第5章:商人の慧眼と、市場への第一歩
畑の野菜たちは、私の期待をはるかに超える勢いで実り続けた。トマトは次々と赤く熟し、レタスは瑞々しく葉を広げ、ジャガイモは掘っても掘っても出てくる。二人で食べるには、あまりにも多すぎた。
「カイ。この野菜、近くの町で売ってみないかしら?」
「……売るだと? 誰が買うんだ。この谷の作物は呪われていると、誰もが信じている」
「でも、見ればわかるはずよ。この野菜が、どれだけ素晴らしいものか」
私の瞳に宿る本気の光を見て、カイは小さくため息をつくと、「好きにしろ」と言ってくれた。それは、彼の肯定の言葉だと、もう私にはわかっていた。
翌日、私たちは収穫したばかりの野菜を荷車に積み、一番近くにある町「ロカ」の市場へと向かった。ロカの町は寂れた辺境の町で、市場も活気があるとは言いがたい。私たちは市場の隅に場所を借り、持ってきた野菜を並べた。
しかし、カイの懸念は的中した。人々は、私たちの前に並べられた、ありえないほど色鮮やかで立派な野菜たちを遠巻きに見るだけで、誰も近づいてこようとしない。
「おい、あれ見ろよ。枯れ谷の女じゃないか?」
「あんな土地で、作物が育つわけないだろ。きっと魔術か何かで見た目だけ良くした、毒の野菜だ」
ひそひそと交わされる陰口が、私の胸に突き刺さる。悔しくて、唇を噛みしめた。
諦めて店じまいをしようかと思った、その時だった。
「ほう、これは見事な野菜だねぇ!」
快活な声と共に、派手な身なりの一人の男が私たちの前に立った。赤毛に、人の良さそうな笑顔。しかし、その目の奥は、獲物を見定める鷹のように鋭く光っていた。
「お客さん、お目が高い! この野菜は、私が精魂込めて育てたんですよ」
「お嬢さん、威勢がいいね。俺はマルコ。旅の商人さ。しかし、不思議だ。この辺りの土地じゃ、こんな上等な野菜は育たないはずだが……?」
「企業秘密、というものですわ」
私は扇子もないのに、扇子で口元を隠すような仕草で、気高く微笑んでみせた。公爵令嬢として培った交渉術が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
マルコは一番大きなトマトを一つ手に取ると、まじまじと眺め、匂いを嗅ぎ、そしておもむろに一口かじった。
「――っ! こ、これは……!」
彼の顔が、驚愕に染まる。
「なんだこの味は! 甘いだけじゃない、体の中に力が流れ込んでくるような……これはただの野菜じゃない。魔力が、生命力が凝縮されている!」
マルコの大きな声に、周りの人々が何事かと集まってきた。
「お嬢さん! あんた、とんでもないものを作ってる自覚はあるのかい!?」
「ええ、まあ。少しは」
私は内心の喜びを隠し、あくまでもクールに答えた。
マルコは興奮した様子で、私の手をがしりと掴んだ。
「素晴らしい! これは売れる! いや、俺が売ってみせる! お嬢さん、俺と契約しないかい? あんたが作る野菜、すべて俺が買い取って、最高の値段で売りさばいてやる!」
「……すべて、ですって?」
「ああ! これは金の卵だ! いや、金の野菜か! こいつは王都の貴族だって飛びつくぜ!」
彼の目は、もはや金貨のマークになっているようだった。抜け目ないが、同時に、この野菜の価値を誰よりも正確に理解してくれている。
カイが警戒するように一歩前に出たが、私はそれを手で制した。
「話だけでも、聞かせていただきましょうか。商人マルコさん」
私の言葉に、マルコはにやりと笑った。
「話は早いね、お嬢さん! あんた、見た目だけじゃなく、胆力も一級品だ。気に入った!」
この出会いが、私の、そして枯れ谷の運命を大きく変えることになる。
絶望の谷で見つけた小さな希望の芽は、頼れる商人の慧眼によって、今、市場という広い世界への第一歩を、力強く踏み出したのだった。




