第21話「譲れない戦い」②
「夕凪は、苦いのがだめ」
朝凪が、布団の山を見ながらぽつりと言った。
「……だめって、そこまで?」
「そこまで」
間髪入れずに返された。
なるほど。長年一緒に暮らしてきた姉が言うのなら、間違いないのだろう。
「夕凪。これ、ちゃんと回復薬だからな? 飲めば治るのが少し早くなるんだぞ?」
「……知ってます」
「じゃあ、一口だけでも」
「嫌です」
早い。返事だけなら朝凪に負けていない。
「まだ味も確かめてないじゃん」
「確かめなくても分かります。回復薬は苦いんです!」
布団の中から、妙にはっきりした声が返ってくる。
実際、私もさっき飲んだ。夕凪の言い分はよく分かる。あの苦さは、できれば二度と味わいたくない。
「でも、薬なんだから仕方ないだろ?」
「仕方なくないです!」
いや、そう言われても。
病人のくせに、こんな時だけ元気いっぱいだ。
そこへ篠が、お粥を載せた盆を手に入ってきた。
「夕凪ちゃん、お粥ができましたよ。少し食べられそうですか?」
「……はい。ありがとうございます」
布団がもぞもぞと動き、夕凪の顔が半分だけ現れた。
篠を見る目は、いつもの素直な夕凪のものだった。
「よかった。では、その後でお薬も少しだけ――」
「嫌です!」
すぽん、と顔が消えた。
「……あら」
篠が盆を持ったまま固まる。
朝凪は何も言わず、布団の上から妹の背中をぽんぽんと叩いた。
「夕凪。篠さんが困ってる」
「……ごめんなさい」
「じゃあ、薬は?」
「それとこれとは別です!」
何が何でも飲まないつもりらしい。
私は回復薬の器を見つめた。
傷にも病気にも、身体の回復を助ける。狩人には便利な薬のはずだが、これほど嫌われるとは。
「そんなに嫌なら、飲まなくてもいい方法があるんじゃないか?」
つい口にすると、布団の端がぴくりと動いた。
「……あります」
「あるの?」
夕凪が顔だけを出した。
熱で赤くなった頬のまま、私をまっすぐ見上げる。
「回復薬を飲むくらいなら、雲居さんが帰ってくるまで待ちます!」
「ああ、巫女の術か」
思わず頷いた。
巫女には、回復薬と同じように人の自然治癒力を高める術がある。傷を治す時にも、病気からの回復を助ける時にも使われる、ごく一般的な術だ。
苦い回復薬を避けて、巫女に治してもらう狩人も珍しくないという。
確かに、回復薬を飲まなくても済むなら、そっちを選びたくなる気持ちは分かる。
「でも、雲居は朝から山猫商会だぞ。昨日、『明日は夕方までには戻りますわ』って言ってたけど」
「それまで待ちます!」
「まだ昼にもなってないぞ?」
「待ちます!」
迷いがない。
むしろ、薬を飲ませようとしている私の方が悪者に見えてきた。
「霧江さん。夕凪ちゃんもお水は飲めていますし、今すぐ無理に飲ませなくても……」
篠が小声で言う。
そのとおりだ。熱はあるけれど、夕凪は受け答えもできている。朝凪がそばについているし、今は身体を休める方が大切だろう。
分かっている。
分かってはいるんだけど。
私は手の中の回復薬を見下ろした。
「……なんか、悔しいな」
「何がですか?」
「せっかく作ったのに、苦いってだけで飲んでもらえないのが」
もちろん、夕凪が悪いわけじゃない。
むしろ飲みたくないと言っている子に、無理やり薬を押しつける方が間違っている。
けれど、薬としてきちんと役に立つものが、味ひとつで敬遠されている。
作り手として、そこに工夫の余地がないとは思いたくなかった。
「……じゃあ、甘くすればいいじゃん」
「え?」
篠が目を丸くした。
朝凪も、妹の背中を叩いていた手を止める。
布団の端から、夕凪の目がそろりと覗いた。
「回復薬が苦いのが嫌なんだろ? だったら、苦くない薬にすればいい」
「……そんなこと、できるんですか?」
夕凪の声が、少しだけ明るくなった。
「やってみなきゃ分からないけどな。蜂蜜とか入れたら、飲みやすくなるかもしれないし」
「でも、霧江さん」
篠が首を傾げる。
「回復薬に蜂蜜を混ぜる方法なら、聞いたことがあります。苦味をごまかすために、昔から試されているそうですよ」
「そうなの?」
「はい。ただ、甘くなっても苦さが残るので、あまり評判はよくないみたいです」
なるほど。
そりゃそうか。私が思いつく程度のことを、今まで誰も試していないはずがない。
「じゃあ、蜂蜜を入れるだけじゃ足りないんだな」
そう言うと、篠はますます不思議そうな顔をした。
「……諦めないんですか?」
「なんで?」
「いえ、昔から試されている方法でも駄目なら、難しいんじゃないかと」
「難しいのは分かった。でも、不可能って決まったわけじゃないだろ?」
前世には、甘い味の薬だってあった。
薬を飲みやすくするための工夫なんて、それこそ山ほどあったはずだ。
この世界の薬草で同じことができるかは知らないけれど、試す価値はある。
「夕凪!」
「は、はいっ」
布団がびくっと跳ねた。
「雲居が帰ってくるまでに、苦くない回復薬を作ってみせる!」
「えっ?」
「造作師のプライドをかけて、絶対に回復薬を飲ませてみせる!」
「……ぷらいど?」
篠が不思議そうに首を傾げた。
「ああ、誇りって意味。つまり、造作師としての意地だよ!」
「だったら最初からそう言ってください」
「勢いって大事だろ!?」
篠は呆れたように息を吐き、それから真面目な顔になった。
「……霧江さん。無理やり飲ませるのは駄目ですよ?」
「分かってるって! 夕凪が自分から飲みたいって言うくらい、おいしいやつを作るんだよ」
朝凪が小さく頷いた。
「それなら、いい」
姉のお許しが出たらしい。
肝心の夕凪は、まだ半信半疑のようだった。
「本当に、苦くないんですか……?」
「苦くないだけじゃない。甘くておいしいのを目指す」
「……甘い」
夕凪が小さく繰り返す。
少し迷ったあと、ようやく布団を顎の下まで下ろした。
「それなら……飲んでみたいです」
「よし、決まり!」
ただし、今は寝ていること。お粥を食べて、ちゃんと水分を取ること。
そこだけは約束させた。
夕凪は篠が作ったお粥を少しずつ食べ始めた。
薬にはあれほど抵抗したくせに、お粥は素直に食べている。
(本当に、苦いものだけが駄目なんだな……)
朝凪に看病を任せ、私は篠と台所へ戻った。
……さて。
勢いで宣言したものの、雲居は夕方までには帰ってくる。
それまでに、夕凪が自分から飲みたくなるような薬を完成させたい。
(自分で決めたこととはいえ、急がないとな……)
*
まずは台所の戸棚を開けた。
「蜂蜜、あったよな」
「ありますよ。夕凪ちゃんが、お菓子に使うからって取っておいたものです」
篠が小さな壺を出してくれる。
中には、とろりとした金色の蜜が残っていた。
「勝手に使っちゃ悪いかな」
「夕凪ちゃんのためですし、あとで説明すれば分かってくれると思います」
「それもそうか」
私は作業台に回復薬の器を置き、別の小皿に少しだけ取り分けた。
あまり薄めすぎても、一度に飲まなければならない量が増えるだけだ。まずは少量で、味がどう変わるかを試そう。
「で、蜂蜜を一さじ……」
混ぜる。
緑色の薬液が、少しだけ濁った。
青臭いにおいは相変わらずだが、甘い香りも混じっている。
「なんか、いけそうじゃない?」
「そうですね。さっきよりは飲みやすそうです」
篠が期待した目で覗き込む。
私は小さな匙で一滴だけすくい、舌に載せた。
「……おっ」
甘い。
最初に広がるのは、確かに蜂蜜の味だった。
「これなら――」
言いかけた、その時。
「……うえっ!」
「霧江さん!?」
遅れて、薬草の苦味が追いかけてきた。
しかも甘さが消えた後まで、しつこく舌に居座っている。
「駄目だ。最初だけ甘くて、後からめちゃくちゃ苦い……!」
「そんなにですか?」
「試してみる?」
「……ほんの少しだけ」
篠も小さな一滴を口にした。
最初は穏やかだった顔が、ゆっくりと曇っていく。
「……確かに、後から来ますね」
「だろ?」
「これなら、甘いものを期待して飲んだ分、余計につらいかもしれません」
「それは最悪だな……」
夕凪に飲ませる前に試しておいてよかった。
病人相手に、こんなものを何度も味見させるわけにはいかない。
「蜂蜜を増やしてみる?」
「やってみましょうか」
少し増やす。
今度は、かなり増やす。
さらに台所にあった果実の絞り汁も、ごく少し加えてみた。
結果は、どれも似たようなものだった。
「……甘い。だけど苦い」
「こちらは、酸っぱくて苦いです」
「しかも、薬草のにおいが全然消えないな」
甘味を重ねるほど最初の口当たりはよくなる。
けれど、飲み込んだ後の苦味はしぶとい。果実の香りを加えても、薬草特有のにおいは隠しきれなかった。
これでは夕凪の合格はもらえないだろう。
「やっぱり、難しいですね」
篠が申し訳なさそうに言う。
「篠が謝ることじゃないって。むしろ、手伝ってくれて助かってる」
ふと窓の外に目をやると、朝よりも日が高くなっていた。
雲居が帰るのは、遅くとも夕方の予定だ。
それまでにまだ何度か試せるだろうけど、この調子では間に合うか怪しい。
「……やばいな」
「何がですか?」
「夕方までに間に合うかな。全然できてない」
「そもそも、雲居さんが帰るまでに作るって、霧江さんが勝手に決めたことですけどね」
正論である。
篠は優しいけれど、こういう時だけ容赦がない。
「だって、ここで引いたら悔しいじゃん!」
「夕凪ちゃんのため、ですよね?」
「もちろん!」
……半分くらいは。
残りの半分は、完全に造作師としての意地だ。
私は試作品の並んだ皿を見つめた。
蜂蜜を足す。果汁を足す。香りを重ねる。
やっていることは全部、苦い薬に別の味をかぶせる工夫だ。
でも、どれだけ甘くしても、元の苦さが消えないなら。
「……待てよ」
手が止まった。
「どうしました?」
「私、ずっと甘いものを足すことばっかり考えてた」
「はい。それが目的では?」
「目的は、夕凪が苦くない回復薬を飲めるようにすることだろ?」
篠が小首を傾げる。
そうだ。
甘さでごまかそうとするから、後味の苦さに負ける。
だったら、考えるべきなのは――。
私は残しておいた薬草の葉に目を向けた。
「……そもそも、なんでこんなに苦いんだ?」




