第14話「霧江の工房」①
翌朝。
まだ朝の空気がひんやりしているうちから、家の外では杭を打つ乾いた音が響いていた。
「もう来てる……」
戸を開けると、三笠が昨日と同じ仏頂面で庭先に立っていた。片手には木槌。足元には縄と何本もの杭が転がっている。
「遅えぞ、霧江」
「いや、まだ朝だろ」
「工房を作るんだろうが。日が出てからのんびり始めてどうする」
昨日まで、ここはただの家の脇だった。
それが今朝は、地面に何本もの杭が打たれ、縄が四角く張られている。それだけで、もう何かが建つ場所に見えてくるから不思議だ。
「……思ってたより、ずいぶん広く取るんだな」
「当たり前だ。作業台を置いて終わりじゃねえぞ」
三笠は木槌の柄で、縄の内側を順番に示した。
「こっちに作業台。奥は材料置き場。仕上がった物は入口側だ。火を使う場所は離せ。火の粉が材木に飛んだら洒落にならん」
「なるほど」
「道具を置く場所も決める。使うたびに探すような工房は三流だ」
……昨日まで人の工房に入ってきたばかりなのに、もう自分の工房みたいな勢いである。
でも、嫌じゃなかった。
むしろ、三笠が次々と形を決めていくのを見ていると、ぼんやりしていた「工房」というものが、少しずつ現実になっていく気がした。
「おはようございます、霧江さん」
声に振り返ると、家から篠が出てきた。少し遅れて、帳面を抱えた雲居も姿を見せる。
その頃になって、朝凪と夕凪もやってきた。
「ずいぶん早く始めていますのね」
「遅え。破廉恥嬢ちゃん、材木の手配はどうなってる」
「誰が破廉恥嬢ちゃんですの!」
昨日から一晩経っても、そこは訂正されていなかった。
雲居は眉を吊り上げながらも、すぐに帳面を開く。
「必要だと仰っていた分は、午前中には届きますわ。足りなければ追加で手配します」
「よし」
「返事だけは素直ですのね……」
その横で、夕凪が張られた縄を興味深そうに覗き込んでいた。
「ここに工房ができるんですね」
「ああ。たぶんな」
「たぶんじゃ困る」
即座に三笠から突っ込みが飛んできた。
夕凪がくすっと笑う。朝凪はそんな妹を横目に見てから、三笠へ短く尋ねた。
「私は何をすればいい?」
「力仕事はできるか」
「狩人だから、それなりに」
「なら材木運びだ。そっちの嬢ちゃんも」
「はい!」
篠が元気よく返事をする。
朝凪は黙って頷くと、手早くたすきを掛けた。口数は少ないが、こういう時は頼りになる。
「夕凪は?」
「私は皆さんのご飯と、お水の用意をします」
「助かる」
私がそう言うと、夕凪は嬉しそうに笑った。
戦えなくても、材木を持てなくても、できることはいくらでもある。夕凪は最初からそれを分かっているみたいだった。
三笠も一度だけ夕凪へ目を向けたが、何も言わず、すぐ仕事へ戻った。
*
工房作りが始まると、そこから先は目が回るようだった。
材木が届けば運ぶ。三笠が印を付けた場所へ柱を立てる。縄を張り、傾きを見て、少しでもずれていればやり直す。
「そこ、曲がってるぞ」
「これくらいなら大丈夫じゃないか?」
「大丈夫かどうかを決めるのは、建ってからじゃ遅えんだよ」
容赦がない。
けれど、三笠の目は確かだった。
私には真っ直ぐに見える柱でも、三笠が直させた後に見比べると、確かにそちらの方が収まりがいい。
篠と朝凪が材木を運び、私は切ったり削ったりする作業を手伝う。
雲居は届いた材料の数と代金を確認し、足りない物が出ればすぐに手配した。
三笠はその全部を見ながら、自分でも誰より手を動かしていた。
年寄り扱いしたら怒られそうだ。というか、普通に私より元気なんじゃないだろうか。
そこから先は、何をやったか一つずつ思い返すのも面倒になるくらい、同じような作業の繰り返しだった。
切って、運んで、組んで、直す。
また切って、また運んで、また組む。
気づけば、何もなかった庭先に柱が何本も立っていた。
まだ壁も屋根もない。工房と呼ぶには骨組みだけだ。
それでも私は、しばらくその姿を眺めてしまった。
これまでは、家の片隅で一人、作りたい物を作ってきた。
今度は違う。
ここは、私だけじゃなく、みんなで物を作る場所になる。
「何ぼさっとしてる」
木槌を肩に担いだ三笠が、こちらを睨んでいた。
「休憩はまだだぞ」
「分かってるよ」
私は笑って、もう一度材木へ手を掛けた。
それからしばらくして、太陽が頭の上まで昇った頃。
「皆さん、お昼ですよー!」
聞き慣れた声に、私は思わず手を止めた。
振り返ると、夕凪が大きな籠を抱えてこちらへ歩いてくる。布をかぶせた籠の隙間から、炊いた米と焼いた魚の匂いが漂ってきた。
「助かった……腹減った」
「朝からずっと動きっぱなしでしたもんね。おにぎりと、お漬物と、焼いたお魚も少しありますよ」
篠がぱっと顔を明るくし、朝凪も材木を置いて妹の方へ向かう。雲居は帳面を閉じながら、大きく息を吐いた。
「ようやく休憩ですのね。わたくし、材木より先に財布が軽くなりそうですわ」
「まだ足りねえぞ、破廉恥嬢ちゃん」
「休憩中までその呼び方をなさらないでくださる!?」
相変わらずである。
夕凪が用意してくれた敷物へ腰を下ろし、みんなで籠を囲む。
ただ一人、三笠だけは柱の根元にしゃがみ込んだまま動かなかった。木槌で軽く叩きながら、何やら収まりを確かめている。
「三笠さんもどうぞ」
夕凪が声を掛ける。
「儂はいい。まだ途中だ」
「駄目です」
「あ?」
思ったより強い返事に、三笠が顔を上げた。
夕凪はいつもの柔らかい笑顔のまま、おにぎりを一つ手にしている。
「朝からずっと動いていたでしょう? ちゃんと食べないと、午後に力が出ませんよ」
「これくらいでへばる歳じゃねえ」
「でも、お腹は空きます」
「……」
「はい」
差し出されたおにぎりと夕凪を交互に見て、三笠が眉間にしわを寄せる。
断るのかと思ったが、やがて大きな手が伸びた。
「……一個だけだ」
「どうぞ」
なんだろう。夕凪の方が一枚上手に見える。
三笠は近くの材木へ腰を下ろし、おにぎりを一口かじった。
そのまま、黙る。
夕凪が少し不安そうに首を傾げた。
「お口に合いませんでした?」
「……いや」
もう一口。
「うまい」
夕凪の顔がぱっと明るくなった。
「本当ですか?」
「米を握りすぎてねえ。けど崩れもしねえ。塩もきつすぎねえな」
「そこまで分かるんですか?」
「物を作る奴はな、出来上がったもんを見りゃ、どこに手を掛けたかくらい分かる」
おにぎりにまで職人の目を向けるのか。
でも、褒められた夕凪は嬉しそうだった。
「よかった。まだたくさんありますから、遠慮しないでくださいね」
「……じゃあ、もう一個もらう」
早い。
篠がくすっと笑い、雲居も口元を緩める。朝凪だけは当然のような顔をしていた。妹の料理がうまいことに、一片の疑いもないらしい。
二個目のおにぎりまできれいに平らげると、三笠は口元を拭い、ふと思い出したように懐へ手を入れた。
出てきたのは、小さな布袋だった。
紐をほどくと、中には飴玉がいくつか入っている。どれも一粒ずつ、薄い紙できちんと包まれていた。
「ほら」
三笠が、そのうち一つを夕凪へ差し出した。
「え?」
「飯の礼だ。食え」
夕凪は目を丸くしたあと、両手で大事そうに受け取った。
「ありがとうございます、三笠さん!」
「……おう」
夕凪が包み紙を丁寧に開き、飴玉を口へ入れる。
「甘いです!」
その笑顔を見た三笠の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
そして、もう一度布袋へ手を入れる。
「もう一個持ってけ」
「いいんですか?」
「余ってるだけだ」
どう見ても、さっきより機嫌がいい。
完全に孫へ菓子をやる爺ちゃんだった。
横を見ると、朝凪が三笠をじっと見ていた。
妹に近づく相手を見る時の、あの目だ。
けれど夕凪が嬉しそうに二つ目の飴を握っているのを見ると、何も言わずに視線を戻した。
……どうやら、ぎりぎり合格らしい。
「三笠さん、私たちにはありませんの?」
雲居が冗談めかして手を差し出す。
「破廉恥嬢ちゃんにはねえ」
「なぜですの!」
「私もないんですか?」
篠まで乗っかった。
「働け」
「ずるいです!」
昼休みなのに、妙に賑やかだった。
*
腹を満たした後は、また工房作りへ戻った。
午前中に立てた柱へ横木を渡し、屋根を支える骨組みを増やしていく。三笠の指示は相変わらず細かく、少しでも合わなければ容赦なくやり直しだった。
とはいえ、作業そのものには少しずつ慣れてきた。
篠と朝凪が運び、私と三笠が加工する。雲居は足りない物を手配し、夕凪は水を配ったり、使い終わった道具をまとめたりしてくれる。
気づけば、朝には何もなかった場所に、工房らしい形が見え始めていた。
ただ、作業が進むほど別の面倒も見えてくる。
「霧江、これをあと六本」
三笠が、削りかけの木の棒を一本こちらへ放ってきた。
受け取って見る。
道具掛けや棚に使うための、同じ太さに削った丸棒だった。
「六本?」
「同じ太さでな」
「簡単に言うなよ……」
一本作るだけなら、難しくない。
見本を横に置き、二本目の木へ刃を入れる。削って、回して、また削る。クラフト技能に任せて手を動かせば、形を揃えること自体に迷いはなかった。
ほどなく削り終えた一本を、見本の横へ並べる。
三笠が無言で二本を手に取り、太さを確かめるように指を滑らせた。
「……正確だな」
「そうか?」
「太さも形もほとんど違わねえ。なるほど、腕は悪くないみたいだな」
「今さらかよ」
「背負子だけじゃ、細けえ腕までは分からん」
そう言って、三笠は二本をこちらへ返した。
どうやら、ちゃんと褒められたらしい。
とはいえ、問題がなくなったわけじゃない。
一本ずつ削れば、当然その分だけ時間がかかる。六本、十本、二十本と増えていけば、私一人で全部やるのは効率が悪い。
それに、これからこの工房で物を作るのは私だけじゃない。
私にしか同じ精度を出せない作業ばかりでは、人を増やす意味が薄れてしまう。
「……面倒くさいな、これ」
思わず口から漏れた。
「何がだ」
「私がやれば揃えられる。でも、毎回私が全部やるのは手間だろ。私以外でも、もっと早く同じ形に揃えやすくできればいいんだけどな」
三笠が眉をわずかに上げた。
私は手の中の木棒を眺める。
削っては回し、削っては回す。
その動作を繰り返しているうちに、前世で見た光景が頭の隅に引っかかった。
木を、自分の手で回すんじゃなくて。
固定したまま、勝手に回ってくれれば。
両手は刃物を扱うことだけに使える。
しかも回転が安定すれば、私ほど慣れていない人間でも、今よりずっと太さを揃えやすくなる。
私は手を止めた。
「……回せばいいのか」
「何がだ」
「いや。ちょっと思いついた」
三笠がこちらを見る。
その鋭い目が、ほんの少しだけ細くなった。
「また妙なもん作る気か」
「たぶん、面白いぞ」
そう言うと、三笠の眉がわずかに動いた。昨日、背負子を見た時と同じ反応だった。




