第1話「来世では、もっと自由に」③
そうと決まれば、まずは目の前の問題からだ。
壁際の棚は、右へ目に見えて傾いている。机は片脚が短いのか、手を置くだけでがたついた。板戸も少し歪んでいて、閉めても指一本ぶんほど隙間が残る。
「住めなくはない。でも、気になるな……」
前の人生なら、見なかったことにして仕事へ行っていただろう。
今は違う。
直す時間がある。
というより、直したい。
その事実だけで、妙に気分が上がった。
俺はまず棚の中身を床へ移した。木箱、空き瓶、乾燥させた草、細かな金具。よく分からない素材も多いが、触れるたびに名前や性質が頭の中へ浮かぶ。
【素材解明】
【名称:樫材】
【特性:硬質・耐摩耗】
「……便利だな、これ」
昨日は命がかかっていたから考える余裕もなかったが、落ち着いて使ってみると、とんでもない能力だ。
棚の柱を指で押す。
ぐらりと揺れた。
接合部が緩んでいる。一本だけ木材が反っていて、重みが片側へ逃げている。
直し方を考えた瞬間、頭の中で必要な作業が形になった。
【制作法を構築しました】
【木棚・補修】
「おお……」
思わず声が漏れる。
けれど、棚が光に包まれて勝手に直る――なんてことはない。
必要な木材も金具も、自分で用意しなければならないらしい。
「そこまで甘くはないか」
むしろ、その方がありがたかった。
材料を選んで、測って、削って、組み上げる。
そこを全部すっ飛ばして完成品だけ出てきたら、俺の好きなDIYとは別物だ。
工具箱を漁ると、小さな鋸、木槌、錐、鉋らしきものが出てきた。現代の工具ほど使いやすくはないが、用途はだいたい分かる。
小屋の裏には、薪用らしい木材が積まれていた。
使えそうな一本を選び、寸法を取る。
鋸を引く。
「……お?」
驚くほどまっすぐ切れた。
技術が身体に馴染んでいる。
頭で分かるだけじゃない。刃の角度も、力の抜き方も、どこまで削ればいいのかも感覚で分かる。
これが造作師の力なのだろう。
俺は夢中で手を動かした。
反った材を外し、新しい材を合わせる。緩んだ部分を締め直し、足元には小さな補強を入れた。
最後に手で揺らす。
動かない。
【木棚の補修が完了しました】
「……よし」
たったそれだけのことなのに、胸の奥がじんわり温かくなった。
自分の手で、壊れたものが直った。
前の人生では、こんな当たり前の楽しみすら、いつの間にか手放していた。
「次は机だな」
気づけば、さっきまでの疲労感も忘れていた。
*
それから数日、俺は好き勝手に小屋をいじった。
机の脚を直した。
歪んだ板戸を調整した。
散らばっていた道具を置くための棚も増やした。
水桶を置く台を作り、寝台の軋みも直した。
作業をしていると、上衣の袖が何度も工具や木材に引っかかった。
「……この袖、邪魔だな」
ついに我慢できなくなり、肩まわりの動きを邪魔しないところで思い切って切った。
切りっぱなしではほつれるので、端だけ簡単に処理する。
姿見の前で腕を動かしてみる。
「うん。こっちの方がいい」
見た目は少し大胆になったが、作業着なんだから動きやすさが一番だ。
そうやって小屋を直しているうちに、この能力の癖も少しずつ分かってきた。
何もないところから材料は出てこない。
木材が欲しければ拾うか切る。
紐が欲しければ、使える繊維を探して加工する。
金属が必要なら、手元にある金具を使うしかない。
そして、俺自身がまったく知らないものの制作法は浮かんでこなかった。
逆に、完成形や仕組みを知っているものなら、この世界の素材に置き換えて作り方を組み立ててくれる。
「知識と材料があれば作れる、って感じか」
かなり強い。
いや、かなりどころじゃない気もする。
試しに「細い枝」と「丈夫なつる」で簡単な罠を作ってみたところ、翌朝には小さな獣が一匹かかっていた。
川では釣り竿を作った。
針は手持ちの細い金属片を加工し、糸は植物の繊維を撚って補強する。
最初の一匹が釣れたときは、思わず声を上げた。
「よっしゃ!」
川辺に俺の声が響いた。
誰もいない。
それが、今は心地よかった。
採った野草や木の実、罠にかかった小動物、釣った魚。
食べるものは思ったより何とかなった。
小屋の横には小さな空き地があったので、土を起こして、小屋に残っていた野菜の種も植えた。
畑仕事まで始めるとは思わなかったが、これも悪くない。
ただし、一つだけ期待を外されたことがある。
魚を捌いて焼こうとしても、目の前には何の表示も出なかった。
「……料理は違うのか」
棚を直そうとすれば制作法が浮かぶ。
薬なら、素材からレシピが解放される。
でも魚を焼くのは、普通に自分でやれということらしい。
「まあ、飯まで勝手に作ってくれたら、それはそれで味気ないか」
そう言いながら焼いた魚は、少し焦げた。
塩もろくにない。
それでも、深夜の職員室で冷えたコンビニ飯を流し込んでいた頃より、ずっと美味く感じた。
そういえば、あの解毒薬はとんでもなく苦かった。
「次に作るなら、もう少し飲みやすくできないかな……」
甘味になる素材でもあれば、試す価値はありそうだ。
そんなことを考えられる余裕があるのが、何より嬉しかった。
*
さらに何日か経つ頃には、小屋はだいぶ住みやすくなっていた。
傾いていた棚はまっすぐ立ち、机も揺れない。
道具は用途ごとに整理され、作業台まで新しく作った。
小さな畑には、まだ頼りないながら芽が出始めている。
朝起きて、水を汲む。
畑を見る。
必要なものを作る。
腹が減ったら飯を食う。
疲れたら休む。
誰にも急かされない。
明日までに提出しろと言われる書類もない。
夜中に保護者から電話が来ることもない。
「……最高だな」
小屋の前に自分で作った椅子を置き、俺は背もたれへ身体を預けた。
目の前には森が広がっている。
遠くで、聞いたことのない獣の鳴き声がした。
この世界には魔獣がいる。
霧江の記憶から、それだけは分かっていた。
普通の獣とは違う、危険な生き物。
狩人たちはそれを狩り、肉や皮、骨、角などを素材として利用する。
俺自身も狩人ではあるらしいが、元の霧江は前に出て戦う役ではなかった。
だから無理をするつもりはない。
今のところ、危険な魔獣の縄張りへ入らなくても生活はできている。
「平和が一番だ」
俺は伸びをした。
ただ、暮らしていれば材料は減る。
薪も欲しい。
罠に使える蔓も欲しい。
畑に植えられそうな植物も、もう少し探したい。
翌朝、俺は腰の工具袋を確かめ、森へ向かった。
*
小屋の周辺の森は、思っていたより歩きやすかった。
木漏れ日が落ちる獣道を進みながら、使えそうな植物を探す。
気になったものには触れてみる。
【名称:丈夫なつる】
【特性:高靱性・編組向き】
「これは使えそうだな」
俺は「丈夫なつる」を必要な分だけ切り取って束ねた。
そのすぐ近くに、白い小さな花をつけた草が生えていた。
何気なく触れた瞬間、いつもの表示に続いて、見慣れない一文が浮かぶ。
【名称:癒し草】
【特性:薬用・滋養】
【Dランクスキル:「回復量上昇(微)」付与】
「……スキル?」
初めて見る表示だった。
どういう仕組みかまでは分からない。ただ、普通の素材とは何かが違うらしい。
俺は少し迷った末、その「癒し草」も一本だけ摘んで工具袋へ入れた。
少し先では、木の根元に生えていた草が食用だと分かった。
全部取らず、何本か残す。
このあたりで暮らすつもりなら、採り尽くすのは馬鹿だ。
そうして一時間ほど歩いただろうか。
ふと、前方に見慣れない色が見えた。
「……ん?」
草むらの向こう。
最初は、誰かが荷物でも落としたのかと思った。
濃い緑色の何かが、地面に広がっている。
近づいて――足が止まった。
「人……?」
若い女だった。
うつ伏せに近い姿勢で倒れている。
肩まで伸びた濃い緑の髪。和装を思わせる狩人装束。腰には武器を提げている。
「おい!」
慌てて駆け寄り、肩に手を当てる。
返事はない。
顔色が悪い。
けれど、息はある。
「よかった。生きてる……」
ほっとしたのも束の間、女のすぐ横に何かが落ちているのに気づいた。
キノコだった。
茶褐色の傘に、うっすらと白い筋が走っている。見た目だけなら、食べられそうな普通のキノコにしか見えない。
しかも。
傘の端が、綺麗にひとかじりされている。
「…………」
俺は女を見る。
キノコを見る。
もう一度、女を見る。
「……まさか、食ったのか?」
女は答えなかった。
森の奥で、鳥の鳴き声だけが妙に呑気に響いていた。




