第20話「大事にして」②
昼飯を食べ終えると、私と朝凪はさっそく森へ向かった。
玄関を出る前、夕凪が水の入った竹筒を二本、手渡してくれる。
「お姉ちゃん、霧江さん、気をつけてくださいね」
「うん。夕凪も、無理しないで」
「今日は洗濯物を畳むくらいですよ。お姉ちゃんこそ、霧江さんをよろしくね」
「任せて」
ずいぶん頼もしい返事だ。
「私だって一応、狩人なんだけどな」
「昨日、指を打った」
「それは狩りとは関係ないだろ!」
「でも、油断した」
「……反論できない」
朝凪が少し笑う。夕凪も口元を押さえていた。
ちくしょう。今日は絶対、情けないところを見せないぞ。
*
森に入ると、朝凪は自然に私の半歩前を歩き始めた。
以前、彼女の弓に使う木を探しに来た場所だ。あの時は篠も一緒だったけれど、今日は私と朝凪の二人だけ。
枝葉の間から差す光が、地面にまだらな模様を作っている。木陰を抜ける風は涼しく、歩くにはちょうどいい。
「この辺り、相変わらず詳しいな」
「よく来るから」
「前にも聞いた気がする、それ」
「前も答えたから」
そりゃそうか。
朝凪は倒木を回り込むと、茂みの向こうを指さした。
「こっち。獣道がある」
「分かるのか?」
「枝が折れてる。足跡もある」
言われて目を凝らすと、湿った土に小さな窪みが続いていた。
「おお。全然気づかなかった」
「霧江は木の方を見てた」
「そっちが本職だからな」
「私も木は見てるよ」
何となく悔しい。
でも、同じ場所を歩いても、朝凪と私では目に入るものが違うらしい。
彼女は獣が通った跡や、踏み荒らされた草の向きを見る。私は枝のしなりや幹の形、使えそうな素材を探す。
私が立ち止まると、朝凪も急かさず待ってくれる。朝凪が何かを確かめ始めれば、今度は私が足を止める。
そうして歩いていると、二人なのに妙に調子がいい。
「なあ。そんなに弓を大事にしてくれてるなら、今までよりしっかり手入れしてやらないとな」
「いつもしてる」
「知ってるよ。だから、余計にな」
朝凪が背中の弓をちらりと見た。
「霧江が作ったんだから、大丈夫」
「それ、信用しすぎじゃないか?」
「信用してる」
何のためらいもない。
いや、嬉しいけど。そういうことを真顔で言われると、こっちが照れるんだって。
私はわざと大げさに咳払いをした。
「と、とにかく。変わった素材があったら見てみよう。付与スキルがない普通の素材でも、何か分かるかもしれないし」
「うん」
それからしばらく、目についた植物や落ち枝を調べて回った。
青白い苔。妙に重たい木の実。節の太い蔓。
手に取れば素材の情報は分かるけれど、弓に加えたいと思える付与スキルは見つからない。
「なかなか都合よくは出てこないなあ」
「珍しいものが欲しいんでしょ?」
「そうだけどさ。ここまで何もないと、ちょっと寂しい」
「じゃあ、もう少し奥」
朝凪は迷わず森の奥を指さした。
「昔、大きな木が倒れた場所。変わった草が多い」
「そんなところまで知ってるのか」
「夕凪に、木の実を採って帰ったことがあるから」
ああ、なるほど。
この森での朝凪の記憶は、どうやら大半が妹につながっているらしい。
私が笑うと、朝凪は不思議そうに首を傾げた。
「何?」
「いや。朝凪らしいなと思って」
「そう?」
「そう」
朝凪は納得したのかしないのか、そのまま歩き出した。
*
倒木のある場所へ着いたのは、それから少し歩いてからだった。
大きな幹が斜面を横切るように倒れ、その周囲には日差しを求めて背の低い草や蔓が密集している。
「へえ。確かに色々あるな」
「足元、気をつけて」
「分かってるって」
私はしゃがみ込み、倒木に絡む蔓を一本つまんだ。
太くて、節があり、表面には小さな突起。地面へ垂れた先端が、風もないのにゆっくり動いている。
(……あれ? こいつ、見覚えがあるぞ)
「朝凪。これって……」
「化け葛」
「だよな」
懐かしい、というには少々嫌な相手だ。
前にこの森へ来たときは、篠が捕まって木の間に吊り上げられた。
しかも、あのとき朝凪は、化け葛は獲物をすぐには食べないと冷静に説明していたっけ。
「またいるとはなあ」
「珍しくないから」
「そうか。まあ、危ない植物でも性質が分かってりゃ何とかなるか」
近づいてきた一本の蔓が、私の足先を探るように揺れる。
「ほら。捕まらなきゃ大丈夫だろ?」
「霧江、近づきすぎ」
「平気平気。こいつは切れば――」
腰の小刀を抜き、足先へ伸びてきた蔓を切り払った。
ざくり、と手応えが伝わる。
蔓の先が地面へ落ちた。
「よし」
そう言った直後だった。
切り口が、ぐにゃりと盛り上がった。
「……え?」
断ち切ったはずの蔓が伸びる。
いや、伸びるなんてものじゃない。切り口から新しい蔓が勢いよく生え、ほんの一瞬で、切る前よりも長くなった。
「うわっ!?」
足首が締まる。
慌てて引き抜こうとしたところへ、別の蔓が膝に巻きついた。
「ちょ、待っ――!」
身体がぐいっと持ち上がった。
足先が地面から離れる。反射的に小刀を振ろうとした右腕にも、蔓が絡みついた。
「嘘だろ!?」
今度は腰。さらに胴を一周され、背中が倒木の方へ引き寄せられる。
いかん。これはまずい。
作務衣の裾まで引っ張られ、太腿がスースーする。自分の格好が見えるわけじゃないけど、絶対にろくな姿勢じゃない。
(あのときは篠を見て笑ってたけど、捕まる側ってこんなに恥ずかしいのか!? しかも私、今どこまで見えてるんだ!?)
逃げようとして身体をひねれば、蔓が余計に食い込んでくる。
小刀を握った指にも力が入らない。
「朝凪! 助けて! 色々まずい!」
「霧江!」
返事が聞こえたのと、矢の音がしたのはほとんど同時だった。
鋭い一射が、私から離れた太い蔓の根元を射抜いた。
化け葛が大きくうねる。
それまで猛烈な勢いで伸びていた蔓の動きが、目に見えて鈍った。私を締めつける力も、ほんの少し緩む。
「動かないで!」
「動きたくても動けない!」
朝凪は弓を背に回し、私が高く吊り上げられる前に駆け寄ってきた。
私のすぐ下に滑り込むと、小刀で腰の蔓を断ち切る。続けざまに足首、胴、腕。
傷口から蔓が伸び直そうとしたが、まだ先ほどの勢いはない。朝凪はその隙に、私を抱えるように引き寄せた。
「うわっ!」
「掴まって」
言われるまま朝凪の肩にしがみつく。
肩に回した腕の下で、朝凪の身体が驚くほどしなやかに動く。細身なのに、私を支える力は少しも揺らがない。それなのに、密着した胸元からは、狩人の強さとは別の、確かな柔らかさが伝わってきた。
(……って、今そんなことを意識してる場合か、私!)
朝凪は片腕で私を支え、もう片方の手で迫る蔓を払いながら後ろへ下がった。
ほどなく足の裏が地面につく。
助かった。
……いや、まだだ。
根元から伸びた蔓が、またこちらを探っている。
「朝凪、後ろ!」
「見えてる」
彼女は私を背後へ押しやり、弓を構え直すと素早く矢をつがえた。
一射。さらにもう一射。
太い蔓が幹に縫い止められた隙に、私たちは倒木から大きく離れた。
追ってこないのを確かめて、ようやく息を吐く。
「はあ……助かった。ありがとな、朝凪」
返事がない。
振り向くと、朝凪は弓を下ろして、私をじっと見つめていた。
「怪我は?」
「え? ああ、大丈夫。ちょっと蔓の跡がついたくらいで――」
「腕、見せて」
差し出すと、朝凪は袖を少し上げ、手首や肘に傷がないか確かめた。
「足は?」
「平気だって。ほら、ちゃんと歩ける」
「本当に?」
「本当に」
朝凪の指が、私の手首から離れない。
いつもなら、こういうときに慌てるような奴じゃない。
そうだ。前に篠が吊るされたときだって、化け葛の性質を説明する余裕があったじゃないか。
「そこまで心配しなくても、こいつは捕まえた獲物をすぐには食べないんだろ?」
「知ってる」
「なら、ちょっとくらいは平気だったんじゃ――」
「平気じゃない」
思いのほか強い声に、私は口をつぐんだ。
「霧江。油断しないで」
朝凪は眉を寄せたまま続ける。
「普通の化け葛じゃなかった。切っても、すぐ戻った」
「……うん。そうだな」
「次も同じとは限らない。怪我するかもしれない」
「悪かったよ。ちゃんと気をつける」
朝凪はまだ何か言いたげだった。
けれど、少しの間を置いてから、ぽつりと付け足した。
「……怖かった」
それだけだった。
朝凪が握ったままの私の手首に、微かな震えが伝わってきた。
見ると、朝凪の指先がほんの少し震えている。
(……そんなに心配かけちゃったのか)
さっきの叱るような声も、無理はなかった。
「ごめん。助けてくれてありがとう」
「うん」
ようやく朝凪の指が緩む。
ただ、すぐには手を放してくれなかった。
私は何だか照れくさくなり、わざと明るい声を出した。
「それにしても、すごい早さだったな。蔓を切った途端、元に戻ったぞ」
「私も初めて見た」
「朝凪もか」
「うん。あんな化け葛、知らない」
二人して倒木の方を見た。
見た目は普通の化け葛と変わらない。蔓は再び静かに揺れていて、さっきの騒ぎが嘘みたいだ。
あれだけの再生能力があれば、長い年月を生き延びていてもおかしくない。
けれど、今の私たちに確かめる術はない。
「……さすがに、もう近づかない方がいいな」
「そうして」
珍しく即答ではなく、念を押すような声だった。
私は苦笑しながら、工具袋の位置を確かめようと腰へ手を伸ばした。
そのとき、尻のあたりを、ひやりとした何かがくすぐった。
「ひゃんっ!?」
思わず飛び上がりかけた。腰の後ろを手探りで確かめると、作務衣の尻のあたりに、短い蔓が一本引っかかっている。
どうやら逃げるときに、朝凪が切り離したものがくっついてきたらしい。しかも、まだ先端がぴくりと動いていた。
(……って、今の声、私が出したのか!?)
最近はこの身体にもずいぶん慣れたと思っていたけど、まさか「ひゃん」なんて悲鳴が反射的に出るとは。
「霧江、どうしたの?」
「い、いや! 何か触ったと思ったら、蔓が引っかかってて!」
朝凪は妙な悲鳴を笑いもせず、私の腰の後ろを覗き込む。
「切れたやつだね」
そこは笑ってくれてもいいんだぞ。……いや、笑われたらそれはそれで恥ずかしいけど!
私は布の端をつまんで蔓を落とし、小刀を構え直した。
「これ、切れた方だよな?」
「そう。でも、触らない方が――」
「うん。だから、まずは動かないか確かめる」
私は小刀の先で蔓を押さえ、しばらく様子を見た。先ほどまで動いていた先端も、今は大人しい。
それでも素手で触れる気にはなれず、厚手の布を二重に折って、慎重につまみ上げる。
「……これなら大丈夫そうだな」
「気をつけて」
「もちろん。さっき約束したからな」
指先に伝わる、妙な弾力。
傷ついた表皮には、小さな裂け目があった。ところが見ている間にも、その縁がじわじわと寄っていく。
(切り離した途端、直る速さが落ちたな。生きている間は、化け葛自身の力も使っていたのか?)
「……こっちも直ってる?」
思わず目を近づけた瞬間、見慣れた文字が視界へ浮かんだ。
【素材を確認しました】
【名称:化け葛の蔓】
【分類:植物/魔獣素材】
【確認された付与スキル:自動修復(大)】
「……は?」
一度、目を瞬く。
文字は消えない。
もう一度、最初から読む。
(自動修復……しかも、大!?)
前に拾った化け葛の蔓には、こんな表示はなかったはずだ。
偶然見つけた妙な個体。そのおかげでひどい目に遭ったけど、まさかこんなものが手に入るとは。
「霧江?」
朝凪が顔を覗き込んでくる。
私は手の中の蔓と、彼女の背中にある弓を交互に見た。
「朝凪。これ……お前の弓に使えるかもしれない」
「本当?」
「ああ。しかも、思ってたよりずっとすごいやつだ」
朝凪が蔓を見つめる。
けれど、すぐに顔を上げた。
「なら、よかった」
「え、反応薄くないか? 相当珍しいスキルだぞ、これ!」
「うん。でも」
朝凪は私の腕へ、もう一度だけ目を向けた。
「次は、捕まらないで」
……ああ。
弓のことより、まだそっちの方が大事なのか。
「分かったよ。約束する」
朝凪はようやく、いつもの少しだけ柔らかい顔に戻った。
私は蔓を布に包み、工具袋へ収めた。
新しく手に入れた力は、いったいどんなものなのか。
それを確かめるのは、工房へ帰ってからだ。




