第13話「愛と好奇心」①
稲羽が持ってきた知らせは、喜ぶべきものだった。
山猫商会に置いた石鹸が、売り切れた。しかも、次はいつ入るのかと聞いて帰った客までいるらしい。
売れなければどうしよう、なんて考えていた頃からすれば、これ以上ない結果だ。
――ただし、売る物があれば、の話だった。
稲羽を山猫商会へ送り返したあと、私たちはすぐに追加の石鹸作りに取りかかった。
「霧江さん、こっちの獣脂、全部切り終わりました」
「ありがとう。じゃあ次はそっちの薪を――いや、待った。篠、それ以上やったら今日一日こっちで潰れるな」
言いかけた指示を引っ込め、額の汗を腕で拭う。
家の軒先には、切り分けた獣脂の入った桶、灰汁を取るための容器、薪の束が所狭しと並んでいる。少し離れたところでは火に掛けた鍋から湯気が上がり、脂の匂いが漂っていた。
石鹸作りを始めた当初は、ここまで場所を取るとは思っていなかった。自分たちで使う分を少し作るだけなら、どうとでもなった。
だが、売り物として数を揃えようとすれば話は別だ。
脂を集める。細かく切る。灰汁を用意する。火を焚く。煮る。混ぜる。型へ流し込む。固まったものを外し、切り分ける。
一つ一つは難しい作業ではない。だからこそ、数が増えれば容赦なく時間を食った。
「私は大丈夫ですよ。もう少しくらいなら手伝えます」
篠がそう言って、次の薪へ手を伸ばす。
「駄目だ。篠までずっとこっちにいたら、今度は素材を取りに行く奴がいなくなる。狩りが止まったら、獣脂も入らなくなるだろ」
「それは……そうですけど」
篠の手が止まった。
石鹸を作るために狩りを止め、そのせいで石鹸の材料が手に入らなくなる。そんな間抜けな話はない。
しかも、困るのはそれだけじゃなかった。
私は家の隅に置いてある工具へ目をやった。
ここしばらく、まともに触れていない。
背負子を改良した時のように、思いついた物を試す時間もない。武器や道具の手入れもある。新しい物を作ろうと思えば、当然それにも時間が要る。
なのに今は、石鹸を切って、混ぜて、運んで、一日が終わる。
売れるのは嬉しい。嬉しいんだけど――。
石鹸を作ることが嫌なわけじゃない。自分が作った物を誰かが欲しがってくれるのは、造作師として素直に嬉しかった。
でも、同じ物を作り続けるために、新しい物を考えたり試したりする時間までなくなるのは違う。
「……これ、私がずっとやる仕事じゃないよな」
思わず口から漏れた。少し離れたところで帳面を開いていた雲居が顔を上げる。
「ようやくお気づきになりましたの?」
「その言い方、前から思ってたみたいじゃねえか」
「思っておりましたわ」
即答だった。
雲居は帳面を閉じると、作業場と化した軒先をぐるりと見渡した。
「石鹸は売れる。材料も、今のところ集められる。山猫商会も売る気満々。にもかかわらず、品物が足りない」
一本ずつ指を立てながら、雲居が淡々と数えていく。
「原因は明白ですわ。作る人間が足りませんの」
「……だよなあ」
私はその場にしゃがみ込み、膝に肘をついた。
分かってはいた。
でも、これまでは私が作れば済んでいたのだ。刀も、弓も、背負子も、石鹸も。欲しい物があれば素材を集め、自分の手で形にする。それが当たり前になっていた。
人に任せる、という発想が遅れたのは、そのせいだろう。
「でしたら、人を増やしましょう」
雲居が言った。
「簡単に言うなあ」
「簡単とは申しておりません。ただ、必要ですわ」
「手伝いを雇うってことですか?」
篠が尋ねる。
私は少し考えて、それから首を横に振った。
「いや。もちろん、薪運びとか脂を切るだけなら、それでもいい。でも、これから先を考えるなら……ものづくりの話が通じる奴が欲しい」
私は石鹸だけを作り続けるつもりはない。
必要な道具があれば作る。暮らしに不便があれば直す。もっと便利にできそうなら試す。
そのたびに、すべての作業を一人で抱えていたら、いずれ限界が来る。いや、もう来ている。
「造作師、ですわね」
「ああ」
頷く。
「腕があって、話が通じて、一緒に作れる造作師。できれば、新しい物を面白がってくれる奴。そういう奴が一人いるだけでも、だいぶ違うと思う」
「……条件、多くないですか?」
「言ってから私もそう思った」
篠が困ったように笑った。
雲居は特に困った様子もなく、顎に指を添える。
「街の造作師でしたら、何人か心当たりはありますわ」
「本当か?」
「わたくしを何だと思っていますの」
「金の匂いを嗅ぎつける巫女」
「おおむね合っているのが腹立たしいですわね」
雲居は眉をひそめたものの、否定はしなかった。
商いに明るい雲居の耳には、どの工房にどんな職人がいるか、それなりに入ってくるらしい。腕がいいと評判の者、仕事が丁寧な者、逆に評判だけで実が伴わない者。そんな話も含めて、当たれそうな工房をいくつか挙げてくれた。
「ただし、向こうにも選ぶ権利がありますわよ」
「分かってる」
「本当に?」
「なんでそんなに疑うんだよ」
雲居が小さく肩をすくめる。
「霧江という造作師の名は、まだ街ではほとんど知られておりませんもの。石鹸が売れていることと、あなたの下で働きたいかどうかは別のお話ですわ」
それを聞いて、少しだけ口を尖らせた。
でも、反論はできない。
素性のよく分からない女が突然やって来て、「私のところで働け」と言う。私が逆の立場でも、まず警戒する。
「……まあ、会ってみないことには始まらないか」
私は立ち上がった。
「明日、行こう。雲居、案内頼めるか?」
「もちろんですわ」
「私も行きます」
篠もすぐに手を挙げた。
「じゃあ三人だな」
決まりだ。
私はもう一度、工具を置いてある方へ目をやった。その隣に立て掛けてある物が目に入る。
以前作った、車輪付きの背負子だ。
荷を背負って運ぶこともでき、道がよければ地面へ下ろして引くこともできる。私にしてみれば、使いやすくするために手を加えた道具の一つにすぎない。
でも、造作師を探すなら――。
「これ、持っていくか」
私は背負子を指差した。
「荷物を運ぶのですか?」
「いや。何も積まない」
「……何も?」
篠が目を丸くした。
「今日は荷物を運ぶために持ってくんじゃないからな」
「?」
篠はますます分からないという顔をする。
その隣で、雲居が空の背負子を一度見て、それから私を見た。
「……なるほど」
「何がです?」
「いえ。なんでもありませんわ」
篠だけが、まだ不思議そうに首を傾げていた。
「よし」
私は何も積んでいない背負子を壁から下ろした。
「明日は、職人探しだ」




