第13話「愛と好奇心」②
翌朝。
私は篠と雲居を連れて、街へ出た。
背中には、昨日決めた通り車輪付きの背負子を背負っている。荷物は一つも載せていない。
空っぽの背負子を背負って歩く女は多少目立つらしく、道行く人から何度か視線を向けられた。けれど、雲居は特に何も言わず、篠だけが時々まだ不思議そうに私の背中を見ていた。
「まずはこちらですわ」
雲居に案内されて入った一軒目の工房は、通りに面した小さな店だった。
事情を話し、これから工房を立ち上げるので腕の立つ造作師を探していると伝える。すると、奥から出てきた男は私を上から下まで眺めたあと、首を横に振った。
「ひとつ聞くが、どこかの親方に師事していたのか?」
元の霧江の記憶を探ってみる。けれど、それらしい相手は思い浮かばなかった。
「いや。そういうのはない」
「……独学か?」
「まあ、そんなところだ」
「話にならんな。今の仕事を捨てるには、話が見えなさすぎる」
取りつく島もなく断られた。
二軒目では、石鹸を作ったのが私だと話したところで少しだけ食いつかれた。
だが――。
「ああ、山猫商会の石鹸か。売れてるらしいな」
「なら――」
「だが、それだけだろう?」
先回りするように言われた。
「今は売れていても、半年後にどうなっているかは分からん。こっちにも抱えている仕事と客がいる。悪いが、賭けには乗れんよ」
「……そりゃそうだな」
何も言い返せなかった。
三軒目も似たようなものだった。
そこでは腕のいい職人が何人か働いていたものの、今受けている注文を放り出してまで他所へ移る気はない、と断られた。
工房を出て、私は小さく息を吐いた。
「思ってたより難しいな、これ」
「あちら側もそれぞれの工房をお持ちなのです。ほいほい着いてくる方がむしろ信用なりませんわ」
「それはそうだけど⋯⋯」
分かっていても、立て続けに断られると思った以上に堪える。
腕のいい造作師なら、なおさら今の場所で仕事を持っている。そんな人間に、素性もよく分からない私のところへ来いという方が無茶なのだ。
篠が気遣うように私の顔を覗き込んだ。
「まだ何軒かあるんですよね?」
「ええ。次の方は若いですが、腕はいいと聞いておりますわ」
「じゃあ、行ってみるか」
気を取り直して歩き出す。
その間も、背中の背負子について口にする造作師は一人もいなかった。
*
次に訪ねた工房は、それまでの店より少し新しかった。
入口から中を覗いた瞬間、私は思わず足を止める。
壁際には木箱や棚、小ぶりな机、それに用途の分からない細かな道具まで、いくつもの品が並んでいた。どれも仕上げがきれいだ。角は丁寧に落とされ、板の合わせ目にも無駄な隙間がない。
何より、見た目だけを整えた仕事じゃない。使う側が手を掛ける場所や、力がかかるところまで考えて作ってある。
(……いい腕だ)
性格までは分からない。
でも、少なくとも仕事は信用できそうだった。
「誰かいませんか?」
篠が奥へ声を掛ける。
「はいはい、今行くって」
軽い調子の声が返ってきた。
やがて奥から出てきたのは、私たちとそう歳の変わらなさそうな男だった。
顔立ちは整っている。服装も小綺麗で、いかにも若くして繁盛している職人といった感じだ。たぶん、女受けはいいんだろう。
私にはどうでもいいが。
ただ、髪だけが妙に目についた。
前髪から横、後ろまで、頭を包むように丸く揃えられている。
前世なら、マッシュルームカットと呼んでいた髪型だ。
(……キノコだな)
そんな失礼な感想を抱いた、その直後だった。
男が私の顔をじっと見る。
「あれ?」
目を細めたかと思うと、指を差された。
「お前、もしかして隼のとこにいた奴じゃね?」
「……私?」
「そうそう。霧江だろ?」
思いがけない言葉に、私は瞬きをした。
どうやらこいつは、元の霧江を知っているらしい。
「隼のところ、追放されたって聞いたけど。やっぱ追い出されたのか?」
「まあ……そんなところだ」
「だよなあ。地味だったもんな、お前。あそこにいても全然目立ってなかったし」
初手からひどい。
隣で篠の表情が固まり、その向こうでは雲居の眉が露骨に寄った。
私も帰りたくなってきた。
「つーか、お前こんな顔だったっけ?」
男は遠慮なく私の顔を覗き込んでくる。
「なんか前より垢抜けたな。普通に美人じゃん」
「……どうも」
褒められた気がまるでしない。
けれど、私はもう一度工房の中へ目を向けた。
腹は立つ。ものすごく立つ。
それでも、ここに並んでいる物の出来がいいことまで否定する気にはなれなかった。
人間性と腕は別だ。
目的は、腕の立つ造作師を探すこと。
私は一度だけ息を吐いて、話を切り出した。
「実は、これから工房を大きくするつもりなんだ。それで、一緒に物を作れる造作師を探してる」
「へえ?」
「あんた、腕はいいだろ。うちに来る気はないか?」
篠が驚いたように私を見る。
雲居は何も言わなかったが、『本気ですの?』とでも言いたげな顔をしていた。
分かってる。
私だって、自分から言っておいてもう嫌だ。
それでも腕だけなら、ここまで回った中でもかなりいい。
男は少し考えるように顎へ手を当て、それからにやりと笑った。
「いいぜ」
「……ずいぶん早いな」
「まあな。なんかお前、美人になってるし」
ろくでもない理由だ。
そして、男の視線が私から外れる。
向いた先には、篠がいた。
「それに――」
男が篠へ歩み寄る。
「こんなかわい子ちゃんもいるしな」
「え?」
篠が反応するより早く、男はその手を取った。
「君、名前は?」
「し、篠ですけど……」
男は篠の手を握ったまま、その甲を親指でさわさわと撫で始めた。
篠の顔が引きつる。
「おい」
自分でも分かるくらい、低い声が出た。
「その手、離せよ」
「いいじゃん。減るもんでもないだろ?」
男はろくにこちらを見もしない。
それどころか、空いている手を篠の顔へ伸ばした。
「肌も綺麗だな」
篠が身を引こうとする。
その顎へ、男の指先が触れた。
――そこで、切れた。
「私の女に手ぇ出してんじゃねえ!」
「は?」
男の手から篠の手を引き抜き、そのまま篠を私の側へ引き寄せる。
自分でも驚くくらい、声が出た。
男は口を半開きにしたまま固まっている。
一度やめろと言った。それを無視して、嫌がる篠にまだ触った。もう我慢する理由はなかった。
「腕が良くても性格が終わってる。二度と顔を見せんな、クソキノコ」
「はあ!?」
私は篠の手を引いて、そのまま工房を出た。
雲居も何も言わずについてくる。
背後から声が飛んできた。
「お前らが来たんだろ!」
キノコの胞子が飛んできたが、応えるわけもなかった。
*
しばらく歩いて、ようやく腹の虫が少し収まってきた頃。
隣を歩く篠が、さっきから妙に静かなことに気づいた。
「篠?」
「は、はい!」
声を掛けただけなのに、肩が跳ねた。
見ると、顔まで赤い。
「どうした? 大丈夫か?」
「え、あ、い、いえ……」
篠は口ごもりながら、ちらりと私を見る。
「その……さっき、霧江さんが……」
「さっき?」
「わ、私の女って……」
そこまで言われて、ようやく思い出した。
「あ」
勢いでとんでもないことを口走っていた。
「ごめん。つい私の女って言っちゃった」
「い、いえ……!」
篠はぶんぶんと首を横に振る。
「私は、その……嫌では、なかったので……」
最後はほとんど吐息みたいな声になって、よく聞き取れなかった。
「ん?」
「な、なんでもありません!」
ますます顔を赤くして、篠が前を向く。
何だったんだ。
私が首を傾げていると、雲居が呆れたように息を吐いた。
「……お熱いことですわね」
「何が?」
「そのままでいてくださいませ」
なぜかそれ以上教えてくれなかった。
少しして、篠がぽつりと呟く。
「……私、やっぱりキノコとは相性が悪いのでしょうか」
「とんでもない毒キノコだったな」
思わず即答した。
雲居が小さく笑った。
私もつられて笑ったが、人探しの方は笑っていられない。
ここまで何軒も回って、成果はなし。
雲居が挙げてくれた候補も、もうほとんど残っていなかった。
背中の車輪付き背負子は、相変わらず空っぽのままだ。
そして、ここまで誰一人として、この背負子について何も言わなかった。




