第19話「選んだ理由」②
声のした方を見ると、通りに面した素材屋の軒先で、女が店主に詰め寄っていた。
積み上げられた木箱の中には、鉱石や魔獣の鱗、磨かれていない牙なんかが並んでいる。造作師が使う材料を扱う店らしい。
そして、その女の隣には、見覚えのある男が二人。
(……やっぱり、あいつらか)
隼、白銀、山背。
以前、雲居が所属していた狩組の面々だった。
そして、元の霧江が所属し、追放された狩組でもある。今の私にはそこで過ごした実感がほとんどないけどな。
隼は相変わらず人目を引く顔立ちで、腰には立派な刀を提げている。その後ろには、大柄な山背が腕を組んで立っていた。
白銀は、店主の前に置かれた鉱石から視線を離そうとしない。
こちらからでも、石の表面に混じる淡い光沢が見えた。鉱石としてはなかなかの上物だろう。値札を確かめるまでもなく、安い品ではなさそうだ。
通りかかった客たちがちらりと様子をうかがっては、足早に離れていく。店主は声を荒らげることもできず、対応に困っているらしい。
「だから、これが必要だと言っているでしょう!」
「必要なのは承知していますよ。ですが、お渡しするには、先にお支払いをお願いしませんと」
「前にも言ったじゃない。次の狩りでまとまった銭が入るのよ」
「そのお話は、先日も伺いましたので……」
店主の声は丁寧だが、表情は困りきっている。
白銀は腕のよい造作師だったはずだ。少なくとも、本人が腕に絶対の自信を持っていることだけはよく知っている。
その自信を支えるための素材が、どうやら簡単には手に入らないらしい。
「知り合い?」
朝凪が私の横で尋ねた。
「ああ。前にちょっとな」
「あれが白銀?」
「知ってるのか?」
「名前だけ。前に、弓を頼もうと思った相手だから」
そういえば、朝凪は飛竜を射抜くための弓を探していたんだったな。
もっとも、今は私の作った弓を使ってくれている。
朝凪は、目の前の女が白銀なのだと確かめるように一度だけ見たが、すぐに目をそらした。わざわざ話しかける気はなさそうだ。
「雲居、どうする? 別の道から行くか?」
隣へ声を落とす。
雲居は三人を見つめたまま、少しの間だけ答えなかった。
「……いえ。こちらが道を変える必要はありませんわ」
「そっか」
「ただ、余計なことに巻き込まれるつもりもありませんけれど」
言葉の端が、少しだけ硬い。
仕方ないだろう。雲居があの狩組を抜けた理由は、目の前の騒ぎと無関係ではないのだから。
「おい、店主。俺たちが次の狩りで稼げないとでも思ってるのか?」
隼は白銀の隣に立ち、店主へ詰め寄った。なだめるどころか、すっかり白銀の味方らしい。
「この鉱石がないと、隼の装備が仕上がらないのよ。次の狩りに間に合わなくなるでしょう?」
「そのとおりだ。次の大物を狩れば、まとめて払えるんだよ。少しくらい融通を利かせろって」
「それまでは取り置いておいてくれればいいじゃない」
店主が申し訳なさそうに首を振った。
「取り置きにも限りがございます。前にお渡しした材料のお代も、まだ残っていますから」
つけが残っているのに、またつけようとしているのか。
私は思わず雲居を見た。
彼女は何も言わない。ただ、呆れたように細く息を吐いただけだった。
(……ああ。前にも、こんな調子だったんだろうな)
雲居が離脱したとき、私はまだ事情を詳しく知らなかった。
けれど、今なら何となく分かる。
白銀が欲しがる材料を隼が認め、支払いは次の狩りに期待する。山背が止めようとしても、二人は聞く耳を持たない。雲居がいくら帳面とにらめっこしても、これでは苦労するはずだ。
「隼。次の獲物だって、確実に狩れるとは限らん。店に無理を言うな」
山背が低い声で言った。
「失敗する前提で話をするなよ。装備さえ整えば、次の獲物くらい仕留められるさ」
「だからといって、今払えないものを買っていいことにはならん」
隼は山背の忠告を聞き流し、また鉱石へ目を向けた。
今の彼らに装備が必要なのは本当だろう。以前、篠の金剛に砕かれた山背の大盾は、すでに修繕されているはずだ。今回は、次の獲物に備えて隼の装備を強化したいらしい。
必要な出費を全部切り捨てればいい、という話でもない。
それに、命を預ける道具なのだから、白銀が材料に妥協したがらない理由も分かる。
ただ、必要だからといって、何にいくら使ってもいいわけじゃないんだよな。
作る側の理屈だけでどうにかなるなら、雲居だってあの狩組を辞めたりしなかったはずだ。
「お客様。もう少し手頃な鉱石でしたら、こちらにも――」
「それじゃ駄目なの。あの硬さと粘りがないと、狙った仕上がりにならないわ」
店主が差し出した別の石を、白銀は一目見ただけで退けた。
素材へのこだわり自体は、造作師として分からなくもない。
私だって、作りたいものに必要な材料が足りなければ、できるだけ条件に合う品を探すだろう。
でも、目の前にない金まで使うわけにはいかない。
「……行きましょうか」
雲居が静かに言った。
「ああ。そうだな」
朝凪も、特に異論はないらしい。
三人で店の前を通り過ぎようとした、そのときだった。
「……雲居?」
隼の声が、背中に届いた。
*
「やっぱり雲居じゃないか! 久しぶりだな!」
振り向いた隼が、ぱっと表情を明るくした。
こちらとしては、あまり喜ばしい再会でもないんだが。
「ご無沙汰しておりますわ、隼」
「元気そうで何よりだ。……おっと、霧江もいたのか」
「私がいて悪かったな」
「そういう意味じゃないさ」
隼は軽く肩をすくめた。
その目が朝凪へ移る。
「そっちの子は?」
「朝凪。私の仲間だよ」
「朝凪」
朝凪は短く名乗り、それ以上は付け加えなかった。
隼の顔立ちに見とれる様子もない。まあ、いつもの朝凪だ。
「……霧江?」
白銀がこちらに気づいた。
途端に、眉間へ皺が寄る。
「あんたまでいるのね」
「そりゃ、私も街に買い物くらい来るよ」
「ふん。最近は石鹸だの何だのを作っているそうじゃない。ずいぶん手広くなったものね」
「おかげさまでな」
別に隠すことでもないので、そのまま答える。
白銀は面白くなさそうに唇を結んだ。
以前、こいつには随分と見下されたものだが、今さら同じことを言われても気にはならない。
ただ、隼に篠を馬鹿にされたことまで忘れたわけじゃない。
「そういえば、雲居。今は霧江のところで働いてるんだって?」
隼が話題を変えた。
「ええ。帳面の管理から商談まで、色々任せていただいておりますわ」
「へえ。そんなに忙しいのか?」
「おかげさまで。退屈する暇もありませんわね」
雲居が胸を張った。
昨日まで大浴場の建築で走り回っていたことを思えば、その言葉も大げさじゃない。
「石鹸は山猫商会でもよく見かけるな。あれ、霧江の工房で作ってるんだろ?」
「そう。今は造作師も増えて、前よりずっと作れるようになったんだ」
「へえ……」
隼が目を丸くし、すぐに面白くなさそうな顔になった。
白銀も不服そうだ。
私だって石鹸がここまで売れるとは思っていなかった。でも、作ったものを喜んでくれる人がいて、そのおかげで三笠たちに仕事を頼めるようになった。
武器を作ることも、暮らしの道具を作ることも、私の中では同じくらい大切だ。
「石鹸なんて、狩りに使う装備とは違うでしょう。あなたに矜持はないの?」
嫌味じみた白銀の言葉。
私が答えるより早く、雲居が口を開いた。
「毎日の暮らしを支える品にも、きちんと値打ちはございますわ」
「私は造作師としての話をしているのよ」
「霧江も造作師ですわ。作る品が違うだけでしょう?」
雲居の声は穏やかだった。
けれど、昔の仲間に譲るつもりはなさそうだ。
「もういいだろ、白銀」
山背が間に入る。
「霧江。前のことは……悪かったな」
不意にそう言われ、少し面食らった。
山背は大柄な身体を小さく丸めるでもなく、まっすぐ私を見ていた。
あのとき、篠が彼の盾を砕いた。こっちとしても、忘れられる出来事ではない。
あの一件は、篠のことを考えると今でも腹が立つ。ただ、山背まで同じように責めたいわけではなかった。
それに、こうして謝られるとは思っていなかったので、少し調子が狂う。
「別に、山背に恨みがあるわけじゃないよ」
「……そうか」
それ以上、山背は何も言わなかった。
隼は、今さら何を謝ってるんだと言いたげに山背を見た。
自分も同じように謝るつもりは、さらさらなさそうだ。
「それにしても、雲居がいなくなってから面倒なことが増えたんだよな」
隼はまるで雑用が滞ったとでもいうように肩をすくめた。
「帳面だの支払いだの、細かいことは全部お前がやってたからな」
「ええ。そうでしたわね」
「山背にもやらせてるが、素材の買い付けまで手が回らねえんだよ」
山背が黙って頷いた。
その顔には、疲れが見える。
「だったら、買うものを減らしたらどうだ?」
つい口が滑った。
白銀の目が鋭くなる。
「簡単に言わないで。必要なものまで削ったら、まともな装備なんて作れないわ」
「お前に白銀の作る装備の値打ちが分かるのかよ。安物で命を落としたらどうする?」
「いや、そうじゃなくてさ。今は払えないみたいだから――」
「だから、次の狩りで払うと言っているでしょう!」
また、その話か。
隼も白銀と同じ顔でこちらを睨んでいる。店主が控えめに声をかけた。
「申し訳ありません。本日はお代をいただけない限り、こちらの鉱石はお渡しできません」
言いづらそうだったが、店主の態度は変わらなかった。
そりゃそうだ。相手だって商売でやっているんだから。
「分かった。今日は引き上げよう」
山背が静かに言った。
「隼。いったん手持ちを確かめて、今すぐ必要なものから考え直そう」
「ちっ。分かったよ。今日は引いてやる」
隼は不満を隠そうともせず、ようやく鉱石から離れた。
白銀も納得していないようだったが、材料を手放すしかなかった。
店主が深々と頭を下げる。その姿を見て、私は何だか申し訳ない気分になった。
*
もう用はない。そう思って、雲居に声をかけようとした。
だが、彼女はさっきから黙ったままだ。
白銀でもなく、隼でもなく、白銀が買えなかった鉱石をじっと見ている。
「……雲居?」
私が小声で呼ぶと、雲居は首を横に振った。
「大丈夫ですわ。少し、昔を思い出しただけです」
そう言って笑おうとするものの、その笑みはいつものようには見えなかった。
稼いだ以上に使うこと。先の狩りの成果を当てにすること。忠告に耳を貸さないこと。
雲居がこの狩組を離れた理由が、何一つ変わっていない。
今の彼女は、うちの工房の財布を預かっている。面倒な勘定を押し付けられても、必要な出費なら嫌な顔ひとつせず相談に乗ってくれる。
そんな雲居が、あのとき何を言っても聞いてもらえなかったのだとしたら。
……それは、相当こたえただろうな。
「雲居」
今度は隼が呼びかけた。
「何ですの?」
「なあ、雲居。今のうちに話をつけておこうぜ」
その態度には、遠慮も後ろめたさも見えなかった。まるで当たり前の相談をするような口ぶりだ。
隼は雲居へ向き直った。白銀も当然といった顔で横に立ち、山背だけが眉をひそめている。
「お前が抜けてから、帳面も買い付けも面倒でさ。今日みたいに話が進まねえことが増えたんだよ」
「そうでしょうね」
「前は揉めずに買えてたろ? お前がやってくれりゃ、すぐ片づくんだよ」
雲居の目が、わずかに細くなった。
私は口を挟まず、その横顔を見ていた。
「……隼。まさか、わたくしが何も苦労していなかったとでも?」
「お前ならうまくやれるだろ。今さら細かいこと言うなって」
隼は悪びれもせず笑った。
どうやら、雲居が以前あれほど忠告していた理由を、今も理解していないらしい。
「雲居。もう一度、俺たちの狩組に戻ってこいよ」




