第13話「愛と好奇心」④
「……どういう風の吹き回しだ?」
思わずそう聞き返した。
さっきまで、三笠は私の誘いをきっぱり断っていた。理由も筋が通っていたし、私だって納得して帰ろうとしていたところだ。
「勘違いするな。お前のところの職人になると言ったわけじゃねえ」
「え?」
三笠は背負子を私へ返すと、腕を組んだ。
「この工房を畳む気はない。儂が何十年も仕事をしてきた場所だ。それは変わらん」
「じゃあ、手を貸すっていうのは?」
「まずは、お前の工房を建てるところまでだ」
なるほど。
完全にこっちへ移るわけじゃない。今の工房を残したまま、私たちの工房づくりにだけ力を貸す。
「そこでつまらんと思えば、儂はここへ戻る」
「面白かったら?」
私が聞くと、三笠の口元がまた少しだけ上がった。
「その先を考えてやる」
ずいぶん上から目線だ。
けれど、不思議と腹は立たなかった。むしろ、そのくらいの方がやる気が出る。
「上等だ。絶対、帰りたくなくしてやるよ」
「言ったな、小娘」
三笠が鼻で笑う。
そこで、ずっと黙っていた篠が恐る恐る口を挟んだ。
「あの……ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「どうして、急に気が変わったんですか?」
私もそれは聞きたかった。
三笠の視線が、私の持つ背負子へ落ちる。
「造作師にとって、矜恃は大事だ」
低い声だった。
「積み上げてきた腕も、守ってきた仕事も、簡単に捨てていいもんじゃねえ。だがな――儂には、それより大事にしてるもんが一つある」
「それより?」
「好奇心だ」
三笠はそう言って、背負子の車輪を指で軽く弾いた。
「こいつを見て、面白いと思った」
皺の深い顔が、ほんの少しだけ緩む。
「荷を背負う道具に輪を付ける。平らなら引いて、荒れた道なら背負う。しかも一度作って終わりじゃねえ。使って、悪いところを見つけて、作り直した」
三笠の目が、さっき背負子を調べていた時と同じ光を帯びる。
「面白いってのは大事だ。『何だこりゃ』『どうなってやがる』『もっと良くできねえか』――そうやって首を突っ込むところから、いい物は生まれる」
「……なるほど」
「お前と一緒なら、まだ儂の知らん物が作れそうだと思った。それが、今回は儂の矜恃を上回っただけだ」
思わず笑ってしまった。
「なんか、愛の告白みたいだな」
「馬鹿言え」
三笠が大きな手を差し出す。
「儂にとっちゃあ、好奇心は愛より勝る」
「そりゃ頼もしい」
その手を握った。
ごつごつして、分厚い手だった。長い間、物を作り続けてきたことが、その手を見るだけで分かる気がした。
「よろしく、三笠」
「まずは工房が建つまでだ。調子に乗るな」
「分かってるって」
横から、雲居の呆れたような声が飛んでくる。
「今日はずいぶんと告白の多い日ですこと」
「何の話だよ」
雲居は答えず、篠の方を見る。
篠はなぜか顔を赤くして、ぷいと横を向いた。
……本当に何なんだ。
*
そのまま三笠を連れて、家へ戻った。
日が傾き始めていたが、三笠は「場所を見なきゃ話にならん」と言って聞かなかった。
家に着くなり、三笠は挨拶もそこそこに中を見回し始める。
作業台。道具。獣脂を置いた桶。石鹸を煮るための鍋。乾かしている石鹸。素材を詰めた箱。
ここ数日で一気に増えた物が、そこら中に置かれている。
私も狭くなったとは思っていた。
三笠は無言で一周すると、開口一番こう言った。
「狭い」
「やっぱり?」
「やっぱり、じゃねえ」
即座に怒られた。
「ここで石鹸を増やして、そのうえ他の物まで作る気だったのか?」
「一応、そのつもりだった」
「正気か」
「そこまで言う?」
三笠は聞いていない。
作業台の周りを見て、床へ積んだ素材を見て、最後に生活に使っている場所まで目を向ける。
「作る場所と暮らす場所が混ざりすぎだ。人を増やしたところで、これじゃ身動きも取れん」
ぐうの音も出なかった。
篠が苦笑する。
「私も、最近はちょっと狭いかなとは思っていました」
「ちょっとどころじゃねえ」
三笠はそのまま外へ出た。
私たちも後を追う。
家の脇には、薪や木材を置いているだけの空きがある。三笠はそこへ歩いていき、地面を踏み、家との距離を測るように目を細めた。
「ここは使えるのか」
「家の敷地だから問題ない」
「なら、母屋を無理に広げるより、こっちに作った方が早い」
「工房を?」
「そうだ」
三笠が地面を指す。
「作業台を置く場所。材料を置く場所。火を使う場所。出来上がった物を置く場所。最低でも分ける」
頭の中に、今までよりずっと広い作業場が浮かんだ。
専用の作業台があって、素材を積む棚があって、石鹸の鍋が生活空間から離れている。人が増えても、肩をぶつけずに動ける。
想像しただけで、胸が少し高鳴った。
「いいな、それ」
「当然だ。だが、人手も要るぞ。儂一人で全部建てて、そのまま石鹸まで作る気はねえからな」
「そこはまた探す」
「でしたら、人足や見習いについてはこちらでも当たってみますわ」
雲居がすぐに話を拾う。
「助かる」
三笠は私たちを見て、ふんと鼻を鳴らした。
「細かい話は明日からだ。明日、まず寸法を取る。必要な材木も洗い出す」
三笠が雲居をちらりと見る。
「金勘定はそこの破廉恥嬢ちゃんに任せろ」
「んなっ!?」
雲居の体が跳ねた。
胸も跳ねた。
「破廉恥とは何ですの! これは、機能性と美しさを兼ね備えた仕立てですわ! 霧江もそう思いますわよね?」
私に振るのか。
意見を求められたので、遠慮なく雲居の下乳に目を向ける。
間違いなく破廉恥だ。
だが、それを指摘して布でも足されたら困る。
ということで、私の答えは――。
「破廉恥じゃないな」
「でしょう?」
雲居は満足そうに胸を張った。
横から篠の視線が刺さってくる。
……気のせいだろう。
私はもう一度、何もない地面を見た。
昨日までは、ここに何かを建てるなんて考えてもいなかった。
でも今は、形になる前の工房が見える気がした。
「三笠」
「なんだ」
「最初に何作る?」
三笠がこちらを見る。
そして、呆れたように――けれど少しだけ楽しそうに笑った。
「まず作るのは物じゃねえ」
太い指が、目の前の地面を指す。
「物を作るための場所を作るんだ」
こうして、私たちの工房づくりが始まった。




