第19話「選んだ理由」③
雲居は、すぐには答えなかった。
隼はその沈黙を、迷っているものと受け取ったらしい。口元に余裕のある笑みを浮かべている。
「お前だって、いつまでも霧江のところにいるつもりじゃないだろ? 俺たちは狩りで稼げる。白銀の装備だって、もっと良くなるんだぜ」
「……ひとつ、お聞きしてもよろしいかしら」
「何だよ。遠慮するなって」
「わたくしが戻ったとして、何を変えるおつもりですの?」
隼はきょとんとした。
「何をって、今までどおりだろ。俺と山背が獲物を狩って、白銀が装備を作る。お前は帳面と買い付けを頼む。それで全部うまくいくじゃねえか」
「装備に使うお金も、今までどおり?」
「そりゃ、必要なものは買うさ。白銀が良いものを作ってくれるんだからな」
「わたくしが高すぎると申し上げても?」
「またその話かよ。お前が何とかするのが仕事だろ?」
隼は笑った。
どうやら、自分が無茶を言っているという自覚は、これっぽっちもないらしい。
だからこそ、余計にたちが悪い。
横にいる山背が、眉間を押さえた。
「隼。お前、それでは前と何も変わらんぞ」
「変える必要なんかねえだろ。雲居がいなくなったから、金のやりくりが面倒になってるだけなんだから」
雲居は一度だけ目を伏せた。
けれど、次に顔を上げたときには、いつもの落ち着いた表情に戻っていた。
「でしたら、お断りいたしますわ」
「……は?」
「わたくしは、戻りません」
きっぱりとした声だった。
隼の顔から笑みが消える。
「おいおい、意地を張るなって。お前が戻れば、また好きなように仕入れもできるんだぞ」
「仕入れを決めるのは、わたくしではありませんでしたでしょう?」
「何?」
「買ってはいけないと申し上げた品まで、あなた方が買うと決めていたではありませんか」
雲居は、店先に並んだ鉱石へ目を向けた。
「例えば、あちらの鉱石。良い品なのでしょう。白銀の腕があれば、立派な装備に仕上がるのかもしれませんわね」
「そうよ。あの硬さと粘りがあってこそ、私の考えたものが作れるの」
「それは結構ですわ」
雲居は白銀の言葉を否定しなかった。
「ですが、今のあなた方には代金を払えませんでしょう?」
「次の狩りで払うって、さっきから言ってるじゃない!」
「ええ。それも、以前から何度も伺いましたわ」
白銀が唇を引き結んだ。
「稼ぎが悪いとは申しません。腕の立つ狩人がいて、腕の立つ造作師もいる。それは立派な強みですわ」
雲居は淡々と続ける。
「ですが、稼いだ以上に使えば、お金は減りますの。次の狩りが成功する保証など、どこにもございません。傷を負って働けなくなることだってあるでしょう。そのとき、食べるものはどうなさいますの?」
「失敗することばっかり考えてたら、何にもできねえだろ」
「失敗しないつもりで備えることと、失敗したときの備えを持つことは、別ですわ」
聞いていて、思わず頷きそうになった。
私だって、いい素材があれば欲しくなる。新しい道具を思いつけば、すぐ作ってみたくなる。
そのたびに雲居から金の使い方を注意されているから、耳が痛い話でもあった。
「わたくしは、何度も申し上げました。今すぐ必要なものと、あれば便利なものを分けてくださいませ、と」
「白銀が必要だって言うなら必要なんだよ。お前は造作師じゃねえだろ」
隼が吐き捨てるように言った。
雲居の眉が、ほんの少し上がる。
「ええ。わたくしは造作師ではありませんわ」
それでも、声は乱れなかった。
「ですが、買い付けと帳面を任されていたのはわたくしです。その役目を果たすための意見を、何度申し上げても聞いていただけなかった」
一度、言葉を切る。
「わたくしが離れたのは、お金が足りなかったからだけではありませんの。仲間として、わたくしの言葉を聞いていただけなかったからですわ」
通りを行き交う人の声が、急に遠く感じられた。
隼はしばらく黙っていたが、やがて不満そうに鼻を鳴らした。
「結局、俺たちが間違ってたって言いたいのかよ」
「間違いを指摘し合えるのも、仲間ではなくて?」
「俺は仲間を信じてるんだ。白銀が必要だと言うなら買ってやる。それが何で悪い?」
「信じることと、何も考えずに言うとおりにすることは違いますわ」
山背が静かに息を吐いた。
「……雲居の言うとおりだ。俺も、前にもっと強く止めるべきだった」
「山背、お前まで何言ってんだ」
「ずっと同じ話をしているだろう」
隼は面白くなさそうに顔を背けた。
雲居は、そんな隼を追いかけようとはしなかった。
「それに、今のわたくしには、大切に育てたい商いがございますの」
「石鹸のことか? 狩りの稼ぎに比べたら、そんなもん――」
「小さな石鹸ひとつでも、欲しいとおっしゃる方がいらっしゃいます。作る人がいて、運ぶ人がいて、買う人がいる。そのつながりを、もっと大きくしていきたいのですわ」
雲居は胸を張った。
「それに、今の工房では、わたくしの意見を聞いていただけますもの」
「霧江がか?」
「ええ。無駄遣いをしようとすれば叱りますし、必要な出費なら一緒に考えます。納得できなければ、きちんと話し合える。そういう場所ですわ」
……ん?
今、私がしょっちゅう叱られていることを、さらっと暴露されなかったか?
「いや、雲居。そこはもうちょっと格好よく言ってくれても……」
「事実でしょう?」
「そうだけどさ!」
朝凪が小さく頷いた。
お前まで納得するなよ。
けれど、雲居は私を見て、少しだけ表情を和らげた。
「それでも霧江は、わたくしに仕事を任せてくださいます。言いづらいことを申し上げても、聞こうとしてくださいますわ」
面と向かって言われると、何だか照れくさい。
「そりゃ、雲居の言うことにはちゃんと理由があるからな。全部は分からなくても、頼りにしてるよ」
雲居が一瞬だけ目を見開いた。
「……まったく。そういうところですわよ」
「え、何が?」
「何でもございませんわ」
そっぽを向いた雲居の頬が、ほんのり赤く見えた。
……暑いのか? 今日はそれほど日差しも強くないけど。
「はっ。仲良しごっこってわけかよ」
隼が鼻で笑った。
「いいさ。だったら、困ってから戻ってくればいい。俺たちは次の大物を仕留めて、もっと稼いでやるからな」
「ええ。うまくいくとよろしいですわね」
雲居は微笑んだ。
皮肉を込めた様子もなく、ごく普通に。
「ですが、わたくしは戻りません。今の居場所を、自分で選びましたもの」
これで話は終わった。
少なくとも、私はそう思った。
「ふん。石鹸が売れたからって、造作師としての腕まで優れているとは限らないでしょう?」
白銀が、吐き捨てるように言った。
ああ、そっちもまだ終わってなかったか。
「何だよ。別に、そんなこと言ってないだろ」
「金剛が一度うまくいったからって、ほかの武具まで作れるとは限らないのよ。狩人の命を預かる道具なんだから」
言い返そうとした、そのときだった。
「あるよ」
朝凪が口を開いた。
白銀は初めて彼女をまともに見た。
「……あなた、何?」
「朝凪」
「名前はさっき聞いたわ。何があるって言うの?」
「霧江の作るものには、ちゃんと値打ちがある」
朝凪はいつもどおり、短く言った。
「あなたに何が分かるの? 道具を作る側の苦労も知らないでしょう」
「使う側だから、分かる」
白銀の目が細くなる。
「私が使ってる弓は、霧江が作った」
「……弓?」
「飛竜を射抜くための弓。フヨウも射抜いた」
白銀が口を閉じた。
そういえば、朝凪は前から白銀の名前を知っていたんだったな。
評判を聞いて弓を頼もうとしていたところへ、金剛を見てうちに来てくれた。
「最初は、白銀に頼もうと思ってた」
「……そう」
「でも、やめた」
朝凪は、ごく当たり前のことを話すように続けた。
「白銀に頼まなくてよかった」
白銀の頬が引きつる。
「ちょっと待ちなさいよ。私の弓を使ったこともないのに、どうしてそんなことが言えるの?」
「白銀の弓が悪いとは言ってないよ」
「だったら――」
「私には、霧江の弓がいい」
朝凪は、そこでようやく白銀の目をまっすぐ見た。
「握りやすいし、狙ったところに飛ぶ。私の使い方を見て、作ってくれたから」
あのとき朝凪に試し射ちをしてもらい、構え方や引き方を確かめたことを思い出した。
「使う人が気に入ってるなら、それでいいと思う」
それ以上、朝凪は何も付け加えなかった。
白銀は何か言い返そうと唇を開いたが、言葉が出てこないらしい。
技術で負けたと言われたわけでもない。けれど、使い手が満足しているという事実は、否定しようがない。
……朝凪。
お前、今、たぶん一番刺さること言ったぞ。
本人は気づいていないようで、すでに通りの先へ視線を移している。
今日の目的を思い出したんだろう。ほんと、いつもどおりだな。
「何よ……。勝手にすればいいじゃない!」
白銀は顔を赤くし、ぷいとそっぽを向いた。
「行くぞ、白銀。今日はもう十分だ」
山背が促した。
隼はまだ不満そうだったが、さすがにこれ以上言うことはないらしい。
「雲居。戻りたくなっても、今度は簡単には入れてやらねえからな」
「ご心配には及びませんわ」
雲居は微笑みを崩さなかった。
「それでは、ごきげんよう」
そう言って歩き出す。
私は慌ててその隣に並んだ。朝凪も、何事もなかったようについてくる。
少し進んだところで、振り返った。
隼はまだこちらを睨んでいた。山背だけが、小さく頭を下げる。
白銀は、私の方を見ていなかった。
朝凪が背負った弓に、悔しさを隠そうともせず視線を据えている。握りしめた手の甲に、筋が浮いていた。
「……武具の出来は、狩り場で比べてみなければ分からないわ」
誰に向けたともつかない声が、こちらまで届いた。
隼が白銀の横顔を見て、口の端を吊り上げる。
(……おいおい。何か思いついた、なんて顔するなよ)
今ここで勝負だ何だと言われても困る。こっちは、まだ買い物の途中なんだから。
私は山背に軽く会釈して前を向いた。
雲居は、もう振り返らなかった。




