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第17話「災難と幸運」①

 工房裏に建てていた長屋が、ようやく完成した。

 水はけの悪かった土地は地下排水路のおかげですっかり乾き、伊吹から正式な許可をもらったあと、三笠たちと一緒に建築を進めた。柱を立て、梁を渡し、屋根を葺く。途中で細かな手直しはあったものの、最後まで大きな問題は起きなかった。

 長屋には、三笠を慕って工房に加わった三人の造作師がさっそく荷物を運び込んでいる。工房からすぐの場所に住めるとあって、なかなか好評らしい。


 これで当面の住まいの問題は片づいた。

 めでたし、めでたし。


 ……で、私は今、居間の床にあぐらをかき、腕を組んで唸っている。


「うーん……」


 長屋とは別に、どうしても作りたいものがある。

 大まかな形なら頭に浮かんでいるし、どう使うものなのかも分かっている。必要な場所も、だいたい決めてある。

 なのに、それを実際に動かすための仕組みだけが、どうにもまとまらない。


【クラフトレシピ一覧】を開いてみる。

 何度眺めても、目当てのものは見当たらなかった。


(形は想像できる。必要な働きも分かる。でも、それを動かすための肝心な何かが足りないんだよな……)


 作りたいという気持ちだけでは、制作法は構築されない。これまでも、必要な素材に触れた途端に作り方が見えてきたことは何度もあった。

 素材か、それとも別の何かか。肝心な部分が見つからない限り、目当ての制作法も出てこないのだろう。

 問題は、それが何なのかさっぱり分からないことである。


「霧江さん!」

「ん?」


 顔を上げると、篠が私の前に立っていた。なぜか頬が赤い。


「もう! そんな格好をして、はしたないです!」

「そんな格好って?」

「あぐらです! 女の人がそんなに足を広げて座っていたら、目のやり場に困ります!」


 言われて、自分の姿を見下ろした。

 確かに、足は思い切り開いている。しかも作務衣の胸元が少し緩み、豊かな胸の谷間まで覗いていた。


(……ああ、そうか。今の私は女だった)


 それも、そこそこ見栄えのする体つきをしている。

 自分の体だと、つい忘れるんだよな。


「でも、家の中じゃん。考え事するなら、この座り方が楽なんだよ」

「家の中でも駄目です!」

「厳しいなあ……」


 思わず横へ目を向けると、少し離れたところで朝凪が矢を作っていた。

 床にあぐらをかき、膝の上で矢羽根の位置を確かめている。細い指が器用に動き、一本ずつ丁寧に仕上げていた。


(ほら、朝凪だってあぐらじゃん)


 そう言いかけて、口が止まる。

 作業の邪魔にならないように上げられた衣の裾。その下から、狩猟で山野を駆け回って鍛えられた、引き締まった太ももが覗いている。

 さらに、無造作に開いた脚の奥は――。


(……おお)


「霧江さん」

「……はい」

「今度は、どこを見ているんですか?」

「……朝凪?」

「疑問形にしないでください!」


 篠の声に、思わず背筋が伸びた。

 その直後、台所の方から別の声が飛んできた。


「お姉ちゃん!」

「ん?」


 湯呑みを載せた盆を持った夕凪が、朝凪の前で足を止めていた。


「またあぐらかいて! もう少しお行儀よく座ろうよ!」

「……楽だから」

「そういう問題じゃないの!」


 朝凪が不満そうに口を尖らせ、それでも素直に足を崩す。

 私も篠の視線に負けて、しぶしぶ正座した。

 朝凪と目が合う。

 向こうも、なんとも言えない顔をしていた。


「……私たち、そんなに悪いことした?」

「霧江さんは、座り方だけの問題じゃありません!」


 ……ごもっとも。


   *


 そんな騒ぎが一段落した頃、玄関から控えめな戸を叩く音がした。


「あ、あの……稲羽です!」


 聞き覚えのある声だ。

 私が立ち上がるより早く篠が戸を開けると、そこには灰色の縞模様の猫耳を立てた稲羽がいた。

 肩には小さな荷物。いつもより動きやすそうな格好をしている。


「おお、稲羽。どうした?」

「こ、こんにちは、霧江さん。あの……今日は、ご挨拶に来ました」

「挨拶?」

「は、はい。私、今度は行商に挑戦することになったんです」

「行商?」


 思わず聞き返すと、稲羽はこくりと頷いた。

 以前は店先に立つだけでもあんなに緊張していたのに、今では客に自分から声をかけられるようになったらしい。

 もちろん、知らない相手となると、まだ少し怖いそうだ。それでも、店に来てくれる人を相手にするばかりではなく、自分から品物を届けてみたいと思うようになったという。


「へえ……すごいじゃん!」

「そ、そうでしょうか……?」

「そうだろ。最初に会った頃なんて、私が近づいただけで泣きそうになってたのに」

「そ、それは……霧江さんが、急に近づいてくるからです……」

「あ、そうだっけ」


 稲羽の耳が少し横へ倒れる。

 どうやら、あの時のことはまだ覚えているらしい。


「で、どこまで行くんだ?」

「ま、まずは街道沿いの町を回って、それから別の町にも行く予定です。一週間くらいで戻ると思います」

「あれ、売り物は? その肩の荷物だけか?」

「い、いえ。これから商会へ戻って、石鹸やほかの品を積み込む予定なんです」

「なるほどな。頑張れよ、稲羽」

「はいっ!」


 返事と一緒に、しっぽがぴんと持ち上がった。

 その様子を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。


「お待たせしました。では、参りましょうか」


 奥の部屋から雲居が姿を現した。

 いつもの白と青の巫女服だが、袖口は紐で留められ、裾も歩きやすいように整えられている。腰には旅用の小袋。長い髪も邪魔にならないよう、いつもよりきっちりとまとめていた。

 ただし、豊かな胸の下を大胆に覗かせるところだけは、相変わらずだった。


(……そこは旅支度でも変わらないんだな)


「……あれ? 雲居も行くの?」


 雲居がぴたりと足を止めた。


「……霧江。今、何とおっしゃいました?」

「いや、稲羽と一緒に行くのかって」

「ちゃんとお伝えしましたわよ。今回の行商には、わたくしも付き添うと」

「え、初耳なんだけど」

「何度も言いましたわ!」


 雲居はこめかみを押さえた。


「最初の行商ですもの。品の売り方だけでなく、道中のやり取りも教えるつもりだと、昨日も説明いたしましたでしょう? 新しい売り先を開拓するのですから、最初はわたくしが直接確かめる必要もありますの」

「……あー」

「生返事ばかりとは思っていましたけれど……まさか、本当に上の空だったんですのね」


 言われてみれば、昨日も雲居が何かを話していた気はする。

 でもその時、私は例の仕組みのことを考えていて……。


(……全然聞いてなかったな)


「ごめん」

「素直に謝ればよろしいというものではありませんわ!」


 篠が横で苦笑している。

 朝凪はというと、もう矢作りに戻っていた。こういう騒ぎには、相変わらずあまり興味がないらしい。


「ま、まあまあ。稲羽も、雲居が一緒なら心強いだろ?」

「は、はい。とっても……!」

「それなら安心だな」

「話を逸らさないでくださいまし」


 雲居の目が冷たい。

 うん。これ以上怒らせるのはやめておこう。


 そう思ったところで、稲羽の肩に掛かった荷物が目に入った。

 行商なら、道中は石鹸以外の品も運ぶのだろう。荷が増えれば、持ち歩くだけでも一苦労だ。


「……そうだ。ちょっと待ってて」

「えっ?」


 私は立ち上がり、物置へ向かった。

 目当てのものはすぐに見つかった。以前作った、車輪付きの背負子だ。

 背負って運ぶこともできるし、道がよければ車輪を使って転がせる。山道での使い勝手はともかく、街道を歩くなら悪くないはずだ。


「ほら、これ使ってくれ」

「こ、これを……私に、ですか?」

「うん。せっかく作ったんだし、使ってもらった方が嬉しいからさ」


 稲羽は背負子の車輪を覗き込み、そっと触れた。

 押してみると、車輪がからからと小さな音を立てて転がる。


「わあ……! これなら、荷物が多くても運びやすそうです」

「だろ? 重いものを全部背負わなくて済むからな」

「でも、こんな立派なものを、お借りしても……?」

「いいって。使いにくいところがあったら、帰ってから教えてくれ」


 稲羽の耳が嬉しそうに立ち上がった。


「あ、ありがとうございます! 大切に使います!」

「壊れても直せるから、あんまり気にするなよ」

「そ、それでも、大切にします!」


 そんなに真剣に言われると、作った側としてはちょっと照れる。


「では、そろそろ出発いたしますわよ」


 雲居が稲羽の旅荷を背負子へ載せ、紐で確かめるように固定した。

 さすが、こういう段取りは手際がいい。


「稲羽、無理はしなくていいからな。困ったら雲居に頼れよ」

「は、はいっ。頑張ってきます!」

「わたくしが一緒なのですから、心配はいりませんわ」

「頼りにしてる。雲居も気をつけてな」

「当然ですわ。あなたこそ、人の話をきちんとお聞きなさい」

「はいはい」

「返事は一度!」

「はい!」


 最後まで叱られてしまった。

 篠たちと一緒に玄関先まで出ると、稲羽は背負子をゆっくりと転がし始めた。

 灰色のしっぽが、歩調に合わせて左右に揺れている。


「行ってきます!」

「いってらっしゃい!」


 私が手を振ると、稲羽も振り返って大きく手を振り返した。

 雲居は呆れたように笑い、それでも最後には小さく手を上げる。


 店先に立つだけで震えていた稲羽が、今度は自分の足でほかの町へ向かう。

 少しずつだけど、ちゃんと前へ進んでいるんだな。


(帰ってきたら、土産話を聞かせてもらおう)


 商会へ向かう二人の姿が通りの向こうへ小さくなるまで、私はその場で見送っていた。

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