第12話「売れすぎです」②
さっきまで嬉しそうに立っていた稲羽のしっぽが、ぽきりと折れた。
「ぜ、全然……ですか?」
「うん。全然」
改めて材料を並べてみても、答えは変わらない。
灰汁はどうにかなる。
薪を燃やして灰を作り、水を通して取ればいい。手間も時間もかかるが、材料そのものがないわけではない。
問題は獣脂だった。
石鹸を二百三十七個。
家に残っている分を差し引いても、今ある脂では到底足りない。
「稲羽。向こうは、いつ頃までに欲しいって?」
「え、えっと……」
稲羽が注文の控えをめくる。
「更級さまは、受けるなら十日後までには揃えたいって……。できた分から先に持ってきてもいいそうです」
「十日か」
私は指を折った。
作って終わりではない。
形を整えて、乾かして、使える状態にしなければならない。
余裕があるようで、ほとんどない。
「霧江さん」
稲羽が不安そうにこちらを見る。
耳も少し伏せている。
「やっぱり、難しいですか……?」
「難しい」
「うぅ……」
しっぽまでしゅんと下がった。
「でも、やるよ」
「えっ」
「引き受けるって決めたんだから、まずはできるだけやってみよう」
稲羽の耳が、ぱっと起きた。
「は、はいっ!」
元気よく返事をしたあと、稲羽は注文の控えを大事そうに抱えた。
「じゃ、じゃあ、更級さまに伝えてきます!」
「お願い」
稲羽は何度も頭を下げ、来た時と同じ勢いで家を飛び出していった。
今度は、しっぽが嬉しそうに立っていた。
「さて」
稲羽が見えなくなったところで、私は皆を振り返る。
「二百三十七個、作ります」
「改めて言われると、とんでもない数ですわね……」
雲居が遠い目をした。
さっき白目を剥いて倒れた人なので、説得力がある。
「雲居、大丈夫?」
「大丈夫ですわ!」
食い気味に返された。
触れない方がよさそうだ。
「まずは灰汁と脂。両方同時に集めよう」
「灰汁なら私が作れます」
夕凪がすぐに手を挙げた。
「ありがとう。じゃあ、夕凪にお願いしていい?」
「はい。任せてください」
「私も手伝う」
朝凪が弓を置いて立ち上がる。
「いいけど、怪我しないでね。お姉ちゃん、家事はダメダメなんだから」
「…………」
朝凪は何も言い返さなかった。
どうやら、本人にも自覚はあるらしい。
灰汁は扱いを間違えれば危ない。
以前にも灰汁を作っていた夕凪なら、任せても大丈夫だろう。
「じゃあ、そっちは二人に任せる。――篠」
「はい」
「私たちは脂を集めよう」
「分かりました」
篠はすぐに立ち上がった。
雲居も帳面を閉じる。
「わたくしは必要な量と、残りの日数をもう一度計算しておきますわ」
「頼む」
「今度は倒れませんわよ」
「何も言ってないけど」
「顔に書いてありますの!」
そうして、私たちはその日のうちに動き始めた。
*
結論から言えば。
全っ然、足りなかった。
「……これで、どれくらいですか?」
篠が地面に置いた獣脂を見下ろす。
私もしゃがみ込み、集めた分を確認した。
朝から山へ入り、何頭か魔獣を狩った。
肉や皮などは無駄にせず持ち帰るとして、石鹸に使えそうな脂もできるだけ確保した。
それでも――。
「必要な量の、一割にも届いてない」
「これで……?」
篠が目を丸くする。
「うん」
自分で言っておいて、嫌になる。
いつもの狩りなら、今日の成果は決して少なくない。
むしろ十分だ。
けれど、二百を超える石鹸を作る材料として見ると、話が変わる。
「明日も来ますか?」
「……それなんだよな」
私は腕を組んだ。
明日も狩る。
明後日も狩る。
そうすれば脂は増える。
ただし。
「狩りしてる間、石鹸作れないんだよね」
篠が黙った。
私も黙った。
二人して、目の前の脂を見る。
「……駄目ですね」
「だよな」
ようやく分かった。
これは、頑張って狩ればどうにかなる量ではない。
私と篠だけの問題でもない。
そもそも、自分たちで全部集めようとすること自体が間違っている。
「帰ろう」
「はい」
私たちは獣脂を背負子に積み、重い足取りで家へ戻った。
*
家へ戻ると、庭には灰を入れた桶や水桶が並んでいた。
夕凪が手慣れた様子で灰汁を取り、
朝凪がその横で言われた通りに水桶を運んでいる。
こちらは順調らしい。
「おかえり」
朝凪が顔を上げる。
「どうだった?」
「駄目」
「早い」
「だって本当に駄目なんだもん」
夕凪も心配そうにこちらへ来た。
「脂、足りませんでしたか?」
「全然」
朝と同じ答えになった。
家の中では、雲居が帳面とにらめっこしている。
「戻りましたのね」
「うん。で、無理だった」
私は今日集めた分を見せた。
雲居は量を見て、それから帳面を見る。
「……やはり、足りませんでしたのね」
「分かってたの?」
「足りないだろうとは思っていましたわ。ただ、どの程度集められるのかは確認しておきたかったのです」
雲居は私たちが持ち帰った獣脂へ目を落とした。
「これで、一日に集められる量も分かりました。次の手が打てますわ」
なるほど。それなら、今日の狩りも無駄ではなかったらしい。
雲居は立ち上がり、帳面を閉じた。
「霧江。あなたたちだけで獣脂を集める必要はございませんわ」
「でも、脂がなきゃ作れないよ?」
「ですから――買えばよろしいのです」
「買う?」
「ええ」
雲居の目に、いつもの光が戻っていた。
金の話になると本当に強い。
「狩人組合へ、獣脂の納品依頼を出しますわ」
「組合に?」
「狩りへ出ているのは、あなた方だけではないでしょう?」
言われて、はっとする。
当然だ。
毎日、大勢の狩人が魔獣を狩っている。
「これまで使い道が少なく、持ち帰られなかった脂もあるはずですわ。それに値を付ければいいのです」
「捨ててた物がお金になるのか」
「そういうことですわ」
なるほど。
私たちが十頭狩る必要はない。
十組の狩人が、一つずつ持ち帰ってくれればいい。
もっと多くの狩人が協力してくれれば、それだけ早く集まる。
「それならいけるかも」
「ただし」
雲居が人差し指を立てる。
「何の脂でもよいわけではありませんでしょう?」
「あ」
そこまで考えていなかった。
私は持ち帰った脂に手を触れ、使えるものの条件を確認する。
同じ獣脂でも、硬さや匂いには差がある。
石鹸に向かないものまで大量に集めても意味がない。
「よく狩られる魔獣の中から、使える脂をいくつか指定した方がいいな」
「ええ。それと腐っていないこと。余計な部位が混じっていないこと。量に応じて報酬を変えること」
次々と条件が出てくる。
「……やっぱり、雲居がいてくれて本当によかった」
「……っ」
雲居の言葉が止まった。見ると、わずかに顔を背け、頬がうっすら赤くなっている。
「どうした?」
「……何でもありませんわ。ほら、依頼の準備をしますわよ」
ともかく、方針は決まった。
私たちだけで集めきれないなら、他の狩人に集めてもらう。
これまで捨てられていた脂に、私がお金を払う。
それで石鹸が作れるなら、悪い話ではないはずだ。
この時の私は、そう簡単に考えていた。




