第18話「ぬくもりの在処」②
大浴場の建設が始まって、二日目の朝。
私は土台に使う材木の寸法を確かめながら、工房と家の間を行き来していた。
昨日は小松と榊も夕食の支度を手伝ってくれたおかげで、増えた人数の食事も何とか間に合った。だから、今朝も大丈夫だろうと思っていたのだが。
「ま、まかないを作るのが間に合わない……!」
台所を覗くと、夕凪が鍋と食材の間で途方に暮れていた。
「それに洗濯もあるし、お掃除も……。お昼までに全部終わるかな……」
朝食を片づけたばかりなのに、もう昼の支度に取りかかっているらしい。
流しの脇には洗い終わっていない食器も残り、洗濯物を入れた籠は昨日より明らかに大きくなっていた。
「夕凪、私も手伝おうか?」
「あ、霧江さん、ありがとうございます。でも、霧江さんは湯沸かし装置の方が……」
「装置は少し後でもいいよ。無理させるつもりじゃなかったし」
それでも夕凪は、困ったように笑う。
「大丈夫です。もう少し段取りを考えれば、きっと……」
その言葉の途中で、玄関の方から声がした。
「おう、戻ったぞ。霧江、いるか?」
「暁か。こっちだ!」
外へ出ると、昨日帰宅した暁が立っていた。その隣には、見覚えのない女性がいる。
少し波打った栗色の短い髪。前髪は真ん中で分けられ、柔らかな笑顔がよく似合う。
暁より若いのは確かだろうが、落ち着いた物腰のおかげで年齢は読みづらかった。
「紹介する。妻の松帆だ」
「初めまして、松帆です。主人がお世話になります」
「霧江だ。世話になるのはこっちの方だよ。暁たちが手伝ってくれることになって、すごく助かってる」
「そう? うちの人が役に立ってるなら良かったわ」
松帆が暁を見上げると、暁は少し照れくさそうに頭をかいた。
「持ちつ持たれつだからな。それより、お前まで来なくても⋯⋯」
「あなたが一週間もお世話になると聞いたら、ご挨拶くらいしなくちゃ。それに、人数が増えると食事の支度も大変でしょう?」
……鋭い。
私が口を開くより先に、松帆は台所の方へ目を向けた。
「あら。ちょうどお忙しそうね」
*
「まかないが間に合わなくて……。お洗濯も、掃除もまだなんです」
自己紹介のあと、夕凪が事情を説明すると、松帆は責めるでも驚くでもなく、台所をひととおり見渡した。
「これだけの人数の食事を一人で作っていたの? それは大変だったわね」
「い、いえ。私がもっと上手にできれば……」
「十分頑張っているわよ。手が足りない時は、一人で全部やろうとしなくていいの」
松帆は袖をたくし上げると、夕凪に尋ねた。
「まず、お昼は何を作る予定だったのかしら?」
「具だくさんの汁物と、焼いたお肉を……。でも、野菜がまだ切れていなくて」
「それなら、汁物は先に大鍋で煮ておきましょう。焼き物は食べる直前の方がいいわね。私は野菜を切るから、夕凪ちゃんは鍋の支度をお願いできる?」
「は、はい!」
それからの松帆の動きには、無駄がなかった。
作業を始める前に鍋と包丁の位置を確かめ、火の通りにくい具材から順番に切っていく。
夕凪が次に何をすればいいか迷いかけると、ちょうどよいところで声をかける。
「お肉の下味は今のうちにつけておきましょう。洗い物は煮ている間に二人で片づければいいわ」
「そっか……。先にできることをまとめておけば……!」
夕凪の顔がみるみる明るくなる。
松帆は料理の手を止めることなく、戸口に立つ暁にも笑いかけた。
「あなた。そこに立っていると、みんなが通れないわ。あなたにできることをしてきなさいな」
「あ、ああ。分かった」
松帆は微笑んだままだった。
暁が素直に去って行ったのを見て、私は思わず感心してしまった。暁夫妻の関係性を垣間見た気がする。
「霧江さん」
「ん?」
「私、松帆さんに家事を教わってもいいですか?」
夕凪が真剣な顔で尋ねてきた。
「もちろん。私が頼みたいくらいだよ」
「ふふ。私でよければいくらでも。夕凪ちゃんは覚えがよさそうだもの」
「ありがとうございます!」
夕凪の瞳が輝く。
私はすっかり安心して台所を任せることにした。
*
松帆のおかげで昼の支度に目処が立ち、私は篠と雲居を連れて工房へ戻った。
「これが昨日まとめた部品だ」
作業台には、銅の板や管、鉄の枠、それから小ぶりの湯沸かし槽になる器を並べてある。
竜核が魔力を蓄え、熾晶がそれを熱へ変える。理屈は分かっている。けれど、大きな浴槽を二つも温められるかどうかは、実際に動かしてみなければ分からない。
「まずは少ない水で試す。問題があれば、建物が完成する前に直したいからな」
「はい。何をお手伝いすればいいですか?」
「篠はこっちの器を押さえてくれ。雲居は部品と材料の確認を頼む」
「承知しましたわ。ですが、無駄遣いはなさらないでくださいましね。特に熾晶は代わりがありませんのよ」
「分かってるって」
雲居は椅子に腰を下ろしたまま帳面を開いた。火傷はだいぶよくなったものの、まだ長く立っていると痛むらしい。本人は平気だと言い張るが、今日は帳面を任せてある。
私は【湯沸かし装置】のレシピを呼び出した。
素材は揃っている。図面に描いた通りの形を意識しながら、クラフトの力で器具を組み上げていく。
銅の管が湯沸かし槽へつながり、鉄の枠が竜核と熾晶を保持する。二つの素材を結ぶ魔力の通り道には、調節弁を組み込んだ。
弁を閉じれば魔力は流れず、開くほど熾晶へ送られる量が増える。前世の道具を思い浮かべて作ったものだが、実物を目の前にすると我ながら妙な仕組みである。
「……これでよし」
篠が固定してくれた器に、桶から水を注ぐ。
「では、動かすぞ」
「はい!」
私は、調節弁をほんの少し回した。
しばらくして、湯沸かし槽の水面から白い湯気が立ち始める。
「わあ……! 本当に火も使わずにお湯が……!」
「まだ喜ぶのは早いぞ。どのくらい熱くなるか――」
柄杓で少量をすくい、別の器へ移した。立ち上る湯気を見ただけでも、かなり熱そうだ。
「……おいおい、熱すぎるだろ」
「霧江さん、大丈夫ですか!?」
「ああ。直接触らなくてよかったよ」
ほんの少し弁を回しただけなのに、思った以上の勢いで水が温まっていた。
「火力は足りそうですわね。足りないどころか、強すぎるくらいですけれど」
「そうだな。これじゃ湯加減を間違えたら危ない」
私は弁を閉じ、装置が落ち着くのを確かめた。
その後は水を入れ替え、調節弁の開き具合を少しずつ変えてみる。
篠に時間を見てもらい、雲居にはどのくらい開いた時にどんな湯加減になったかを記録してもらった。
「ここまで開くと、すぐ熱くなるのか」
「では、この辺りに印をつけておくとよさそうですわね」
「うん。ただ、水の量が増えたら同じとは限らない。冷たい水を混ぜられるようにもしておこう」
試運転で、熾晶から十分な熱を引き出せることは分かった。竜核と熾晶は本番用にも使い、湯沸かし槽と配管は浴場の規模に合わせて作り直そう。
肝心なのは、誰でも安心して使えるようにすることだ。
「……霧江さん、嬉しそうですね」
篠が私の顔を覗き込んだ。
「そりゃ嬉しいさ。ようやく作りたかったものに手が届くんだから」
「ふふ。完成したら、私もその……入ってみたいです」
「もちろん。みんなで使うために作ってるんだからな」
篠は少し照れたように笑った。
その笑顔を見ていると、早く完成させたいという気持ちがいっそう強くなる。
*
三日目には、雲居が待っていた知らせが届いた。
「川からの取水について、伊吹様の許可が下りましたわ。白露様を通じて話を通しておきました」
「おお、助かった!」
「ただし、ほかの方々が使う水に支障が出ないよう、引き込む量には気をつけること。それから排水を川へ直接戻さないこと、ですわ」
「もちろん。そこは最初から考えてるよ」
必要な許可を得て、取水口と水路の工事にも着手できた。
もっとも、十一人が揃ったからといって、何もかも順調に進むわけじゃない。
四日目には浴槽の縁の納まりが合わず、三笠が造作師たちを集めて手直しを始めた。私がクラフトで寸法を合わせた部材も、実際に組んでみれば現場で調整が要る。
「図面の上でぴったりでも、木は一本ずつ違う。そこを見極めるのが造作師の仕事だ」
三笠の言葉に、私は素直に頷いた。
私の力だけで何でも完成するわけじゃない。三笠たちがいてくれるから、こんな大仕事にも挑めるのだ。
暁は重い梁の運搬を引き受け、小松は呼ばれるより先に材木を運び回っている。榊も必要な道具を確かめ、作業が滞らないよう気を配っていた。
「小松、それは向こうの柱に使う材だ」
「あれ、こっちじゃなかったのか?」
「三笠殿が何度も説明してくださっただろう」
「わ、分かったって。すぐ持ってくるよ!」
榊に指摘され、小松が材木を担ぎ直す。
その様子を篠が微笑みながら見ていた。
以前のように、あの三人との間にぎこちなさはない。それが私には、何だか嬉しかった。
五日目には男女それぞれの脱衣所と洗い場の形が整い、六日目には二つの浴槽へ湯を送る管を通した。
排水の方も三笠たちが工夫を凝らしてくれた。
まず沈殿槽で大きな汚れを落とし、砂利と砂を敷いた水路をゆっくり通す。その先には葦を植える場所を設け、工房や長屋から離れた、水はけのよい土地へ導いて浸透させる。三笠が事前に土を掘り、浸透の具合を確かめてくれていた。
これで石鹸の成分を完全に取り除けるわけではない。土が水を吸いきれるかも、使いながら確かめていく必要がある。
「沈殿槽の掃除も、定期的にしないとな」
「ええ。造ったあとの面倒まで含めて、仕事ですもの」
雲居が帳面に手入れの予定を書き加える。
この数日で、彼女の足取りもすっかり元に戻っていた。帳面片手に工房を歩き回り、必要な材料を先回りして手配してくれる。
そして、夕凪と松帆はというと。
「松帆さん、昨日教えてもらった順番でやったら、洗濯も早く終わりました!」
「あら、もう覚えたのね。次は明日のまかないも一緒に考えましょうか」
「はい! お願いします!」
今では台所から二人の楽しそうな声が聞こえてくる。
夕凪の負担が減っただけでなく、毎日の食事まで前より豪華になった気がする。
(……松帆が来てくれて、本当によかった)
暁に感謝すると、本人はなぜか苦笑していた。
「うちのは、こういう時は頼りになるからな」
「こういう時以外も、じゃないのか?」
「……まあ、そうだな」
そこだけは、妙に歯切れが悪かった。
*
七日目。
最後の板が取り付けられ、三笠が建物の中を一周して仕上がりを確かめた。
「……よし。建物の方は問題ない」
「やっとだな……!」
男女それぞれの入口と脱衣所。その奥には広い洗い場と、何人も肩を並べられる浴槽がある。
湯に浸かる文化のないこの世界で、こんな建物を一から造ったのだから、三笠たちにはずいぶん無茶を頼んだと思う。
私は給湯装置の前へ回った。
竜核から熾晶へ送る魔力を、調節弁で少しずつ増やす。湯沸かし槽で温めた湯が二つに分かれた管を通り、男女の浴槽へ流れ込んでいく。
冷たい水を加えながら湯加減を確かめ、流れる量と排水口の具合も見る。
「どうだ、霧江?」
三笠が背後から声をかけた。
「……うん。ちゃんと動いてる」
浴槽の水面から湯気が立ち上り、広い室内を薄く満たしていく。
木の香りと、温かな湯の気配。
それを見ていた篠が、私の隣で小さく息をついた。
「本当に、できちゃいましたね」
「ああ。みんなのおかげだよ」
外から小松の声が聞こえる。
「なあ、もう入っていいのか!?」
「まだ! ちゃんと片づけてからだ!」
「ええっ、待ちきれねえよ!」
「小松。少しは落ち着け」
暁と榊が小松をたしなめる声も続き、私は思わず笑ってしまった。
誰もが半信半疑だった、湯に身体ごと浸かるための建物。
それが今、目の前にある。
「……よし。大浴場、完成だ!」
篠が笑い、三笠が満足そうに頷く。
工房の外では、仕事を終えた仲間たちが次々と集まってきていた。
あとは、この湯の気持ちよさをみんなに知ってもらうだけだ。




