第15話「人が増えました」①
「霧江の工房」と書かれた看板が掛かってから、数日が経った。
工房の中では、足踏み旋盤が今日も小気味よい音を立てている。
作業台の上には削りかけの木材。壁際には道具。奥には石鹸用の材料まで積まれ、少し前まで家の軒先でやっていた頃が嘘みたいだった。
「……で」
私は工房の入口に立つ三人を見た。
見覚えのない造作師が三人。男が二人、女が一人。いずれも作業着姿で、手には使い込まれた道具袋を提げている。
「三笠さんが、こちらで仕事を始めたと聞きまして」
三人のうち一人が、少し緊張した様子で頭を下げた。
「もしよければ、俺たちもここで働かせてもらえませんか」
「儂を目当てに来るんじゃねえ」
奥で木を削っていた三笠が、顔も上げずに言った。
「そう言われましても。昔から世話になってますし」
「勝手に出入りしてただけだ」
「それを世話になったって言うんですよ」
言い返されて、三笠が鼻を鳴らす。
どうやら、ただ名前を聞いて押しかけてきたわけではないらしい。以前から三笠の仕事を手伝ったり、分からないところを教わったりしていた造作師たちだという。
三笠本人は弟子を取ったつもりなどないらしいが、向こうはそう思っていないようだった。
「腕は?」
私が尋ねると、三笠はようやく三人を見る。
「悪くねえ」
「へえ」
「少なくとも、材木を無駄にするほど下手じゃねえ」
「三笠さん、それ褒めてます?」
「十分だろ」
三人の肩が揃って落ちた。
でも、三笠が腕を認めているなら問題ない。
「じゃあ、私は歓迎する。細かい条件は雲居と詰めてもらうとして、うちでよければ働いてくれ」
「ありがとうございます!」
三人が揃って頭を下げる。
その日のうちに、工房はさらに賑やかになった。
足踏み旋盤の使い方を教えると、男の一人が早速丸棒を削り始める。女の造作師は三笠と棚を組み、もう一人の男は石鹸作りに使う木箱を作っていた。
私が全部に手を出さなくても、仕事が進んでいく。
(……人がいるって、すごいな)
以前は、思いついた物があっても、材料を集めて、切って、削って、組み立てて――全部自分でやるしかなかった。
今は違う。
私が何を作りたいか伝えれば、それを形にする手がいくつもある。
工房を作った時にも感じたことだったが、こうして本当に職人が増えると、また違って見えた。
「霧江! ぼさっとしてるならこっち押さえろ!」
「はいはい!」
まあ、私が働かなくていいわけではないらしい。
*
その日の夕方。
家へ戻ると、今度は工房とは別の意味で人が多かった。
篠が食器を並べ、夕凪が台所で鍋を見ている。その横では朝凪が切った野菜を皿へ移していた。雲居はいつものように帳面を広げ、今日工房で使った材料の代金を計算している。
「霧江さん、お帰りなさい」
「おかえりなさい!」
「ただいま」
いつもの光景――と言いかけて、ふと気づいた。
最近、朝凪と夕凪がここにいるのが当たり前になっている。
工房作りを始めてからは手伝いに来る日も増え、遅くなればそのまま泊まっていくことも珍しくなかった。夕凪に至っては、うちの台所を私より使いこなしている。
私は居間を見回した。
狭い。
前は気にならなかったのに、五人揃うと途端にそう見える。
「なあ、朝凪」
「なに?」
「もう、二人ともここに住むか?」
「え?」
朝凪より先に、夕凪が振り返った。
「住んでもいいんですか?」
「毎日のように来てるし、その方が楽だろ。部屋さえ何とかすれば」
夕凪の顔がぱっと明るくなる。
「私は嬉しいです! 毎日みなさんとご飯を食べられるんですよね?」
即答だった。
朝凪はそんな妹を見て、それから私へ視線を戻す。
「夕凪がいいなら、私はいい。……私も、嫌じゃないし」
「朝凪さんと夕凪さんが一緒なら、もっと賑やかになりますね」
篠も嬉しそうに笑った。
これで決まりらしい。
私はもう一人を見る。
「じゃあ、雲居も正式に部屋を決めるか」
「……霧江」
「ん?」
「わたくし、とっくにこちらで暮らしておりますわよね?」
「……そういや、そうだったな」
「今さらですの!?」
帳面を机へ叩きつける勢いで突っ込まれた。
そういえば、寝具も着替えもいつの間にか増えていた。帰っていくところを最近ほとんど見ていない。
完全に住んでいる。
「悪い悪い。じゃあ雲居も正式に」
「だから何が変わりますの!」
ごもっともである。
笑いながら、改めて部屋の中を見る。
篠と雲居に加えて、朝凪と夕凪。
(……これ、さすがに今の家じゃ狭いよな)
朝凪たちが泊まる時は、空いている場所へ寝具を敷けばどうにかなった。だが、毎日となると話は別だ。荷物を置く場所も必要になる。
着替えも増える。寝具も増える。五人分となれば、台所や物置だって今のままでは窮屈だ。
「よし」
「今度は何ですの?」
「家も広げるか」
雲居が一瞬、目を閉じた。
「工房を建てたばかりですのよ?」
「でも狭いだろ」
「それは、まあ……そうですけれど」
篠が家の奥を見てから、少し楽しそうに笑う。
「またみんなで作るんですか?」
「今度は工房の職人もいるしな。前より早いだろ」
何気なく口にしてから、少しだけ可笑しくなった。
工房を作ったばかりなのに、もう次の場所を広げる話をしている。
人が増えたから、場所が必要になる。
場所を作れば、また人が増える。
(……ずいぶん大所帯になってきたな)
少し前まで一人だったことを思えば、不思議なくらいだった。
家を広げると決めてからの動きは、思っていたよりずっと早かった。
何しろ、今の私には三笠がいる。さらに、その三笠を追ってきた造作師が三人もいる。
増やす部屋の位置と広さを決め、柱を立て、壁を抜き、屋根を延ばす。前なら一つ一つ自分でやっていた作業が、今はあちこちで同時に進んでいく。
「そこは先に梁を通せ! 壁からやる馬鹿があるか!」
三笠の怒鳴り声が飛ぶ。
「分かってますって!」
男の造作師の一人が返事をし、その横ではもう一人の男が材木を削っていた。女の造作師は篠と一緒に板を運んでいる。
朝凪も黙々と材木を運び、夕凪は作業の合間を縫って水や食事を用意してくれた。雲居は追加の材木や釘の数を帳面に書き込みながら、時々ひどく嫌そうな顔で銭勘定をしている。
「また増えておりますわ……」
「何が?」
「出費ですわ!」
聞かなければよかった。
とはいえ、工房を建てた時ほど大掛かりなものではない。
寝起きする場所を増やし、台所を少し広げ、物置にも手を入れる。五人で暮らしても窮屈にならない程度まで広げれば十分だ。
私も作業へ加わったが、途中からは自分がいなくても進む仕事が増えていった。
(……本当に、楽になったな)
もちろん、何もしなくていいわけじゃない。
けれど、一人で全部を抱えていた頃とは明らかに違う。誰かに任せて、その間に別のことができる。
そうして数日後。
増築は、あっさり終わった。
*
「広い……!」
増えた部屋を覗き込んだ夕凪が、嬉しそうに声を上げる。
朝凪と夕凪には、二人で使う部屋を一つ。そこへ二人の荷物も運び込まれ、雲居にも改めて一部屋が割り当てられた。
「ですから、わたくしは前から住んでおりましたのに」
「まあまあ。これで正式ってことで」
「何が正式なのか、いまだによく分かりませんわ」
そう言いながらも、雲居は自分の部屋へ帳面や着替えを運び込んでいる。
篠は新しく増えた収納を見て喜び、夕凪は広くなった台所をさっそく確認していた。朝凪も、妹が嬉しそうなので満足らしい。
家の中を行き交う人が増えた。
それなのに、前ほど狭くは感じない。
五人で暮らす家。
言葉にしてみると、なんだか妙な感じがした。
(……ずいぶん変わったな)
この世界で目を覚ました時は、一人だった。
それが今は、同じ家で飯を食う相手が四人もいる。
「霧江さん、今夜は少し多めに作りますね!」
「頼む。働いたら腹減った」
「あなたは途中から三笠さんたちに任せておりましたでしょう」
「ちゃんと働いたよ!」
雲居の突っ込みに言い返すと、篠がくすくす笑った。
家の問題は、これでひとまず片付いた。
――そう思っていた。
*
翌日。
工房で作業をしていると、休憩中に造作師の一人が大きく腰を伸ばした。
「あー……今日も帰る頃には暗くなるな」
何気ない独り言だった。
「家、遠いのか?」
私が尋ねると、その造作師は頷いた。
「少し。この辺りまで毎日通うとなると、どうしても時間がかかります」
聞けば、他の二人も似たようなものらしい。工房ができる前から住んでいた場所があるのだから、当然といえば当然だ。
三笠は自分の古い工房が近いから困らない。
だが、これから人が増えるたび、全員が近所に住んでいるとは限らない。
(三人だけなら何とかなる。でも、この先また人が増えたら、そのたびに同じ問題が出るよな)
「だったら、この辺に住める場所を作るか」
「……はい?」
造作師が目を瞬く。
「一軒ずつ建てるより、部屋を横に並べた方が早いだろ。共同で使う炊事場と物置もあれば――」
頭の中で形ができていく。
長屋だ。
前世で知っていたものをそのまま作る必要はないが、何人かが寝起きできる小さな部屋を並べるだけなら、今の工房の人手があれば難しくない。
「悪くねえな」
三笠まで乗ってきた。
「工房の裏手が空いてる。あそこなら近いぞ」
「じゃあ、そこに――」
「お待ちなさいませ」
ぴしゃりと声が飛んだ。
振り向くと、雲居が帳面を抱えたままこちらを見ている。
「何だよ」
「その土地、誰のものですの?」
「…………」
私は三笠を見る。
三笠も私を見る。
「空いてるぞ」
「聞いているのは、空いているかどうかではありませんわ!」
怒られた。
「土地って、勝手に使っちゃ駄目なのか?」
「当たり前ですわ!」
また怒られた。
どうやら、あの辺りは領主が管理している土地らしい。誰も使っていないからといって、勝手に家を建てていいわけではない。
考えてみれば当然なのだが、頭の中ではすでに長屋の間取りまで考え始めていた。
「じゃあ、誰に聞けばいい?」
「領主様ですわね」
「……領主?」
思っていたより大きな相手が出てきた。
「会えるのか?」
「正式に手紙を出して、面会をお願いすればよろしいでしょう。この領地はそこまで大きくありませんもの」
雲居は何でもないことのように言う。
私の中では、領主という言葉だけでずいぶん遠い存在に聞こえていた。
「……手紙、書ける?」
「誰に聞いておりますの?」
雲居が胸を張る。
その瞬間、視線が少し下へ引っ張られたが、今は置いておこう。
「では、わたくしが話を通しておきますわ」
こうして、長屋を作る前に。
私はまず、領主に会うことになった。




