第18話「ぬくもりの在処」①
熾晶を見つけた翌朝、私は工房の机にかじりついていた。
机の上には、赤い多面体の結晶と、キビから取り出した竜核。竜核はほとんど真ん丸なのに対し、熾晶には整った平らな面が十二もある。
見た目も役割もまるで違う二つの素材が、ようやく私の頭の中で一つにつながった。
(……いける。今度こそ、いけるぞ)
昨日開いた【湯沸かし装置】の制作法を、もう一度確かめる。
竜核から魔力を送り、熾晶で熱に変える。その熱を水に伝えれば、薪をくべ続けなくても湯を沸かせるはずだ。
さらに、魔力の通り道に調節弁を挟めば、供給量を少しずつ変えられる。つまみを閉じれば止まり、開けば熱が増す。湯の温度を加減するための仕組みだ。
(問題は、装置を置く場所と、どれだけ湯を使うかだな)
私は紙に大きな四角を二つ描き、それぞれに出入口と浴槽を付け足した。
「霧江さん。朝から何を描いてるんですか?」
篠が湯呑みを持って、机を覗き込んできた。
「いいところに来た。みんなも呼んでくれないか? ちょっと発表がある」
「発表、ですか?」
「昨日のお楽しみの正体だよ」
それを聞いた篠の顔が明るくなる。
ほどなくして、朝凪と夕凪、それから雲居も集まってきた。雲居は火傷をした足をまだ少しかばっているが、昨日より顔色はずっといい。
「それで、何をお作りになるんですの?」
「待ってました。その質問!」
私は紙を掲げた。
「みんなで入れる、でっかい風呂を作る!」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「お風呂?」
最初に反応したのは朝凪だ。
「そう。大きな浴槽に湯をためて、その中へ身体ごと浸かるんだ。男女別に浴槽を用意して、洗い場も脱衣所も造る」
「お湯の中に、身体ごと入るんですか!?」
篠が目を丸くする。
この世界では、夏場は川や湧き水で水浴びをして、普段は桶やたらいの湯で身体を拭く。温かい湯に肩まで浸かる習慣なんてない。
以前、石鹸を作ったときも、本当は湯船を造りたかった。でも、広さや排水の問題があって諦め、湯を沸かして身体を拭くだけで終わったのだ。
「そんなことして、気持ちいいの?」
朝凪が不思議そうに首を傾げる。
「最高だぞ。肩まで浸かると、身体の芯から温まるんだ。まあ、入ってみれば分かるさ」
「それにしても、そんな大きなものをここに造るんですか?」
「工房裏の空いた土地があるだろ? あそこなら長屋とも近いし、造作師たちも使える」
「それは嬉しいですけど……そんなにたくさんお湯を沸かすの、大変じゃないですか?」
夕凪の心配はもっともだ。身体を拭くための湯でさえ、沸かすには薪が要る。二つの大きな浴槽を満たすとなれば、手間は比べものにならない。
「そこで、こいつの出番ってわけ」
私は熾晶を指先で示した。
「竜核に蓄えた魔力を、この熾晶に流すと熱が出る。昨日、新しいレシピが出たんだ。上手くいけば、薪を使わずに湯を沸かせる」
「……そんなことまでできるんですの?」
「まだ作ってないから、実際にどれくらい使えるかは試さないといけないけどな」
雲居は腕を組み、机の上の図を見下ろした。
「問題は、竜核の魔力がなくなったときなんだよな。フヨウの竜核もあるけど、それも使い切ったら……」
「竜核の魔力なら、充填できますわよ」
「……え?」
思わず雲居の顔を見た。
「専門の技術と素質が必要なので、誰でもできるわけではありませんけれどね」
そうだったのか。まるで充電池みたいだな。
「じゃあ、魔力が尽きるたびに新しい竜核を用意しなくていいのか」
「ええ。ただし、充填を頼める相手は探しておいた方がよろしいですわね」
「なるほど。そこは雲居に頼んでもいいか?」
「もちろんですわ。そういうことでしたら、わたくしにお任せくださいまし」
雲居は得意げに胸を張った。
さすがは雲居。こういう相談では、いつも頼りになる。
「⋯⋯夕凪と一緒に、湯に浸かれる」
朝凪が小さく呟いた。
「お姉ちゃん、入る前からそんなことばっかり考えてるの!?」
「大事」
なるほど。朝凪は湯に浸かる心地よさは知らなくても、夕凪と一緒なら乗り気らしい。
それに、広い湯船で篠や雲居や朝凪たちと肩を並べて……。
(……いや、待て。これはあくまで福利厚生だ。そう、福利厚生)
「霧江さん。また変なことを考えてませんか?」
「何も考えてない!」
篠の視線が厳しい。
*
その後、私たちは工房裏の土地を三笠と一緒に見て回った。
長屋が完成したばかりの敷地に、また大きな建物を増やそうというのだから、三笠が呆れるのも無理はない。
「今度は、湯に身体ごと浸かるための建物だと? お前さんは次から次へと、よく思いつくな」
「前にも造りたかったんだけど、広さや排水の問題で諦めてたんだよ。今度こそ実現させたいんだ」
「男と女で使う場所まで分けるなら、十分に大仕事だ。土台も二つの浴槽も、片手間で造れるものではないぞ」
「そこは頼りにしてるよ、三笠親方」
「都合のいい時だけ持ち上げおって」
そう言いながらも、三笠は足元の土を確かめ、土地の傾きを見ていた。
「水はどうする?」
「近くの川から引こうと思ってる。上流側から水路を通せば、ここまでは自然に流せそうだし」
「ふむ。取水口にごみが入らん工夫が要るな。既存の地下排水路にも、余計な水は流し込まん方がよかろう」
「じゃあ、風呂の水は別の道を作ろう」
「……それでしたら、伊吹様にも話を通しておくべきですわね。川の水を勝手に使うわけにはまいりませんもの」
「そっか。土地を使わせてもらうのと、水を引くのは別の話だもんな」
「許可については、わたくしから白露様へお話ししておきますわ」
「頼む。返事が来るまでは、川から引く工事は待とう」
三笠が頷き、今度は敷地の低い方を指さした。
「使った湯はどこへ捨てる?」
「それは……川に戻せば……」
言いかけて、私は口をつぐんだ。
湯だけならまだしも、ここでは石鹸も使うつもりだ。
(……そういや、排水のことまで考えてなかったな)
「どうなさいましたの?」
横で図面を確認していた雲居が顔を上げる。
「石鹸を使った水を、そのまま川に流すのって、あんまりよくないんだよ」
「そうでしたの? でしたらまずいですわね。もう相当の数を売ってしまっていますわ」
雲居が真顔になった。
考えてみれば、私だって前世で排水の行き先をいちいち意識していたわけじゃない。石鹸を作るのが嬉しくて、売れることも嬉しくて、使い終わったあとまで思い至らなかった。
「少し使うだけですぐに川が駄目になるってわけじゃないよ。うちの石鹸も、比較的分解されやすいものだと思う。でも、量が増えたら水の生き物にも負担がかかるだろうしさ」
「……売る側としても、知らなかったでは済ませたくありませんわね」
「だな。とりあえず、ここの排水は川へ直接流さないようにしたい」
三笠はしばらく考えてから、地面に木の枝で線を引いた。
「なら、まずは湯をためて、沈む汚れを落とす場所を作るか。その先に砂利と砂を敷いた水路を設けて、ゆっくり通す」
「いいな。葦なんかを植える場所も作れれば、土の中の働きも借りられるかもしれない」
「ほう。草まで使うのか」
「ただ、それで全部きれいになるわけじゃない。流す量も考えないと」
最後は川から離れた浸透用の土地へ導く。土の具合を確かめて、無理のない量だけ流す仕組みにしよう。
「なるほどな。風呂そのものだけでなく、使ったあとの始末まで考えるわけだ」
「作って終わりじゃないからな」
言ってから、少し照れくさくなった。偉そうなことを口にできるほど、今まで考えていたわけでもないのだから。
「山猫商会には、石鹸を川の中で直接使わないよう、お客様に伝える方法を相談してみますわ」
「助かる。私も、もっと効率よく水をきれいにできる道具が作れないか考えてみるよ」
「また新しい仕事を増やしましたわね」
「……自分でもそう思う」
雲居は小さく笑った。
ひとまず今回は、三笠の考えた簡単な浄化設備を作る。もっといい方法は、これから探せばいい。
そう話していると、家の方から控えめな声がした。
「霧江さん、あの……!」
振り返ると、稲羽が玄関先に立っていた。
「稲羽。もう動いて平気なのか?」
「は、はい。今日は山猫商会に、キビに襲われた件を報告しに行こうと思って……」
耳はいつもより伏せ気味だが、声には昨日より力がある。
「一緒に行こうか?」
「だ、大丈夫です。街の中ですし、私の仕事ですから」
そう言ってから、稲羽は少しだけ迷うように私を見つめた。
「……行商のことは、まだ少し怖いです。でも、報告はちゃんとしておきたいので」
「分かった。無理して次の行商を決めなくていいからな」
「……はい!」
私は稲羽を見送った。無理に笑わせるより、自分で一歩を選べるようになる方が、きっといい。
*
昼前、工房に顔なじみの三人が現れた。
先頭の暁が獣脂の入った荷を下ろし、その後ろから小松と榊が続く。
「よう、霧江。いつもの分を持ってきたぞ」
「助かる。ちょうど在庫が減ってたところなんだ」
雲居が受け取りの確認を始める横で、小松が工房裏に目を向けた。
「……何だ? また何か造るのか?」
「ああ。湯をためて、そこに身体ごと浸かる、でっかい風呂をな」
「身体ごと!?」
小松の目が輝いた。
「……風呂って、桶の湯で身体を拭くもんじゃないのか?」
「それは湯拭きだろ。今度は湯をためた浴槽へ、身体をすっぽり入れるんだ。もちろん男女で使う場所は分けるけどな」
「へえ……? よく分かんねえけど、面白そうだな!」
「一度入れば分かるって」
小松は工房裏に広がる空き地を見渡し、三笠の図面に目をやった。
「……なあ、俺たちも手伝おうぜ!」
「え?」
「こんなの、滅多に造れないだろ? それに篠の手伝いにもなるしさ」
名前を出された篠が、驚いたように小松を見る。
「小松さん……」
「なんだよ。力仕事なら役に立つと思うぜ?」
小松は気負いもなく笑った。
楽しそうだから混ざりたい。篠の役にも立てるなら、なおよし。たぶん、本人の考えはそのくらいだ。
「なるほどな。確かに、俺たちでも運搬や組み立てならできる」
暁が顎に手を当てた。
「急ぎの依頼もないし、私も構わない」
榊も頷く。
「ちょっと待って。いいのか? 一日で済む仕事じゃないぞ」
「だったら、しばらくここにいればいいじゃん」
「小松、お前は本当に気楽だな……」
暁は苦笑しながらも、反対する様子はなかった。
私は三笠を見た。三笠は小松たちの体つきを確かめるように眺め、それから短く頷く。
「力仕事が増えるのはありがたい。だが、建物を造る以上、勝手なことはするなよ。指図はわしが出す」
「分かってるって、親方!」
「まだお前の親方になった覚えはないわ」
雲居が帳面を開き、暁たちを見回した。
「もちろん、日当はお出ししますわ。一週間近くもお手伝いいただくのですから」
「えっ、日当まで出るのか? ますますやる気が出るな!」
「小松。まだ一日も働いていないだろう」
暁にたしなめられても、小松は嬉しそうだった。
小松の明るさにつられて、篠も小さく笑った。
暁たちと篠が、こんなふうに気兼ねなく話している。
(……いいもんだな)
少し前なら、考えられなかった光景だ。
こうして、大浴場の建設は思いがけず人手が増えることになった。
小松と榊には長屋の空いている部屋を使ってもらう。造作師たちの部屋とは別に、まだいくつか空きがあるから問題ない。
「俺は今夜、いったん帰る。妻にも知らせておきたいしな。明日の朝、また来るよ」
暁がそう言った。
「了解。奥さんにもよろしく」
「ああ。世話になる」
その日の午後は三笠の指示で地面に印をつけ、資材を運び込み、最初の土台づくりに取りかかった。
私の方は篠と雲居に手伝ってもらい、給湯装置に必要な部品を洗い出す。雲居には足を休ませながら、帳面と材料の確認を任せた。
夕凪は増えた人数の食事を用意してくれることになった。
「人数が増えたくらい、任せてください!」
頼もしい返事を聞いて、私は安心して作業に戻った。
……この時は、まだ気づいていなかった。
作業する人間が増えれば、それだけ食事も洗濯物も増えるという、ごく当たり前のことに。
暁は夕方になると、奥さんに事情を話すため帰っていった。小松と榊は長屋に荷を置き、夕凪が用意してくれた夕食の手伝いに回る。
夕暮れが近づく頃、工房裏には新しい建物の輪郭がうっすらと現れ始めていた。
私は手元の図面と、布に包んだ熾晶を見比べる。
(さて。今度は、こいつを本当に動かしてやらないとな)
目指すのは、誰もが好きな時に温かい湯へ浸かれる場所。
そのための大仕事が、いよいよ始まった。




