第12話「売れすぎです」③
翌朝、私たちは狩人組合へ向かった。
受付台の前に並べたのは、昨日のうちに雲居と相談して決めた獣脂の条件だ。
石鹸に使えること。
腐っていないこと。
余計な肉や内臓が大量に混じっていないこと。
そして、量に応じて代金を支払うこと。
「……獣脂、ですか?」
受付の女性が、紙と私の顔を交互に見た。
「はい。できれば、たくさん欲しいです」
「たくさん、というのは……」
雲居が横から必要量の目安を告げる。
受付の女性の眉が、少しずつ上がっていった。
「これほどですか?」
「ええ」
「何にお使いになるのでしょう」
「石鹸です」
「せっけん……」
知らない言葉だったらしい。
首を傾げられた。
私は簡単に、手や物を洗うために使うものだと説明する。
受付の女性はまだ不思議そうだったが、依頼そのものは受け付けてくれるらしい。
「条件を満たしたものを納めれば、こちらから代金をお渡しします。ただ、初めて依頼を出される方ですので、決まりどおり報酬の一部を先に預けていただきます」
「分かりましたわ」
雲居が即答する。
そこから先は、私にはよく分からない話になった。
依頼料だの、先に預ける報酬だの、納品時の確認だの。
私は途中からほとんど雲居に任せた。
「……霧江」
「なに?」
「せめて、自分の依頼なのですから聞いていなさいな」
「雲居が分かってるなら大丈夫かなって」
「そういう問題ではありませんわ!」
怒られた。
ともあれ、依頼は無事に受理された。
組合の掲示板には、その日のうちに新しい紙が貼られた。
獣脂の納品依頼。
依頼主――霧江。
「これで、待っていれば集まるんだよな?」
「条件に合う脂を持つ魔獣を狩った方がいれば、ですわね」
「じゃあ、なんとかなりそう」
「ええ。わたくしも、そう思いますわ」
この時は。
*
次の日。
「……ゼロ?」
「ゼロですわ」
その次の日。
「今日は?」
「ゼロですわ」
さらに次の日。
「……一つくらい」
「ございません」
「なんで!?」
依頼を出してから、四日目になっていた。
組合の掲示板には、確かに私の依頼が貼られている。
誰も見ていないわけではない。
むしろ、何人もの狩人が立ち止まっていた。
ただし。
「獣脂って、あの脂だろ?」
「わざわざ持って帰るのか?」
「こんな量を欲しがるって、何に使うんだよ」
「依頼主、霧江って誰だ?」
聞こえてくるのは、そんな声ばかりだった。
受付の女性も、申し訳なさそうに教えてくれた。
「組合が代金のお支払いを仲介しますので、納品したのに報酬が出ない、ということはありません。ただ……」
「ただ?」
「見慣れない依頼ですので、皆さん警戒されているようです」
確かに、考えてみればそうだ。
これまで捨てることさえあった物を、急に大量に欲しいと言い出した知らない女。
しかも、状態によっては減額すると条件まで書いてある。
持ってきたところで、
――これは条件に合わない。
――これは臭いが強い。
などと言われるのではないか。
そう思われても不思議ではない。
「ちゃんと買うのに……」
「あなたがそう思っていることを、向こうは知りませんもの」
雲居がため息をついた。
そして、掲示板を見上げたまま、しばらく動かなくなった。
「雲居?」
「…………」
「また白目?」
「剥いておりませんわ!」
すぐ返事が来た。
今回は大丈夫らしい。
けれど、雲居はそのまま額を押さえた。
「……わたくしとしたことが」
「どうしたの?」
「山猫商会を通すべきでしたわ」
「山猫商会?」
「ええ。最初から、山猫商会が買い取る形にしておけばよかったのです」
なるほど。
私の名前を知らない狩人でも、山猫商会なら知っている。
あの商会が欲しがっているとなれば、こんな得体の知れない依頼よりはずっと信用されるだろう。
「じゃあ、今から変える?」
「簡単におっしゃいますけれど、一度出した依頼を取り下げ、条件を整え直して出し直すには手続きが要りますのよ」
雲居が帳面を開く。
残りの日数を数え、苦い顔をした。
「今からでは、時間を無駄にしますわ」
「そっか……」
「二百三十七という数字に、完全に気を取られましたわね……」
雲居が本気で悔しそうに呟いた。
普段なら、こういうところまで先に考える人だ。
だからこそ、自分で許せないのだろう。
「でも、雲居が気づかなかったなら仕方ないよ」
「慰めになっておりませんわ」
「そう?」
私は首を傾げた。
依頼は出した。
条件も悪くないはずだ。
あとは誰か一人でも持ってきてくれれば、空気が変わるかもしれない。
そう思って、待つしかなかった。
*
待っている間にも、日は減っていった。
家では夕凪と朝凪が灰汁を作り続けている。
私と篠も、必要最低限の獣脂を確保するために狩りへ出た。
けれど、それだけではやっぱり足りない。
山猫商会からは、できた分だけでも先に納めてほしいと連絡が来ていた。
最初の分はどうにか作れた。
だが、その先が続かない。
「あと何日?」
「五日ですわ」
雲居の答えに、胃の辺りが重くなる。
庭には、途中まで作業を進めた桶や道具が並んでいる。
灰汁はある。
型もある。
乾かす場所も、無理やり作った。
足りないのは脂だけ。
「……今日も来てない?」
「今のところは」
「そっか」
私は縁側に座り込んだ。
断ればよかった、とは思わない。
あれだけ嬉しそうだった稲羽の顔を思えば、なおさらだ。
ただ。
「間に合わないかもな……」
口にすると、一気に現実になった気がした。
篠が隣に座る。
「まだ五日あります」
「うん」
「できることをしましょう」
「……そうだな」
立ち上がろうとした、その時だった。
家の外から、慌ただしい足音が聞こえた。
「霧江!」
朝凪が門の方から呼ぶ。
「組合から人が来てる!」
私は反射的に立ち上がった。
「納品!?」
「たぶん!」
組合の使いだという男は、息を切らせながら告げた。
「獣脂の納品が来てる。かなりの量だ」
「かなり!?」
考えるより早く、私は走り出していた。
篠と雲居も後に続く。
*
組合へ着くと、受付の前が妙に騒がしかった。
何人もの狩人が、奥の納品場所を覗き込んでいる。
その人垣を抜ける。
そこに積まれていたのは。
桶。
包み。
そして、これでもかというほどの獣脂だった。
「うそ……」
思わず声が漏れた。
一つや二つじゃない。
昨日まで何もなかったのが馬鹿らしくなるくらい、まとまった量だ。
「よう」
聞き覚えのある声がした。
獣脂の山の向こうから、一人の男が顔を出す。
「暁?」
「遅くなったな」
暁の後ろには、見覚えのない二人もいた。
一人は、少し小柄な若い男。短く鋭く跳ねた髪に、きつそうな目つき。けれど、こちらを見る顔には人懐こい笑みが浮かんでいる。背には弓を負っていた。
もう一人は、黒髪を後ろで結んだ細身の女だ。黒を基調とした巫女装束をまとい、背筋をまっすぐ伸ばしている。表情はほとんど動かず、硬質で端正な印象を受けた。
篠が目を見開く。
「小松さん、榊さん……」
小松に榊。篠の元パーティーか。
「よ、篠。元気そうじゃん。……マジでよかった」
小松が、人懐こい笑みを少しだけ深くした。
「久しぶりだな、篠。息災で何よりだ」
榊も、表情をほとんど変えないまま短く言う。
「……はい。お久しぶりです」
篠の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
追放されたという話だったが、少なくとも、顔を合わせられないほど険悪な仲ではないらしい。
暁は少しだけ肩をすくめた。
「掲示板を見てな。霧江って名前なら、お前だろうと思った」
「これ、全部……?」
「俺たちだけじゃない。知り合いにも声をかけた。どうせ捨てる脂で金になるって言ったら、何人か乗ってきてな」
暁は積まれた獣脂を見る。
「脂を捨てるなら取っておけってな。集めて回ってたら、こんなに遅くなった」
「依頼に記されていた獣種と状態は確認してある。条件から外れるものは持ってきていない」
榊が淡々と付け加えた。
胸の奥が、一気に軽くなった。
「……助かった」
それしか言葉が出なかった。
暁は鼻の頭を掻く。
「妻が、あの石鹸を気に入ってるんだよ」
少し照れ臭そうに、視線を逸らした。
「また作れるなら、こっちにも得がある」
私はもう一度、目の前の獣脂を見た。
あと五日。
間に合うかもしれない。




