第15話「人が増えました」②
雲居が領主へ手紙を出してから、数日後。
思っていたより早く返事が来て、私は雲居と篠を連れて領主の館へやってきた。
領主の館と聞いて、もっと城みたいな場所を想像していた。けれど実際に目の前へ立つと、もちろん立派ではあるものの、山猫商会の商館ほど大げさな建物ではない。
門の内側には人の出入りもあり、役人らしい男たちが書類を抱えて行き交っていた。
(本当に、役所みたいな感じなんだな)
門で名前を告げると、話はすでに通っていた。
篠は刀を預け、案内された廊下を三人で進む。
「霧江様ですね」
途中で、一人の女が待っていた。
歳は私より上だろうが、三十には届いていないくらいに見える。髪はきっちりと結われ、身体に沿った端正な装束にも乱れがない。
いかにも仕事ができそうな雰囲気だった。
そして、その女は目を細めたまま、まっすぐ私を見ている。
(……睨まれてる?)
初対面のはずなんだけど。
(私、何かしたか? もしかして嫌われてるのかな)
ちらりと雲居を見る。
雲居は特に気にした様子もなく、いつも通り澄ました顔をしていた。篠も少し緊張しているだけで、女の視線を気にしている様子はない。
……私の考えすぎだろうか。
「領主付きの白露と申します。伊吹様がお待ちです。こちらへどうぞ」
声も事務的で、無駄がない。
「ど、どうも」
やっぱりちょっと怖い。
白露についていくと、やがて一つの部屋へ通された。
中にいたのは、四十代ほどの男だった。派手な装束ではない。けれど、座っているだけで、この館の主だと分かるような落ち着きがある。
男――伊吹は、私たちを見ると柔らかく笑った。
「お待ちしていました。霧江さんですね」
「はい」
(……あれ、私、敬語になってる)
相手が領主だと思うと、さすがにいつもの調子では話せなかった。
私は慌てて頭を下げる。隣では雲居がずっと自然な動きで礼をしていた。篠もそれに倣っている。
(こういう時だけ、雲居がものすごく頼もしく見えるな)
普段から頼もしいのだが、こういう場では特にだ。
「どうぞ、そう固くならないでください。今日はお願いを聞くための場ですから」
口調まで柔らかい。
少しだけ肩の力が抜けた。
「それに、霧江さんのお名前は以前から耳にしています」
「私の?」
思わず聞き返してしまった。
伊吹は気を悪くした様子もなく頷く。
「山猫商会で扱っている石鹸。あれを作ったのは、あなたなのでしょう?」
「そうですけど」
「それから、最近は新しい工房も作られたとか。『霧江の工房』でしたか」
「そこまで知ってるんですか?」
「小さな領地ですから。新しい商いが始まれば、自然と耳に入りますよ」
伊吹はそう言って笑う。
(思ったより知られてるんだな、私)
私は自分を、石鹸を作って工房を建てただけの造作師くらいに思っていた。けれど、どうやら周りから見れば、それなりに目立つことをしているらしい。
「悪い噂じゃないですよね?」
念のため聞いておく。
「今のところは、むしろ逆ですね」
それならよかった。
伊吹がこちらへ視線を戻す。
「さて。雲居さんからの手紙で、おおよその話は伺っています。ただ、実際に土地を使われる霧江さんから直接聞いておきたい」
そこで初めて、笑顔の奥に領主らしいものが見えた気がした。
「何を作るおつもりですか?」
「工房で働く人たちが住む場所です」
私は長屋の構想を説明した。
一人ずつ大きな家を建てるのではなく、小さな部屋をいくつか並べる。炊事場や物置は共用にして、工房へ通いやすい場所に住めるようにする。今いる職人だけでなく、この先さらに人が増えた時にも使えるようにしたい。
伊吹は途中で口を挟まず、最後まで聞いていた。
「なるほど。つまり、工房のための住居をまとめて用意したいと」
「そんな感じです」
「場所は?」
「工房の裏手に空いている土地があります。そこを使わせてもらえないかと思って」
伊吹が白露を見る。
白露はすぐに脇へ置いてあった帳面を開いた。
「該当する一帯は、領主家の管理地です。現在、貸し出しも耕作も行われておりません」
相変わらず細められた目がこちらを向く。
(……相変わらず、視線が怖い)
話の内容には何も問題がないのに、なぜか落ち着かない。
伊吹は白露の説明を聞くと、しばらく考えるように指を組んだ。
そして、あっさりと言った。
「いいですよ」
「……いいの?」
思わず素で返してしまった。
横から雲居の肘が脇腹へ入る。
「霧江」
「痛っ。……すみません」
伊吹は小さく笑った。
「構いません。あのまま誰にも使われないより、人が住み、働く場所になる方が領地にとっても良いことです」
ずいぶん話が早い。
長屋を作りたいと言って、土地を借りられる。これなら――。
「ただし」
続いた言葉に、私は口を閉じた。
伊吹の表情は変わっていない。相変わらず、柔らかく笑っている。
「一つ、こちらから条件があります」
やっぱり、ただで話が終わるわけではないらしい。
伊吹は白露へ視線を向けた。
白露は帳面へ視線を落とし、迷いなく該当する頁をめくる。相変わらず目元は細いままだ。
(……仕事が早いな)
睨まれているように見えるのは怖いけれど、少なくとも仕事ぶりに隙はなさそうだった。
「霧江様方が希望されている一帯ですが、現在は利用されておりません。ただし、建物を建てるには少々問題があります」
「問題?」
「雨が降ると、水が溜まるんです」
伊吹が引き継いだ。
「分かっている範囲では、あの辺りは周囲よりわずかに低くなっています。そのうえ、昔使われていた排水のための水路も、今ではほとんど機能していません」
「水路が壊れてるんですか?」
「崩れている場所もあれば、土砂で埋まっている場所もあります。雨の後は、場所によっては何日もぬかるんだままですよ」
なるほど。誰も使っていないのには、ちゃんと理由があったらしい。
「昔は使われてたんですよね?」
「ええ。小さな家がいくつかあったと記録には残っています。ただ、排水が悪くなってから少しずつ人が離れ、そのままになりました」
私は少し考えた。
長屋を建てるだけなら、今の工房の人手があればどうにでもなる。
でも、その前に地面そのものをどうにかしなければならない。
「それで、条件っていうのは?」
「あの土地を、再び人が住める状態にしてください」
伊吹は柔らかく笑ったまま言った。
「水が溜まらないようにする。少なくとも、長屋を建てても問題なく暮らせる程度まで整えていただきたい」
「そこまでできたら、使わせてもらえるんですか?」
「ええ」
返事は早かった。
「整備にかかる費用と人手は、そちらで負担していただきます。その代わり、使える状態になれば、あの一帯を工房の住居用地として正式にお貸しします。当面、土地の使用料もいただきません」
「……ずいぶん太っ腹ですわね」
雲居が口を挟んだ。
伊吹はそちらへ目を向ける。
「そう思いますか?」
「使われていない土地を、こちらの銭と人手で使える土地へ戻す。領主様は土地を整備でき、こちらは住む場所を得られる」
雲居がにっこり笑う。
「お互いに損はありませんわね」
「ええ。ですからお願いしています」
伊吹も同じように笑った。
(……この人、やっぱり抜け目ないな)
押しつけているわけじゃない。私たちにも十分な得がある。
でも、放っておけば銭のかかる土地を、こちらの力で直してもらおうという計算はきっちり入っている。
私は嫌いじゃなかった。
むしろ、何を求められているのか分かりやすい。
「分かりました。やります」
「霧江さん」
篠が少し驚いたようにこちらを見る。
「まだ土地もちゃんと見てないですよ?」
「だから、まず見る」
「即答でしたわね……」
「使いたい土地なんだろ。だったら、使えるようにすればいい」
言ってから、自分でもずいぶん簡単に言ったなとは思った。
けれど、直す方法がないと決まったわけじゃない。
水が溜まるなら、どこで止まっているのか。何が邪魔をしているのか。何を使えば流せるのか。
そこから調べればいい。
伊吹が小さく頷いた。
「では、白露。土地の使用範囲と今回の条件、それから整備に必要な立ち入りや掘削、水路修繕の許可を書面に」
「承知しました」
白露はすぐに筆を取った。
というより、どうやら大部分はすでに用意してあったらしい。
(……仕事が早いというか、最初からここまで想定してたのか?)
そして一瞬、細められた目がこちらを向く。
私は反射的に背筋を伸ばした。
……やっぱり、ちょっと怖い。
*
館を出た頃には、話を始めてから思ったほど時間は経っていなかった。
手には、白露が用意した土地の使用範囲と整備の許可が記された書面がある。
「思ったより、すんなり決まりましたね」
篠が言った。
「条件付きだけどな」
「十分ですわ」
雲居は満足そうだった。
「あの広さの土地を当面使用料なしで使えるのでしたら、整備する価値はありますもの」
「でも、水が溜まるんだろ?」
「そこをどうにかするのが、霧江の仕事ですわ」
「私だけ?」
「三笠さんたちもおりますでしょう」
それもそうだ。
一人だった頃なら、土地一帯をどうにかしようなんて考えもしなかっただろう。
今は違う。
三笠がいる。職人もいる。篠たちもいる。
そして、私には私にしか見えないものがある。
(まずは現地を見てみるか)
地面。石。土。昔の水路。
何が使えて、何が邪魔をしているのか。
素材を見れば、何か分かるかもしれない。
長屋を建てるのは、そのあとだ。
私は手の中の紙を折り畳み、工房への道を歩き出した。




