第14話「霧江の工房」③
「今作ったばかりなのに、もう次かよ」
「だから聞いてるんだ。まだあるんだろ」
三笠が足踏み旋盤をちらりと見る。
ついさっきまで夢中で木を削っていたくせに、もう次を気にしているらしい。
「あるにはあるけど……今はこっちが先だろ」
私は建てかけの工房を指した。
「まずはこれを完成させる。その先は、それから考える」
「ふん」
三笠は鼻を鳴らした。
けれど、不満そうには見えなかった。
*
それから数日。
工房作りは、一気に進んだ。
滑車で重い材木を持ち上げ、足踏み旋盤で必要な部材を揃える。篠と朝凪が材木を運び、私と三笠が加工した。
夕凪は食事や水を用意し、手が空けば道具を片づけてくれる。
雲居は足りなくなる材料をその都度手配し、追加の出費を帳面へ書き込み、何度も街と工房を往復していた。私が途中で滑車や旋盤の改良に使う材料まで増やし、三笠も仕上がりに一切妥協しない。
何度かやり直しも出たが、それでも工房は日に日に形になっていった。
そして――。
「……よし」
最後の板を取り付け、私は一歩下がった。
目の前には、数日前まで何もなかったはずの建物が立っている。
母屋ほど大きくはない。
けれど、中には大きな作業台があり、壁には道具を掛ける場所がある。材料を置く棚と、仕上がった物を置く場所も分けた。
火を使う場所は少し離し、換気ができるようにもしてある。
そして一角には、あの足踏み旋盤。
まだ新しい木の匂いがする。
「……できたな」
思わず、声が漏れた。
「できましたね」
隣で篠が嬉しそうに笑う。
朝凪は腕を組んだまま工房を眺め、夕凪はその横で何度も頷いていた。
「やっとですわ……」
雲居だけは、肩を落とし、帳面を持つ手まで重そうだった。
「そんなに疲れた?」
「何度、追加の材木や金具を手配したと思っておりますの? 足りなくなるたび街へ走り、値段を詰め、帳面を書き直し……」
「三笠が細かいからな」
「あなたも途中で妙な道具を増やしたでしょう!」
足踏み旋盤と滑車のことらしい。
「主にあなた方二人ですわ!」
怒られた。
少し離れたところでは、その三笠が工房の中をゆっくり歩いていた。
柱を軽く叩く。
作業台を手で押す。
棚の高さを確かめ、最後に足踏み旋盤の前で止まった。
まるで完成した品を検分するように、一つ一つ確かめている。
やがて戻ってきた三笠に、私は聞いた。
「どうだ?」
「まあ、使える」
「それだけ?」
「褒めてほしいのか」
「ここまで作ったんだから、もうちょっとあるだろ」
三笠は鼻で笑った。
「工房ってのは、建てた時が完成じゃねえ。使って、直して、道具を増やして、ようやく育つもんだ」
「……なるほど」
「喜ぶのは十年使ってからにしろ」
「長いな!」
でも、言いたいことは分かった。
私が作る物だって同じだ。
一度作って終わりじゃない。使えば不満が出るし、直せばもっと良くなる。
この工房も、たぶんそうやって変わっていくんだろう。
そこで、ふと思い出した。
「そういえば三笠」
「なんだ」
「約束、覚えてるか?」
三笠の眉が動く。
「つまらなかったら、自分の工房に戻るって言ってただろ」
篠たちも静かになった。
三笠が手を貸してくれたのは、あくまでここを立ち上げるまで。
その工房は、今できた。
なら、ここで答えを聞くべきだ。
「どうする?」
三笠はすぐには答えなかった。
振り返って、完成した工房を見る。
その視線が作業台を通り、棚を通り、最後に足踏み旋盤で止まった。
「……まだ帰れんな」
「お」
思わず声が出た。
「あんな妙なもんを一つ見せられて、それで終わりだとは思ってねえ」
三笠が顎で旋盤を示す。
「お前、まだ何か作るんだろ」
「もちろん」
即答した。
作りたい物なら、いくらでもある。
今はまだ材料がない物も、技術が足りない物もある。
でも、だから面白い。
「向こうの工房を畳む気はねえ。だが、これからはこっちでも仕事をする」
「それってつまり――」
「勘違いするな」
言い終わる前に遮られた。
「儂がお前の弟子になるわけじゃねえぞ」
「そんなこと一言も言ってないけど」
「この工房で、お前と一緒に仕事をする。それだけだ」
「それを仲間って言うんだよ」
「うるせえ」
三笠が顔をしかめる。
その横で、篠がくすっと笑った。
「素直ではありませんわね」
「破廉恥嬢ちゃんは黙ってろ」
「まだその呼び方を続けますの!?」
いつもの調子に戻った二人を見て、肩の力が抜けた。
すると、夕凪が三笠のそばへ寄る。
「じゃあ、三笠さん。明日もお昼ごはん、作っておきますね」
「……おう」
返事が早い。
朝凪がじっと三笠を見る。
三笠は気づかないふりをしていた。
完全に居残る気じゃないか。
まあ、いい。
これで正式に、一人増えた。
*
「では、次ですわ」
雲居がぱん、と帳面を閉じた。
「まだ何かあるのか?」
「ありますわ。大事なことが」
雲居が完成した工房を指した。
「この工房、何と呼びますの?」
「……工房」
「それは種類ですわ!」
怒られた。
「商いをするなら、名は大事ですのよ。覚えてもらいやすく、呼びやすく、できれば看板にも映えるものが――」
雲居が何やら語り始める。
私は篠を見る。
「篠は何かないか?」
「えっ、私ですか?」
篠は困ったように首を傾げた。
少し考えたあと、控えめに口を開く。
「……『花結び工房』というのは、どうでしょう?」
「花結び?」
「はい。その……みんなで一緒に作った場所なので、縁を結ぶような感じで……」
三笠が顎髭を撫でる。
「えらく可愛い名前だな。だが、少し分かりにくい」
「そ、そうですよね……!」
篠の顔がみるみる赤くなった。
(なんだこいつ、かわいいな)
「でしたら、もう少し商いにも映える名前を――」
雲居が再び考え始める。
「三笠は?」
「名前なんぞ、仕事が分かれば何でもいい」
役に立たない。
みんなであれこれ考えている中、朝凪だけは少し離れたところで黙って工房を眺めていた。
やがて、ぽつりと言う。
「……霧江の工房でいいんじゃない?」
一瞬、全員が黙った。
「そのまんまだな」
私が言うと、朝凪は肩をすくめる。
「変な名前つけても、どうせみんな『霧江のところ』って呼ぶでしょ」
「……確かに」
ものすごく納得してしまった。
篠も頷く。
「私は、分かりやすくていいと思います」
「私も好きです!」
夕凪も賛成らしい。
雲居だけは少し難しい顔をしていたが、やがて息を吐いた。
「……商会の者にも説明しやすいですし、覚えやすさという意味では悪くありませんわね」
「じゃあ、決まりでいいか?」
異論は出なかった。
「よし。今日からここは――」
言いかけたところで、三笠が足元の端材を一本拾った。
「三笠?」
「看板がねえだろ」
それだけ言うと、鑿を手に取る。
板の表面へ、迷いなく刃を入れていった。
さすがに文字まで一瞬で彫れるわけじゃない。
けれど、しばらくすると、素朴だが力強い文字が板の上に並んだ。
『霧江の工房』
「……本当にそのまんまだな」
「今さら言うな」
みんなで笑いながら、看板を入口へ掛ける。
少し離れて眺めると、不思議な感じがした。
少し前まで、私は一人で物を作っていた。
作業する場所だって、家の片隅で十分だった。
それが今は、篠がいて、雲居がいて、朝凪と夕凪がいて。
そして、三笠までいる。
看板に書かれているのは私の名前だ。
でも、ここはもう、私一人の場所じゃない。
「霧江さん?」
篠に呼ばれ、私は笑った。
「いや。いい名前だと思ってさ」
こうして――私たちの『霧江の工房』が、始まった。




