第2話「壊し屋と金剛不壊」②
翌朝。
「もう大丈夫です!」
小屋の前で、篠が元気よく両腕を広げた。
昨日まで青白かった顔には、すっかり血色が戻っている。
「本当に?」
「はい。痺れもありませんし、身体も軽いです」
「じゃあ、その場で三回跳んでみろ」
「三回ですか?」
「いいから」
「はいっ」
ぴょん、ぴょん、ぴょん。
言われた通りに跳ねる。
何をやらせているんだ、私は。
「……大丈夫そうだな」
「だから言ったじゃないですか」
篠は少しだけ頬を膨らませた。
昨日、毒キノコを食べて死にかけていた人間とは思えない回復ぶりだ。
「では、行きましょう。今日は私がお役に立ってみせます!」
「道には迷うなよ」
「うっ」
「キノコも勝手に食うなよ」
「ううっ」
「知らない草の実も――」
「もうしません!」
篠が耳まで赤くして叫んだ。
昨日の一件は、本人なりにかなり恥ずかしかったらしい。
「冗談だよ。頼りにしてる」
「……はい!」
途端に機嫌が直った。
分かりやすい。
出発前、篠は腰の刀へ手を伸ばした。
鯉口を切り、刃をわずかに覗かせる。
刀身を確かめ、柄を握り直し、鍔のあたりを指で押す。それからようやく納得したように刀を戻した。
ずいぶん念入りだな。
狩人なら、武器の手入れを気にするのは普通なのかもしれない。
*
森へ入ってしばらくすると、昨日までとは景色の見え方が変わった。
「この辺りなら、薬草が多いですよ」
篠が迷いなく木々の間を進んでいく。
「昨日は迷ったんじゃなかったのか?」
「あれは、その……少し遠くまで獲物を追いすぎまして」
「なるほど」
「帰ろうとしたら、見覚えのない場所でして」
「結局迷ってるじゃないか」
「今日は大丈夫です!」
本当だろうな。
とはいえ、狩りや採取については篠の方が圧倒的に詳しかった。
「霧江さん。あそこにある丸い葉の草、見えますか?」
「あれか?」
「はい。癒し草です。傷薬の材料になるので、狩人なら見つけたら少し採っておきます」
「それは知ってる」
昨日も摘んだ草だ。
近づいて、一株へ触れる。
【素材解明】
【名称:癒し草】
【特性:薬用・滋養】
【Dランクスキル:「回復量上昇(微)」付与】
やっぱり同じ表示が出る。
あのときは篠を見つけてそれどころではなくなったが、この付与スキルというものも気になっていた。
いったい、どうやって使うんだろう。
「霧江さん?」
「いや、なんでもない。何本か採っていいか?」
「もちろんです。ただ、根まで全部抜いてしまうと次が生えにくくなりますよ」
「そこは私も同じ考えだ」
「……霧江さん、採取には詳しいんですね」
「必要な分だけもらう。全部なくしたら、次に困るだろ」
「はい。そういう狩人ばかりならいいんですけど」
篠が少し感心したように笑う。
元の世界でも、この世界でも、採り尽くせばなくなるのは同じだ。
私たちは癒し草を必要な分だけ採り、そのまま森の奥へ進んだ。
丈夫なつる。
油分の多い木の実。
弾力のある樹皮。
色の違う石。
見つけるたび、私は触れる。
名前が分かる。
性質が分かる。
「……楽しいな」
「楽しい、ですか?」
「ああ。見たことない材料ばっかりだからな。これなら何が作れるかとか、こっちと組み合わせたらどうなるかとか、考えてるだけで面白い」
「造作師の方って、みんなそうなんでしょうか」
「さあ。私はそうらしい」
前世でホームセンターを歩いていた時と、少し似ている。
使う予定もない金具や木材を眺めて、これで何か作れないかと考える。
あの時間が好きだった。
違うのは、ここでは材料そのものが未知だということだ。
面白くないわけがない。
夢中で石をひっくり返していると、少し先を歩いていた篠が急に足を止めた。
「霧江さん」
声が低い。
さっきまでとは雰囲気が違った。
「どうした?」
「静かに」
篠が指を口元へ立てる。
そして、地面へしゃがみ込んだ。
湿った土についた跡へ指先を近づける。
「新しいですね」
「足跡か?」
「はい。牙猪です」
牙猪。
霧江の記憶に引っかかる。
大きな猪に似た魔獣で、名前の通り左右の口元から長い牙が伸びている。森の浅い場所にも出るが、普通の猪よりずっと気性が荒い。
「危ないやつか?」
「この大きさなら、それほどでもありません」
篠は立ち上がった。
笑っている。
けれど、目だけは鋭かった。
「少し下がっていてください」
「一人でやるのか?」
「はい。お礼をすると言ったでしょう?」
そう言って、篠は刀の柄へ手を置いた。
その瞬間。
茂みが大きく揺れた。
「ブギィィッ!」
茶色い巨体が飛び出してくる。
「でかっ!」
私の知っている猪より、明らかに一回り以上大きい。
牙猪は地面を蹴り、まっすぐこちらへ突っ込んできた。
なのに、篠は動かない。
「篠!」
牙が届く。
そう思った瞬間、篠の身体が半歩だけ横へずれた。
抜刀。
一閃。
「――ふっ!」
鈍い音が響いた。
牙猪の巨体が篠の横を通り過ぎ、そのまま地面へ転がる。
数歩滑って、動かなくなった。
「…………え?」
首筋には、深い一筋の傷。
私が声を上げる暇もなかった。
篠は血を払うように刀を振り、平然と振り返る。
「大丈夫ですか、霧江さん?」
「いや、私は大丈夫だけど……」
思わず牙猪と篠を見比べた。
「強くない?」
「そうでしょうか?」
「そうだろ」
毒キノコを食べて倒れていた女と同一人物とは思えない。
狩りは得意だと言っていたが、あれは謙遜でも強がりでもなかったらしい。
「これくらいでしたら、問題ありません」
篠はそう言いながら、鞘へ納める前の刀を目の高さまで持ち上げた。
刃先を見る。
刃元を見る。
柄を握り、わずかに力を加える。
「……よし」
小さく息を吐いてから、ようやく納刀した。
「刃こぼれでもしたのか?」
「いえ。大丈夫です」
そう答えた篠の顔は、なぜか少しだけ安心したように見えた。
よほど武器を大事にしているらしい。
「牙は使えます。皮も売れますし、肉も食べられますよ」
「おお。全部素材じゃないか」
「そこに食いつくんですね……」
篠が苦笑する。
解体は篠に任せた。
手際がいい。
刃を入れる場所に迷いがなく、皮を傷めないように剥ぎ、使える部位を次々と分けていく。
私は横で受け取りながら、一つずつ触れてみた。
【名称:牙猪の皮】
【特性:厚皮・耐摩耗】
【名称:牙猪の腱】
【特性:高弾性・引張強度】
「これ、弓の弦とかにも使えそうだな」
「使えますよ。質がいいものなら結構長持ちします」
「へえ……」
最後に、大きな牙を受け取る。
ずしりと重い。
触れた瞬間、表示が変わった。
【名称:牙猪の牙】
【特性:硬質・刃材向き】
【Bランクスキル:「攻撃力上昇(中)」付与】
「……B?」
思わず声が漏れた。
「どうしました?」
「いや……ちょっと面白い素材だった」
「牙猪の牙がですか?」
「うん。かなり」
昨日見つけた癒し草はDランクだった。
今度はB。
しかも「攻撃力上昇(中)」。
名前だけなら、武器に使えと言っているようなものだ。
どうやって付与するのかはまだ分からない。
けれど、もし素材を加工した時にこの力まで引き継げるなら――。
「……いろいろ作れそうだな」
「霧江さん、楽しそうですね」
「楽しいからな」
牙を工具袋へしまう。
袋がどんどん重くなっていくのに、気分は逆に軽くなっていった。
*
昼を過ぎた頃、私たちは細い沢へ出た。
水を飲んで一息ついていると、篠が対岸の岩肌を指した。
「あそこ、鉄鉱石が混じっていますね」
「分かるのか?」
「色でだいたいは。造作師なら使いますか?」
「使う。というか欲しい」
即答した。
「では、少し採っていきましょう」
工具袋から小槌と鏨を取り出し、篠に教えてもらいながら、岩肌から拳より小さい塊をいくつか外す。
触れてみる。
【名称:鉄鉱石】
【特性:鉄分含有・精錬可能】
「やっぱり鉄か」
金属素材はありがたい。
小屋に残っていた金具だけでは、できることに限界がある。
次の塊。
同じ表示。
その次も同じ。
最後に、もう一つ岩肌から小さな塊を外す。
【名称:鉄鉱石】
【特性:鉄分含有・精錬可能】
【Sランクスキル:「金剛不壊」付与】
「……お?」
私は手の中の鉄鉱石を見た。
見た目は、さっき採ったものとほとんど変わらない。
けれど、表示には見慣れない一行が増えている。
「Sランク……金剛不壊か」
「霧江さん?」
ゲームの感覚で考えれば、Sが特別なのは分かる。
ただ、金剛不壊が具体的にどう働くのかまでは分からない。
「こんなスキルもあるのか……」
「すきる?」
「あ、いや。こっちの話」
篠が不思議そうに首を傾げる。
私自身、この表示についてまだ説明できるほど理解していない。
今は、珍しいものを拾った。それくらいに考えておけばいい。
「まあ、持って帰れば何かに使えるだろ」
とはいえ、Sランクだ。失くすのはさすがにもったいない。
私はその鉄鉱石だけ、他の石と混ざらないように布で包んだ。
「それだけ別なんですか?」
「たぶん当たりだ。失くしたらもったいないからな」
「私には、他の鉄鉱石と同じに見えますけど……」
「私には違って見えるんだよ」
「造作師ってすごいんですね」
「私も昨日知ったばっかりだけどな」
「昨日?」
「なんでもない」
危ない。
余計なことまで喋りそうになった。
荷物をまとめ、再び森へ入る。
少し前を歩く篠が、ふと腰の刀へ手をやった。
鯉口を切って刃を確認する。
柄を確かめる。
そして、何事もなかったように歩き出す。
朝にも見た仕草だ。
慎重なやつだな。
その時の私は、それくらいにしか思っていなかった。




