第20話「大事にして」④
私は【エンチャント】を発動した。
――ところが、何も起こらない。
「……あれ?」
「失敗?」
「いや、まだ分からない。ちゃんと発動したはずなんだけど――」
そのとき、作業台の上に置いた化け葛の蔓が、うっすらと光を帯びた。
「おっ」
「光ってる」
蔓の表面から、淡い光の粒がこぼれ始める。最初は水滴ほどの小さなものだったのに、次第に数が増え、糸をほどくように蔓そのものが細くなっていった。
「ちょ、ちょっと待て。これ、まさか……!」
慌てて手を伸ばしかけ、思いとどまる。
森で痛い目を見たばかりだ。初めて見る現象に、考えなしで触るのはやめておこう。
光の粒は、朝凪が押さえている弓へ吸い込まれていく。
やがて最後の一筋までほどけると、蔓は跡形もなく消えてしまった。
「……消えた」
「うん。全部」
朝凪と顔を見合わせる。
いや、何だこれ。
私が使ったのはクラフトスキルのはずだぞ。今までだって不思議なことは山ほど起きたけれど、材料そのものが光になって消えるのは初めてだ。
(……いよいよ魔法じみてきたな)
前世で遊んだゲームなら、ありふれた光景かもしれない。でも、目の前で本当に起こると、なかなかの迫力がある。
「霧江。弓は?」
「あっ、そうだった!」
肝心なのはそっちだ。
私は弓へ手を伸ばし、状態を確かめようとした。
《エンチャントが完了しました》
【対象:弓】
【追加された付与スキル:自動修復(大)】
【現在の付与スキル:攻撃力上昇(中)/自動修復(大)】
「……おおっ!」
「成功?」
「成功! ちゃんと付いてるぞ!」
思わず声が大きくなった。
以前から付いていた【攻撃力上昇(中)】は、そのまま残っている。そして、新しく【自動修復(大)】が加わっていた。
継承可能数が増えた今なら、昔作った道具にも二つ目の付与スキルを付けられる。どうやら、考えていたとおりに使えたらしい。
念のためステータス画面に目を戻すと、先ほど確認したアクティブスキルの使用可能回数が一つ減っていた。
(なるほど。一回使うごとに一つ減るのか)
使い切ったあとどうなるのかは、まだ分からない。けれど、少なくとも今回の一回は無駄にならなかった。
「ただ、素材はなくなっちゃったな」
「惜しい?」
「そりゃ少しは。でも、ちゃんと弓に付いたなら文句なしだよ」
朝凪は弓を持ち上げ、握りの革を確かめた。
「見た目、同じ」
「そうだな。これだけじゃ違いが分からない」
「直るの?」
「そこは試してみよう」
弓には、森へ何度も持ち出したときについた細かな擦り傷がある。
私は握りに近い木の表面を指さした。薄く白い筋が一本、斜めに走っている。
「この傷、前からあったよな?」
「うん。枝に当てた」
「じゃあ、そこを見てみよう。わざわざ新しい傷をつけるのも嫌だし」
「それがいい」
二人で作業台に顔を寄せる。
そのとき、白い筋が、するりと縮んだ。
「……あれ?」
「動いてる」
見つめている間に、白い傷は端から消えていった。木目が自然につながり、指で触れても段差がない。
かかったのは、ほんの数秒。
「おいおい、嘘だろ……!」
「もう、なくなった」
朝凪も目を丸くしている。
切り離した化け葛の蔓は、傷口がじわじわ塞がる程度だった。それに比べると、ずいぶん速い。
(浅い擦り傷だからか? だとしても、これはすごいぞ)
なるほど。これが【自動修復(大)】か。
「待って。こっちも」
朝凪が弓を傾け、弦の一部を見せてくれた。使い込んだせいか、撚り合わせた繊維がわずかに毛羽立っている。
ところが、その毛羽立ちも、見ている間にすっと収まった。乱れていた繊維が寄り合い、元の撚りへと戻っていく。
「弦まで直ってる!」
「握りは?」
朝凪に促されて革の巻きを確かめると、擦れて白っぽくなっていた部分まで、みるみる元の色と滑らかさを取り戻していた。
「……なるほどな。弓そのものにスキルが付いてるんだから、木も弦も握り革も、全部が修復の対象なんだ」
「すごい」
「だろ? 擦り傷が数秒で直るなら、もっと大きな損傷だって、時間をかければ修復できるかもしれない」
思わず声が弾む。
もちろん、これは金剛不壊とは違う。強い力が加われば、弓は折れるかもしれない。折れたまま戦えるわけでもないし、粉々になった場合にどこまで直るかは、まだ分からない。
それでも、毎日のように使う弓には、とんでもなくありがたい力だ。
「……よかったな、朝凪。これなら、今までよりずっと長く使えると思うぞ」
「うん」
朝凪は弓の握りを、そっと撫でた。
「じゃあ、片づけるか」
「手伝う」
「いいのか?」
「一緒に使ったから」
朝凪は当たり前のように答えた。
私は笑いながら、空になった布を畳む。
もう蔓はどこにもない。
あれほど苦労して手に入れた素材が、こんなにきれいさっぱり消えるとは。少しもったいない気もするが、完成した道具へ力だけを移せるなら、確かに便利だ。
……とはいえ、貴重な素材を使う前には、今後もう少し考えた方がよさそうだな。
片づけを終えると、朝凪は改めて弓を持ち上げた。
私が作ったときも、大事そうに受け取ってくれた。フヨウを倒したあとも、ずっと使ってくれている。
今度はその一本を、さらに長く使えるようにできた。
(……造作師冥利に尽きるって、こういうことなのかな)
「よかったな、朝凪」
「うん」
朝凪が弓を胸の前へ寄せた。
「霧江が作ってくれた弓だから」
「ああ。そう言ってもらえると嬉しいよ」
「夕凪のところに帰れた弓でもある」
「そうだな」
彼女は静かに頷いた。
「だから、まだ使いたい」
「じゃあ、まだまだ働いてもらわないとな」
「うん」
朝凪の口元が、ふっと緩んだ。
いつもの小さな笑みだ。
なのに今日は、何だかやけに目に残った。
そのとき、工房の入口から声がした。
「霧江さん、お姉ちゃん。夕飯の支度ができましたよ!」
夕凪が戸口に立っていた。
「おっ、もうそんな時間か」
「お姉ちゃん、弓はどうなった?」
「できた」
「えっ、本当に? 見せて!」
朝凪は弓を抱えたまま夕凪へ近づいた。
普段なら、妹に見せるためにすぐ差し出すところなのに、今日はなぜか一度こちらを振り返る。
「霧江も」
「ん?」
「一緒に説明して」
意外なお願いだった。
「いいぞ。もっとも、仕組みは私にもまだよく分からないけどな」
「それでいい」
夕凪が楽しそうに笑った。
「二人とも、そんなに嬉しそうなんだもの。ご飯の前に少しだけ聞かせてください」
私たちは顔を見合わせた。
そんなに顔に出ていたのか。
……まあ、朝凪の弓が生まれ変わったんだから、仕方ないか。
*
翌朝。
朝凪は、出来上がったばかりの矢を背負って、工房の裏手へやってきた。
「おはよう。試したい」
「おはよう、朝凪。ずいぶん早いな」
「楽しみだったから」
珍しく、隠そうともしない。
裏手には、以前から使っている矢の的がある。周囲に人がいないのを確かめ、私は少し離れたところへ下がった。
「弓の具合、どうだ?」
「いつもどおり」
「なら、まずは普通に射ってみようか」
朝凪は頷き、弓を構えた。
指が弦を引く。
背筋がすっと伸び、肩の力が抜ける。
昨日、蔓に捕まった私を支えた身体が、今は矢を射るためだけに動いている。
あの細い腕のどこに、こんな安定した力があるんだろう。
弦が鳴った。
矢はまっすぐ飛び、的の中心近くへ突き立った。
「おお、いいじゃないか!」
「うん。変わってない」
「変わってないのが、一番大事かもな」
余計な重さも、握りの違和感もない。前と同じ感覚で射られるなら、朝凪にとっては理想的だろう。
二射目。
三射目。
続けて射った矢も、ほとんど同じ場所へ収まった。
「さすがだなあ」
「弓がいいから」
「使い手がいいんだよ」
「両方」
「……そういうことにしとくか」
朝凪が少し笑った。
朝凪は弓を下ろし、弦を指先で軽く弾いた。
「張りも、いつもどおり」
「握りは?」
「同じ。重さも変わらない」
朝凪はいつもの位置を握り直し、もう一度だけ軽く弦を引く。
昨日はあれほどの力が加わったのに、弓の形も、弦の張り具合も、前と変わっていないらしい。
弓全体の傷みを修復できるうえに、使い心地まで変わらない。朝凪にとっては、これ以上ない仕上がりだろう。
「霧江。今度、弦も見て」
「もちろん。自動修復が付いたからって、張りの調整や汚れ落としまで要らなくなるわけじゃないからな」
「うん。分かってる」
細かな点まで気をつけるのは、朝凪らしい。
たぶん、こうやって長く使い続けてくれるんだろう。
私は満足して頷いた。
朝凪は矢を拾い集めると、最後の一本を矢筒へ収めた。
「霧江」
「何?」
「また、一緒に森へ行こう」
「素材探しか?」
「それも」
朝凪は弓の握りに手を添えたまま、少し考える。
「夕凪に木の実を持って帰りたいし」
「そこはいつもどおりだな」
「うん。でも、それだけじゃない」
彼女はまっすぐ私を見た。
「霧江と歩くの、楽しかった」
「……昨日は、途中でひどい目に遭ったけどな」
「それは嫌だった」
「だよなあ」
「でも、一緒に探したのは楽しかった」
ああ、なるほど。
狩りの腕だって、森を歩く速さだって、私とは比べものにならない。それでも朝凪は、また一緒に行こうと言ってくれる。
ありがたい話だ。
「じゃあ、次はもうちょっと安全なところで。ちゃんと周りを確かめながらな」
「うん。約束」
朝凪はそう言うと、私の右腕へ視線を落とした。
もうほとんど残っていない、化け葛につけられた跡。
「霧江も、大事にして」
「……何を?」
「自分のこと」
さらりと言われ、返事が一拍遅れた。
「……ああ。気をつけるよ」
「うん。それがいい」
朝凪はようやく安心したように頷いた。
「霧江。もう一つ、お願い」
「ん? 何だ?」
「この弓にも、名前をつけてほしい」
「名前?」
朝凪は手にした弓を少し持ち上げた。
「篠の刀みたいに。霧江につけてもらいたい」
そういえば、篠の刀に「金剛」と名付けたのも私だった。
ずっと狩りに使ってきた弓に、わざわざ名前をつけたいという。それだけ特別な一本になったということだろう。
「いいぞ。そうだな……」
私は弓を眺め、それから朝凪の顔を見た。
ふと、二人の名前を合わせてみようと思いつく。
「朝霧、なんてどうだ?」
「朝霧?」
「朝凪の『朝』と、私の『霧』をくっつけて、朝霧。安直だけど、響きは悪くないだろ?」
深い意味があるわけじゃない。ただ、ぱっと浮かんだ名前だ。
ところが、朝凪は弓へ目を落としたまま、すぐには返事をしなかった。
「……朝霧」
確かめるように小さく呟いたあと、その頬がほんのり赤く染まる。
「どうだ? 気に入らなきゃ、別のを考えるぞ」
「ううん。これがいい」
朝凪は弓をそっと胸元へ引き寄せた。
「すごく、好き」
「おっ。そうか! それならよかった」
そんなに気に入ってもらえるとは、嬉しい誤算だ。
「朝霧。これからも、よろしくね」
弓へ話しかける朝凪の口元には、いつもより柔らかな笑みが浮かんでいた。
そして、ごく自然に、私の隣へ並ぶ。
「帰ろう。夕凪が朝ご飯、作ってる」
「おっ、それは急がないとな」
「走らないで。転ぶから」
「そこまで信用ない!?」
朝凪が声を立てて笑った。
いつもは小さく笑うだけの彼女が、そんなふうに笑うのは珍しい。
私は少し驚いて、それからつられて笑った。
大切な弓を長く使えるようになったことも嬉しい。
でも、それと同じくらい。
今こうして朝凪と並んで歩いていることが、何だか嬉しかった。




