第16話「水の逃げ道」①
領主の館へ行った翌日。
私は三笠と篠、雲居を連れて、借りる予定の土地へやってきた。
工房の裏手から少し歩いたところにある、そこそこ広い空き地だ。草は伸びているものの、ぱっと見ただけなら長屋を建てられないようには見えない。
ただ、足を踏み入れた瞬間、その考えは消えた。
「うわっ」
草の下で、草履がぐにゃりと沈んだ。
昨日も一昨日も雨は降っていない。それなのに、踏んだ場所からじわりと水が滲んでくる。
「まだこんなに水が残ってるのか」
「聞いていた通りですわね」
雲居は長い袖が泥につかないよう片腕に抱え、慎重にぬかるみを避けていた。
「霧江さん、こっちもです」
篠が少し離れた場所を指した。浅い水溜まりが、草の間にいくつも残っている。
三笠はしゃがみ込み、地面へ指を押し込んだ。
「水路が壊れてるだけにしちゃ、妙に湿ってやがるな」
「そうなのか?」
「ああ。昨日今日の雨じゃねえのに、これは残りすぎだ」
そう言って、三笠は指についた泥をこすり合わせる。
私も同じように、足元の土をひとつまみ取った。
指先に、ひやりとした泥の感触がまとわりつく。
【名称:粘土質の土】
【カテゴリ:土】
【特性:保水】
【説明:粒が細かく、水を含みやすい。乾燥するまでに時間がかかる土】
【Bランクスキル:「保水性上昇(中)」付与】
(……そりゃ水が抜けないわけだ)
久しぶりに目の前へ現れた素材の情報に、思わず口元が緩みそうになる。
いや、喜んでいる場合ではない。
古い排水路が壊れているだけじゃない。地面そのものが水を抱え込みやすい。伊吹が言っていた「分かっている範囲」より、もう一つ面倒な理由があったらしい。
「どうしました?」
「いや。水路を直すだけじゃ足りないって分かった」
「土を触っただけでか?」
三笠が眉を上げる。
「まあ、そんなところ」
私にしか見えないものを説明するのは難しい。三笠も今さら追及する気はないらしく、鼻を鳴らしただけだった。
*
次に、昔の排水路を見て回った。
水路といっても、今は半分以上が土に埋もれている。側面の石組みも崩れ、ところどころ草の根が入り込んでいた。
「これを掘り返して、石を積み直すだけならできる」
三笠が崩れた石を蹴る。
「だが、お前の言う通りなら、それだけじゃ足りねえんだろ」
「ああ。地面の中にも、水の逃げ道がいる」
そう考えながら、水路の底に残っていた石を拾う。表面に細かな穴がいくつも開いた、妙に軽い石だった。
【名称:多孔石】
【カテゴリ:石材】
【特性:多孔】
【説明:内部に細かな穴が多く、水や空気が抜けやすい軽い石】
【Bランクスキル:「排水性上昇(中)」付与】
(これだ)
同じ石は、水路の周りにもいくつか転がっている。こいつを地面の下へまとめて入れれば、水を逃がす場所を作れそうだ。
さらに、崩れず残っている水路の石組みから、硬い石を一つ選んで触れた。
【名称:硬石】
【カテゴリ:石材】
【特性:硬質】
【説明:重く硬い。加工には手間がかかるが、圧力や衝撃に強く、構造材として長く使える石】
【Bランクスキル:「耐久力上昇(中)」付与】
(こっちも使える)
頭の中で、形がつながっていく。
(要するに、でかい植木鉢だ)
植木鉢の底に石を敷いて、余分な水を逃がすのと同じだ。
この土地でも、土の下に多孔石を詰め、その中央に硬石で丈夫な水路を作ればいい。水路は古い排水路へ向かって少しずつ低くする。雨水は多孔石へ落ち、そこから水路へ集まり、低い方へ流れていく。水が抜けたら、最後に土地を乾かして踏み固める。
そこまでやって、ようやく家を建てられる。
そこまで考えた瞬間、作り方が頭の中へ一気に流れ込んできた。
ウインドウを開く。【クラフトレシピ一覧】に、見覚えのない項目が増えている。
【地下排水路】
「……よし」
「何か思いついたんですか?」
「たぶん、いける」
篠に答えながら、必要になりそうな素材を頭の中で並べる。
多孔石の排水性。硬石の耐久力。
どちらも、この土地で長く使う排水路には欲しい。片方だけでは心許ない。
そこで、ふと思い出した。
(そういえば、ステータス画面って一度も開いてなかったな)
メニューへ戻り、【ステータス】を選ぶ。
初めて開いた画面には、クラフトに関するいくつかの項目が並んでいた。
まず【クラフトレベル】を開いてみると、その下に見慣れない設定がある。
【レベルアップ時のメッセージを表示する:OFF】
(……OFF?)
試しにONへ切り替えてみる。けれど、過去の通知がまとめて出てくるようなことはなかった。
(まあ、次に上がった時に分かるか)
詳細画面を閉じ、今度は別の項目へ目を向ける。
【継承可能数:1】
見間違いではない。
(……一個か)
多孔石と硬石を材料に使えば、完成時には二つの付与スキルが継承候補に上がるはずだ。
けれど、今の私が完成品へ継承できるのは一つだけ。
(排水性は絶対にいる。でも、地面の下に埋めるものが簡単に崩れたら意味がない)
欲しいのは、どちらかではない。
二つともだ。
「……どうした?」
三笠がこちらを見る。
「いや。作り方は分かったんだけど、ちょっと問題が出た」
「今度は何だ」
私は、目の前に浮かぶ数字を睨んだ。
(一つしか選べないなら、どうする?)
土地の問題を解決する方法は見つかった。
なのに今度は、私のクラフトスキルの方に問題が残っていた。
三笠に聞かれても、目の前の数字をそのまま説明するわけにはいかない。
「……材料の使い方で、ちょっと迷ってる」
「なら、迷ってる間にやることをやれ。水路の位置を決めねえと、掘ることもできんぞ」
「それもそうだな」
悩んでいても、継承可能数が増えるわけじゃない。
私はいったんウインドウを閉じた。
まずは古い排水路まで水を流せるよう、地面に何本か細い溝を通す場所を決める。
三笠と一緒に土地の高低を見ながら、杭を打ち、縄を張って目印にしていった。
難しいことをするわけじゃない。古い排水路へ近づくほど、ほんの少しずつ低くしてやればいい。水は高い方から低い方へ流れる。それだけだ。
「こっちはもう少し下げろ。逆に流れたら笑えんぞ」
「分かってるって」
「本当に分かってんのか、お前は勢いでやるところがあるからな」
「失礼な」
篠が横でくすりと笑った。
やがて、おおよその位置が決まる。
そこへ工房から、三笠を慕って加わった三人の造作師も呼んできた。これだけ人がいれば、掘る作業そのものはどうにかなりそうだ。
問題は、その後だった。
「……これ、どこに運ぶんです?」
男の造作師の一人が、掘り返した土を指さした。
湿った粘土質の土は重い。試しに籠へ入れて持ち上げてみたが、少し入れただけで腕にずしりとくる。
しかも、これから掘る溝は一本ではない。土地全体から出る土を考えれば、とても籠だけでは追いつかない。
「全部背負って運ぶつもりか?」
三笠が呆れたように言う。
「……嫌だな」
「儂も嫌だ」
珍しく意見が合った。
私は工房の方へ視線を向ける。
土を遠くへ運ぶ必要はない。土地の端へまとめておくだけでいい。それでも、何度も往復するなら、もっと楽に運べる道具が欲しい。
(背負子に車輪を付けた時と同じだ)
背中へ載せるから重い。だったら、最初から地面に重さを預ければいい。
箱を作って、下に車輪を一つ。後ろから二本の柄を持って押す。
頭の中で形が決まると、すぐにいつもの感覚が来た。
【新規レシピを構築しました】
【一輪手押し車】
「ちょっと工房に戻る」
「また何か作るんですか?」
「土運びが楽になるやつ」
「こっちは掘れるところから頼む。草を払って、縄を張ったところの土を起こしておいてくれ」
「分かりました」
「雲居は、必要になりそうな石の量を見ておいてくれ」
「分かりましたわ。ついでに、どれだけ銭が飛ぶのかも数えておきますわね」
「その言い方やめてくんない?」
三人の造作師と雲居を現場に残し、私は篠と三笠を連れて工房へ戻った。
*
一輪手押し車は、思っていたより早く形になった。
木で浅い箱を作り、その前寄りに車輪を一つ付ける。後ろへ伸ばした二本の柄を持ち上げれば、荷物の重さのかなりの部分を車輪へ預けられる。
車輪そのものは、以前作った車輪付き背負子で経験がある。軸の丸い部品も、今は足踏み式の旋盤があるおかげで作るのが早い。
「なるほどな。押して運ぶのか」
三笠が出来上がりかけの手押し車を揺らす。
「重いもんを背負わなくて済む。道が悪すぎなければ、籠よりずっと運べるはずだ」
「なら、取っ手はもう少し長い方がいい。短いと腰にくるぞ」
「あ、それいいな」
三笠の指摘を取り入れ、柄を少し伸ばす。車輪の位置も微調整して、最後に箱を固定した。
完成した手押し車を床へ下ろす。
その瞬間だった。
【クラフトレベルが上昇しました】
「……お?」
さっき表示をONにしたばかりのレベルアップ通知が、さっそく目の前へ現れた。
続けて、もう一つウインドウが開く。
【クラフトレベル上昇による成長を確認しました】
【継承可能数が増加しました】
【1 → 2】
「……今!?」
「何がだ」
三笠が怪訝そうな顔をする。
「いや、なんでもない。なんでもないけど……」
都合が良すぎる。
さっきまで、二つ欲しいのに一つしか選べないと悩んでいた。それが、土を運ぶための道具を一つ作っただけで解決してしまった。
狙っていたわけじゃない。そもそも、レベルがいつ上がるのかも私には分からない。これまで作ってきた物の積み重ねが、たまたま今ここで届いただけなのだろう。
(……まあ、使えるなら使うけど)
私はすぐに【ステータス】を開いた。
「……お前、さっきから何してやがる」
「ん?」
「空中を指でつついてるだろ」
「あー……気にするな」
「気になるわ」
篠が横で苦笑している。
【継承可能数:2】
今度こそ、見間違いではない。
そのまま【クラフトレシピ一覧】から【地下排水路】を開く。
【継承可能な付与スキルを確認しました】
【排水性上昇(中)】
【耐久力上昇(中)】
【継承可能数:2】
二つの文字を見比べる。
さっきまでは、どちらか片方を諦めるしかなかった。
今は違う。
(これなら、両方いける)
思わず口元が緩んだ。
「霧江さん、すごく嬉しそうですね」
「そりゃ嬉しいさ。欲しかったものが、ちょうど手に入った」
「手押し車がですか?」
「それも」
説明しても伝わらないので、それだけ答える。
私は出来上がった一輪手押し車の柄を掴んだ。
「よし。土を運んで、今度こそ排水路を作るぞ」
悩んでいた最後の一つが、ちょうど消えた。
あとは、作るだけだ。




