第九話 リターンマッチ
私はうまく対処できたのだろうか。
警察に想定外の受け止め方をされた可能性は?
途中、私の方から誘導して話題を変えた。
不自然さはなかっただろうか。
それに気づいて勘繰られていなければいいが。
私の頭の中では、いろいろな思考が渦巻いている。
考えながらも、とりあえず、私は返してもらった携帯を手に取った。
すると、認証を飛ばして画面が表示された。
ロックが外されている。
――あの人たちに気を許しちゃだめだな。
見られて困るものは入っていないから問題はない。
しかし、ロックを外したまま返したのはどういう意味だろう?
これでは「見たぞ」と言っているのと同じだ。
これは何かの警告なのだろうか?
――あっ。
私はまずいことに気づいた。
携帯の中には、メモ帳アプリがあり、さまざまなパスワードのヒントがメモされている。パスワードそのものは書いていないものの、ヒントから推測される可能性はゼロではない。いろいろなサイトのアカウントとパスワードが警察に把握されてしまった可能性がある。
私は深呼吸して自分を抑えた。
いまここで悩んでも仕方がない。
警察がなりすましをすることもないだろうから、パスワードはあとで変更しておけば良い。
いますべきは動画の確認だ。
私は気持ちを切り替えて、動画サイトをチェックすることにした。
バッテリー残量を気にしながら。
ニュースに使われた、モザイク入りのダイジェスト版は簡単に見つかった。しかし、オリジナルを見つけるのは難しい。削除要請でもあったのか、検索して表示された動画のいくつかは、開くことができなかった。
だが、さらに探してみると、新しいものがアップロードされ続けているらしく、他にも同じタイトルの動画が見つかった。だから、私は日付でソートし、一番新しくて長い動画を開いてみた。
その動画は、二人目を倒す辺りから私を追いかけていた。つまり、あの「彼女」を助けた時からだ。最初の無様な回し蹴りが写っていなかったのは救いだが、まずいことに、あの日使った秘伝の技がはっきりと記録されていた。それも、望遠でブレることなく撮られている。
――これはまずい。
世が世なら、私は、秘密を洩らしたことで同門の者に処刑されていたかもしれない。処刑は別にしても、ずっと世間から隠されて来た技を動画で暴かれるのは、許されることではない。
――まずい。これはすごくまずい。
技が秘伝にされたのは、もとは流派の優位性を保つためであろうが、そこには悪用されないようにする意味もある。明瞭に記録されて公表されてしまえば、不適切に使われて深刻な問題になりかねない。
私は、そんな風に危惧しながら、動画のコメントを調べた。
画面をスクロールすると、アップロードされてそれほど時間が経っていないにもかかわらず、そこには異常な量のコメントがあった。多くは、スポーツではない本物の武術を見た興奮について。ほかにはやり過ぎだというコメントも散見された。そして、一見して五パーセント程度ではあるが、コクシ人らしき者たちによる私を非難するコメントがあった。その五パーセントのなかには、私を非難しながらも、コクシ人全部がこんなんじゃないと弁解するコメントも含まれていた。
そこまではだいたい予想通りだった。
予想を外れたのは、日本人らしき人たちの書き込みだ。
そこには、殺人を、「正しい」と言う人たちがいた。
どんな事情があっても殺すのはダメ。
戦争はダメ。
それが現代の日本人に刷り込まれた教育で、その言葉は常に錦の御旗のようなものだったはずだ。
それが――
今回の事件を通して、私は、この新世界での生き方に疑問を抱く日本人たちに、変わるきっかけを与えてしまったのかもしれない。悪い意味で。
いくつかの日本人とおぼしきコメントで、私は十人殺しと呼ばれていた。その動画の中には十人のテロリストとの戦いが記録されている。そこから十人殺しと名付けられたのだろう。それは、私の行為を称賛するものであったが、実際のところ、その言い回しは、きっと双方向に働く。虐殺者の呼称として使われる可能性もあるだろう。私を殺せというコメントも少なからずあるのだから。
――虐殺者か。
そして、私は恨みを買い、狙われることになる。
私を殺せという大量のコメントを見る限り、きっとそれは現実になるだろう。
胸の負傷が癒えると、私はすぐに退院を決めた。
足腰の治療はしない。
痛み具合から、放っておいても勝手に治ると判断したのだ。
医者の話によると、足の骨の亀裂は軽度のもの。
安静にしていれば良いそうだ。
放っておいて良いのなら、選ぶのは金のかからない方。
残る問題は、この病院の治療費を工面することと、新しい仕事を探すことだ。
実のところ、私が退院を早めたのには他にも理由がある。
報道によると、私は全治三か月ということになっている。
骨の治療込みの「全治」だ。
退院がずっと先だと思われているから、いま、病院の前にいるマスコミは少ない。
隠れて退院するなら、いまが絶好の機会だ。
いずれ、提示額によっては、マスコミの取材を受けるかもしれない。
だが、いまは放っておいてほしい。
職を失ったばかりの精神状態で取材を受けても、毒を吐くだけになりそうだし。
――さて。
入院前に着ていた服は処分されてしまった。いま着ている服は、あの女性が用意してくれたものだ。それは、高級なブランド品で、金があったとしても、自分なら絶対に買おうと思わないものだ。エリートサラリーマンと思われていた時期でも、私は仕事で着るスーツ以外、服に金をかけることがなかった。だからなんとも落ち着かない。
こんな服を着ていると、どうしても人目が気になってしまう。
実際には、誰も私なんかを気にしないだろうが。
それにしても、あの人はどういう人なのだろう。
そう言えば、まだ名前さえ聞いていなかった。
あのとき、看護士が来て、あの人は逃げるように帰ってしまった。
一応、「彼女」というポジションにいることになっているのに、私は彼女の名前さえ知らないのだ。
警察に「私の彼女の名前教えてください」って聞いたら、なんて言われるだろう。
自分が聞かれる立場なら、何か勘ぐってしまうだろう。
どうやって聞きだせば良いのだ。
とにかく、なるべくはやく服や下着の費用を返そう。
諸事情は後回しにして、いまは警察に行く。
面倒ごとは最初に全部片づけるのだ。
建物から出ると、外は雲一つない青空だった。
私は、久しぶりの日差しに、生き返るような気がした。
同じように考える人が多いのか、前庭では多くの患者たちが日光浴をしていた。
そこには車椅子の人たちもいて、それぞれ男性看護士が付き添っている。
しかし、何か違和感がある。
注意してみると、違和感の正体は明らかだった。
前庭にいる患者と看護士全員が私の方を見ているのだ。
視線に敵意をこめて。
そのうえ、いくつかの車椅子には、何か長細い袋が吊られている。
絶対に医療器具ではありえない。
私はその場に立ち止まった。
すると、ひとりの看護士がその袋に手をかけた。
袋が下に落ちると、そこには刀があった。
――リターンマッチか。
患者と看護士が一斉に私の方に走り出した。
一旦病院の中に戻ろうとも考えたが、その考えはすぐさま打ち消した。
病院の中に入れば巻き添えが出る。
今度の連中は、ナイフを持った者のほかに、刀を持った者もいる。
刃渡りがあるだけに、まわりを巻き込む可能性が高くなる。
私はもう一度相手を確認した。
敵は合わせて十人。
ありがたいことに、銃を持った者はいない。
最近の暴力団は、徐々に日本人がマイノリティになりつつあったが、いまや彼らの多くはセイグウ人に取って代わられている。その伝手を利用すれば、テロリストたちが銃を手に入れることなど容易いはずだ。
それができないということは――
組織がちがって日本国内のコネクションが使えないのか?
いずれにしても、飛び道具がないのは有り難い。
しかし、そうは言っても多対一。こちらが不利であることには変わりない。病院内にいる人たちの安全を考えれば、建物の中に逃げ込むことはできない。ここで踏ん張るしかない。
問題は刀だ。ナイフなら蹴りと同じような間合いだから対処に問題はない。そういう鍛錬もしている。だが、刀は私の間合いの外から攻撃できる。
刀を持った相手と素手で戦う場合、無刀取りという伝説的な技を思い浮かべる。
実際にその伝承を読んだこともあるが、私にはその技を使うセンスがない。
私には無理だ。
――いや。
私はあることに気がついた。
ここなら無刀取りを使えるかもしれない。
ここでなら私に足りないものを補える。




