技を使う。だが、実戦慣れしていない私に、そんな芸当ができるものか。だから、気を盗む代わりに砂を投げつけ、自分に都合の良い攻撃の機を創り出した。元祖無刀取りは後の先。私はそれを先の先で使用したのだ。
首を刎ねられた男は、私にもたれかかるように倒れてくる。
構わずその身体を抱きとめると、自分の服が、その身体から流れ出るもので湿っていく。
私はそれを、もう一人の刀を持った敵の方に、勢いをつけて押しやった。
男はそれを避けようと飛び退った。
そのとき、その男は触れるのを嫌がったのか、両手を上にあげていた。
胴ががら空きだ。
私はそのまま間合いを詰め、斬ってくれと言わんばかりの胴を払った。
――浅い!
私には、剣術の経験がほとんどない。師匠の型を見て、それを参考に独りで木刀を振っていた程度の経験だ。意識して鍛錬したので、静止した状態なら刃筋を通すことはできると思う。しかし、実際に何かを斬ったことはない。そんな技量だから、走りながら斬るのはなおのこと難しい。
その刃筋の通っていない斬撃は、別の問題を引き起こした。
刀が曲がったのだ。
どうやら、その刀は、ジュラルミン製の居合の練習刀を研ぎあげたもののようだ。
私は足で踏み、強引に曲がりを直した。
本来なら、こんなこんなことをしていたら反撃が来そうなもの。
だが、この相手は若かった。
浅く斬られただけで、パニックと言っても良いような状態になっている。
反撃は来ない。
おまけに相手の視線は死体に向いている。
隙だらけだ。
ならば――
私はこの男の首も刎ねた。
曲がった刀なので、刃筋は通らない。
だが、それでも致命的なことに変わりはない。
面倒な相手はいなくなった。
後はナイフを持った相手だけだ。
いまの私は刀を手にしている。
間合いで考えれば、こちらが明らかに有利だ。
人数で言えば相手の方が有利だが、技量もあわせて考えれば、まず負ける見込みはない。
この情勢の変化で、相手は人数を活かした戦法を採るようだ。
八人で私を包囲しようとしている。
前方の三人は、時折一歩踏み出すようにフェイントを入れ、私を牽制する。
私が牽制に反応すると、その間に、ほかの者が散開し、私の後ろに回り込もうとする。
私は後ろをとられないよう、牽制しながら位置取りをする。
だが、幸か不幸か、後ろには建物があった。
私は壁際に追い詰められ、半円を描くように囲まれることとなった。
退路は断たれたが、この形なら後ろを気にする必要は無い。
相手の動きが止まった。
だが、彼らは間合いを詰められない。
得物の違いで、私は彼らの間合いの外から攻撃できる。
彼らはそれを警戒している。
退路を断ちはしたものの、後ろを取れなくなった時点で、彼らは攻め倦むこととなったのだ。
――では、こちらから。
私は脇構えの状態で前方に飛び込むと見せかけ、右に跳んだ。ただし、ナイフの間合いには入らない。私は間合いの差を利用し、そのまま胴を横に薙いだ。
遠間からの一撃。
踏み込みが浅いから、十分には斬れない。
だが、隙はできる。
斜め方向に踏み込みながら、同じ軌道を逆にたどる。
今度は、刀の曲がりを意識し、根元から刃先までを擦り付けるようにして斬った。
私はそこで止まらない。
斬った男の陰から出ると、そのまま右横の相手を、同じ要領で袈裟斬りにした。
これで二人。
背後に動きを感じて振り返ると、二人がこちらに踏み出していた。
だが、私の反応が早く、攻撃の出鼻をくじかれて二人とも動きが止まっている。
動かないなら斬りそこなうことはない。
曲がった刀では、きれいに切断することはできないが、致命傷を与えることはできる。
私は一人の胴を斬り、返す刀でもう一人の首を斬った。
残りは四人。
その時、左手にいた敵がナイフを投げた。
そのナイフはでたらめに回転しながら飛んできた。投擲の仕方も知らないらしい。そんなもの、当たってもめったに刺さったりはしない。もしも刃が当たっても、深く刺さることはない。
しかし――
それを見た他の者たちが後に続いた。
すでに倒した相手を含めて、ナイフを持った敵は八人で、そのうち三人は二刀だった。要するに、ここには合計で十一本のナイフがある。そのうちの四本は、倒れた敵が持っている。残りの四人が持っているのは七本。最大で七本飛んでくる可能性があるわけだ。
接近戦を考えて手元に一本残しておくなら、投げられるのは三本。だが、誰かが投擲している間に倒れた仲間のナイフを回収すれば、さらに四本が追加されてしまう。私は飛んでくるナイフを数えながら計算していた。
それにしても、彼らの投擲はなっていない。飛んでくるナイフは、斜めになって飛んで来るか、でたらめに回転しながら飛んで来るかで、当たっても致命傷には成り得ない。
そう思っていたら、まぐれで真っすぐ飛んで来る物があった。
私は、そのナイフを避けようと、身体を反転させた。その瞬間、背中に二つの衝撃を感じた。一つは柄の方から当たったらしく、打撲の痛みだった。もう一つは、回転しながら当たったらしく、浅く刺さってすぐに抜けて落ちた。傷は深くない。
――まだまだ。
私は耐えた。
無手にならないよう手元に一本残しておくなら、投擲はこれで終わりだ。
私はそう考えて、前方に飛び込んだ。そして、正面にいた敵を横薙ぎにした。
続けて右手の敵に対峙しようとしたとき、視界の隅に、後ろに回り込む敵を見た。
私は反転してその敵を袈裟懸けに斬ったが、同時に、背中にナイフが刺さるのを感じた。
今度の投擲はうまくいったようだ。
きちんと私の背に刺さっている。
振り返ると、敵は私の間合いの一歩先にいた。持っていたナイフはすべて投げたはずだが、その男は丸腰ではなく、代わりに刀を持っていた。倒れた仲間の刀を回収したようだ。しかし、その男の構えは素人で、腰が引けている。おまけに、手の震えが刀身に伝わり、刀がぶるぶると揺れ動いている。
私は相手の状況を観察しながら、一歩間合いを詰めた。そして、男の刀を軽く横から叩いてみた。すると、その男は喚きながら斬りかかって来た。
胴ががら空きだ。
だから、私はその胴を抜いた。
それを見て、最後の一人は背を向けて逃げ出した。
私は落ちていたナイフを拾い、その男の尻に投げつけた。
尻を狙ったのは、走る時に尻の筋肉を使うからだ。
深く刺されば、走ることはできなくなる。
浅くても、走る速度はいくらか落ちるだろう。
そう思って投げたのだが、男の反応は予想を裏切った。
その男は、足を止めて刺さったナイフを抜こうとしている。
背が反り返って、ひくひく動いているのが滑稽に見える。
私への警戒を忘れ、男の意識はナイフだけに向いていた。
私はその機を利用し、横を向いている男の頭に刀を振り下ろした。
これで戦いは終わりだ。
私が手にかけたコクシ人は、これで二十一人になった。
戦いの間、病院の門から、数台のテレビカメラが一部始終を撮影していた。
私はそれに気づいていた。
今回の戦いは接戦であったが、今回も相手は弱く、また虐殺と言われるかもしれない。
――虐殺者か……。
近くのベンチに浅く腰掛け、私は警察が到着するのを待った。
そうしていると、視界がだんだん暗くなっていき、耳鳴りが大きくなっていった。
――背中にナイフが刺さったままだった。
そう気づいたときは、身体に力が入らなくなっていた。
やがて、何も見えない、何も聞こえない状態になり、私はベンチに身体を横たえた。
誰かがこちらに走って来る気配があったが、私の意識はそこで途絶えた。




