第2話「壊し屋と金剛不壊」①
「……まさか、食ったのか?」
女は答えない。
いや、答えられる状態じゃない。
俺はもう一度、地面に落ちているキノコへ目をやった。茶褐色の傘。白い筋。端には、どう見ても噛み跡。
「食べられそうではあるけど……」
見た目だけなら、俺だって騙されるかもしれない。
だからこそ、触って確かめる。
【素材解明】
【名称:痺れ茸】
【特性:神経毒・食用不可】
「やっぱり毒キノコじゃねえか!」
思わず声が大きくなった。
痺れ茸。
名前からして嫌な予感しかしない。しかも、特性にははっきりと神経毒とある。
女の顔色は青白く、額には汗が浮かんでいた。呼吸も浅い。
「まずいな……」
俺は腰の工具袋を探った。
木を切るための小刀。丈夫なつる。さっき摘んだ癒し草。それから――小さな瓶。
「あった」
中に入っているのは解毒薬だ。
自分がこの世界で目覚めた日に、命を拾わせてくれた薬。あの経験以来、森へ入る時には一本持ち歩くようにしていた。
まさか、こんなに早く役立つとは思わなかったが。
「おい、聞こえるか?」
女の肩を軽く叩く。
「……ん……」
かすかに声が漏れた。
完全に意識を失っているわけではないらしい。
「薬だ。飲めるか?」
瞼がわずかに動いた。
返事らしい返事はない。
俺は女の上体をゆっくり起こし、背中を支えた。瓶の口を唇へ当て、少しずつ傾ける。
「ゆっくりでいい。飲め」
最初の一口は口の端からこぼれた。
けれど、二口目で喉が小さく動く。
飲めている。
「そう、それでいい」
全部飲ませると、俺はひとまず息をついた。
あとは効いてくれるのを待つしかない。
前に自分で飲んだ時は、すぐに身体の痺れが引き始めた。今回も同じなら――。
「……っ」
女の眉がぎゅっと寄った。
次の瞬間。
「にっが……」
「第一声がそれかよ」
思わず突っ込んだ。
けれど、その声にはさっきまでより明らかに力がある。
青白かった頬にも、少しずつ色が戻ってきていた。
「……わ、私……」
「動くな。毒キノコ食って倒れてたんだ。薬は飲ませたから、しばらくじっとしてろ」
「毒……キノコ……」
女はぼんやりと俺を見上げ、それから地面の痺れ茸へ視線を移した。
「…………あれ、毒だったんですか?」
「食べてから気づくなよ」
「美味しそうだったので……」
「狩人っぽい格好してるのに!?」
腰に武器まで差している。
森の素人には、とても見えない。
それなのに毒キノコへ迷いなく食らいついたらしい。
女は気まずそうに目を逸らした。
「き、キノコは専門外です」
「専門とかあるのか……?」
「あります。たぶん」
「たぶんって言ったぞ今」
しばらくすると、女は自力で座れるようになった。
解毒薬はちゃんと効いているらしい。
とはいえ、このまま森に置いていくわけにもいかない。
「俺の小屋が近くにある。歩けそうなら、そこで休むか?」
「よろしいんですか?」
「ああ。倒れられても困るしな」
女は立ち上がろうとして、ふらりと身体を揺らした。
「おっと」
とっさに腕を掴む。
「す、すみません」
「だから無理するなって」
思った以上に毒が残っているらしい。
俺は女の腕を肩へ回した。
近くで見ると、まだ若い。
肩まで伸びた濃い緑色の髪に、整った顔立ち。さっきまで死にかけていたせいで気づかなかったが、かなり可愛い。
しかも、身体を支えた瞬間、腕越しに柔らかな感触が――。
「……いやいや」
「どうしました?」
「なんでもない」
命を助けた直後に何を考えているんだ、俺は。
前世から中身が変わっていないことだけは、嫌というほどよく分かった。
*
小屋へ戻る頃には、女はだいぶ普通に歩けるようになっていた。
椅子へ座らせ、水を渡す。
「ありがとうございます」
「礼ならもういいって。それより、気分は?」
「少し身体が重いですけど、もう大丈夫です」
「ならよかった」
女は水を一口飲み、両手で器を持ったまま、改めてこちらへ向き直った。
「助けていただいて、本当にありがとうございました。あのままだったら、どうなっていたか……」
「まあ、たまたま通りかかっただけだ」
「それでもです」
そう言って、女は深々と頭を下げた。
ずいぶん律儀な性格らしい。
「私は篠と申します。狩人をしています」
「やっぱり狩人だったのか」
「はい」
「それで毒キノコを?」
「……そこは、もう忘れていただけると嬉しいです」
少しだけ頬を赤くする。
反応が素直で面白い。
「俺は霧江。ここで造作師を――」
「俺?」
「ん?」
篠が不思議そうに首を傾げている。
「いえ、その……今、『俺』と……」
「…………」
そうだった。
完全に忘れていた。
頭の中身は男のままでも、今の俺はどう見ても女だ。
この世界で目覚めてから、まともに人と話す機会なんてなかったから、普通に前世の一人称を使い続けていた。
森でも「俺」と言った気はするが、あのときの篠は意識が朦朧としていて、気づかなかったのだろう。
「……変か?」
「えっ。い、いえ! そんなことはありません!」
篠は慌てて両手を振った。
その反応が、何より雄弁だった。
「分かった。変なんだな」
「ち、違います! ただ少し意外だっただけで……!」
「いや、いい。これから人と関わるなら、直した方が面倒は少なそうだ」
俺――。
いや。
「私は霧江。造作師をしてる」
「霧江さん、ですね」
「そういうことで」
まだ妙な感じはする。
まあ、そのうち慣れるだろう。
「それで篠。狩人なら、この辺りには詳しいのか?」
「はい。……と言いたいところなんですが」
篠の視線が泳いだ。
「なんだ?」
「実は、道に迷いまして」
「…………」
「それで、お腹も空いてきまして」
「…………」
「ちょうど美味しそうなキノコが」
「もう分かった」
全部つながった。
狩人なのに森で迷い、腹を空かせ、知らないキノコを食べて毒に当たったらしい。
こいつ、大丈夫なのか。
「でも、魔獣の狩りでしたら任せてください!」
こちらの不安を察したのか、篠が胸を張る。
「戦う方は得意なんです。これでも狩人になって二年になりますから」
「へえ」
毒キノコの件のせいで若干説得力に欠けるが、腰の武器や立ち姿を見る限り、嘘を言っているようには見えない。
篠は少し考えてから、真剣な顔で続けた。
「霧江さん。何か、私にできることはありませんか?」
「できること?」
「命を助けていただいたお礼です」
「いや、別にいいって」
「よくありません」
即答だった。
「命を助けていただいて、『ありがとうございました』だけで帰ったら、私の気が済みません」
「律儀だなあ……」
「何でもとは言えませんが、狩人としてできることならお手伝いします」
そこまで言われて、私は少し考えた。
別に見返りが欲しくて助けたわけじゃない。
でも。
窓の外に広がる森へ目を向ける。
小屋で好き勝手に物を作る生活は楽しい。
その一方で、作れば作るほど材料が欲しくなる。
今まで拾っていた木や草だけじゃない。
もっと硬いもの。
もっと丈夫なもの。
魔獣から取れるという皮や骨や角も、一度は触ってみたい。
何より――どんな素材から、どんなものが作れるのか知りたい。
「……じゃあ、一つ頼んでいいか?」
「はい!」
「素材集めを手伝ってくれ」
「素材集め、ですか?」
「ああ。植物でも鉱石でも、魔獣の素材でもいい。私は造作師だから、いろんな材料を試してみたいんだ」
篠は一瞬きょとんとして、それからぱっと笑った。
「それなら、お安い御用です!」
勢いよく立ち上がる。
そして。
「では、さっそく行きましょう!」
「今日は休め」
「大丈夫です!」
「さっき毒キノコで倒れてた奴が言っても説得力ないからな?」
「うっ……」
篠がしゅんと肩を落とす。
「明日だ。今日はここで休んでいけ。まだ毒も抜けきってないだろ」
「……はい」
少し不満そうだが、素直に座り直した。
こうして。
毒キノコを食べて森で行き倒れていた女狩人と、元男の造作師。
妙な二人の素材集めが始まることになった。




